戻れない場所。



これは、―――運命なんだ。
運命―――それは、多分、生まれたときに決まるものじゃない。
運命ってやつはひどく気まぐれで、カミサマは手のひらで僕たちの運命を転がしては、楽しんでいるのだ。
それでも、カミサマにとっては気まぐれでも、僕たちにとっては、大きな大きな人生の分岐点で、
それは、あの子は言っていた通り、誰かの出会いだったり、世界をガラリと変えてしまうものなんだろう。
そう、僕の運命はあそこで決まった。
同じ年、同じ月日に生まれた、紅い髪の子供。
たまたま、本当にたまたま、向かいの檻に互いが存在していただけだった。
それなのに。

「冠葉、僕にとって、お前はなんだと思う?」

今はもう、誰もいない小さな家で、晶馬は呟いた。
手元には、アルバムだ。懐かしい、懐かしい思い出。平和だった。
陽毬と、双子の兄と、そして母親、父親。たとえどんなに自分たちには理解できない、
難しいことを話していた両親でも、それでも自分たちは家族だった。
家族の愛情に、包まれていたのだ。
けれど、それも、運命の悪戯だったら?

「そう、僕の運命は、あの日に決まったんだ」

暗い暗い、檻の中。
誰も来なくて、食べ物もなにもなくて、もう、いつ意識が失われてもおかしくない状況。
それでも、“かれ”は、選ばれた。
目の前の紅い髪の子供は、選ばれたのだ。生きていいのだと、
目の前の果実はそう告げていた。甘い蜜を零して。
そのとき、晶馬は確かに、生きることを諦めたのだ。
もう、生きる価値などないのだと。
だというのに。

「あのまま惨めに死ぬはずだった僕を、お前は救ってくれた。お前は僕の、」

運命の、人だった。
彼がいたからこそ、自分はここまで生きてこれたし、
陽毬とだって出会えた。大切な人を大切にする喜びを教えてくれたのは、
彼だ。
だからこそ、・・・失いたく、なかった。
いつまでもいつまでも、冠葉と、陽毬、ただ家族として生きていたかっただけなのに。
でも、

「わかってる。これは、運命だったんだ」

アルバムをぱたりと閉めて、そうして、唇を噛み締めた。
そう、所詮、寄せ集めの偽りの家族なのだ。いつか破綻してしまうのは当然で、
現に、3年前のあの日、家族は崩壊した。
これは、罰なのだ。
犯罪者の両親を持った子供への罰。自分たちへの、罰。
・・・自分への、罰。

「・・・止めなきゃ」

もう、戻れないのはわかっている。
かつてのように、揺らぎない太い絆で結ばれることはないのかもしれない。
それでも、

「それでも、構わない」

晶馬は、胸を握り締めた。
誰一人、笑うことのなくなった家を出て、宛てもなく歩く。
偽りに塗り固められた絆は崩壊しても、これだけは、誰にも奪えない。
自分の命は、冠葉に分け与えられた命なのだ。
冠葉の半身を貰った自分に、今、何が出来るのだろう?
自分は、冠葉に何をしてやれる?

「二度と、その手で罪を重ねることは許さない」

晶馬は、携帯を手に取ると、迷うことなく冠葉の連絡先を表示させた。
長い長い着信音の後、ガチャリと電話を取る音、そして沈黙。
話をしたくないのなら、着信を切ればいい。
それなのに、沈黙を保っていても、が冠葉であることを確信して、
晶馬は涙が溢れそうになった。
陽毬の命が長くないことを告げられただけで、どうしようもなく泣きたくなったのに。
更に、今の、冠葉と自分の距離を感じて、涙腺は止まらなくなった。
共に陽毬を大切に思い、愛してきた片割れが、
今、傍にいない。

「・・・・・・冠葉、痛いんだ」
「・・・・・・・・・」

電話口の先の兄は、何も言わなかった。
動揺しているのか、いないのか、何も音のしない沈黙が痛い。
晶馬はぎゅっと携帯を握り締めた。
せっかく、繋がった細い絆。手放すわけにはいかなかった、二度と。

