禁忌




命あるモノには、必ず寿命がある。
それは、この地に住まう者に課せられた運命であり、誰もが限られた時間の中で生きることを強いられる。
生けとし生きる者に、等しく与えられた枷。
だが、例外的にそれから逃れる者もいないわけではなかった。
死してなお生き続ける者。生物としての法則を失った者。生死を超越した場所に在る者。
男は、どれにあてはまるだろう。明らかに、人とは異質の存在。
彼に死という概念は存在せず、だがしかし男は死と共に在る、という。
捉えどころのない、存在。
素性すらわからない、そんな男に抱かれながら、
ラティスは浅い息を零した。

「・・・っ・・・ファー・・・」

名を呼ぶ。今にも薄れ、消えてしまいそうな意識を、少年は必死に保とうと手を伸ばす。
既に力の入らない身体は、自分の物ではないかのように重くて、
そんな少年に、ファタルは少し困ったように苦笑する。汗に濡れた前髪を払い、滑らかな頬に口付ける。
しがみ付く腕の強さが、一層強くなる。

「・・・辛いか?」
「・・・っ・・・、なこと・・・っ・・・」

か細い声。やせ我慢にしか聞こえないそれに、けれどファタルは小さく笑った。
まだほとんど何もしていないというのに、少年は既に苦しげで、
こんな状態で果たして最後まで彼の体力が持つのだろうか。
だがきっと、この間のように中途下車では彼も納得いかないだろうし、
自分もまた。
後戻りできないほど、彼の肢体に惑わされている。

「・・・―――借りるぞ」

ファタルは一度少年から身を離すと、腕を伸ばし、サイドテーブルに無造作に置かれてあった銀細工を手にした。
ラティスの首に巻きついていた、あの銀のプレートだ。

「っえ・・・?」

なんで、と口にしようとして、ラティスはまたしても不可思議な光景を目にした。
少年からの借り物を手にしたまま、ファタルが何事か呟くと、
彼の手の中に収まっていたハズのそれが、光を帯び始めたのだ。
息を呑む。その間に、鎖は生き物のようにうねり、ファタルの手首に絡みついた。
光が止む。後は何事もなかったように、それは男の左手首で鈍く光るばかり。

「・・・な、に・・・?」
「そう驚くほどのものじゃない。お前の首に施されていたのと同じモノだ」
「・・・施・・・されて、いた?」

ラティスは、自分の首を押さえた。今は何も身につけていない素肌のままで、
それに触れながら少年は、改めて己から外れたその首飾りを思う。
今は男の手首に絡みついているそれを見やり、ラティスは狐に包まれたような顔をした。

「どういう事?」
「・・・死にたくはないだろう?」
「え・・・」

言われて、漸く気付く。
そうだ。彼が力を行使している時、ファタルは決まって左の手を使っていた。
VIOLENTSの者達を消し去った時も、子供に手を差し伸べたあの時も。
彼の左手の先には、等しく死が待っていた。
ラティスは、初めて気が付いた。
今まで彼が、自分に対して極力左手を触れないよう、気遣っていてくれた事に。

「・・・ファー・・・」
「私も、お前を死なせたくはない・・・・・・」

す、と左手が頬に添えられる。
ラティスは反射的に身を引いたが、先ほどのように意識が薄れるような感覚はなく、
ただ胸を高鳴らせる期待感だけが募った。
引き込まれるように、ゆっくりと近づく男の顔を見つめる。

「・・・っ。」

初めて、唇が重ねられた。
冷たい唇。薄いそれが、しかし予想以上に優しく、ラティスの唇を撫でていく。
舌でくすぐるようになぞられて、一瞬背筋を振るわせた少年は、簡単に口元を解き、男を迎え入れた。
歯列を割って内部に滑り込んできたそれは思いのほか熱く、頭の奥がくらくらする。
身体を支えていられずに、重心が後ろに傾けば、
そのまま再度ベッドに沈む少年の背中。
息をつくために少しだけ唇を解放してやったファタルは、すぐに再び唇を重ねていった。

「んっ・・・ふ、・・・っ、・・・」

絡む舌先。軽く触れていたそれが、次第に深く、激しくなる。
始め、苦しげに眉を寄せていたラティスが、今は夢中になって男の舌を貪っていて、
まだ年若い少年のくせに、とファタルは苦く笑う。
染まる頬はバラ色、肌は薄紅。どうしてこんなイキモノがいるのかと思う程に、
少年の放つ色香は留まることを知らない。
その目的で造られた玩具に勝るとも劣らない完璧な造形には、
過去の苛酷な生き様を示す傷跡が確かにいくつも存在しているのだが、
それすら彼の魅力を高めているかのようだ。
滑らかな肌に点在するそれを、衣服を脱がせながら指先でひとつひとつなぞっていくと、
ラティスは恥ずかしげに首を振った。普段は気にすることのない彼だったが、
今回ばかりはそうもいかず、唇を尖らせる。

「っ・・・、やめろ・・・」
「何故。綺麗なのに」
「・・・・・・」

どこがだよ・・・と脱力したように口の中で言うラティスに構わず、
ファタルは愛撫を続ける。この間や先ほどまでとは打って変わって、恐ろしく身勝手な動き。
意地が悪い、といっても良いだろう。男はラティスが嫌がるような場所にこそ、丁寧な愛撫を施していた。
その度に、ラティスの羞恥は募るのだが、
それでも少年の頭よりも素直な彼の身体は、男を嫌うどころかもっと、と強請るかのように震えていて、
取り繕うことすらできない己にこそ、ラティスは不甲斐なさを覚えていた。

