Light & Darkness 02



探せるわけがないことくらいわかっていた。
それでも、心のどこかで彼が現れ、自分を救ってくれることを夢見ていたのは、
己の弱さ故か。でも、こんな形じゃない。
事切れた男達に目もくれず、作ったような笑みを浮かべる彼は、
まるで正体を現した悪魔のよう。
疑いをかけていたとはいえ、ずっと心で助けを求めていた相手に裏切られたような感覚を覚えた竜崎は、
勝ち誇ったような表情で見下ろす男を絶望と共に睨んだ。
殺される―――。
それは、予感ではなく、確信。





「目が覚めた?」
「・・・っ、ここは・・・」

記憶の中のコンクリートとは似ても似つかない、
柔らかなベッドに寝かされているのに気付いた竜崎は、
目の前の存在が誰であるかを理解した途端、警戒するように男を睨み上げた。
知らない間に風呂に入れられていたのか、あれほど汚れていた身体が嘘のよう。
細かな傷口ひとつひとつに、丁寧に薬を塗り、包帯を巻いてくれているらしい彼の纏う空気は優しかったが、
そう、騙されてはいけない。
彼はもう、正体を現した、人の命など何とも思っていない大量殺人犯、"キラ"なのだから。

「・・・っ、私を殺したいのなら、早く殺せばいいでしょう」

たとえ己の名前がわからなくとも、今この状況ならばその手で殺せるはずだ。
湧き起こる嫌悪感のままに、竜崎は月の腕を振り払う。
忘れかけていた痛みが再び竜崎をズキズキと苛んだが、
それでも殺人鬼キラの言いなりになるよりはマシだった。
月は、□元を緩め、苦笑した。
馬鹿だな、とでも言うように。

「僕は、君を殺したいと思ったことは一度もないよ」
「・・・見え透いた嘘を・・・」
「本当さ。」

巻きかけの包帯をいきなり強く引かれ、きつく締め付けられた腕がひどく軋む。
喉の奥で哂う月は、恐怖に身を震わせる竜崎の上に乗り上げた。
だが、昨日の今日で散々痛めつけられた彼の身体は、主の意思になかなか従おうとしない。
逃げることも出来ず、月の腕に拘束されてしまった竜崎は、
強く握りこんでくるその力に、顔を顰めた。
あの、暴漢達に囲まれたときとは遣う、冷酷な空気を纏った恐怖。それでいて、
本物のキラと初めて対峙したという、奇妙な高揚感。
馬鹿げたことだと思った。
こんな状況で、何を考えているのだろう、自分は。

「・・・っキラ・・・」
「言っておくけど、僕か殺したいのは、Lだけだ。僕の邪魔をする、アイツだけ、ね」
「なら、早く殺して下さい。簡単でしょう、今の貴方なら」

挑発するように、真っ直ぐに見据える。
月はふっと笑うと、手を伸ばし、竜崎の首を締め上げた。
逃げたいとも、助かりたいとも思わなかった。
そう、今更なのだ。これほど体力を落とした状態で、しかもたった二人きり。
抵抗など、無駄な努力でしかなかった。喉が詰まり、息か出来なくなるのも、どこか他人事のように思える。
竜崎は瞳を閉じた。
もし思い残すことがあるとすれば、
警戒してしかるべき男に対し、身体を許すどころか、
あまつさえ心まで許しそうになってしまった己のふがいなさを責めることだけ。