「・・・陽毬も、いなくて、冠葉も、いない。本当に、終わりなんだね、僕たち」
「・・・・・・・・・すぐに、」

沈黙が破られ、低い声音が、遠慮がちに紡がれた。
兄は、今何をしているのだろう?両親が所属していた犯罪組織に身を堕として、
陽毬は自分を守るために、自分を殺して罪を犯し続ける彼は。

「すぐに、元に戻れる。俺も、お前も・・・陽毬も」
「戻れないよ。だって、こんなに、・・・」

こんなに、遠い。
いつだって、手を伸ばせば、確かめることができた。
互いの存在、生きているって証の熱、家族であることの安心感。
なのに、今はそれが、出来ない。

「・・・陽毬、あと、1週間の命だって。せんせいが言ってた。」
「・・・・・・やめろ」

電話の先のかれが、始めて感情を言葉に篭めた。
怒りだった。彼は、絶望より先に、世界を呪った。自分たちから陽毬を奪おうとする運命を、
世界を、何も出来ない自分を呪った。

「陽毬がいなくなったら、僕はどうすればいい?」
「やめろっ!!」
「っぐ、」

突然、視界に入らない位置から伸ばされた腕が、
乱暴に自分の首を掴み、そうして裏路地に引き込んだ。
叩きつけられた背中の激痛と、そして両の腕の力でめいっぱい首を締められ、
晶馬は苦しげに眉を寄せる。
けれど、それでも。
晶馬は笑った。
目の前の青年が、あまりにも見知った顔で。

「・・・兄、貴」
「陽毬は、死なない。俺が守る!お前が出来なくても、俺には出来る!」
「冠葉」

苦しさの中、晶馬は両腕を冠葉の背に回した。
自分の首を締め、叫ぶ冠葉の表情が、今にも泣き出しそうで、
自分と同じだと思ったから。
晶馬は知っていた。
兄が、妹のはずの陽毬を、家族として以上に愛していたことを。
失う物の大きさに怯えているのは、きっと、冠葉だ。

「・・・冠葉、陽毬を、悲しませないで。傍にいてあげてよ」
「・・・・・・俺は、もう、後戻りは出来ない」

悲痛な声音。
こうして触れ合っていると、不思議と冠葉の気持ちが理解できた。
きっと、彼から貰ったものは、彼の心の半分で、
感じようと思えば、簡単に心を通わせることができた。これを家族と言わずして、
なんと呼べばいいだろう?
陽毬を失いたくない気持ち、なんとかしてやりたい気持ち、彼の決意、覚悟、すべてが
晶馬に伝わってきた。少しだけ、首に絡みつく指の力が抜け、
それに気付いた晶馬は、更に彼を抱きしめた。
そうして、子供をあやすように、背を撫ぜる。

「戻れるよ。陽毬も、僕も、冠葉が大好きだから。だって、」
「・・・俺たちは、赤の他人だ」
「違う!だって、冠葉は、くれたじゃないか。自分の命を削ることを知っていたのに、
 冠葉は、僕の運命を変えてくれた、」

運命の、人なんだから。
普段は全くそういう気持ちになんかならないのに、
触れ合って、互いの心を感じると、どうしようもなく切ない気持ちになった。
きっと、別れたふたつがひとつになりたいんだね、って笑うと、
冠葉はくしゃくしゃ弟の頭を撫で、そうして指先を頬に滑らせた。
あの時、キスをくれたのは兄だった。
今度は、どうしたら、凍りついた兄の心を溶かすことが出来るだろう?

「冠葉、」
「っ・・・俺は・・・、」

ようやく、己の大切な弟を手にかけようとした自分に、冠葉は震えた。
くっきりと残る痕が、近づく。呆然と正面を見やる冠葉の唇に、あたたかなくちづけが重なった。
溶け合うような優しいキスは、冠葉の全てを赦すような優しさを孕んでいた。
大切な、大切な弟だった。
陽毬を愛していると同じくらい、大事な大事な存在だった。
だというのに、陽毬の死という耐え難い現実に、見失いかけていたもの。

「・・・晶馬・・・俺は、何を・・・」
「全部、背負い込まないで。痛いほど苦しい冠葉の心、僕にも分けて」

触れ合うことは、どんな言葉よりも真実を曝け出す。
久しぶりの家族の熱に、二人は溺れた。






end.






Update:2012/01/13/FRI by BLUE

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