花と花火と宵闇と。
夏の、夜。
空の闇色に映える花ははかなすぎて。
どこか哀しかった。
ただ、純粋にその美しさに魅せられていたならそれでよかったのに。
「黒崎サン」
聞き慣れた声に、黒埼一護は顔を上げた。
神出鬼没な目の前の男は、自分が一人でいると決まって現れる。
ハイ、と煎茶を渡され、・・・ああ、と受け取るとあとは再び沈黙が訪れ。
スッと隣に腰を下ろした男は気にした風もなく手元の茶をすすった。
下の、喧騒から離れた空間。
ドーンと大きな音がして、空の闇に光が花開く。
それに合わせて、井上達の歓声が聞こえてくる。
祭りごとは嫌いではなかった。いや、むしろ好きなほうと言っていいだろう。
だからこそ、友人達の誘いに乗ってここまで来たのだ。
だが、いざそのときになっても、どうしても素直に楽しめない自分がいた。
理由はわかっている。
祭りではしゃぐ彼らを見ると、胸が苦しくなるその訳も。
一護の思考を途切れさせるかのように、また空に花火が舞った。
「キレイっスね」
「・・・ん?あ、ああ」
思考に沈み込んでいた一護は、男の声に慌てて反応する。
青年のそんな態度に何を思ったのか、男はくすりと笑うと一護の手から先ほど渡した湯飲みを取り上げた。
「・・・っおい」
なんだよ、と顔を向けると、男は目深にかぶった帽子をそのままに腰をあげる。
背を向けてゆらゆらと歩む彼に、一護は不審そうな目を向けた。
「・・・少し」
「?」
「歩きませんか」
言葉と共に振り向いた男は、帽子の下に普段ほとんど見せることのないくったくのない笑顔を浮かべていて、
一護は一瞬どきりとする。
そのまま、再度背を向け、今度こそ自分にはお構いなしにどこかへ行こうとするかれに、
一護は仕方なく腰を上げた。
「お、おい!待てよ」
全く、よくわからない奴だと内心毒づきながら、男の背を追う。
ひらひらと動く羽織の裾をたどれば、後ろでまた花火があがった。
「なぁ、どこまで行くんだよ?」
「もうすぐですよ。」
せっかちですねぇと笑われ、一護はムッとした表情を見せる。
いっそついて行かないかとも思ったが、ここまできてまた同じ場所に戻るのも癪で。
仕方なく男についていく。夏に蒸し暑さが、ふと涼しげな空気に変わる。
なんだろう、と思い周囲を見渡してみていると、
そんな一護に男はくすりと笑った。
「・・・この山には、面白い場所があるんスよ」
「面白い場所?」
男は意味ありげに頷く。深まった山奥だからか、先ほどまでうるさいほど聞こえていた祭りの喧騒も花火の音も聞こえない。
ふと何かが顔にぺたりと張り付いてきて、一護は眉をしかめてそれを指先でつまんだ。
「・・・花びら・・・?」
夏に花は、さほど珍しいものではない。
だが、青年の手に乗ったそれは、淡いピンク色をしている。
そんな花を、一護はひとつしか知らない。
(まさか)
「さぁ、着きましたよ、黒崎サン」
足を止め、目の前を指し示す男の指をたどった先に、1本の大きな木があった。
風に揺れる度に淡い色の花びらを落とすそれに、一護は息を呑む。
「・・・桜・・・なんで・・・・・・」
今は夏だ。
普通の桜ならば、とっくに花を散らし、青々とした葉を揺らしているだろう。
だというのに、この木だけは、目の前で淡い光を闇に映していた。
非現実的な、どこか神秘的なその空気に捕らわれる。
「ここの桜は、年中咲いてるんスよ。それこそ、秋だって、冬だってね」
「一年中・・・?」
「ええ。ずっと」
もう一度、桜を見上げて。
風に花びらを散らすそれは、それでは散る度に咲いて、咲く度に散っていくのか。
永遠を見ているようで、一護は目を奪われた。
「そう、永遠に、咲き続け・・・・・・そして」
男は言葉を切り、手にしていたステッキを持ち替えた。
次の瞬間、ぞくりとした寒気が背筋に走る。
「っ浦原!!」
殺気とも言える気配を感じて一護が顔を向けると同時に、男の手の中のそれがなぎ払われた。
一瞬の出来事だった。
