興味と惰性とナニカ。



「あんた、なんで俺のトコに来るワケ?」

いつものように気に入りの煙草を吹かし、
微妙に視線を外して、
笹塚衛士は横に佇む存在に声をかけた。

男は、応えない。

ただ、いつものポーカーフェイスで傍にいるだけだ。





『偶然ですね』

それが、かれのいつもの口癖。
自ら、家に押しかけて来る事などなかった。
どこかに誘っても、それに乗ってついてくる男ではなかった。
もちろん、誘われることなどない。
待ち合わせて逢瀬を重ねたことすらない。

だが。

確かに、
3日と開けず、自分たちは会っていたし、
時間さえあれば、気まぐれと惰性の延長線上で身体を重ねていた。
まぁ、そのほとんどが、
自分の一方的な暴走によるものだったのだけれど。

笹塚は、ちらりと、男のほうを見やる。
沈黙したままのかれは、
やはりいつもと同じように読めない顔をしていて、
探るだけ無駄のような気がしたが、
でも、何か。
いつもとは違う空気を感じる。
何より、先ほどの問いに何も応えない自体、
彼らしくないではないか。
沈黙など似合わない、普段ならば
立て板に水のごとく、出任せを口にするような男だというのに。

「コッチで、何か用事でもあるの?」
「特には。」
「今夜の予定は?」
「何もありませんよ、笹塚刑事。」

「・・・・・・」

まったく、この男と来たら。
これでは、自分が責められているようではないか。
聞けば、帰る家もなく、探偵事務所のソファで過ごしているという。
そんな男が、こんな夜に、自分のところに現れて、
何かを期待するように佇んでいる。
笹塚は、面倒臭そうに頭を掻いた。
無造作に落された煙草を、靴底で踏みつけて。

「・・・泊まってく?」
「ええ、喜んで。」

マンションの屋上に突如として現れた不可思議な男は、
屈託のない笑みを浮かべて、
部屋に戻ろうとする自分の背についてきた。

もう一度、。

ちらりと、男を見やる。

「―――・・・」

安堵したように見えたのは、気のせいだろうか。





「・・・本当に、わからないんですよ。」
「ん、?」

唐突に、何を言い出すのかと思えば。

勝手知ったる顔でソファに寛ぎ、
こちらが用意するのも待たずに適当に茶葉を入れ、
さっさと紅茶に口をつける。
態度は傲慢。長い足を、見せ付けるように組んでみせ、
こちらも長くほっそりとした指を取っ手に絡めて、
早くもこちらを誘惑してみせる。
家族を皆殺しにされ、感情など凍りついたような自分が、
どうして、これほどまでに心を囚われるのだろう。
名探偵の助手。
だが、初めから違和感を感じていた。
男の、圧倒的なまでの存在感。
弥子と話していながら、
意識の90%は男に向いていたのをよく覚えている。
きっと、実際は、あの少女こそ傀儡だ。
全ての謎は、この男こそが―――・・・

「偶然、としかいいようがない。僕こそ、言いたいです。―――笹塚刑事、ナゼ、アナタは僕の傍にいるのです?」

刑事、という表現が気に障った。
今は、公然の場ではない、たった2人、
部屋の中で、衆人環視の環境などでもない。
そんな場所で、
笹塚刑事、などと。
慇懃無礼。そんな言葉が、男にはよく似合う。

「―――先に近づいたのは、あんただ。」

腕を伸ばし、顎を捉える。
男は、逃げもせず、それどころか妖艶に微笑むのみだ。
手を出さずにはいられない、魔性の瞳。
翡翠に潜む、悪魔のそれ。

「ん・・・っ」

舌でなぞるようにして、殊更にゆっくりと唇を重ねた。
残念ながら、女のような甘い味はしなかった。
その代わりに、毒を口にしたような苦さが舌先に残った。
そう、きっと。
麻薬のようなものだろう。
こうして、結局、
今日もまたこの男の与える気だるげな快楽に堕とされるのだ。

「やはり、人間とは、理解しがたい生物ですね。」
「まるで、自分は人間じゃないとでも言いたげな物言いだな」

そう揶揄してやると、ふふ、とまた理解し難い笑い。
こんなやり取りをする度に、笹塚は思うのだ。
実際、人間ではないのかもしれない、と。
ただ、この世界で生きるために、
人間に成りすました悪魔なのかもしれない、と。
それでは、何故。
何を求めて、この悪魔は此処にいるのだろう。

「僕には、理解できませんね。眠ることも、食べることも、セックスなどという行為も、僕の求める『謎』と比べれば塵屑も同然」

謎。
そうだ、だから名探偵の助手などをしているのだと、
以前、聞いたことがある。
食欲に関しては頷けなくもないが、
人間としての三大欲求をよくも簡単に貶してくれるものだ。

