計略的虚偽事項



1.訃報



・・・折原臨也、死す―――



その訃報が届いたのは、
もうすぐ冬に入ろうかという、肌寒い木枯らしの吹く季節だった。
最近、あまり池袋へ顔を出さないな、と皆が噂していたが、
つまりはそういうことだったのだ。

彼を目の仇にしていた平和島静雄がその話を聞いた時、
何かの間違いだろうと鼻で笑い一蹴した。
そうして、それが真実ならばどれほど嬉しいか、なども口にした。
だが、ほどなくして彼の実家から、正式に連絡が届いた。葬儀の日取りもきちんと決まっていたから、
漸く彼も、臨也が死んだという情報が嘘でなかったことを思い知らされる。
いくらあのノミ蟲が大嫌いだからといって、
それなりに長い付き合いだった相手の葬儀を無視するわけにもいかないだろう。

静雄は、折原臨也の葬儀に参列した。

彼の葬儀には、顔が広かった分、それなりに人が集まった。
だが、ほとんどの人間は、折原臨也という男が裏でどんなことをしてきたか、
どれほど他人を振り回してどん底に引きずり込むような悪意に満ちた人間だったか知っていたから、
神妙な顔はしていても、それほど悲しんだり嘆いたりはしていないようだった。
ただ、彼の妹たちであるクルリと舞流だけは、
流石に声を上げて泣いていた。それを遠目で聞きながら、
漸く静雄は、ああ、本当にあのノミ蟲が死んだのだ、と実感する。

・・・特に何も感じなかった。
自分の、心穏やかに過ごしたいという願いをいつもブチ壊す存在がいなくなったのだ。
望んでいた通り、彼の心はひどく静かで落ち着いていた。
ただ、1つだけ、今はいない男に告げる言葉があるとすれば―――・・・、

「へっ・・・ざまあねぇな」

葬儀も、法要も納骨もすべて終わった翌日。
空をオレンジ色に染め上げていた太陽も沈み、月が昇る境目の時間、
平和島静雄は、彼の墓に背をもたれ、一人煙草を吸っていた。
周囲には誰もいないから、故人を一人と数えるとするならば、静雄と臨也、たった二人きりの時間。
だが、そこにはいつものような喧嘩腰の会話は交わされない。
沈黙だけがその場を彩っている。
ふぅ、と胸一杯に吸いこんだ紫煙を吐き出して、静雄は呟いた。

「ま、テメェみたいなクソ野郎がまともに生きていけるとは思ってなかったけどよ、」

折原臨也の死因は、なかなかに凄惨なものだった。
まだ警察が調査中ではあるが、彼が情報屋として関わった暴力団と何かしらトラブルがあったらしく、
彼の帰宅途中、団員の数名に襲われたらしい。
廃工場に連れ込まれ、数日に渡って暴力を振るわれ、
動けないでいる彼を大人数で輪姦し、
散々性欲処理の道具にした挙句にガソリンを浴びせられて火を付けられた。
無論、そんな情報は周囲には伝えられてはいないが、
検死の書類を盗み見た新羅からそれを聞いた時、静雄はやっぱりな、と嘲笑ったものだ。
真っ当な生き方をしてこなかった人間は、真っ当な死に方などできない。
臨也はその典型的な例だと鼻で笑った。
だが、散々『殺す』だとか言って追いかけ回していただけに、
他人の手で彼の命が奪われた、という事実は、少しだけ悔しいような気分だ。

「ノミ蟲のくせに、呆気ねぇなぁ。逃げるのはお得意じゃなかったのかよ」

ちっ、と舌打ちを響かせて。
逃げてばかりで、自分の手にはなかなか堕ちてこなかった男の生前を思い出すだけで
イライラする。そうして、そんな男が他人の手にかけられたのだと思うと、
先程まで何も感じなかった心がドクリと揺れる。
どんなに口汚く罵っても、あの減らず口は二度と聞けないのだ。
あの、見るだけで殺意が湧くニヤけた笑みも。

「・・・・・・・・・ったく・・・俺が殺すはずだったのによ」

ぼそりと漏れた言葉は、自分でも信じられない程。
だが、それは静雄の本音だった。
会ったその日から喧嘩ばかりで、常に殺し合っていた仲ではあるが、それなりに長い付き合いなのだ。
いくら嫌いだとはいえ、その間に別の人間が入り込むのは屈辱だ。

