一切の無を共に。



いつからだったろう。
この男を殺すことに、抵抗を覚えるようになったのは。
死んだように眠る男の頬に、月はゆっくりと触れた。
死んだように眠る?―――否。
彼は死んでいるのだ。なぜなら、自分がそう仕向けたのだから。
死神レムを煽り、そうして、殺させた。
レムが持っていたノートには、確かに2人、Lとワタリと見られる男の名前が書かれていたし、
名前が書かれた以上、それに逆らって生き延びることなど不可能だ。
Lは、死んだ。
もう手遅れなのだ。

「―――竜崎・・・」

今だ、微かに熱を帯びたままの身体を、抱き締める。
自ら殺させた男に縋り、
夜神月は少しだけ、泣いた。










殺さずに済むのなら、どれほどよかったろう。
実際、殺さずに自らの疑いを晴らし、そうしてLを無力化する方法を、
何度考えたかしれない。
だが、生かしておくには、Lは優秀すぎた。
ひとつのミスを犯すこともなく、的確に敵を追い詰めていく。
自分以外の、もう1つの懸念も増えたことで、ますます月は身動きが取れなくなっていた。
このままでは、時間の問題だと。
冷静な己の頭が、残酷にそれを告げていた。

Lを殺さねば、自分は死刑台行きだと。
その状況から逃れる方法など、Lを殺さずにはひとつもなかった。
だから、殺した。それだけのことだ。
新世界をつくるためならば、愛する者すら手にかける。
自分は、一体どこまで堕ちていくのだろう。
愛する者を失ってまで、新世界の神となる理由がどこにあるのか。

だが―――。

「でも、ね。もう、後戻りはできないだろ?」

目覚めないままの男に、苦笑する。
たとえ所有権を手放し、そうして記憶を失ったところで、
自分が今後追い詰められないとも限らない。
自分がキラでなくなったからといって、それではかつてのような生活ができるだろうか?
ましてや、欲しいものは、彼―――L、なのだ。
キラがいなくなれば、事件は終わる。
キラが捕まっても、事件は終わる。
ずっと彼の傍にいられるわけもない。死刑囚にでもなれば、尚更だ。
どうせ、何も手に入らなかった。
自分が望むものは、何も。

「・・・けど、僕は本当にお前を愛していた。それだけは、嘘じゃない」

いくつも、嘘をついてきたけれど。
最後だけは、本当のことを伝えたかった。
どうせ、自己満足だとしても、それでも。
竜崎の身体をかき抱き、そうして、耳元で囁く。
愛している。
陳腐でも、なんでもいい。
自分のモノにしたかった。そんな独占欲が、愛と呼べなくとも構わない。
青ざめたような唇に、己のそれを静かに重ねる。
誰も見ていない部屋で、月は頬を伝う雫を抑えきれずにいた。
だらりと、力なく崩れる腕は、
もう、自分の背にしがみ付いてくることなどないのだ。

「・・・まだ、温かいね、竜崎。いっそ、このまま目覚めてくれたっていいのに」

冗談、だ。
生き返ることなどないと確信しているからこその、そんな言葉。
デスノートに書かれた者にあるのは、死、のみ。
その運命は、冷徹に、残酷に、その者の上に訪れる。
たとえ今、
名を呼べば瞳を開けそうなほどに、安らかな顔をしていようと。
死んでいるのだ。
殺されたのだ。
己に。
己の罠に、嵌って。

「――――――・・・」

死体を相手に欲情するなど、馬鹿げている。
だが、それを止めるほどの理性は、今の月には残っていなかった。
なんて、身勝手な感情。
自分の都合で、殺してしまったくせに。それでも、自分はこの男を愛することができるのか。

「竜崎・・・」

滑らかな肌。首筋を辿り、鎖骨に歯を立てる。
竜崎の身体は、反応すら示さない。当たり前だ。ここにあるのは、ただの肉塊なのだ。
感じてくれるはずなど、ない。
わかっているはずなのに、・・・それが、辛い。
だが―――・・・

「・・・竜、崎?」

信じられないことが、起こった。
いや、それはただの見間違いであったかもしれない。
月は一抹の期待と、そうして不安を覚える。
竜崎の指が、彼の愛撫に反応したように、小さく震えたのだ。
まさか。
―――まさか。
そんなことがあるはずがない。
竜崎の指を絡ませて、強く握り締める。
当然、冷たい指はなんの反応も返さなかった。そう、それが正しい。
こんなこと、期待するほうが、馬鹿だ。
だが、蟠る不安は、消えない。
そうして、それでいて、高鳴る胸の内。なにを、考えているのだろう、自分は?
このまま彼が生きていたら、すべてが終わりだというのに。
今までやってきたことが、すべて無に帰すというのに。