「・・・っ・・・キ、ラ・・・!」

不意に、ふっと月の指の力が抜けた。
急に解放された喉元に、怒涛のように流れ込む空気。
竜崎は咳き込んだ。
死にそびれた―――。
気まぐれな男を、睨みつける。

「・・・、どういうつもりです」
「冗談だよ。僕が君を殺すわけがないだろう?」

愛しているよ、竜崎。
耳元で甘く囁かれるそれは、今ではひどくむなしく響く。
先ほどの乱暴さからは考えられない程に、傷を負った身体に負担をかけないよう抱き締めてくる腕は、
けれどもう、すべてが偽りなのだ。
壊れた人形のように、竜崎は無感動にただただ月の腕に収まった。
知らないうちに、涙が溢れていた。頬を汚すそれを、月の唇が掬い上げる。
頬を伝い降りてきたそれは、ひどく慣れた甘さを竜崎に伝えてきたが、
嫌な記憶を呼び覚ます己の身体が、ひどく恨めしかった。
いっそ、昨日のようにただ、苦痛だけを与えられていたならよかったのに。
そうすれば自分は、
ただ、己を拘束した男を憎むだけの感情でよかったのに。

「・・・腹が減っただろう?何か持ってきてやるよ」
「・・・・・・っ・・・」

嫌な余韻を残し、ベッドを離れる月の背を、竜崎はありったけの感情で睨み付けた。
けれど、身も心もボロボロになった己の奥底が、彼の存在を今だ求めていることを自覚して、
血が出るほどに唇を噛み締める。
キラに殺されるよりなにより、屈辱的な状況が、ここにある。
これからが、恐ろしくて仕方なかった。
ばたりとドアが閉められれば、漸く静寂が訪れた。





部屋は、実に簡素なものだった。
6畳のフローリング、たった1つ、自分の寝ているベッドだけ。
窓はあったが、顔も覗けない高い場所にひとつと天窓。採光には十分だが、
とうてい逃げられるようなものではない。
まぁそれ以前に、今はほとんど身体が言うことを聞かなかったのだが。
竜崎は痛む全身を引き摺ってベッドから降りた。
包帯を巻かれていない箇所だけでも星の数ほどある、内出血。なんとか立ち上がることはできたが、
歩こうとして、足首が悲鳴を上げる。
そういえば、逃げられないようにと、散々木の棒で殴打されていたことを思い出す。
2歩ももたず、ガクリと膝を折った竜崎は、そのまま荒い息を吐いた。
自分の身体が、これほど重いものだったとは。

「・・・く、っ・・・」

それでも、両腕だけでほとんど這うようにドアを目指す。
逃げられるとすれば、月のいない今この状況を置いて他になかった。
体力が回復してから、などと悠長に構えていては、どんな目にあうかわからない。
死ぬのは、構わなかった。けれど、これ以上の屈辱はもう御免だ。
唐突に、目の前のドアが開いた。
月だった。手に盆を持ち、口の端は歪んだ形。

「・・・ああ、ひとつ言い忘れていたけど・・・」
「ぃあ―――っ・・・!!」

響き渡る、悲鳴。耳を劈くようなそれに、
けれど月は竜崎の手を何気なく踏みつけた足にますます力をこめる。
靴ではなかったからまだいいとはいえ、全体重をそこにかけられれば、手の骨など簡単に砕けてしまうだろう。
事実、竜崎は己の骨が嫌な音を上げたのを聞いた気がした。
そして、激痛。一瞬にして、竜崎は抵抗の術を失う。

「名探偵だったLは死んだよ。君はもう、外の世界では用済み、ってこと」
「っな・・・」
「今日から、君の世界はここだけだ。僕の掌中にある、この部屋だけが君のすべてなんだ」

楽しそうに声を上げて哂う男。
竜崎は激痛に視界を霞ませながらも、男の勝手な言いように激しい怒りを覚えた。
苦痛が、信じられないほどの激情に変わる。
手を床に縫いとめられたままで、竜崎は刺すような視線を月に向けた。

「冗談も大概に・・・っぐ・・・」
「冗談でもなんでも、」

だがもちろん、夜神月は動じない。
かえって、楽しさが増すくらいだった。今まで世界の頂点に立っていたといっても過言ではない男が、
己の前に這い蹲っている姿は、
何度見たって己の欲望が満たされる瞬間だ。
手を踏みつけたまま、月は膝をつき、竜崎の顎を取った。
獣のような色の瞳に映る、怒りの炎。
組み伏せてやりたい。自分の命令に一切逆らわない、そんなこの男が見てみたい。

