弱々しき魂の声を聴き給へ。



誰からも愛されなくていい。
愛されないほうがいい。
そのほうが、無くしても辛くなんかないから。

―――貴方の心は叫んでいるわ。『本当は愛して欲しい』と―――

「・・・っ・・・!」

あの女の残酷な言葉を思い出して、
壬晴は全身を抱き締め、震えを必死に押し隠した。
告げられた言葉は、どうつくろってみても真実でしかなくて、
自分すら目を背けたかったそれを直視させられ、
胸の痛みは収まる気配すらない。
それどころか―――

知られてしまった―――。

壬晴は怯えた瞳で傍にいた仲間たちを見渡した。
そうして、最後に、
雲平、帷を。
散々愛の言葉を囁かれながら、その全てを拒んできた相手。
彼は何も動じず、 
ただ女の、心を見透かしそれを『人質』に取る卑劣さに対して怒ってくれたけれど。
彼だって聞いたはずだ。
あれほど彼を非難してきた、自分の本音を。
何も言わないけれど、その実彼を求めていたことを、
彼に知られてしまった。

―――雲平、先生・・・

この先、どんな顔をして、彼の前に立てばいいのだろう。
特に、彼と2人きりになった時。
皆といれば、核心を避けることができたが、
2人となれば話は別だ。

そうして、今まさに、壬晴はその窮地に陥っていた。





「・・・雲平先生。もう、帰りなよ」
「駄目だ。こないだの一件以来、俺はもう、目を離さないって決めたからな」

ベッドに転がって本を読みながら、
壬晴は呆れたように窓際に佇む男をうんざりと眺めた。
こないだの一件、というのは、
虹一と雷鳴が壬晴の部屋に張っていた時に宵風に攫われたことだ。
もちろん、彼女らを信用していないわけでもないし、
帷がいたところで、気羅を扱う彼に勝てるはずもないのだが、
それでも、帷は今でも自分を責めている。

「キモチワルイ、ってこないだ言ったけど」
「お前のひねくれたワルクチはもう慣れたさ。」

時折窓の外をのぞいて、誰の気配もないとわかり、壁に背を預ける。
帷が部屋にいるのは、もちろん祖母には内緒なのだが、
それにしても正直ウザい。
更に、先日の戸隠との件もあり、二重に壬晴は心苦しいわけだった。

(・・・もう、襲われることはないと思うけど)

唇を尖らせて、不満げにつぶやく。
けれど、そう帷に告げるわけにはいかない。
宵風との約束は、誰にも打ち明かさない、という密約なのだ。
知られれば、宵風がどんな手に出るか、
考えるのも恐ろしい。

「・・・俺は、大丈夫だよ」
「どうして、そう言い切れる?」

怪訝そうに自分を見つめる帷の瞳は、
明らかに自分を疑っていて、
そう、確かに当たり前だと思う。たった数時間の空白。だがそれでも、
敵に襲われ、拉致されたという事実には変わりがない。
それを、何もなかったと押し通している時点で、
帷にはわかっているのだろう。
壬晴が言いたくない事なのだと。

「・・・・・・雲平先生って、ホント甘いよね・・・」

無理矢理聞き出す方法など、いくらでもあるだろうに。
帷は、自分のたくさんの弱みを握っている。どうでもいいと装ってはいても、
彼には見抜かれているはずだ。
自分の口を割らせるなど、造作もないことだろう。
だが、彼はそれをしない。
自分の心を尊重してくれているのだ。
戸隠との一件でも、純粋に怒ってくれた。
今だって、自分が言いたくないなら無理に聞くまい、と、
いつもどおり振舞ってくれる。
有り難いと思う。
それは、すべて雲平帷の自分に対する優しさだ。
愛されている、と思う。
どれほど拒んでも、見返りなどなくても、いつだって彼は無償の愛を注いでくれている。

(でも、)

無償?それが間違った想像だということが、
ついこの間判明した。
うすうす、感じてはいたのだ。
帷の、異常なまでの森羅万象に対する冷徹さ。
人間ならば誰もが持っている欲。それを暴走させる森羅万象を、
彼は頑なに否定する。
そして、自分にも否定することを強要する。

(雲平先生こそ、ナニ考えてるんだよ)

彼のことはほとんど知らなくて、
自分のことは全て知られているなんて、癪。
だから、自分の事も秘密。
壬晴はキュッと唇を噛み締めた。

「・・・六条?眠ってしまったのか?」

文庫本を開いたまま顔に乗せて、そのまま動かなくなってしまった壬晴に、
帷は声をかける。
そっと、前髪に触れる気配。壬晴は目を閉じる。
すべて、いつも通り。
彼とこんな関係になって、数ヶ月。
言葉にしなくても、無言の了承というものが2人の間にはある。
ぎし、とベッドが鳴った。
帷が腰を下ろした音。飼い猫のしらたまは小さな声をあげてベッドの上から退く。
頬に触れた指先が、静かに本を取り上げる。
何も、変わらなかった。
影が、眼前に下りてきた。

