Orchid vol.2



「ほら」

行為の後。
ベッドで寝そべったままの蘭の手を取って、優士は紙幣を握らせた。
優士に買われて身体を開いた代金。
けれど蘭はそれを目の前に掲げたまま、不思議そうに見上げる。
もはや用はないとばかりに服を整える優士は、怪訝そうに蘭のほうを見やった。

「・・・何呆けているんだ。お前がプライドを捨ててまで手にいれた金だろう」

優士の言葉に潜む軽い蔑みの色。
蘭はそれを聞いて、微かに目を細めた。

「・・・そう、だった」

手の中のそれを握り締める。たかが、紙切れの5枚や10枚。
そのために、何をしてきたんだろうとふと考える。
優士から得た金は、蘭に痛みしかもたらさなかった。
ちっ、と心の中で舌打ち。
たかが客が見知らぬ男から優士になったからといって、なぜ感傷的になる必要がある?
身を起こして、蘭は傍の椅子にかけてあったガウンを羽織った。

「・・・で?これからどうすればいいわけ?」

どうするも何も。
優士が言ったのは「家を出るな」ということだったのだが。
あえて優士に確認した蘭は、やっといつもの調子が戻ったのかからかうような笑みが刻まれていた。

「毎日夜10時に俺の部屋に来い」
「行かなかったら?」

途端、優士の鋭い眼差し。
ナイフのようなそれに、蘭は肩をすくめた。

「ハイハイ、わかってますって。
・・・しっかし、考えてみりゃ、すげー客だよね、あんた」

確かに、そうなのだ。
冷静になって考えてみれば、これほどの金ヅルはいないのだから。
俺ってもしかして相当幸せ?とか。
おどけてみせる。
優士はそんな蘭にしかしひとつも顔を緩めず、どこか冷めたような瞳で見下ろしていた。
無言のまま部屋を出ていき、ドアの隙間から洩れた空気が蘭の顔を叩く。
しばし締められたドアを眺めて、それから蘭はまた先ほどまで優士と枕を交していたベッドに倒れ込んだ。
仰向けになって、優士のくれた10万をかざす。
今は何の感情も浮かばない自分が、なんだかおかしかった。

「・・・1枚、2枚、3枚・・・と」

数えるたびに、投げ捨てる。まるでいらない、とでもいうように。
汚らわしい方法で得た金だというのに、渡された金は優士らしいピン札10枚で、嫌味にも思える。
きっちり10枚まで数えてしまって、面白くない、とばかりに寝返りを打って皺の寄ったシーツにうつぶせた。
ふわりと香ってくる、鋭くてどこか甘い香り。

「・・・これ、優士の・・・」

言ってしまってから、ぎゅっと手元のシーツを握り締める。
ベッドに漂う残り香。そして今は渇いてしまったものの、シーツに残る交わった証。
考えるものではなかった。
たかが客に。ただの客相手に。
けれど、自分のベッドに残るそれが気持ちいいと思えるのは何故なんだ?!
そんな自分を、蘭は全身で嘲笑った。
優士と初めて交わって、得たのは金だ。
そう、それだけ。
今部屋に散乱している、蘭が握ってつけた皺だけがある紙幣だけ。
それを思うと、蘭は笑いが止まらなかった。

しんしんと更ける夜。
薄暗い部屋の中で、蘭の狂気じみた声だけが響いていたのだった。













本当に。
自分はどうかしている、と、優士は自嘲の笑みを浮かべた。
目の前には蘭。
あのまままともに寝たのか寝ていないのか、時折眠たそうに口元に手を当てている。
それからふとこちらの方を向き、注目されていたことに気付いた蘭は、軽く慌てて頬を染め、手元の書類を片付け始めた。

夜を優士と共に過ごすようになって、2人はほとんど離れることがなくなった。
というのは、クラっシャーズはもちろん、優士の『表』の仕事でも、蘭が傍にいるからだ。
これは数ヶ月前のことになるが、蘭が「居候するかわりになにか手伝わせろ」と耳を疑うようなことを言ったのが始まりで。
蘭が元クリティカァだったのをいいことに、ならば、と優士は蘭を自分の秘書として雇った。
雇ったといっても、居候代と雇用料で打ち消しだったのだが。
そうして、クラッシャーズがノー・ミッションの時、たまに出向く会社に蘭も連れていったのだった。

「・・・蘭」
「なに?」
「これを下に持っていってくれ。さっきの修正案と許諾書だ」
「おっけ。で、もうすぐ退社時間なんだけど、優士さまはお帰り?」

眉を寄せる。この2人きりの社長室、さま付けで呼ばなくていい、と言ったはずなのだが。
けれど、敢えてそれを咎めず、優士は腰を上げた。

「そうだな。先に帰っている。問題ないとは思うが、まぁ何かあったら連絡してくれ」

蘭を待っている、とは言えなかった。
仮にも社長と部下の立場ではあるし、何よりなにもすることなくなった状況で、蘭と2人切りになるのが痛かった。

「んじゃ、あとはこっちにお任せあれ」

コートをばさりと羽織って書類をカバンに詰めて。
あとはよろしく、と片手を上げて、高層ビル最上階の社長室を出る。
通りかかる社員の礼に軽い笑みを返し、優士は待たせていたリムジンに乗り込んだ。
もう既に外は暗い。
冬も近い秋だ、日が落ちるのも早いのだろう。
優士はふう、とため息をつくと、肘をついて窓の外を見やった。
流れる景色。
けれど、夜の闇に包まれる繁華街は、あの夜の蘭を思わせた。

