冬に咲く華



建てつけの悪い勝手口が、がたがたと鳴っていた。
きっちり閉め切ったつもりでも、隙間風が時折背筋を叩く。
一瞬弱まった囲炉裏の火に、はおもむろに中の灰をかき回した。

季節は、冬。すっかり冷え込んだこの時期に、普段の活気に満ちた漁師町の面影はない。
誰もが皆、火を囲み、静かに寒さが往くのを待つ時節。

縁側の戸にかすかな隙間を認め、
はふぅ、と溜息をひとつ吐き、それを閉め直そうと立ち上がった。

「・・・・・・今年は、冷えるな・・・」

誰ともなしに、そう呟く。
広い家屋には、今はたった1人きり。
過去、数度あった縁談をすべて断ってきた彼は、
その代わり、とでもいうように世に出回る珍品や名品を、この上なく愛でている。
隣の十畳間の和室には、そんな奇妙なものばかりが所狭しと並べられていて、
けれど医家として忙しい身の彼は整理もできず、かといって手放すこともできずに、
よく訪れる懇意の男には呆れられていた。
どうせ、大した用事もないのだ。
こうして部屋に篭っている時くらい、
可哀想にも放り置かれたままのそれらを今一度確認してみるのも楽しいだろう。
そう思いつつ、雨戸に手をかけ、三寸ほど開いたままのそれを閉めようとして・・・―――

「・・・雪、か?」

はらり、とその手に落ちたものがあった。
白く冷たい、氷のようなそれは、確かに雪。何ヶ月ぶりだろうか。
当然のことだが、久しく見ていなかった気がする。

「初雪、だな。」

そうつぶやいて、はふ、と笑った。
昔のことを思い出したのだ。とはいえ、それはついこの間のことだったが―――。

友と呼ぶには近すぎる、ギンコという名の男と共に、
その年の初雪を見上げた時のことだ。
その雪は、いつも見慣れたものとは違い、白銀に輝いていて、
年甲斐もなく驚いた。生まれてこの方、二十何年も見てきたハズのものに、目を奪われたのだ。
『蟲のせいだ』
聞くと、そんな言葉が返ってきた。雪の中には、数え切れない程の蟲がいて、
それが自らの宿す光と、太陽の光を反射して、このように眩しいくらいに輝くのだと。
相変らず、淡々とした物言いで、そう告げた彼。
だが、あの光景は、彼の男と共にいたからこそ、見られたのだと今は思う。

生まれつきなのか違うのか、蟲を寄せる体質の持ち主。
彼がいる場所には、常に"自然"が満ちていた。
当然だ。『蟲』とは本来、"生命"そのものに近い存在達の姿。それを、彼は引き寄せるのだから。
草木の生い茂る夏には、より深い緑に。空気すら活気付くのは、己の気のせいか。
だが、それは無論、よいことばかりではなく、
生命に多かれ少なかれ影響を与える蟲が増えれば、それは生き物達の均衡を崩す。

あの男が、町に留まれない理由は、よくわかっていた。

「・・・―――仕方ない」

初雪の美しさとかれの姿を重ね、は小さく嘆息した。
頭の奥が、重い。心なしか瞼すら重いことに気付いた彼は、そのまま立っていられずに膝をつく。
身体が、凍えるようだった。長く外にいたわけでもないのに、
急速に芯が冷えていく。

「う・・・」

意識すら奪うようなそれに逆らえず、はその場に倒れ込む。
開け放しの縁側からは、初雪が彼の存在の上へと降り積もっていた。















深い眠りの底で、雪の踏む音を聞いた気がした。
暖かい。冷え切っていた身体が、指の先まで温まっていく様な―――・・・



「起きたか。」
「・・・あ・・・」

意識が浮上したとき、始めに感じたのは暖かさだった。
囲炉裏のすぐ近くに、寝かされている。
微かにふらりとする頭を振って身を起こせば、ぱさり、と音がして肩からコートが滑り落ちた。
見慣れたそれは、しかし自分のものではない。かの男が旅の途中常に羽織っている―――

「・・・ギンコ?何故ここに」
「おいおい。ここに来ちゃいけねーのかよ」

ったく、御挨拶だぜ、とぼやくギンコに、
しかしは呆けたように炉端で蟲煙草を銜える彼を見つめている。
まだ、信じられないのだ。
そうそう頻繁には来ることのない彼が、今、こうして己の前にいることが。
しかも、先ほど丁度、彼のことを思い出していた、こんな時に。
不意に、ギンコが動いた。
手が、伸びてきた。己の額に。は動けないまま、それを受け止める。

「んー。熱はねーよな」
「あ、ああ、すまん・・・。よく来たな、ギンコ」

漸く自分のペースを取り戻して、は笑ってみせた。
すぐに茶を煎れ、ついでにたまたま買ってあった串団子を出してやるとギンコは断りもなくそれを食べ始めた。腹が減っていたのだろうか。まったく、今更だが、勝手知ったるなんとやら、である。
だが、それを許しているのは、他ならぬ、かれだからだ。

「雪だねぇ」
「こっちでは初雪だぞ。・・・また今年も、苦労するかね」
「ふーん。ま、いいんじゃねぇの?それでなくとも、ここはあんま降らない地域だし。あー、それより」
「?」
「あんな所で、寝てんなよ。風邪引くだろ」
「あ・・・それ、は、」