「・・・の割に、あんたは俺にカラダを開くんだな」
「ただの、戯れですよ。あとは・・・興味、ですかね」

誰への、かは言わない。
ただ単に、こんな行為自体への興味かもしれない。
だが取り合えず、自分への興味だと受け取っておく。
笹塚は、無造作に男の胸元に手をかけた。
衣服から覗く肌は、青白く、冷たい。
やはり、人間というには異質すぎるそれに、
笹塚もまた、相手に興味を抱くきっかけとなっていた。

「興味、ね」
「そう。興味。」

まぁ、半分は本音なのだろうな、と、
笹塚は心の中で考える。
もう半分、彼の隠し続けるそこの辺りが、
自分にとってのこのネウロという男へ興味を抱く部分なのだが、
所詮、カラダなど表面上のそれだけで、
こんな行為を続けてみたところで、
彼の何を知れるものでもなかった。
ただの、惰性だ。
だが、断ち切れるほど、興味が薄れたわけでもない。
切るには、惜しい。

「下等生物である人間が、こんな行為ごときで孤独を癒された気になり、夫婦などという偽善的な関係を作る。そんな特性も、また考えてみれば『謎』のひとつです」

男が『人間』という種族を格下扱いするのはいつものことで、
そもそも、彼が尊敬し、仰ぐような存在などいるのだろうか。
まるで、自分がすべての頂点にあるかのような思考。
きっと、自分から誘って抱かれているくせに、
抱かせてやっているのだ、などとほざくのだろう。
まったく、手に負えない。
そんな男相手に悦を覚える、
自分も、また。

「俺も、あんたには興味がある。」
「それは、光栄ですね」

誘うような指先が、髪に絡まる。
肌に吸い付いて、痕を残してやれば、
洩れる吐息。控えめなそれが、更に己の熱を煽る。
男から立ち上る色香が、麻薬のようだ。
霞んだ頭の中で、笹塚は止まらないであろう自分に苦笑した。

二人の関係を媒介するもの。
それは、

『興味』

そう、興味。
その言葉に嘘はない。
少なくとも、今は、この男―――笹塚衛士に興味があった。
けれど、
『謎』を喰らうことが唯一の悦びである自分にとって、
それに大した価値はない。
ましてや、『謎』を探す時間を裂いてまで、
そんな曖昧な感情に付き合うつもりなどなかった。
それでは、何故。
自分の足は、気づけばこの刑事に向かっている。

見くびっていた、と思う。
人間、という下等生物を。そんな虫ケラ共が住まう、
人間界という世界を。

解けない『謎』などないと思っていた。
『謎』にはすべて理屈があり、
それを読み解きさえすれば喰えるだろう、と。
だが実際は、『謎』を生み出す人間の存在自体が『謎』だった。
自分が人間ではない、という部分を差し引いても、
その『謎』は、高く、そして深かった。
そもそも、『謎』を生み出す人間自身が理解できていないのだから
手に負えない。
そうして、実際、人間界に長く居続けた自分すら、

「刑事、さん、・・・」

『謎』に、取り込まれていた。
一番理解できないのが、自分自身の『謎』。
自分自身が理解できない、など愚かな状況に陥ることが
あるはずがない、と思っていた。
だというのに、

「・・・せめて、名前で呼んでくんない?気、ノらないんだけど」

男の前で足を開く自分がいる。

きっかけは、ただの、興味だった。
ことあるごとに不信感を自分にぶつける、笹塚という刑事は、
自分が弥子を前に立てて『謎』を食する上で
どうも邪魔な存在に思えた。
だから、直接、対峙した。
説得し、弥子の助手として納得させられるならそれでもよし、
もし魔人と見破られれば、その時は
自分の能力において口を封じる。
そのつもりで、近づいただけだ。
だが、実際は、

「笹塚、・・・さん、」

この、笹塚衛士という男の、『謎』を感じ、
説得はおろか、口を封じることすらできなかった。
それは、
男の持つ『謎』に対する『興味』。
以来、暴く機会を窺いつつ、今の今に至っている。
笹塚は、常にクールで、
探りの手を寄せ付けなかったからだ。

無論、無理矢理暴かせることもできただろう。
だが、何故そうしてこなかったかといえば、

「フ・・・あんた、こんな時だけ人間臭い顔をするんだな」
「・・・・・・。」

無言で、男を見上げた。
人間臭い。
恐ろしい言葉だと思う。自分がこんな下等生物と、同じようだと?
馬鹿げている。下らない、愚か過ぎる。
だが、予想以上に、
人間界には瘴気が少なかった。
急速に、魔人としての力が失われていると気づいたのは、
既に笹塚と関係が出来上がってからだ。
そうして、その弱体化に拍車をかけているのは、
笹塚とのこんな行為だということも。

