背徳の果実 vol.3



―今夜また―――・・・

先ほどのロイの言葉が、エドワードの耳に響いていた。
自分のしてしまった魔が差したような行為をロイが許してくれたのはありがたかった。
だが、いまだエドワードは彼の言う『自分の心』と向き合う勇気はなかった。
たとえば、このままイーストシティを出てしまえば、
また1ヶ月、半年、1年。かれと会う事はないのだろう。
そうすれば。
少しは、この熱も冷めてくれるかもしれない。
自分にとって一番大事なのは弟と自分の身体を取り戻すことであって、
決してこの秘めた想いを叶えることではないのだ。
弟とともに、また旅を続ければ。
きっと忘れられる。エドワードはそう願った。
だが、果たして、
今夜来なさいと言ってくれたロイの心を、無視できるだろうか。
このまま顔を見せずに旅立って、彼の思いを踏みにじることができるだろうか。
だが、そうしなければ、自分は・・・・・・

「あ、兄さーんっ!!」

聞き慣れた甲高い声がして、エドワードははっと思考に沈んでいた顔を上げた。
図書館に行っていた弟だ。ガシャガシャと音を立てて鎧姿が走ってくる。
そう、なにより彼のために。
自分が失わせた彼自身を取り戻してやるために、自分達は旅をしているのだ。
どうして、こんなところで足踏みをしていられるだろう?
エドワードは軽く首を振ると、片手を挙げて走ってきた弟を出迎えた。

「アル!どうしたんだよ、図書館に行ってたんじゃないのか?」
「兄さんこそ。大佐の家に行ってたんじゃないの?」
「あ」

思い切り頭から締め出そうとしていたことを弟につつかれ、エドワードは答えにくそうに言葉を濁す。
ぽりぽりと頭を掻いてから、少年はふいと顔をあらぬ方向に向けた。

「大佐とは・・・・・・喧嘩した」
「またぁ?兄さん、大人気ないったらありゃしない」
「そんなんじゃない」

そもそも、喧嘩などではないのだ。ただ、考えていると胸が苦しくなる。
だからできるだけ、彼のことは考えないように。
そうして、そのままこの場所を出て行けるのなら。

「俺のことはいいんだけどさ。何かあったのか?」
「あ・・・うん。賢者の石の新しい情報があって・・・・・・」

図書館で見つけた資料の中に、さらりとそのことについて触れていたものがあったのだ。
それ専門の本ではなかったが、微かな望みさえあれば今の彼らはより多くの情報を得るためにその場所へと旅立つ。
今回は北部。セントラル経由で西部側にある、小さな町だった。
これほどの旅を続ければ、往復だけで3ヶ月はかかる。それに、新しい情報を得ればそれを辿ってまた足での旅を続けていくのが普通なのだ。
1年はかかるかもしれない。エドワードは息を呑んだ。
この旅に出れば。
ロイへのこの想いも少しは晴れてくれるだろうか。

「よし、でかしたぞ、アル。明日早速出発だ」
「・・・大佐との仲直りはいいの?」
「いい」

即答ぶりに、弟は呆れた。

「・・・わかったよ、兄さん」

賢者の石の情報を得て舞い上がるはずの少年は、しかし今は声が沈んでいた。
断ち切りがたいものを無理に断ち切ることに、エドワードは見えないところで唇を噛み締める。
2人は、明朝の出発に備えるため、宿に早々と戻り、旅支度を始めたのだった。










