追悼



「お前に月印を授けてもらえるように言っておいた」

立ち寄ったフェイエールで、珍しく部屋に呼ばれたその夜。
開口一番、あの方はそう俺に仰った。
嬉しくないわけではなかった。シグムント様の為に力を振るうと決めた。
その力が増し、そして彼を守れるのならば何も言うことはない。
けれど。
何か、言い知れぬ不安が過ぎったのだ。
目の前の彼は、いつもと何ら変わらない態度で、
見慣れた甲冑を外していたけれど。
その赤瑪瑙の瞳は、どこか遠くを見ているようで、
何か思い詰めているようで、
心配だった。

「どうした、嫌なのか?」

突っ立ったままの俺に気づいた彼は、
唇の片方だけ持ち上げて、いつもの皮肉げな、からかうような笑みを見せたから、
もちろん俺は、心の中の不安を告げられるはずもなく、
いいえ、とだけ告げた。
光栄です、とも。
あの方には、あの方なりの悩み事があって、
けれど俺になど打ち明けてくれないこともわかっていた。
きっと、手は永遠に届かない。
光が誰にも掴めないように、俺が彼に近づくなど万に一も在り得ないことで、
それでも傍にいられることが嬉しかった。
傍にいることを許してくれただけで、十分だった。

だからこそ、

「エドアルド。
 私がいなくなっても、カペルを守ってやれ。・・・これは命令だ」

その言葉に愕然とした。















(今思えば・・・その為に、俺に月印を与えたんだろうな・・・)

王都ケルンテンの宿の中、手に刻まれた月印を見ながら
エドアルドはそう呟いた。
その頃は、気概もない、ただの旅芸人であったカペルがどうしようもなく気に入らなかった。
ただ顔が似ているというだけで、解放軍になんら関係のないはずの彼を、
あの厳格なはずのシグムントは許した。
しかも、事あるごとに彼を気にかけ、挙句ああいう結果になってしまったのだから、
打ち解けるはずもない。憎んでも当然の相手だ。
だが結局。
自分は今、こうしてカペルの隣に居て、
彼の為に戦いたいとも思っているのだから、
昔の自分が懐かしいくらいだ。
エドアルドは声に出して笑った。まったく、馬鹿な話だと思う。

「エド・・・起きてたんだ・・・?」

すぐ傍らで声がして、素裸のカペルが眠そうな目を擦っていた。

「すまん。起こしてしまったか」

まだ窓の外は暗いままだ。
夜明けにはまだ時間があるからと、
カペルの肩に毛布を引き上げようとして、

「・・・月印・・・」

少年はエドアルドの手に、光るそれを見つける。
視線を感じて、慌ててエドアルドは月印に意識を外した。

「あ・・・ぁあ、思い出してただけだよ」
「シグムントさんを?」

眠そうだったクセに見上げる瞳は大きくて、
エドアルドは偽ることなど出来ない。
ああ、と頷くと、
カペルは「ふーん」とだけ口にしてごろりとエドアルドに背を向けた。

「怒ったのか?」
「別に?エドがシグムントさんを好きだったことくらい、会った瞬間から知ってるし」

気にしてないけど。
そう言うわりには、背を向けたまますっぽりと布団を被ってしまう。
明らかに拗ねたような少年に、
エドアルドは苦笑した。

「ごめんな、カペル」

嫉妬することを、大人気ないとは責めない。
それをすれば、かつての自分のこの少年に対するあまりに子供じみた嫉妬心を
突っ込まれることになるだろうし、
カペルの気持ちもわかる気がするのだ。

「・・・寒い。」
「だから、もっとこっちに来い。」

いくら室内でも、この雪国、夜間は特に冷え込む。
エドアルドの腕に大人しく引き込まれて、もう一度カペルは目を閉じた。
しばらくして、今度は布団の中から、クスクスと笑う声。
エドアルドは困ったように眉を寄せた。

「どうしたんだ、一体。」
「エドだって、思い出して笑ったんだろ?僕も同じ。」

エドってこんなに優しかったっけ?とからかうように見上げるカペルに、
お手上げだとエドアルドは肩を竦めた。
まったく、この親子には叶わない。

「明日はカサンドラに発つんだろう?もう少し、眠っておいたほうがいい」
「ん〜・・・」

エドアルドの言葉に、しかしカペルは何も言わず、
彼の胸元に顔を埋めた。
一度覚めてしまった眠気は、そう簡単に戻りそうにない。特に、シグムントの話を聞いた後では。
エドアルドが、シグムントだけを見つめていたのを知っている。
今だって、自分に彼の面影を重ねているであろうことも。
それでもいいと思い、エドアルドを求めたのは自分だし、
ましてやもはやいない己の父親に嫉妬したところで意味がない。
けれど、
こうしてたまに、エドアルドの心に彼がいるのを見てしまうと、
なぜかどうしようもなく不安になって、
彼を求めずにはいられなくなってしまうのだ。
エドアルドには、自分を見ていて欲しい。
今はいないシグムントでなく、自分を。

