交差する心



なんか気まずいな、と武人は思った。
あれから5日。また違う作品の吹き込みで、今日は俊彦に会わなければならない。
武人ははぁ、とため息をついた。
別に、会いたくないわけではない。
むしろ、俊彦と一緒に仕事が出来ることはこの上ない喜びなのだが、
今回だけは彼と顔を合わせることは極力避けたかった。
もう、気分は逃げ出したいくらいだ。
5日前の、酔った自分が思わず口にしてしまった言葉が、どうにも恥ずかしい。
それと同じくらい、俊彦に言われた言葉も恥ずかしかったのだが、
武人は意識的にそれを無視して、今日のアフレコ会場へと向かった。
時間にすれば、約1時間前。
逃げ腰のわりには、かなり早い時間だ。

(関さん・・・。)

車のステアリングを握りながら、武人は俊彦のことを考えていた。
そもそも、どうしてあの時俊彦はあんなことを言ったのか。
俊彦とは自分が声優として一人前になった時からの付き合いである。
そのため、「好き」だとか「嫌い」だとか、そんな言葉を必要としないほど、
確かに気が合い、自分は彼を慕ったし、彼もまた自分を気にかけていてくれたはずだ。
それは、今の武人でも自負している。自分は「友人として」彼に近い側にいるということを。
けれど、改めて言葉にして「好きだ」と言われてみると、
なぜかひどく胸が高鳴る気がした。
・・・思い出すのだ。あの時、自分を抱き締めた、あの腕を。

(・・・何考えてんだか、俺・・・)

俊彦のことは好きだ。好きだが・・・。そういう意味ではない。
ただ純粋に、先輩として慕っていたのだ。
俊彦にしたって、そんな意味であの言葉を言ったわけじゃないだろう。
ただ、最近は・・・、あまり会わなくて、会えなくて・・・。
しゃべる機会も少なかったから、ふとあんな言葉が出てしまったんだと、
武人は必死に納得させていた。
俊彦が「好きだ」と言った後にそれを謝った理由。傷つけたくなくて抱擁を解いたその訳も、
あの時の軽く酔いの回った武人には伝わっていなかった。
キキッ、と音がして、車は駐車場に滑り込んだ。
遅刻がちな武人にしてみれば、ナゼか今日はあまりに早い時間。
けれど、たまにはいいか、とビル内へと足を踏み入れる。
出会うスタッフたちに声を掛けると、飛び上がるほどに驚かれるのが少しだけ嬉しかった。
武人は声優たちに割り当てられている控え室へと足を踏み入れた。

「・・・?誰かいる・・・」

こんな早くに。
集合時間までまだ1時間もある。
それなのに誰がいるのだろう、と考えて、武人ははっと身を硬くした。
何気なく椅子の上に置いてあるカバンと、その上に置いてある小物類。
見覚えのあるそれは、確実に誰がここにいるかを示していた。
よりにもよって、一番会いたくなかった人が――・・・、ここに、いるなんて。
硬直してる武人の後ろで、容赦なくガチャリという音がした。

「・・・・・・武人・・・!」

いつもこんな早くに来ない男が目の前にいることで、まずそれに驚いたようだ。
武人は腹を決めて、俊彦のほうを振り向いた。
いつものように、笑う。人懐っこい、表情を浮かべて。
その努力は、半分だけ成功した。

「おはようございますー、関さん、こんなに早く来てるんですか?!すげぇや」
「ん・・・。まぁね。本番前は、ここで台本読みしたくてさ」

自分でも声が硬くなっているのがわかる。
俊彦にバレてやしないかと不安になったが、俊彦は全くいつもの様子で自分に対しているようだった。
・・・お互い、酔いが回って魔が差した、で・・・、このまま話題に上らなければ、と。
武人は必死に『自分』を作っていた。

「あ・・・じゃあ、僕お邪魔でしたね・・・」
「構わないよ」

さらりと告げて、俊彦は控え室に備えてある椅子に座り、台本を取り出す。
武人はいままで自分が突っ立っていたことに気付き、あわててカバンを置いて、自分もまた椅子に座った。
訪れる沈黙。
俊彦は台本を読み、自分は何もできないまま、緊張を走らせる。
自分も同じようにさっさと整理を終えて台本を開けばいいのだが、今は俊彦のことが気になってしょうがない。
意識しないように、と意識するあたりがもう終わっている。
武人はおろおろとしつつも、手持ち無沙汰に台本を読もうとカバンの中に手を突っ込んだ。
ぱたん、と分厚い台本が閉じられる音がした気がした。

「・・・武人」

低く、落ち着いた声。相変わらず、なんて体の奥に響く声なのかと思う。
カラダを折り曲げ床のカバンに手を入れたままという実に間抜けな格好のまま、武人は俊彦の声に動きを止めた。
あんなことがあってから、俊彦の一挙一動が自分を動揺させている。
その事実に、なにより武人自身が驚いていた。

「まだ・・・怒って、いるのか?」
「え・・・」

少しだけ揺れた声に思わず顔を上げれば、痛々しげな顔をした俊彦が視線の先にあった。
あわてて逸らそうとして、なぜかその瞳の色に吸い込まれそうになった。
強い瞳の色。そう、何度か彼の舞台を見に行ったことがあるが、
演劇での彼の魅力は、声だけでなくその力強い瞳の色であった。
たったそれだけで、観衆皆を魅了させるほどの。
それが今、たった一人――自分だけに向けられていることに、武人はさらに動揺していた。
怒って、いる・・・?
ナゼ・・・?

