闇の温度




「今、気付いた」
「・・・何?」

男はそういうと、少年を膝に乗せたまま彼の瞳に触れた。
黒ではあるが、かといって漆黒ではない、灰色がかった濁ったような瞳。ラティスがかすかに顔を顰める。
男はそれを変だと、奇妙だと言おうとしたわけではなかったが、
少年はかすかに首を振って男の指から逃れた。

「・・・ずっと、異常な色だって言われてた」
「誰に?」
「親に」

今度は男が眉を寄せた。対照的に、ラティスは苦笑う。

「オレが生まれた年に、空が妖しく真っ赤に光ったことがあるんだって。
 その異常現象と、オレのこのヘンな色の瞳のせいで、ずっと悪魔の子だ、ってね」
「・・・それで、売られたのか」

肌蹴た左胸に残る烙印を右の指でなぞる。
醜い焼け痕のようなそれは、今のD地区では珍しくもなんともない、過去に実験材料であった証である。
男の言葉に、少年はいや、と首を振った。

「親には、捨てられた。」
「そうか・・・」

少年の声に、自分の境遇を悲観するような口振りは微塵もなかった。
それはそうだ。この閉鎖地区で、子供が捨てられ、売られることなど日常茶飯事なのだから。
胸元の突起を爪で潰すように刺激を与えてやれば、
少年ははっ、と息を洩らして感じている様を男に示した。

「・・・っ・・・、でも、瞳のことなら、あんたもだよね」

少年もまた手を伸ばす。右手で、左の瞳に触れる。
こちらは銀色に輝き、少年の濁ったような灰とは比べようもない。

「そっちは澄んだ蒼なのに・・・、こっちは銀だ。オッドー・アイってやつ?」
「これは・・・」

烙印だ、と言いかけて、男は口を噤む。
出会って間もない少年に、自分のことまで話す必要もない。
男は黙って触れる指を少年の首筋に移すと、片方の手で彼の頭を支え、撫でた場所に唇を落とした。
すっとなじむ感覚。さすが少年というべきか、まだ中性的な体躯に瑞々しい肌。
確かに、男娼をしているというのも嘘ではないのだろう。
男が指先を胸元へと滑らせると、途端ラティスはどこか違和感を感じて身を竦ませた。

「・・・っ・・・?」
「どうした」
「・・・なんか、変・・・」

男は淡々と言葉を紡いで、壊れ物に触るようにゆっくりと肌を辿っていく。
それは少年の身体をひどく煽ったが、それと同時にすうっと身体の力が抜けていくような感覚に少年は唇を噛む。
男のほうを見やれば、しかし彼はそんなラティスに構わず愛撫を続けていて、
少年は仕方なく不思議な感じに捕らわれながらも男の手に身を委ねた。

「いや・・・多分、気のせいだ」

絡む指先。手を握ることすら男はひどく気を使っているようだ。
けれど、だからといって初めての行為だからおそるおそる、という感じではない。
ただ、極力優しく触れてくるそれに、いささか少年は戸惑いを覚えた。
けれど、男に飲ませたはずの毒をまるで自分が飲んだかのように意識がはっきりとしない。
疑問だけが、ラティスの頭を過ぎった。

な、ぜ。

男を見やると、男は薄い笑みを浮かべて自分を見つめていた。
酷薄でもなく、優しくもなく。
感情の薄い、その口元が微かに動く。
少年は確かにそれを見ていたが、音のないそれは彼に伝わるはずもなく。
男が少年の素肌の上半身を両腕でしっかりと抱き締めると、
もはや少年は自分で動く気力すらなかった。
確かに、男に抱かれる気ではいたのだが、ここまで身を委ねるつもりなどラティスにはない。
そもそも、SEXをするようになったのは快感を得るためでも愛を紡ぐためでもなんでもなく、
身体など利用価値のあるものの1つでしかなかった彼だ。
いつだって、意識なくして乱れることなんてない。
けれど、今は、何故か。
意識的にではなく、抗えない何かに引かれるように、少年は男の胸に身を委ねた。

「ファ、タル・・・」

戸惑いを隠しきれない少年を、男はなおも腕の中に収め続ける。
冷たい指先のわりに腕の中は思いのほか暖かく、ひんやりとした空気を忘れさせてくれるくらいだ。
不意に意識がふらりと揺れて、そのままラティスは気を失った。
完全に力が抜けた少年に、ファタルは苦笑した。

「・・・やれやれ。やはり気を失ってしまったか」

これでも気をつけていたのにな、と呟いて、意識のない少年を抱え上げる。
隣の寝室まで運んでやり、それからそっとベッドに寝かせてやった。
キレイな顔立ち。血の気を失ってはいたが、なんら遜色のない美しさ。
少年の右手に座り、ファタルは彼をじっと見詰めた。

(悪魔、か)

周囲に畏れられている彼も、こうして眠っていればただの歳相応の少年でしかない。
指先で頬に触れ、ラインに沿って滑らせれば、
軽く開かれた口元からかすかな吐息が洩れてくる。
そんな無防備な彼に、男は小さく笑った。

「・・・全く・・・。警戒心のないやつだ」

そうさせたのは自分なのだが、あえてそういって少年をからかう。
自分を殺しに来たという少年に、けれど男はいつの間にか好感すら持ち始めていた。

(・・・それにしても・・・)

「珍しいな・・・」

16年前の妖しい現象。赤く光った空を、ファタルもまた覚えている。
確かに人間達の間では、それが悪魔の子の誕生だという迷信を信じている者もいる。
けれど実際、それを見かけた地域は決まって不幸なことが起こるのもまた事実。
今思えば、このD地区がこうして世界中の闇が集まったような場所になってしまったのもあの年からである。
偶然といえば偶然だが、人間とは決まってその理由を何かに求めるものだ。
16年前と16歳。人間にはない瞳の色。
そうして、今まさに、少年は闇に属する組織のトップだ。

(まぁ・・・悪魔だとは言わないが、あの現象はこの子のせいだからな・・・)

赤い空。異常現象。そして少年の、色を失ったような灰色の瞳。それらが意味するものを、ファタルは知っている。
初めてかれの瞳を間近で見たとき、驚いたのはそのためだ。
けれど、それを少年に言うつもりもなかったし、たとえ伝えたとしても信じるわけがないだろう。
ここは、『封じられた場所』だ。

「・・・エル」

名を呼ぼうとして、そういえばまだ少年の名を聞いていなかったのを思い出した。
聞いてやらないと、と思いかけて、ふと我に返って笑い出す。
『ここ』でつけられた名前など、ただ人を区別するだけのものに過ぎない。
少年の『本当』の名で呼んでやりたかった。
仮初めなどではない、本当の名を。
どうせ、彼本人ですら覚えていないだろうけど。

「・・・ゆっくりお休み。お前が安らげる場所はここしかない」

目が覚めて、ここを出れば。
多分、少年は少年ではいられないから。
つかの間の休息。眠る少年の傍らに男は腕をつく。
抱いてやれない代わりにと、ファタルは少年のそれにゆっくりと口付けた。










ジャンルリスト

PAGE TOP