(・・・蘭・・・)
「お疲れですか?優士様」

運転手が声をかけてきた。本庄家のドライバーとして長い彼は、優士とも馴染みが深い。

「ん・・・。まぁな。あまり出社もできないから、俺の知らないとこでどんどん落ちてる気がするよ。全く・・・」

他社との連携。その辺で揉めているのだが、どうも部下の些細なミスが波紋を呼んでいる。
上に立つものというのは頭が痛いものだ、と優士は笑った。

「何はともあれ、正念場ですからな。優士様のお力で、どうにか頑張ってくだされ。おつらいとは思いますが・・・」
「わかってるさ。折角ここまできたプロジェクトだ、潰すわけにはいかないよ」

そう、潰してはならないのだ。
しかし、今自分は他のことに気を取られていると自覚している。
我ながら情けないと、優士は今日何度目かのため息をついた。
そう、全ては蘭―。
彼のせいだった。
今ごろ、どうしてそんな心を煩わせるようなことを作ってしまったのだろうと後悔してももう遅いのだけれど。
優士は再度外を見やった。
赤々としたネオンに、蘭の顔が重なる。
要はあの美しい肢体と表情に溺れているのだと、優士は唇を噛み締めたのだった。













その夜、蘭は遅くなっても帰ってこなかった。
あれから部下たちをまとめて、多少揉めたにしろ1h少々で帰ってくるはずだというのに。
あの『約束』の10時が迫っているのに、優士は落ち着いてなどいられず、幾度も時計を見やった。

(どうした・・・蘭・・・)

先日の、「来なかったら?」という蘭の言葉が頭を寄切る。
それから優士は頭を振って、不吉な予感を追いだした。
窓に歩み寄り、カーテンを明けて暗い夜の景色を見やる。
蘭が帰ってくる気配はこれっぽっちもなかった。
時間は10時5分前。ビショップなら「5分前行動が普通だ」と言って怒りだす時間だ。
優士もまた拳を握り締めると、一向に来る気がしない蘭をに怒りが向かうのを必死に押し留めた。
またあのまま夜の無法地帯に足を踏み入れていたのなら、絶対許さない。
そして、10時2分前になったその時。
カチャ、とドアが開いた。
ひどく弱々しい開け方で、一瞬誰かと戸惑う。
けれど蘭だとしか思えない優士は、目も向けないまま声を荒げた。

「・・・随分とぎりぎりだな?」

帰ってきてそのままなのか?と軽く哂って。
しかし返答のない蘭に痺れを切らした優士は、それから蘭のほうを向き、はっと目を見開いた。

「・・・蘭?!」

蘭は、パタリと締められたドアに寄りかかり、荒い息を吐いていた。
ところどころ汚れているあたり、暴漢にでも襲われたのか。
蘭ほどの男がこんなになるとは思えず、優士は絶句してしまっていた。

「・・・蘭・・・!何が、あったんだ?!」
「・・・っ・・・、あんたの、せいだよ」

軽く笑って。でも、それはひどく弱々しくて。
優士は部屋に備え付けの簡易シャワールームに蘭を運ぶと、微かに抵抗する蘭を抑え込み、自分の服すら構わず蘭を洗ってやった。

「熱っ・・・」
「少しくらい、我慢しろ」

熱い湯が苦手な蘭、かすり傷にひりひりと当たるそれに身体を竦ませる。
力の抜けた蘭を片腕で支え、優士は蘭の身体をゆっくりと指先で洗ってやった。

「全く・・・何があった」
「いいだろ、別に・・・。10時に、間に合ったじゃん」
「蘭!」

優士が問い詰めるが、蘭は答えにくそうに眉を顰める。
それから、仕方なさそうに口を開いた。

「こないだの、あんたが引きとめたあの夜。約束があってね。すっぽかした代償が、コレってわけ」
「・・・今頃、か?」
「だから、あんたのせいだって」

苦笑して、広い胸に身体を預ける。

「あんた・・・先に帰っただろ?だから・・・狙われて、さ」

そういえば。
会社から一人で帰ることなど、そうそうなかったことを思い出す。
よりによって今日そうして帰ってきてしまったことを、優士は密かに悔やんだ。

「・・・もっと身の回りに気を使え」
「わかってるよ」

日頃から鍛え上げられた体。
まだ幼さを残さないでもないが、おかげで幸いひどい傷はない。
全身を洗い流してやると、そのまま蘭に肩を貸して、自分のベッドに横たわらせた。

「ったく・・・今日は金やらないぞ。このままじゃ俺のベッド占領されてるだけだしな」
「ん・・・。イイよ。だって今月は31日あるじゃん?今日ヤらなくても、300万稼げるしー。」
「お前って奴は・・・」

布団を被る蘭の髪に指を絡ませて。
傍のイスに座って、目を閉じる蘭を見つめる。
今更だとは思うけれど。
こうやって蘭をいたわって、時には呆れ顔を向けて。
打てば響くように返ってくる反抗の声を聞いている時が、一番幸せだと思う。
それなのに、今の自分たちにあるのは、むなしい金のやりとりと、愛のない行為。
今日はまだいい。
けれど明日になればまたはした金で身体をやりとりしなければならないことを思い、
優士は憂鬱そうに顔を曇らせた。
たった一言、言えたらいいだけだったというのに。
そう、たった一言―。




end.




Update:2002/08/27/WED by BLUE

ジャンルリスト

PAGE TOP