「せ、きさ・・・」
「俺はあの時酔っていた。だから・・・、お前にあんなことをしてしまったんだと、思う。・・・すまない」
「いえ・・・、あの時は、僕のほうこそ・・・・・・」

言葉に詰まる。
あの時―。
確かに、嬉しいと感じてしまったのだ。
俊彦に想われているんだと、それが嬉しくて、一気に頭に血がのぼった。
だからこそ、その後すっと離れていくそれが、悲しくて。
だが、そんな気持ち間違っていると、理性が警鐘を鳴らしていた。
認めてしまえば自分のなにかを覆さねばならない。そんな気がして。
他人が友情と呼ぶ以上に近い距離を保ってきた自分たち。
これ以上踏み込むなら、ただの他人では居られなくなる。
それが良いことなのか、悪いことなのか、武人には判断がつかなかった。
それとも、自分は意識しすぎているのか?
俊彦の、あの・・・真摯な声音を・・・・・・。
酔っ払って何気なく言った声ではなかった。
だが、今お互いにそう決め付けて忘れれば、今まで通りの関係が保てるのかもしれない。
けれど・・・。
俊彦は、相変わらず真摯な瞳を自分に投げ掛けてくる。
――・・・振り払えなかった。武人には。
俊彦があの時「好きだ」といったその心を、
・・・忘れられるわけがない。

「武人・・・怯えないでくれ・・・」

切なそうな声と共に腕を掴まれて、武人は初めて自分が震えていたことに気付く。
けれど、それは俊彦に対しての怯えではないと、武人は自覚していた。
だが、それを口で言わなければ、俊彦には伝わらない。
俊彦に好きだと言われて・・・どれほど心を動揺させたか。
それだけですら、自分の、俊彦に対する特別な感情を意識させる。
自分の頭に嫌というほど血が上ってくるのがわかった。
オレは、関さんの、ことを・・・。

「関さん・・・っ・・・」

我ながら、なんて女々しい態度だと。
心の片隅で、武人は思う。
オトコなら、それを受け止めるのが男というものではないのか。
しかし、今は俊彦の手に受け止められる自分がいることを、武人は自覚していた。
そう、今までずっと。
目に見える形ではなくとも、ずっと、
俊彦はこうやって支えてくれていた。
新人で、見る世界全てが初めてで、戸惑いを隠せなかった時も、
なにか失敗をしでかして、窮地に陥る自分に手助けをしてくれた時も、そう、いつだって。
武人の心の微妙な変化に気付いたのか。
俊彦は不思議そうな顔で武人を見下ろした。
武人が顔を上げれば、多少揺れた、けれど澄んだ瞳が自分を見つめて。
俊彦は一瞬目を奪われ、それから唇を噛み締める。
持ってはいけない感情。だというのに、またもや自分の中から流れ出してくる。
武人の前にいる自分は、なんて情けないのだろう。
意識すればするほど。
武人に抱いている感情の愚かさを感じてしまう。
そんなことをストレートに告げてしまったあの夜を、俊彦は悔んだ。
言えば、背を向けられてしまうだろう。
それを無理矢理自分のほうに向くよう迫ることは、俊彦にはできなかった。
武人を、愛する、故に。

「・・・っ僕は・・・、嬉しかった、んです」
「・・・武人・・・?」

武人の意外な言葉に、俊彦の目が見開かれる。
耳まで紅く染まって紡ぐ武人の声音は、震えていたが、本心のようで。
俊彦は息を呑んで、武人の言葉の続きを待った。
武人のほうはというと、自分の言おうとする言葉にひどく羞恥を覚え、俯く。
逃げ出したかった。
けれど、それでは俊彦には何も伝わらない。
俊彦の心と自分の心は多分一緒なんだと、今の武人は思いたかった。
だから、言葉にして、そして。

「関さんに、好きだって言われて・・・。驚いたけど、オレも、・・・同じだから」

同じ男同士。一般には友情でしか結ばれない同性同士に、好きだと告げることは、
ある意味ただの告白以上に重い覚悟がいる。
けれど、俊彦は言ってくれた。その想いに、武人は応えたかった。
すっ、と俊彦の手のひらが自分の頬に添えられた。

「武人」

俯いていた顔を上げられる。ひどく身近に俊彦を感じて、武人は頬を染めた。
けれど、瞳を逸らすことはできない。
もう、告げてしまった。「好きだ」と、口にしてしまったわけではなくとも、
同意してしまった。
もう、多分、・・・後戻りはできないのだ。
それは半分恐ろしく―、半分期待に胸が高鳴るような気がした。
どうして、なのだろう。
初めての感覚。
ずっと、恋愛などというものは慣れているつもりだった。
好きだと、愛していると、過去何度も付き合ってきた女たちに告げてきた。
それなのに―・・・、こんなにも近しい俊彦には、それを紡ぐことができないなんて。

「・・・いいのか・・・?こんな、俺でも」

だから、武人は。
俊彦の確認するような言葉に、ただ瞳を閉じることしかできなかった。
部屋の外で、なにやらバタバタと音がし始める。
それでも、まだ2人は軽く腕を掴んだままで、初めて交わす少年のようなキスに溺れていたのだった。




END




Update:2002/11/16/SUN by BLUE

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