「ま、とりあえず、漸くこれで平穏な日々が始まるわけだ。感謝するぜ」

落ちそうな灰を、彼の墓石に押し付けて揉み消す。
そうして、あーあ、すっきりした、と両腕を天に伸ばす。
背伸びをして、そうして、そろそろ戻るかな、と空を見上げて、ふいに、

―――頭から、言葉が降ってきた。

「残念だけど、君みたいな化け物に平穏なんて在り得ないから安心してよ。」

理解するまでに、ひどく時間がかかった。
まず、空耳かと思った。なぜなら、この空間には自分以外誰もいない。
それに、その言葉が、あの、苛立ちを誘う嫌味たっぷりの声音で紡がれていた。その声は、
紛れもなく、自分が大嫌いだった折原臨也のそれで、
ひくりと頬が動いた。だが理性は、彼は死んだはずだと理解しているから、
ただただ混乱する。
上を向いた。声のするほうを見上げた。
すると、
あまりに見慣れた姿が、視界を支配した。墓石に両肘をつけ、顎に手を当て、
ニヤニヤと自分を覗き込む姿。
折原臨也。
その黒髪と、ファーのついた黒いコートという組み合わせは、
静雄の知っている中では一人しか思いつかない。

「・・・・・・・・・ノミ蟲・・・?・・・」
「ひどいなぁ。人の顔みて第一声がそれなわけ?」

人をからかうような、相変わらずの口調。
おかしい。この男は死んだはずだ。では目の前のコイツはなんなのだろう?
俗に言う幽霊という奴なのだろうか?まぁあんな死に方したら未練もあるかもしれないが・・・

「・・・とりあえず、テメェは早く成仏しろ」
「やだなぁ、シズちゃんまで俺がこんな簡単に死ぬと思ってんの?アハハ。かわいー。」
「・・・・・・(怒)」

両腕を伸ばし、静雄の頬を両手で挟んだ。
そうして、包み込むように頬を撫でられる。静雄にとっては驚くべきことだが、
嫌悪を感じているはずなのに身体が動かなかった。
振り払うことができなかった。

「・・・へぇ、シズちゃんでも泣くんだ?」
「何・・・」

面白そうに覗き込まれる。
見上げた先には相変わらずの、人を小馬鹿にしたような表情。
見間違いなどではない。その男は、昨日この墓の下に埋められたはずの折原臨也。
あの憎らしい男が、今まさに、己の目尻に触れ、まるで子供をあやすかのように零れ落ちる雫を掬い上げ、
そうして頭を抱えるように抱き締めてくる。
そこで初めて静雄は、自分の頬に熱いものが流れているのに気づいた。
―――まさか。
そう思った瞬間、静雄は上から伸ばされる両腕を思い切り引っ張っていた。

「っうわっ・・・!」

墓石越しから尋常でない力をかけられて、角に当たる箇所が激しい痛みを訴える。
と同時に、視界がぐるんと反転した。
そうして、地面に背を強かに打ちつけ、痛みに一瞬息が詰まる。

「痛・・・」

身を起こす気力もなく、大の字に手足を投げ出したまま静雄を見上げると、
彼は随分奇妙な顔をしている。
怒りと、戸惑いと、驚き、そうして微かな安堵。なんて顔してんのさ、シズちゃん。
臨也は素直に笑い声を上げ始めた。

「―――ご挨拶だねぇ、シズちゃん」
「っ、その前に、なんで、テメェ・・・・・・」

言いかけて、今更思い出したように両目から溢れるそれを腕で拭った。
自分でも信じられない、といった風に顔を歪め、
そうして静雄は臨也の顔を覗き込んだ。
横たわる男の胸倉を、乱暴に掴み上げて。

「っ・・・乱暴だなァ」
「クソ・・・死んだんじゃなかったのかよ」
「ホント馬鹿だね、シズちゃん。このノミ蟲みたいにしぶとい俺がだよ?そうそう死ぬわけないじゃん」
「っく・・・」

ぐっ、と掴む手に力を籠める。
そう、静雄とて、初めから信じきっていたわけではなかった。
あのノミ蟲がそう簡単に死ぬはずがない、と。
だが、それでは、本気で悲しんでいたクルリと舞流は?
家族たちは?
一体、どこまでがグルなのだろうか。

「・・・ああ、言っとくけど、俺が生きてるって事は、シズちゃんしか知らないよ。
 シズちゃんと、それと、俺を追ってる明日機組の奴らは感づいてるかもしれないケド・・・」