早く終わって欲しい夜は、眠ることもできないまま、永遠ではないかと思うほどに長く続く。
眠れない夜はエドワードに焦燥感だけをもたらし、そして焦る心は待っているであろうロイの存在を意識させる。
無視しようと決心した心は、もはや揺らいでいた。
このまま顔を合わせず、彼の気持ちも拒否したまま旅に出たとして、
その後帰ってきたとき、自分はどんな顔をすればいいのか。
ロイは、何事もなかったように自分を迎えてくれるだろう。
だが、それは所詮ロイにとって自分のしでかしたあの行為は何の意味もなかったことを示している。
ロイにとって、結局自分は何の意味も為さないものだと。
それを認めるのは嫌だった。
たとえ、振り向いてくれなくとも。
無視されるのは、それ以上に残酷だった。
いまここで、きっぱりと自分の気持ちを告げて、玉砕してくればいい。
そうしてエドワードは、引き摺る自分の想いを断ち切るために、今ロイの家の前に来ていたのだった。
ロイの部屋は、家の左端にある。
こんな夜中に正面から直接彼のところへ行くのは躊躇われて、
エドワードは庭を回って彼の部屋の窓を叩いた。
心臓が痛い。緊張に、嫌な汗が流れる。
しばらくしてさらり、とカーテンが開け放たれ、その先には案の定ロイがいた。

「・・・エドワード。」

あまり普段は見ないふわりと柔らかな笑みで迎えられ、エドワードは戸惑った。
自分の名を紡ぐ声音がひどく優しい。鼓動が一気に跳ね上がる。
彼の部屋へ足を踏み入れたエドワードは、彼のデスクに書類が積まれているのを目にした。

「あ・・・あんた、仕事・・・」
「待っていてくれないか。すぐに終わる」

急な決済が入ってしまってね、とロイは苦笑する。
エドワードをソファに座らせ、読んでていいよ、と昨日読みかけだった本を手渡して。
だが、そんなロイの気遣いは今は何故か悲しくて、エドワードは手元の本なと読めるはずもなかった。
どうして、来てしまったのだろう。
エドワードは書類に目を落としたままのロイを、ただただ見つめる。
窓を叩いてしまってからというもの、エドワードは後悔の念に苛まされていた。
こうして彼の元に来たからといって、そう簡単に開き直ってかれに自分の想いを伝えられるわけもない。
そもそも、人を好きになること自体初めてなのだ。どうやって彼に接したらいいのかすらわからない。
14も年上の男に、どうして自分が恋心を抱いているのかすら、
今のエドワードには理解できなかった。
ただ、彼が欲しい。
彼の瞳を、自分のほうに向けさせたい。そんな、子供じみた望み。
バカなことだ。どうして自分はここにいるのだろう。
だが、今更後悔してみてももう遅い。一度来てしまったものは二度と逃げられないのだ。
恐怖にも似た感覚に囚われたままソファに座っていると、ふいに肩を叩かれた。
ぼんやりとしていたのだろう、びくりと驚くエドワードにロイはくすりと笑う。
それから部屋の片隅に備え付けてあるアメニティスペースで温かな飲み物を作ってやると、エドワードに手渡した。

「まだ暖まってないだろう」
「・・・ありがと」

素直に受け取るものの、エドワードにはロイの優しさがわからない。
自分を貶めたはずの相手に、どうしてそんな顔ができる?
それとも、何も意識されていないのか。
エドワードは膝に置いていた機械鎧の指をきつく握り締めた。

「話す気になったかい」

隣に座り、ロイは同じようにカップを口元に運んだ。
夜遅くの、しっとりとした空気。けれど、どこか自分は違和感のような気がした。
ロイは、こんな時間を多くの女性と過ごしてきた。
けれど、自分は違う。不器用なことくらい、自分でもわかっていた。
ただぶつかっていくだけでは、相手の心が手に入らないことくらいはわかっている。
いや、本当は心が欲しいなんて贅沢を言えるはずがないと思っていた。ただ、引き摺ったままの想いをどうにかしたかっただけだ。
ただ一言、好きだと言えればいいはずなのに。
言えない。ロイが優しすぎて、エドワードはなおさら言えなくなっていた。