「・・・早く、しろよ・・・」

丁寧な愛撫は、そのまま焦らされていることに繋がる。
普段、即物的な生き方をしている少年にはそんな男の愛撫はもどかしかったらしく、
ラティスは羞恥を押して先を促す言葉を紡ぐのだが、

「それでは、私がつまらない」
「・・・・・・」

ファタルのあまりに勝手な物言いに、一気に呆れてしまった。
もう、反論する気も起こらない。
ラティスが考えていた以上に手慣れた様子で、男は少年に触れていく。
例の左手に指を絡められ、きつくベッドに縫い止められると、
微かにくらりと頭の奥が揺れて、ラティスのどんどん思考力を奪っていった。
それは、まるで麻薬のよう。
ありとあらゆる薬物を掌握し、区内のみならず
区外との裏取引すら大半を仕切っている組織のトップに立つラティスだが、
男の触れる箇所から覚える酩酊感はどのヤクよりも強いのではないか。
簡単に呑まれそうになる自分が情けなくなり、必死に理性を保とうと耐え続けている様子に、
ファタルは思わず笑ってしまった。
美しい肢体。
今はもう、一糸纏わぬ姿のラティスは、
男に笑われ一層肌の色を鮮やかに染めている。

「・・・男娼、という割には・・・慣れてないな?」
「っ・・・うるさいっ」

ラティスも、戸惑う程だった。
これほど、理性を奪われそうになることなど今までになくて、
しかも、まだ始まったばかりなのだ。今の状態でこれでは、自分はどうなってしまうだろう。
早くも未知の世界に足を踏み入れる気がした少年は、
けれど後戻りなどできるはずもなく、意地だけでファタルに言い返した。
それもこれもすべて、自分が望んだことなのだ。
己の胸を痛ませ、高鳴らせる男の、そのすべてを知りたい。
どうせ、彼はほとんどをはぐらかしてしまうだろうが。
それでも。
少しでも、傍に近づきたい。

「ファー・・・」

腕を伸ばせば、ファタルはそれをきちんと受け止めてくれた。
首に両腕を巻き付ける。こうやってしがみ付いていれば、少しだけ、彼がわかる気がした。
触れる温度。感じる鼓動。静かな吐息。思いのほか逞しい肩。
微かな柑橘系の香り。その全てが、ラティスを安らぎへと導いていく。
目を閉じれば、瞼の上に暖かな感触。
このまま、死んでしまえたら、これほど幸せなことはないだろうに。
ラティスは心の片隅で、ほんの少しだけ思った。

「・・・なぁ、頼みがあるんだ」

うっとりとした表情で、ラティスは呟く。ファタルは構わず、胸元に唇を這わせた。
複雑な文様の焼け痕とともに、深く刻み込まれた識別番号。傷痕を、舌でなぞる。その下の小さな果実を、
ひどく大事なもののように唇に包み込む。
歯を立ててやると、ひくりと震え、そうして頭を抱えるように回される腕。
左の指で片方を摘みながら、濡れた舌をそれに絡ませると、
ラティスは思わず、といった風に吐息を漏らした。
甘い、甘い、
鼻にかかったような声音。

「俺が死ぬ時・・・、傍に、いてくれる?」

言ってしまってから、なんて馬鹿なことを口にしたのだろう、と後悔した。
けれど、そんな感情が頭を過ぎったのは一瞬で、
あとは毒のような快楽だけが指先まで震わせた。朦朧とした頭の中、考えられるものなどなにもなかった。
ファタルは苦笑した。

「お前が私を殺してくれるんじゃなかったのか」
「・・・あー・・・、忘れてた。」

ぼんやりと。
この間のことを思い出して、ラティスはまとまらない頭を少しだけ揺らす。
そうだった。彼の息の根を止めるといったのは確かに自分で、

「じゃー・・・、一緒に死のう。俺があんたを殺すから、あんたは俺を殺してくれていいよ」

そんなことを、言ってみる。
男は、ますます苦笑いを深くして、勝手な奴だな、と呟く。
けれど、熱に浮かされたまま告げられたその冗談めいた言葉が、存外に本気であることを感じ取り、
ラティスは苦笑の奥で、物思いに耽る。
どうして、これほど深くまで踏み込み、そして踏み込ませてしまったのか、と。
それは、禁忌。
永き時を生きる者に等しく与えられた、枷。
己の力を、その存在理由から逸脱した場面で使ってはならないことが、ひとつ。
正当な理由のない者を、死に追いやってはならないことが、ひとつ。
そして、もうひとつ。

「・・・本当に、いいんだな?」
「・・・・・・ん。」

現世の者の運命にむやみに関わること自体、罪だというのに。
ましてや、この少年は普通の人間ではないのだ。天から堕とされた者同士の交わりは、
最大の禁忌。
だが、もう既に、禁忌ならひとつ、破ってしまった。
今、己の腕の中にいる少年の為に。今更、どうしろというのだろう?
もう、後戻りはできない。少年も、自分もまた。

「・・・目を、開けていろよ」

力を封じたとはいえ、こんな簡易的なものでは半分も抑え切れていなかった。
彼が意識を失ってしまわないようにと、ファタルはラティスの耳元でそう忠告する。
もう、声も出ないまま、けれど小さく頷いた少年は、
そのまま、しっかりとファタルの首にしがみ付く。まるで、年が10も下がってしまったかのようだ。
そんな彼にくすりと笑う男は、
散々焦らされて蜜を零し続ける彼の中心に、ゆっくりと指先を絡めたのだった。















Update:2006/05/06/THU by BLUE

ジャンルリスト

PAGE TOP