虚構に埋もれた真実



いつも、木霊していた。
幼い頃から、散々聞かされてきた蔑みの言葉。
『何故、貴方はΩなの?!』
『αの家系にΩが生まれるとは、末代までの恥だ・・・』
『Ωは柊には必要ない』
必要ない。
その言葉を思い出して、暮人は自嘲するように笑う。
何故?そんなことを問われても、自分が何故この性で生まれてきたかなど、自分がわかるはずもないのだから。
それをこちらに訴えられても、正直うんざりする。自分だって、母親がαに産んでさえくれれば
こんな苦しむこともなかっただろうに、と恨みがましい気持ちだってある。
ヒトの男女の性以外に、特に生殖的に特徴を持つこの支配階級のαと、劣等種扱いのΩが存在することは、今の一般社会ではそこまで広く知られていないものだった。
何せ、一目見てわかるような身体的な特徴があるわけでもないのだ。
長く付き合っていて、漸くそうとわかる程度。第一、一般庶民の大半はどちらでもないのだから、
世間的には興味がないだろう。
だが、暮人の育った環境は、その一般社会とは大きくかけ離れていた。
『柊家』
巨大な宗教組織『帝ノ鬼』を牽引する圧倒的な権力を所持する家柄。
支配階級は常にαであり、柊家の家系に、α以外が生まれたことは一度たりともない。
そうなるように、研究が進められている。常に強い力、常に優秀な遺伝子、それを追い求めて混入する血を選抜している。
だから、α以外が生まれるはずもない。
だが、暮人は生まれた。Ωとして。
人間社会ではもはや希少種となったΩ。何の突然変異かはわからない。ましてや暮人は、
生まれた瞬間にはαとばかり認識され、この柊家の長男として、生まれたその瞬間から柊家の次期当主候補として期待をかけられ、
自分だってそれに応えようと、日々努力してきた。頭脳明晰な頭と、圧倒的な呪術の才能。
それが、今ではこれだ。
10歳の時に訪れた初めての発情期のせいで、全てが変わってしまった。
初めての男が誰なのか、もう覚えていない。とにかく、覚えきれないほど拡がる柊家の傍系の誰かだろうが、
暮人もまだ幼い子供だったから、いくら能力が高くても大人の腕力に叶うはずもなく、理性を失った獣のような穢れた男にあっさりと初めてを奪われる。
とにかくその男は、暮人の放つ色香に誘われ、酔わされ、柊の直系の長男に手を付けた。
当然、その男は罰された。死刑になる直前、苦し紛れに叫んだ男の言葉が、今後の暮人の運命を決定づける。
『あの子供はΩだ!将来を約束されていた俺を狂わせた悪魔なんだよ!』
Ω。
あの時の周囲の目線を、暮人は一生忘れることはないだろう。
当然のようにαだと思われていた彼は、それから極秘裏に遺伝子鑑定が行われ、そこで最後通牒を突き付けられた。
柊暮人はΩだった。
だが、だからといって、今更当主候補とうたわれていた彼の立場を崩すわけにもいかず、
彼がΩだという事実は臥せられ、そのまま当主候補として扱われることになる。
だが、それと同時に、柊家内部では、より優秀なαである柊真昼を当主として立てる動きが強まり、
所詮Ωである暮人を軽視し、中には慰みモノとして扱う人間も現れた。
だが、誰も彼を救う者はいなかったのである。
だから暮人は。

(こんな、生まれや人種で差別される世界など、もう真っ平だ)

暮人は握り締めた透明なカプセル剤を口に放り、飲み込んだ。
発情抑制剤。
唯一、己をΩだと悟られる原因である発情期を抑える薬は、今の自分には必要不可欠なもので、
その事実にうんざりと顔を歪ませる。
10歳の頃は年に1回しかなかった発情期も、成長し、20を超えた頃には1ヶ月に1度の頻度までになっていた。
今では、薬すら効かないほどひどい時もある。強い理性と自制心を手に入れるために、心に厚い壁を作った。
たとえ身体を奪われても、心までは明け渡さない。
強引なαから身を守るために、暮人は今以上に熱心に鍛錬に励むことになる。
暮人が求めたものは、こんなくだらない、己の本能に振り回されない世界。
世界を変える。
自分を、汚いものでも見るかのように蔑んできた柊の人間たちを、この手で失脚させ、
自らの手で世界の覇権を握るのだ。柊の力ではなく、自らの力で。
そうしているうちに、世界は別の人間によっていとも簡単にひっくり返され、暮人が感じていた己の性差など問題にならないくらいまで世界は壊れてしまったが、
けれど、それでも。
いまだ暮人は柊に足を囚われたまま。
中将として、帝鬼軍の二番目の地位を与えられてなお、屈辱に身を浸している。