「・・・従ってもらうよ。この僕のためにね・・・」
「がはっ・・・!!」

ガッ、と肩を蹴り飛ばされ、竜崎は部屋の床に転がった。
後ろ手でドアの鍵を閉め、そうして盆の上に載せてきたものを手に取る。
それは、拘束具。
竜崎がかつて夜神月と己を繋いだ鎖と似たようなものだったが、
片方には手錠がついていない。
月は床にうずくまる男の腕を乱暴に引き上けると、しっかりと手錠をかけ、そうして片方を窓の外の格子にしっかりと絡みつけた。
長い鎖は、部屋の中は一通り歩けたが、
これではもはや、外に出ることなどかなわないだろう。
竜崎は絶望の色を表情に滲ませた。
簡単に、月の言葉が現実になってしまった。
自分には、この狭い部屋ひとつが、世界のすべてになってしまった。

「・・・ああ、また血が出てしまったね」

ポケットから出したハンカチで切れた唇を拭われ、竜崎は男を見上げた。
表情だけ見れば、誰もが騙されてしまうであろう、優男。
だが、その本性は違う。
己をこれほど痛めつけ、死にすら追いやろうとした。
恐ろしい男。
こんな男が、神だなんて笑わせる。
だが―――・・・

「これからは、この部屋は君のものだ。君の好きなものを置いてあげるよ。さすがに、パソコンは入れてあげないけどね」

優しい言葉。そうして、目の前に差し出されるスイーツの数々。
この狭い世界では少なくとも、彼が神なのだろう。
逆らわなければ、それなりに不自由しない生活が送れるのかもしれない。
だが、Lとして長年貫いてきた正義を捨て、誇りを捨て、彼の言いなりになって、
何が残るというのだろう。
かといって、望んでも死すら与えてくれないのだ。
この世界で生きていくのは、どんな形であっても屈辱でしかない気がした。
―――苦しい。
疑っていた。その笑顔の奥に、キラの顔を隠していると睨んでから、何ヶ月が過ぎたろう。
だが、いつの間にか、キラであるという事実以上に、彼自身の存在に
惹かれていた。どこか信じてしまっていた。
だからこそ、尚更、
―――辛い。

「愛しているよ、竜崎」
「っ・・・」

真摯な声音が、一番胸を締め付けた。
竜崎は耳を塞いだ。聞きたくなかった。聞けば聞くほど、
自分が壊れてしまう。
もう、嫌だった。愛するよりも憎むほうが、どんなにか楽だろう。

「も、やめ・・・、ど、して・・・」

己を捕らえ、ほとんどLとしての探偵生命も絶ったこの状況で、
なぜ今更そんな甘い言葉を吐く必要があるのかと、
そう、問い返したかった。
だが、そんな些細な体力すら残っていない竜崎は、
再び抱き締めてくる腕に抵抗できない。口元に運ばれるスプーンを、
朦朧とした意識が勝手に口内に受け入れている。
甘い。
何日も何ヶ月も口にしていなかったように思える甘さ。
もう、我慢できなかった。一番与えられたくない男に与えられるそれを口にするのは、
もはや彼に屈服したと同じ事。

「嬉しいよ、竜崎。君が漸く、僕だけのものになってくれたことがね」
「・・・っあ・・・」

耳元に吹き込まれる濡れた言葉が、
慣れた身体を疼かせる。
けれど、もう、どうしようもなかった。
自分は―――名探偵だったLは、もう、どこにもいないのだ。

「何を、して欲しい?」
「・・・・・・抱いて、ください・・・」

いっそ、過去も、記憶も、身体もなにもかも、壊れてしまえばいいのに。
そうすれば少しは、この世界も幸せに思えるかもしれないのに―――。
絶望に身を浸しながら、
頭が真っ白になるほどの快楽の渦に逃げ込もうと、
竜崎は月の胸に顔を埋めたのだった。





...to be continued ?





Update:2006/09/24/SUN by BLUE

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