死んでなければ、いけない。
この肉体が、生命活動を行っていては、駄目なのだ。

だが。

「・・・・・・まさか・・・」

耳を澄ませば、今にも消えそうな、微かな鼓動。
それは、あの状況では誰も気づかない、いや、気づけなかっただろう。
皆、動揺していたし、脈すらまともに計ることができなかった。
そしてそれ以前に、
自分は、確信していたのだ。
この男が、死んだことを。デスノートの名を見た時点で、
彼の運命は、死。
逃れられない、はずだ。
逃れられるわけがない。逃れられるとしたら、死神か、既に死んでいる者。

・・・既に?

月は動揺を抑えきれずに、胸元を握り締めた。

そうだ。竜崎は言っていたではないか。
自らのミスで窮地に陥った松田に対して。「殺されないためには、今死ぬ事だ」と。
デスノートに書かれる前に、死ねばいいのだと。
そして、実際松田は、
死ぬ振りをしたおかげで、デスノートへ名前を書かれることを免れた。
名前を偽っていることに気づかれなかった。
だが、今回の場合はどうだろう?
たとえ、ここで死ぬ振りをしたとて、意味がない。
相手は死神なのだ。名前も見透かされている。死神を騙せるはずがない。
レムが見た名前まで、偽れるはずがないのだ。
では、どうやって?
デスノートに名前を書かれても死なない例外は、何だ?
2冊以上のデスノートに、ほぼ同時に名前を書かれた?在り得ない。
ならば、考えられることは、ただ一つ。

「竜、崎・・・・・・、・・・」

あまりの事実に、言葉が出ない。
デスノートに名前を書かれて、その死を免れるには、ただ一つ。
先に、死の運命をデスノートに書き記される事。
そう、死神レムのノートに書かれる前に。
いずれかのデスノートに、竜崎の本当の名が記されていなければ、決して在り得ないのだ。

「・・・そこまでして、僕を死刑台に送りたいのか・・・?」

呆然と、呟く。
おそらく。
竜崎は、読んでいたのだろう。自分と、レムが協力していた事を。
そうして、逃れられないであろう死から逃れるために、
死をもって対抗した。
それは、決意。
自分の命を引き換えに、必ずキラを捕らえる。
その、強い意志の表れ―――。

「・・・・・・馬鹿だね、竜崎。これじゃ、君まで天国に行けないじゃないか」

デスノートを使った人間は、例外なく天国にも地獄にも行けないのだ、と。
そう、死神リュークに聞いた。
自分はいい。自分はまだ、罰を受けていない。
原因と結果。公平なことだ。
だが、たった1度、しかも自分を殺すために使っただけで、
人並みの死後すら送れないなんて。

「可哀想な竜崎・・・」

せめて、幸せな永眠を祈っていたのに。

仮死状態を装って自分を欺くために、
恐らく致死量に満たない毒を摂取したであろう竜崎は、
今は青ざめた頬のまま、目覚めない。
自分だけでなく、恐らくは、捜査本部のほとんどが、
この竜崎の作戦を、知らない。
知っているとしたら、父―――夜神総一郎。竜崎ならきっと、彼にだけ打ち明けるか、
それとも、まだ誰も知らないでいるかもしれない。
これからも竜崎―――Lは、命を懸けて、キラを追う。
まだ、戦いは、終わっていないのだ。

「・・・―――わかったよ、竜崎。僕の負けだ」

微かな温かみをもった肉体を、今度こそしっかりと抱き締める。
なんとも言えない感情が過ぎった。
けれど、もう遅い。
運命の歯車は既に動き出している。竜崎の死、そのタイムリミットと共に。

「君の決意に、僕も全力で応えよう。お前が次に、僕の前に戻ってきた時―――。その時が、最終決戦だ」

もうきっと、一生触れられないであろう身体を、
名残惜しげに横たわらせる。
今度彼を前にしたときにはもう、互いの間に恋愛感情を挟む余地はないだろうから。

「そうして、僕が負けた時には、共に歩もう。
 天国でも地獄でもない、一切の無が広がるその世界を―――・・・」

死んだように横たわる竜崎に、もう一度口付けて。
こちらもまた、決意したように目の前に広がる茨道を睨み付けた。





end.





Update:2006/10/29/SUN by BLUE

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