一護は動くことすらできない。
「虚が、」
背後から襲い掛かってきた虚を、男の杖が捕らえた。
「集まる。」
目にも止まらぬ迅さで急所を貫いたかれは、一護に向かってニッと笑みを見せる。
目深にかぶったそれから上目遣いに見せた笑みはどこか昏く、一護は恐怖とも言える感覚を覚えた。
そうだ、男の手の中のそれは、
斬魄刀。
普段は飄々とした空気を纏っていながら、
本当のかれの力は計り知れないものだということを、一護はつい最近知った。
何を、考えてるんだろう。
一護は、自分がこの男について実は何も知らないことに気づいた。
「う、浦原・・・・・・」
「ホラ」
おそるおそる彼の名を呼んだが、男はそれに取り合わず、顎で先ほどの虚を示した。
斬魄刀で斬られたはずのそれは、だというのに消えることなくその場に存在していた。
不審に思ってそれを見つめる。
桜の木の下に倒れた元人間の成れの果ては、何を思いここまで来たのか。
「・・・桜」
「?」
男の言葉に、え、と顔を上げた。
男は虚に目を落としたまま。虚に桜の花びらが舞い落ちる。
不意に、虚の輪郭がぶれ、一護は目を見張った。
霧のようにかすれたそれは、まるで桜の根元を覆うようにわだかまる。
まるで・・・桜がそれを吸い取るかのように見えて、一護は目をこすった。
「なんだ・・・?」
「聞いたことありませんか、黒崎サン。桜は・・・・・・」
男の静かな声音がいやに耳に響く。
桜。・・・そう、たしかこの花にはたくさんの迷信があった。
「人を、喰うんですよ。」
ぐっと低まった男の声。虚の消え行く姿に、息を呑む。
顔を上げると、先ほどより精気を増したような桜。花びらの色が濃く、闇夜に揺れる。
「この桜は、沢山の虚を喰って生きながらえてるんですよ。それこそ、永遠にね・・・・・・」
「こ、んな・・・」
どうして、こんなものがここにあるのだろう。
そして、なぜこんな場所に男は自分を連れてきたのか。
どこか怯えたような表情を見せる一護に、男はくすりと笑った。
「どうです?面白いでしょう」
もう一つ、と男は一護の耳元に囁いた。
「桜はね・・・特に夜は、人の心を狂わせるんスよ」
だから、虚は見境もなく人を襲うようになってしまうのだ、と。
そう、まるで、早く殺してくれと言っているような。
そして、桜に呑まれて。
もしかしたら、この場所はかれらにとって安らぎの場所なのだろうか。
「黒崎サン・・・」
スッ、と唇を近づけられ、一護は目を見開いた。
次の瞬間には眉を顰め、男を押しやるように胸を押す。だが、男の身体はびくともしない。
それどころか、身体に力が入らなかった。
それに気づいて、一護は愕然とする。
何、故。
目の前の男は、意味深な笑みを浮かべたまま。
腰に腕を回され、鼓動が高鳴る。
そう、初めてではなかった。
こうして、この男・・・浦原喜助に抱かれ、彼に溺れる事は。
喜助はただ笑う。
一護が一人で自分の腕に堕ちてくるのを、楽しむように。
「・・・アナタも、桜に捕らわれましたね」
くすり、と笑われ。
力の入らない身体を、ひんやりとした地面に押し付けられる。
もはや、嫌だとか、逃げたいとか、考えられなかった。
桜の色香に捕らわれ、朦朧としていた。
もう、目の前の男しか見えない。
「喜助・・・・・・」
「一緒に、狂いましょう。このうつくしい桜の下で」
震える声で自分の名を呼ぶ一護に、浦原喜助は口付けた。
重ねた唇が、待っていたかのように開かれる。歯列を割って舌を入れる。絡む舌は、抵抗なく自分に身を委ねて。
「・・・一護サン。」
名を呼ぶと、うっすらと開かれた瞳が自分を捉えた。
桜ではない。
桜に捕らわれたわけではなかった。
その下で立ち尽くす、アナタに魅せられただけ。
はらり、と桜の花びらが舞い落ちる。
投げ出された一護の手のひらに落ちたそれを、握り締めるように手のひらを重ねて。
「愛してますよ。」
耳元にキスを落としながら、呟く。
男が紡ぐ甘い囁きに、一護は目を閉じた。
end.