「・・・まだ、朝まで時間があるんでしょ?」
「だから、休んでおけ、と言っただろう?まったく・・・」

両腕を、エドアルドの首に巻きつけて、しがみつく。
呆れ顔の彼に、
彼に乗り上げて上から見下ろすカペルは、顔を曇らせた。

「嫌なの?」
「明日、辛いのはお前だぞ」
「いいよ、別に。エドが守ってくれるでしょ?」

カペルの我儘は今に始まったことではない。
シグムントもそうだった。こちらの誘いになど、全く応じないくせに、
気紛れに自分を誘う。
しかも、部屋に呼ばれて、ただハケ口にされて、飽きればすぐに追い出すこともあれば、
誰にも見せないような妖艶な笑みを見せて、
こちらの欲望を煽るのだ。

(それでも・・・好き、だったんだよな・・・シグムント様が)

同じ顔のカペルを見上げて、苦笑する。
この顔がこれほど自分に甘えてくるなんて、奇跡のようだ。
だが、血の繋がりはあれど、彼とは全く別の人間。
唇を重ねると、待っていたかのように夢中で吐息を貪る少年に、
エドアルドもまた腰の奥が疼いた。
体制を入れ替えて、少年をシーツに押し付ける。
素裸の身体は、既に上気したように紅色に染まっていた。

「エド・・・僕を、見てる?」
「ああ。」

瞳に映る残像を掻き消して、エドアルドは少年を見つめる。
あれほど戦いになど無縁の少年が。
結局、運命に翻弄され、ここまで来てしまった。鎖を次々に断ち切り、
今やシグムント以上の英雄といっても過言ではないだろう。
誇りに思っている。シグムントと共に戦えたことを。
そうして今、カペルの傍で戦えることを。

「エド?」
「ありがとう。お前がいてくれて、本当に嬉しい」

あのひとが守ろうとした存在は、本当に素直で、真っ直ぐで。
今なら、言える。
貴方に代わって、命を懸けても守り抜きます、と。
これは、そのための力。
彼の為に振るい、彼を守るための力。
シグムントも、そう望んでいたはずだ。

「・・・戦いが終わったら、ゆっくり墓参りに行きたいね」
「ああ・・・そうだな」

ヴェスプレームの塔で、カペルがシグムントとして生きると決めてから、
彼に対してした供養といえば、
あの小高い丘で花を手向けたことくらい。
今度こそ、本当に、
全て終わったのだと報告し、そして心から弔ってやりたいと思う。
世界を救った英雄を。
一番大切なものを守り抜いた、その勇姿を。















「何があってもカペルを守るんだ。いいな」
「っ何故ですか!あんな・・・、あんな、俺はっ、貴方の為にっ!」

ダン、と乱暴な音がして、エドアルドの拳が壁を叩いた。
シグムントは、無表情のままエドアルドを見つめた。
彼の怒りはもっともだと思いながら。
けれど、真実を話すわけにはいかない。そう、誰にも。鎖が切れなくなった事実は、
必ず解放軍に、そして世界に混乱をもたらすだろう。

「お前がカペルを守ると誓うなら、お前に私をくれてやってもいい」

淡々と告げられる言葉に、
エドアルドは弾かれたように顔をあげる。
シグムントは、相変わらず読めない顔をしていた。
だが、瞳の色だけは、本気だった。
だからこそ、目の前の彼に同調できなかった。

「っお断りします!たった一瞬貴方を手に入れられるからといって、自分の気持ちを偽ってまでなど・・・!」
「・・・エド。・・・頼む。」
「っ」

巻き付いてくる長い腕、まさか、と思う間にしがみついてくるシグムントの身体。
有り得ない。夢ではないのか。
エドアルドは目を見開いた。
そして次に去来するのは混乱。
何故、光の英雄、シグムントともあろう者が、
自分のプライドを捨ててまで彼を守れと命令するのか、
今までの彼には考えられない。
今まで・・・つまりは、そういうことなのだろう。
エドアルドは、無意識に傷ついた顔をしていた。
シグムントを前に、動揺する姿など見せるつもりはなかった。
だというのに、浮かぶことといえば、
それほどまでにあのカペルという旅芸人を気にかけるシグムントに対する、
憎しみにも近い感情ばかりで。
エドアルドは、極力丁寧にシグムントの手を払いのけた。
このままでは、彼を壊してしまいそうだった。

「・・・戻ります。・・・貴方があいつを大事にしていることは、よくわかりましたから。」
「エド」

背に投げ付けられる声音は、珍しく弱々しく響いて、

それでもエドアルドは振り向かなかった。
今、もう一度シグムントと顔を合わせてしまえば、
自分を止められなくなる。
そうして、それによって、二度とシグムントの信頼を得られなくなることが嫌だった。

「安心してください。あいつには、指一本触れさせませんよ。それが貴方の望みなら、俺は全力を尽くすまでです」
「・・・ありがとう、エド」

背中に張り付く温もり。
明らかに安堵した声音。もう、限界だ。
手首を取り、振り向いて乱暴に唇を重ねる。腕の中の彼は、
抵抗もなくされるがままになっていた。
好きにしろ。そう、耳元で囁かれる言葉は、誘惑。

カペル。
何故、お前なんだ。
シグムント様に、一番振り向いて欲しかったのはこの俺だ。
けれど彼は、一度として自分に振り向いてくれたことはなかった。
お前だけ。
最期の最後まで、
あの方の瞳に写っていたのはお前だけだった。
だから、俺は。










「・・・・・・貴方は、残酷なお人だ」

そう呟いて、エドアルドは彼の墓に花を手向けた。





end.




Update:2008/09/20/SAT by BLUE

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