命の価値




ざわり、と嫌な感覚が、背筋を通り抜けた。










パーティは順調に進んでいた。
眼下の狂乱は更にボルテージを増し、歓声でホールが割れそうな程。
この、閉鎖され、退廃し続けるD地区の住人が、最大の娯楽として参加しているこの狂宴では、
夜な夜な『贄』が用意され、選ばれた者はただの死よりも悲惨な運命を辿ることとなる。
散々嬲られ、品定めをされた後、それでも奴隷や玩具として買われていった者達は運がいい方。
誰の手にも渡ることのなかった商品達は、血に飢えた観客達にただただ嬲り殺されるしか道はなく、
そうして、朝には"島"の外に放り出され、見せしめのようにその醜態を晒すのだった。
そう、これはただの宴ではない。
このD地区を支配する二大勢力―――"VIOLENTS"と"Black Feather"が各々主催する、
まさに己が勢力を誇示するためのものだ。
従って、『贄』にされる者は例外なく、己が勢力に従属しない者。
そして、今回もまた、それに違わなかった。
―――ただ、1人を除いては。

「・・・・・・可哀想に」

VIP席の窓ガラスから"彼"を見下ろしながら、ラティスはそっと呟いた。
部屋には、他に誰もいない。扉の前に、部下が待機しているだけだ。
ここはまさに彼の城といえるだろう。
先ほど運ばれてきた血と同じ色のワインを、ラティスは手の中で揺らす。
あの不幸な子供は、漸く己の順番が回ってきたのか、空ろな瞳を命令されるがままに持ち上げて、
醜い程に欲深な男達に買われるのを待ち望んでいた。
既に、クスリは投与してある。
必要以上に感覚を増幅させるシロモノだ。快楽も苦痛も、度を過ぎれば地獄となろう。
だが、どれほど脳が拒否反応を起こしても、逃れる術などなく、
気絶すらできないまま、死を迎えることになるか、それとも運よく朝を迎えるか。
もはや条件反射のような快楽と苦痛に身悶える子供と、それに舌なめずりすらして迫り来る男達の滑稽なショーを見下ろしながら、
ラティスは密かに後者を祈っていた。
C地区からの流れ者。D地区の勢力争いに無関係ではあれど、その運命は変わらない。
生まれた理由が『玩具』である以上、それから逃れる術はないのだ。

「だから、わざわざその世界に投げ込んでやる、と?」
「・・・玩具は、玩具でしかない。その世界で勝ち組になれるとすれば、それは本人次第なんだよ」
「そうか」

そして、沈黙。改めてこの状況を思い返して、
ラティスは顔を歪め、唇を噛む。物思いに耽り、周囲に気を配っていなかった。
それは、一大勢力を纏める者としてはあるまじき事で、
気づけなかった自分も、気づかれずに侵入を果たした男も、どちらも腹立たしい。
フン、と鼻を鳴らして、ラティスは横を向いた。

「・・・何しにきた」
「仕事さ」
「好き勝手に人殺しといて、仕事だ?・・・笑わせるぜ」

刺々しい物言いに、しかし男は気にしない。壁につけていた背を離し、近づいてくる。
そうして、同じように窓際へ。見下ろす銀と青の瞳は、相変わらず冷ややかで、
その視線の先から、ラティスは次のターゲットを悟る。
―――あの、不幸な子供だった。

「で、今回はあの子ってワケ」
「・・・」
「残念だけど、下への侵入は許さないぜ。これは俺たちの大事なショーなんだ」
「邪魔はしないさ」

男はそう言ったものの、ガチャリ、と撃鉄の音。目の前に突きつけられた銃口に、
ファタルはため息をつく。
だが、そんな、何にも恐れない態度が、今のラティスには不満でならなかった。
この男は、ただの人間じゃない。そう、頭では理解しているハズなのに、
・・・血が騒ぐ。そうだ、この不可解な男を殺すといったのは、他でもない、自分ではないか。
この至近距離ならば、さすがの彼もただではすまないだろう。何をためらう必要がある?