いつもの口調、いつもの表情、変わらない瞳の色。
人を騙すことに、なんの痛みも罪の意識も感じない男は、
今日もまた、静雄の前でニヤリと笑う。
そうして、静雄は再びこみ上げる怒りや嫌悪感を抑えることはできなかった。
今すぐにでも殺してやりたいと、そう思うほどに。

「・・・テメェ・・・最低な奴だな。
 自分の都合で家族や周囲の人間を巻き込んでよ・・・
 テメェの腹黒さを知ってる奴らならともかく、クルリと舞流は本気で・・・!!」

イライラする。
彼女らのことは嫌いじゃなかっただけに、そんな妹たちをも利用するこの男が
本気で許せなかった。

「ああ、悪いコトしたとは思ってるよ。でも、妹たちはまぁ、すぐ気付くとは思うけどね。・・・甘楽だっていなくなっ

たわけじゃないし」

悪びれもなくそう告げて、肩を竦める男に、
静雄は改めて、怒りとも嫌悪ともつかない衝動が芽生えるのを感じていた。
いや、もちろん、この身勝手極まりない男に振り回されている自分に、大いに怒っているし、
死んでようと死んでまいと、この男が大嫌いだという気持ちは変わらない。
だが、こうして彼の襟首を掴みあげ、彼の生意気な表情を見下ろす体勢には覚えがあった。
何日、いや、何週間ぶりだろう?
彼が池袋に姿を見せなくなってから、随分と日が経っている気がする。

「・・・・・・」
「・・・ハハ。そんな怖い顔しないでよ。・・・ていうか、何?溜まってンの?」
「っば・・・死ね!ノミ蟲・・・っ」

挑発するような言葉と態度。苛立つ感情を更に煽る臨也の口を塞ごうとして、
けれどその瞬間、頭上に衝撃が走った。
ぐっと力を籠められ、そうして視界が一瞬真っ黒に染まる。
気付けば、己の唇に、濡れたそれが重ねられていた。
ぬるりとした舌が、己のそれに絡められ、そうして貪るように深く蹂躙されれば、
不本意ではあるが、彼の言うとおり最近ご無沙汰だった己の雄が疼く。
こんなノミ蟲相手に盛る自分なんて、どうかしている。
ああ、悔しい。
反吐が出そうだ。

「っテメェ・・・」
「そりゃそうだよねぇ。俺以外にシズちゃんの相手をしてあげられる人間なんていないしねぇ。
 ・・・俺が池袋に来なくて、寂しかった?」
「殺す!」
「お、っと」

殴りかかってくる静雄の拳に本気を感じ、
とっさに臨也は身を翻してそれを交わした。案の定、彼の拳は地面にめり込み、
もし当たっていたら、おそらく臨也は少なくとも数日は動けなくなっていただろう。
下手をすれば顔面崩壊もあり得る。
ああ、恐ろしい。
だが、それでこそ、平和島静雄なのだ。
臨也は、再びニヤリと笑った。

「ねぇ、シズちゃん」

今度こそ、しっかりと彼の首に両腕を絡ませて。

「しようよ」
「っ・・・・・・」

甘い甘い声音を静雄の耳に吹き込めば、彼が拒否しないことぐらいわかっている。
本当は、自分も既に限界だった。
そもそも、あの、自分の墓の前で無意識に涙を零していた静雄を見た時から、
己の下肢は欲望を露わにしていたのだ。
つくづく、困った身体だと臨也はひとりごちた。
自分が愛してやまないのは人間のはずなのに、
そんな人間とは正反対の、この化け物にこれほど激しく欲情するのか。
他の人間とは絶対に感じることのできない充足感。
常に死と隣り合わせのセックス。
感じるのは、生きているという実感だ。
―――興奮する。
だから、ここ1ヶ月、自分を追っている暴力団の目を眩ますため新宿にも池袋にも立ち寄らなかった手前、
静雄との関係はご無沙汰だった。
強く欲情しているのは、静雄よりも自分―――。
わかっている。
わかっているからこそ、止まらない。止められない。

「く・・・ノミ蟲・・・っ」
「そうだなぁ・・・久々だから、いっぱいサービスしたげるよ。・・・絞り尽くしてやるから、覚悟してよね」

自ら男の上に乗り上げて、赤い舌をちらつかせて誘う。
それだけで、掌を宛がっていた静雄の下肢に熱が増すのを感じ、
臨也はにやりと口の端を歪ませた。







to be continued.







※続きは、10/10発行予定【計略的虚偽事項。】原本にてお楽しみくださいませ。





Update:2010/09/22/WED by BLUE

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