「・・・壬晴・・・」
「・・・・・・・・・・・・っや・・・!!!!!」

唇に熱が触れた途端、脳裏に浮かぶあの言葉。
弾かれたように、壬晴は帷を拒んでいた。
はっと唇を手で押さえ、怯えた瞳で男を見つめる。

「雲平、先生・・・」

帷は、傷ついたような顔をしていた。
拒まれたから?違う、単にそれだけのことならば、
そんな思いつめたような表情はしない。
何も言わないが、彼は明らかにあの時バラされてしまった己の本音を
意識しているのだ。
―――本当は愛されたいのだと、そう告げた彼女の言葉を。

「っ・・・」
「怯えているのか・・・?」

唇を噛んで、背を向ける。彼が本気になれば、
拒めるわけもないとわかっているのに。
いっそ、無理矢理にでも身体を開かされ、服従を余儀なくされたら?
そんな屈辱的な状態に堕とされて尚、
きっと自分は、背徳的な快楽に声を上げてしまうだろう。
愛されたい、だって?まさか、そんな感情、自分にあるわけがない。

「嘘だ、俺は・・・あんな、・・・あんなっ!」

その先は言葉にならない。
衝動的に口にしてしまったそれを、帷はすぐに理解した。
他人にかけられる情、優しさも憎しみすら彼は全身全霊で拒絶する。
そんなことはわかっていた。
わかっていながら、そんな彼の心に干渉した自分。
本当は、知って欲しかった。
一生を無関心のままで生きることなど、人間にはできない。
殻に閉じこもったままの哀しい心を、少しでも救ってやれたなら。
だが、それは返って彼を苦しめる原因となり、
事実今、壬晴は狂いだしそうな程にまで自分を責めている。
何故、愛されたいと望むことが罪なのか。
人間ならば当然の感情を、
どうして否定する必要があるというのだろう。

「・・・馬鹿だな、お前は・・・」
「・・・やめっ・・・」

強引に壬晴を腕の中に捕らえて、震える身体を抱き締める。
怯えたままの彼は、けれど帳の肩口にしがみ付いて、
離れようとはしなかった。
素直に、愛して欲しいと告げることができない子供。
だが、それを諭すには、彼の生きてきた人生は悲し過ぎた。
例え自分が何を言ったところで、
彼の心を変えることは愚か、癒すことさえもできやしないだろう。

「・・・責められる方は、俺だろう?壬晴」
「っ」
「お前の心に土足で踏み込んだ・・・俺を詰ればいい。お前の気持ちも考えず、俺は、俺自身の欲望のために、お前を―――・・・」

犯 し た 。

そう耳元で囁かれ、ぞくりと背筋が震えた。
言いようのない高揚感。快楽にも匹敵するそれが壬晴の思考を曇らせ、
そうして、確かにひと時の間は、
彼に溺れる自分を責めることすら忘れ、
ただ欲望のままに快楽を求めることができた。
だが、問題はその後だ。
目を覚ます度に、深みにハマっていく恐怖感。
そう、自分は、彼らの意志に反し、森羅万象を使用すると約束してしまったのだから。
きっと、嫌われる。だが、それでいいと思ったのだ。
彼らが、それで救われるのならば。
いずれ嫌われるとわかっていながら、今こうして更に愛を紡いでしまったら、
それこそ辛くなるだろう。
いっそ、何も感じずにいられたらいいのに。
何も感じないまま、『その時』を迎えられたらいいのに。

「・・・ねぇ、雲平先生」
「ん?」
「どうしたら、俺を嫌いになってくれる?」

首筋にキスを落としていた帷の動きが、一瞬止まる。
壬晴は、息を潜めた。
帷の言葉が、どうしようもなく気になった。
長い時間、時が止まったようだった。

「・・・俺がお前を嫌いになることは、万に一つも在り得ないだろうな」
「何故?」

問われて、逆に自嘲の笑みを浮かべたのは帷のほう。
壬晴に見えない場所で、小さく笑った。
唯一失いたくないものがあるとしたら、それはこの、まだ幼くちっぽけな存在。
六条壬晴。
傍にいたいと思ったのは、何もすべてが意図的な意味ではない。
脳裏に浮かぶあの10年前の壬晴、
確かにあの頃は、純粋に兄のような立場で彼を守りたいと思ったものだ。
だから、あれほど小さな子供に
世界中の誰よりも思い命運を背負わせてしまったことを悔やんだあの雨の夜、
決めたのだ。
彼を守り抜くと。
他の忍からも、彼の宿す森羅万象からも、
彼を守る。そのためならば、心を鬼にしようとも構わない。
そうして、ここまで来たのだ。
嫌いになれるわけがない。
彼の傍で、彼を守り抜くことこそが、自分の生き甲斐なのだから。

「雲平先生?」

長い長い沈黙に焦れて、壬晴は催促の声を上げた。
細い首筋が微かにこちらを向いている。
帷は苦笑した。
何も悩むことはない。答えは、すぐ傍にあるではないか。
これほどまでに素直になれない幼い子供。
弱々しい自分を押し隠すことに必死で、愛されることが怖くて嫌われるのに必死で。
だれが、こんな子供を嫌いになれるだろう?
帷は、再び彼を腕の中に引き入れ、そうして囁いた。

「―――お前に、嫌われたくないからだよ。」





end.






Update:2008/04/30/WED by BLUE

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