「お前は、感じないのか?」
「・・・?」

しかし、ふとかけられた意味深な言葉に、ラティスの引き金にかけていた指が止まってしまった。
男は相変わらず淡々とした表情だったが、その澄んだ瞳は珍しく真摯な色で、
嫌が応にも男の言葉に耳を傾けさせられる。
すっ、と指を示され、そちらの方を見やれば、

――――――ざわり、と。

再び訪れる、嫌な気配。
先ほどから感じていた鈍いそれが、一気にラティスの全感覚へ訴えかけてくる。
その瞬間―――

「っな・・・」

ラティスの見下ろすその先で、信じがたいことが起こった。
群がる男たちに犯され、意識すら危ういのではないかという状態で這い蹲っていた子供が、
周囲の黒山を跳ね飛ばし、ふらり、と立ち上がったのだ。
一瞬、訪れる静寂。
全身を血と精に汚したまま、そうして子供は、小さく、笑みを浮かべた。
手を掲げる。天井の、明々とした照明の、そのまた先へ。

「・・・・・・!!―――伏せろ!!!」

閃光が、会場内を埋め尽くした。
ラティスの叫んだ言葉が階下に届く前に、強烈な爆音が耳を劈く。
視界が、足元が揺れる。そうして、悲鳴と、呻き声と、廃墟と化した地下ホール。

「・・・・・・っ・・・・」

だが。
煙たい視界が漸く晴れ、周囲を見渡したラティスは、
予想外に被害が少ないことに疑問を覚えた。
全員が生き埋めにされてもおかしくないほどの爆発だったはずだ。
だというのに、被害はあるものの、苦痛に呻く声はあれど、死体が見つからない。
何故、と思いかけて、
ラティスはその視線の先に、男を捕らえる。
舞台の中央、すなわち爆心であるその位置に立ち尽くす男は、
ラティスを見やり、苦く笑みを浮かべた。







―――死ニタイ。
慣れた感情に導かれるように、ファタルは子供の元に降り立った。
過剰な快楽を与えられ、己の意思で動くことすらままならない、哀れな存在。
けれど、男には助けてやる気などなかった。個々の運命に干渉することは、本来、彼にとってタブーの一つ。
自分の出来ることは、死を望む者に、望む通りの安らぎを与えてやることだけ。
だが、普段のように左手で触れようとして、
ファタルはどこかいつもと違う違和感に躊躇いを覚えた。
異質な感情。己に響くほどに死を求める声を上げていながら、
それでいてそのすぐ側に、確かに存在する"生"を求める心。しかも、その根底には罪の意識。
C地区の流れ者としてはあまりに複雑なそれに、
ファタルは眉を潜める。
その時、―――倒れていたハズの子供が、ふらりと立ち上がった。
誰も、寄せ付けない気配。それが、子供自体ではなく内部に"有"る異質な存在のせいだと、
ファタルが気づいたときにはもう既に遅く。
子供は、己に死をもたらす男の目の前で、屈託ない笑みを見せたのだった。
生まれて初めて、笑うということを知ったかのような、そんな笑顔。
そうして、男に向かって、ゆっくりと手を伸ばす。せがむようなその仕草が、不意にぶれる。
その瞬間、ファタルの瞳が、異質な"モノ"の存在を捉えた。

「――――――っ・・・・・・」

爆発は、一瞬の間だった。
男はとっさに手を伸ばしたが、この状況でそれを抑えられるはずもなく、
室内に満ちる閃光、そして強烈な爆発音。
悪夢のような時間が過ぎ去った後、目の前には当然のように子供の姿はなかった。
ただ、周囲の瓦礫の山に、血の赤を纏った哀れな塊が飛散していた。

「・・・哀れな」

漸く彼の感情の理由を理解して、ファタルはほんの少しだけ憂鬱な気分になる。
今となっては推測でしかないが、己の存在が、彼の中の"それ"の引き金になったことは間違いなかったから、尚更。
脳裏にあの威勢の良い少年の顔を思い浮かべて、男は唇を噛んだ。
もう少し早く、この気配に気付いてやれていれば、この惨事を防げたというのに、と、
後悔の念を抱いて、ふと、気付く。
なぜ、自分が。
彼らの生きる世界とはまるで違う場所に居るはずの自分が、なぜ心を痛ませる必要があるのか。
たとえ、人間達が彼ら同士の争いでどれほどの被害に合ったとしても、
自分は全くの無関係のはずだというのに。

「・・・ファー・・・」

ふと、声をかけられ、ファタルはそちらの方を見やる。
あまりの事に動転し、驚きを隠せないでいるラティスに、
全身を己の血と返り血で汚した男は、苦く笑みを傾けたのだった。















Update:2006/05/03/MON by BLUE

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