「なぁ、あんたは、・・・」

だから、その代わりに。
エドワードは疑問を紡いだ。

「どう、思ってんだよ、さっきのこと」

顔をあらぬ方向に向けて、ぶっきらぼうに。
ロイはそんなエドワードにそうだな、と呟くと、一口コーヒーを啜りそれからかたりとソーサーに置いた。
ソファに凭れる。何を考えているのか、顔は天井を上向けて。

「それは、君次第だよ、エドワード」
「俺、次第・・・?」
「私こそ、聞きたい。どうして君は、あんなことをした?」
「・・・・・・」

エドワードは言葉を濁した。
今となっては、何を考えてあんなことをしたのかわからない。
いや、そもそも何も考えていなかったのかもしれない。
ただ、目の前に無防備なかれがいたから、彼を欲しいと思う自分の心が暴走してしまっただけのこと。
だが、それを今、真っ直ぐに自分を見据えてくる彼に言えるだろうか?
答えは、否、だ。

「・・・魔が、差した」
「魔が差した、ね」

顔を背けたままはぐらかすような言葉を吐いたエドワードに、ロイはため息をついた。
意を決してここまで来たのではなかったのか。
向き合えない自らの心に向き合おうとして来たはずの少年のその言葉は、
けれどただその場逃れの意味合いしか持たなかった。
折角自分は彼のために本音を受け止める用意をしてやったというのに、彼自身が認めたくないのでは仕方がない。
ロイは立ち上がると、はっと顔を上げたエドワードに背を向けた。

「・・・帰りたまえ」
「・・・っ」
「本音の君以外に用はない。無駄な時間を過ごさせるな」

ロイの声はいつになく冷たかった。
氷の刃のように鋭さをもつそれは、エドワードに苦痛をもたらす。
そして、その背中―――。
こちらに振り向かせたかった。だというのに、折角自分を見てくれていたロイをまた自分で背を向けさせてしまった。
一番愚かなのは自分。
彼への想いを断ち切ろうとしてできなかった。
その時点で、迷うこと自体もはや無駄なことなのだ。
意識して無視することなどできるはずもない。無視しようとすればするほど、深く彼の存在が侵食していくことをエドワードはわかっていなかった。
その上、彼の好意を裏切った。
勇気を出してここまできたのに、この様だ。
エドワードは唇を噛み締めた。

「・・・っ大佐・・・!」

ソファから立ち上がると、エドワードは彼の背中にしがみついた。
身長差はどうしようもない。彼を無理矢理こちらへ向かせる勇気もない。ただ、シャツを握り締め、額を押し付けた。
我ながら女々しい態度だとは思うが、もはやなりふり構ってはいられなかった。

「明日・・・、北に発つんだ。・・・また、当分会えない」

滑り出た言葉に驚いた。あえなくなることは本望ではなかったか?
自分の心のほとぼりを冷ますための。
まさか、会えなくなることを寂しいと思う自分がいるなんて思いもしなかった。
ロイは動かなかった。そのまま、エドワードの告白を聞いている。

「だから・・・、今日は・・・っ、今だけは傍に、いてくれ・・・!!」

ほとんど、搾り出すような声だった。
ついに言ってしまった。エドワードは握っていた指先に一層力を込めた。
ロイ・マスタング。焔の錬金術師で、地位は大佐。身長も、年も何もかもかなわない男。
そんな彼に見合う自分ではないことはわかっていた。だからこそ、叶わぬ夢を抱いた。

「大佐・・・・・・」

エドワードの必死の声音に、ロイはふっと笑みを浮かべた。
背を向けた少年をもう一度振り向いて。
さらりと彼の髪に触れる。エドワードは息を呑んだ。

「エドワード。君の望みは?」

ロイの声音にエドワードの心はついに折れた。
愛しい男を目の前にして、熱くなる身体は止められない。
高鳴る鼓動を抑えられないまま、エドワードはロイを見上げて、呟いた。





「あんたが・・・欲しい」





to be continude.




Update:2004/03/11/THU by BLUE

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