唐突に、先ほどのことを思い出した。
確か、雪を見て、すぐ後―――、身体が、重くなった。
耐えられずに目を瞑ると、そのまま意識が遠退いていて。あれは、なんだったのだろう。
あれほど冷え切っていたはずの身体は、今はなんともないが、
何かの病気の類か、それとも―――

「なあ、ギンコ」
「あ?」
「初雪に害になる蟲がつく、なんてこと、あるのか?」
「そりゃ・・・雪蟲にゃそんな奴わんさかいるけど。・・・なんかあったのか?」

雪を見た途端、倒れた。身体中、冷え切って。
それで、あんな場所で1人、寝てしまっていたのだと弁解のように呟くと、
ギンコは、んーと唸った後、ずい、と身を乗り出してくる。
近い距離に、は微かに照れたように顔を俯かせたが、彼に逆らうことなく覗き込ませていると、

「ちょいと、失礼」
「・・・んっ」

今度こそ、不意打ちを食らってしまった。
唇に触れたのは、熱く、濡れた感触。微かに甘いのは、きっと先ほどまで彼が食べていた御手洗団子のせい。
初めてではない行為。だが、こうして唐突に唇を重ねられては、
やはり抵抗しないわけにはいくまい。は眉を寄せ、男を引き剥がそうと手を突っ張る。
しかし、ギンコはの抵抗を抑え込んだまま、首筋に手を触れてきた。
冷やりとするその手が、そのまま背筋を辿る。

「っふ・・・、う」
「・・・・・・・・・お。見っけ」
「な、んだ・・・?」

ギンコの手が離れる時、微かにぞくりと震えた。
何かを摘んだようなカタチのその手。空いたほうの手が、木箱を探る。

「蟲、か?」
「ああ。冬中花という」
「・・・とうちゅうか・・・」

捕えた蟲を瓶に入れ、蓋をする。目の前に翳され、は目を凝らした。
こういう時、己の目が蟲を捉えられないことが、本当に悔しいと思う。確かに存在するのに、それが見えない、という哀しさ。
無論、蟲でなくとも、そんなことは多くある。
医家として、原因不明の病に冒される者など何人も見てきた。だが、これは別だ。
今目の前にいる男は、当然のようにそれが見えて、だが、自分は。
どんなに近づきたくとも、彼の世界に踏み入ることができない。それは事実だ。
だからこそ、自分は“蟲”という存在に惹かれるのだろう。
じっと見ていると、漸く、透明な瓶の先の世界が揺れた。
確かに、なにか、いる、そんな気がする。

「これが、原因なのか」
「ああ、おそらく。こいつは、動物に冬眠を促す蟲だ。暖かい時期は水蠱のような姿で山でじっとしていて、冬になると動物に宿り、精気を吸う。動物は体温が下がり、文字通り冬眠に入ってしまうが、冬中花はその名の通り、冬の間花の形を取る」
「冬・・・。春になると、どうなるんだ?」
「気温が上がると、花の形を取っていられず、溶け出すんだよ」

そう言うと、ギンコはおもむろに立ち上がり、戸を開けた。
微かに外の光が差し込む。瓶を持つ手を外に出し、ギンコはしばらく煙草を吹かせていたが、
やがて手を戻すと、その瓶の中は、先ほどとは様相が変わっていた。
中が、見えた。白銀に輝く、それに目を奪われる。

「ほれ。この通り」
「雪の、結晶のようだな」
「結構稀なんだぜ、この蟲。最近、山奥でも入ったか?化野」
「・・・そういえば、この間、何か冷たいものが首筋に落ちてきたが、水滴だと思って放って置いたな」
「おそらく、こいつだったんだろう。ま、温めれば溶け出す弱っちい蟲だけどな。」
「そうか・・・・・・」

再度、ギンコの手の中のそれを、見た。
雪の結晶というよりは、小さなガラス細工のような。
己の目に見える蟲の形というのは、本来の姿が見れない分、ひどく興味深いものだった。
人にあだなす、キケンなものでもあるというのは承知していたが、
それでも、手で触れてみたいと思ってしまう。
今まで、どれほど蟲に関係のある品を集めたか知れないが、それでもまだ、計り知れない蟲の世界。
惹かれる。
純粋に、そう思った。
そんなの姿を眺めながら、ギンコはふぅ、と煙を吐いた。

「・・・・・・やるよ、これ」
「いいのか?」
「・・・まぁ、元々あんたについてたモノだし?それに、さぁ」

指先に挟んだ煙草を、囲炉裏の隅に押し付けて。
その碧眼で見据えられて、はどくりと胸を鳴らした。
人にはない、色。すっぽりと抜け落ちた片目も、決して染めたわけではない、純白の髪もすべて、
人とは違う、異形の存在。
けれど、だからこそ―――・・・

「そんな目されちゃ、ヤらないわけにいかんよなぁ?化野先生。」
「・・・ギンコ。それは意味が違、・・・っ・・・」

突然の行為に、の手から小瓶が転がり落ちた。
再び熱に温められ、花の形を留めることができなくなっているそれを見ながら、
は自分もまた、彼に捕らわれてしまったことを改めて知る。
見上げれば、白い髪の男。
横には、視界からみるみる失われていく、雪の花。
記憶の中のそれを追うように、もまた、ゆっくりと瞳を閉じた。





end.




Update:2006/01/13/FRI by BLUE

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