廃墟




『北』―――そこは、今では誰も近づかなくなった場所だった。
けれど、かつてこれほど栄えた街はない。
その昔、このD地区がまだ閉鎖されていなかった頃。
この地区はいわば世界の先をいく発展都市として他の地域には紹介され、政府の支配下の元、
中の住人達は裕福で利便的な生活を保障されていた。
だが、そんな栄光の陰には必ず闇が存在する。
乱立する研究施設。そこで行われてきた罪の数々。
外部に報告される成果は常に成功したごく一部の研究成果に過ぎず、
その他の残酷無比な実験の産物は闇に葬られ続けていた。
罪・・・生物―人間も含めた―に対する狂気の実験の数々を。
『北』は、そんなこのD地区を支配し、統括していたものたちのかつての棲家。
過去、人権を奪われ残酷な仕打ちを受けていた者たちの反乱により死をもたらされた、憐れな支配者たちの末路。
ここには、そんな6年前当時の怨念が色濃く残っている。
今はもう、誰も近こうとする者はいなかった。

「『北』か・・・嫌な場所だぜ」

ラティスは顔を顰めて、久しく立ち入ることのなかった北区に足を踏み入れた。
彼もまた非道な扱いを受けてきた『住人』の1人である。過去の苦痛を思い出させるその地は、どうしても好きではない。
けれど、「死神」と噂されているらしい彼の居場所には確かに相応しい、とラティスは思う。
少し歩くと、やがてかつては力の象徴であったであろう広い洋館に辿り着いていた。

「・・・嫌な空気。ま、当たり前か・・・」

軋んだ玄関を開ければ、当時の騒動を如実に示す荒れ果てた内部が視界に映る。
薄暗い周囲に目を凝らせば、おそらくあのまま放置された死体が転がっているのだろう。
瞬間、ぞくり、と背筋がいやな空気に襲われた。

「・・・っ・・・」

首の後ろを掴まれる。生きた人間のそれではない、冷たく、恐怖を纏ったようなその手。
けれど、誰だ、と考えるまでもなくその感触が自分の探していた男のものであることを感じたラティスは、
にやりと笑って後ろの存在に軽い声を掛けた。

「あ。いたいた」
「・・・・・・誰だ?」
「・・・ったく、昨日の今日なんだから忘れんなよ」
「・・・・・・ああ」

ようやく少年の姿に合点がいったらしい。掴んでいた首をすっと離す。
振り向いてニッ、と笑ってくる彼に、ファタルは小さく目を細めた。

「何の用だ?」
「・・・んー。あんたの事が気になったから。」
「くだらないな」
「・・・折角来てやったのに、そんな言い方ないでしょ」

来いと言った覚えは男にはない。
けれど、少年は無邪気そうに自分を見上げてきて、ファタルはわずらわしそうにため息をついた。
そんな反応にかまわず、ラティスは男の腕をガシリと掴む。
女のように寄りかかってくる少年に、ファタルは眉間に皺をよせた。

「なぁなぁ。茶くらい飲ませてよ」
「・・・・・・」

不審そうに少年を見下ろすが、彼は何の意も介さず笑いかけてくる。
抵抗する気も起こらないまま居住区へと戻り、ファタルは少年のご希望通り紅茶を煎れてやった。
少年は珍しそうに内部を見渡していた。
その姿は、歳相応の子供のようだ。

「へぇ。荒れてる割に、ここはキレイなんだ」
「・・・本当に、何しにきたんだ、お前・・・」

呆れた様子で少年を見やれば、ラティスは不敵な表情で無言のまま自分を見つめてくる。
おかしな奴だ。
そう思いながら自分もまたカップに口をつけて、ファタルは微かに眉を顰めた。
微かに混じる苦味。少年の顔を見れば、彼の口の端にますます笑みが広がっていく。
どこか悪魔めいたような。
堕ちていく人間をただ見下ろすような。
それは16歳の少年には似合わない類のものだったが、なぜか彼にだけは許されるような気がして男は目を細めた。
少年が口を開いた。

「あんたを殺しにきた」
「・・・ほう」

そういえば、確かに喉が掠れてきた気がする。
男が手の中のカップを揺らすと、キレイな琥珀色のそれが男の動きにあわせて揺れた。
自分の煎れたはずのティーだ。これに毒薬を入れるなどできる少年はさすがだと思っていいだろう。
男は気にした風もなく暖かなそれを全て飲み干すと、カタリとソーサーにカップを置いた。

「・・・では、これで私は死ねるということだな?」
「ふ・・・ん。あんた、死にたかったんだ?」
「どうだかな・・・」

すぅ、と口元に笑みを引く。無表情だった彼の顔に浮かぶ、穏やかな空気。
初めてそれを見た少年は、へぇ、と思わず声を上げた。

「・・・あんたでも、笑うんだ」
「そりゃ・・・笑うさ」
「でも、殺される時に笑うなんて、あんた、マゾだよね」

少年は座ったままの男の膝を跨ぐように乗りあがると、彼の首に腕を回して肩に顔をうずめた。
男は動かない。少年の好きなようにさせている。
ラティスは笑みを浮かべて、男の耳元で囁いた。

「オレ、男娼やってんだ。死ぬ前にイイ思いさせてやろうか?」

挑戦的な声音に、男は苦笑して。
背に腕を回して引き寄せると、少年の心臓の音が聞こえた。
殺しに来た。そう少年は言っていたが、本当の目的はただ抱かれに来たのではないのか。
それほど期待に胸を膨らませている様子の彼に、男はやれやれとため息をついた。
意識が朦朧とする。
けれど、それは毒のせいか、それともこれから来る淡い予感のためか。
少年の中性的な体を感じながら、男はゆっくりと唇を近づけた。






「では・・・ひとつ楽しませてもらおうか」









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