今は、わかっている。

力を保ち、魔人としての能力を失わないためには、

魔界へ戻り、瘴気を得るか、
人間との交流を極力減らすか。

その、どちらかだ。
『謎』解きのために関わる人間たちなら仕方がなくとも、
こんな、笹塚との関係など。
当然、やめるべきだと、ネウロの理性は告げている。
だが、残念ながら、

「アナタのせいでしょう?笹塚さん」

挑発的な視線を向けてみせる。
フン、と鼻を鳴らして、笹塚は再度唇を重ね、
そのまま男の衣服を取り払っていた。

それは、予感。
次第に弱体化していく自分への不安を、
忘れさせてくれる、期待。

不安や恐れなど、ゴミ以下の感情だと思っていた。
虫ケラ如き人間だからこそ、
そんなものに煩わされるのだと思っていた。

だから、
きっと、違う。

不安などとは違うだろう。
この、全身を襲う震えが走るような感覚は。
昨日出来たことが、明日には出来なくなるような予感は。
だが、そんな意識に駆られたとき、
ネウロの足は、笹塚の元へ向かうのだ。
意識しているつもりはない。
これは、偶然だ。
偶然、笹塚がいた。ベッドを共にするのは、単なる惰性。
いや、笹塚衛士が、そう、求めるからだ。
自分は、ただ付き合ってやっているだけ。
抱かれてやっているだけ。

少しだけ、気が晴れた。


「俺のせい?まさか。素質だろ?」
「おやおや、自分の事は棚に上げ、他人のせいにするとは、さすが低脳かつ下等なイキモノですね」
「その下等で劣ったニンゲンに啼かされてンのは、どこの誰だかな」

ネウロの辛辣な物言いには、もう慣れた。
あれは、どうやら口癖のようなものらしい。一種サディストのような気もするが、
本人にしてみれば挨拶程度のものなのだろう。
もしくは、意地の悪いからかい方か。
この男の嗜虐精神など推し量るべくもないが、
ただ一つ言えるのは、
こんなものは、本当のサディズムではない。
少なくとも、『人間』という種が内面に押し隠している嗜虐思考は、
そんな単純なものではない。

他人を貶めて、楽しいとか面白いとか。

そんなものではない。

もっと昏い、歓喜と愉悦。性的快楽にすら匹敵する、興奮と欲望。

つまりは、この男は人間の闇を侮っているのだ。
人間の闇―――笹塚衛士という男の、その心の闇を。

「―――痛ぅ・・・」

頭上で、呻き声が聞こえた。
胸元の飾りを、噛み切れる程にまで強く歯を立てたからだろう。
少しだけ、男の身体が震える。

「痛いですよ」
「・・・意外だな。銃で撃たれても死ななそうなカオしてるぜ、あんた。」

応えは、ない。
図星だったのかもしれない。
不意に凶暴な衝動が込み上げて来て、
ソファに縫い止めていた手首に力を込め、爪を立てる。

「・・・ァ、・・・」

ぷつり、と。
皮膚が裂けた音がして、肉に爪先が食い込んだ。
溢れる、赤。人間である証の、それ。

「非道い人ですね。あなたは。」
「非道い?誰が?」

より非道いのは、目の前のこの男。
自分の心を奪い、尚且つ振り回しては弄ぶこの男。

いつか、後悔する時が来るだろう。

こんな下らない人間に、身を寄せた事を。
こんなつまらない人間に、己を自由にする許可を与えた事を。

彼が見下す人間などに、
戯れにしろ身体を開いた事を。










大切なものを失うのが、
怖いと思った。

ならばいっそ、持たなければいい。
ならばいっそ、捨ててしまえばいい。

大切な者を自らの手で手折る時、

きっと自分は、

最大の絶望と共に、最高の快楽を得ることができるだろう。

「あなたに、僕は殺せませんよ」
「ああ・・・、そうだろうな」

今、傍にあるのはこの男。
魔性の瞳を持つ、美しくも妖艶なこの男。

2人を繋ぐものは、

興味と、惰性と、そしてもう一つ。

それが何なのか、笹塚衛士は幾度となく自問してきたが、

ネウロを見やり、ふと、呟く。

「・・・『謎』、かな」
「はい?」

唐突な男の言葉に、ネウロは不可解な表情を男に向ける。
笹塚は少しだけ笑みを浮かべると、
灰皿に煙草を押し付け、
不満そうに唇を尖らせる恋人のそれに口付けた。





end.





Update:2007/11/05/MON by BLUE

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