ドンドン、と乱暴に扉が叩かれ、暮人は仮眠室のベッドに蹲ったまま顔を顰めた。
今日は、1日気分が悪かった。
ひと月に1度来る発情期は幸い数日間だけで、抑制剤を使えば平静を装うことができる。だがその代わり、
薬の副作用が酷かった。吐き気や息苦しさ、頭痛に手や身体のふるえ、眩暈まで起こることもしばしば。
もちろん、予定があれば気力でなんとかする。
一時的に苦痛を強引に感じなくする術式もある。だが、ただでさえ鬼呪を抱え、呪いの負担を強いている身体に、
これ以上の負荷は命の危険まで伴う。だから暮人は、予定がなければ居留守を使ってこうやって部屋に引きこもることが多かった。
もちろん、普段は来客の多い執務室だ、万一緊急の用事がある時は、従者の葵に伝達するように言ってある。
だというのに、無礼にも柊家中将である自分の執務室の扉を何度も叩く奴など、思いつく人間は1人しかいない。

(一瀬、グレン)

柊と深い確執のある、一瀬家の当主でもある彼の来訪に、けれど暮人はますます布団を被り、気付かれないように息を潜めた。
一瀬家は、柊家の傍系の中でも最古の分家ではあるものの、その地位は異常なまでに低かった。
彼もまた、絶対君主である柊家に、何度も屈辱を味わわされてきた。
だから、彼の野心に共感した。
柊の支配から逃れ、権力に振り回されない、新しい世界を作る。
見据える場所はきっと同じだった。だが、この家柄の差は、なかなか2人を親しげな友人のような関係を許してはくれない。
常に、暮人は柊に君臨する次期当主候補でなければならなかったし、グレンは一瀬のクズでなければならなかった。
だが、それは仮初の姿だ。
薄皮一枚剥げば、自分は所詮劣等種のΩ、彼は一瀬とはいえ、優秀なαとして生を受けた人間だった。
彼にさりげなく手を貸してやりながらも、知られてはならないと何度も自分も戒め、 ある程度の距離を置いてきたつもりだ。
それでも、目ざとい彼は、自分の違和感に気づいたのだろうか?
何せ、よりによって今日までに、急いで報告書を持ってこい、と言ったばかりだったのだ、
急に予定を変更しろ、といっても彼は納得しないだろう。

「・・・っは、あ、っく、・・・」

苦しい。身体が熱くて溜まらない。最近薬があまり効かない気がするのは、幼い頃から薬を服用し続けているせいだろうか。
こんな状態で、彼の前で平静を装うには、今の自分には不可能だ。
ノックは続いていたが、いかな彼でも、鍵を破壊して侵入してくることはないだろう。
このままやり過ごそうと、暮人は唇を引き絞った。
目を閉じて、耳を塞いで、そうしてひたすら眠りにつこうと熱い身体を丸める。
この苦しい時間が、早く早く終われば、と祈った。
己のΩとしての特徴を受け入れられないから、尚更辛いのだとはわかっていたが、それでも、
この苦しみには慣れない。いっそ昔のように顔も知らない男共に抱かせれば、
少しは熱が吐き出せるだろうか?
けれど、もう二度と、あんな他人にいいように扱われて捨てられるのは真っ平だった。
ノックの音が止んだ。漸くあきらめたか、とほぅ、と息をついた瞬間、

「―――っおい、」
「っな、」

ガッ、と肩を捕まれ、暮人は全身の毛を逆立てた。
顔を上げると、目の前には見覚えのある男の顔だ。つややかな黒色の、緩くウェーブのかかった柔らかそうな髪、女好きのする整った目鼻立ち。表情は少しいらだったような、けれど切羽詰まったような表情で、思わず苦く笑ってしまう。
ぞくりと、身体が疼いた。
まるで媚薬でも飲まされたかのように、身体が熱く、雄を求めてしまう。
自分の中の雌を感じるこういう瞬間が、暮人には屈辱的で、思わず顔を逸らしてしまった。

「・・・鍵を、壊してきたのか?乱暴な奴だ」
「は?開いてたぜ。お前の無防備さにはほとほと呆れるな」

お互いからかうような物言いだが、表情は笑ってはいなかった。
それどころか、グレンは唾を飲み込んでいる。ああ、と暮人は絶望に身を浸す。
いくら薬を飲んで抑えていたとしても、相手はαだ。自分に欲情しているであろうことは明らかで―――、
真顔の彼からも、それが伺える。

「お前・・・」
「・・・なんだ」
「その色香・・・まさか、」
「ああ、」

肩を竦め、そのまさかだ、と、言外に告げる。
ここまで来て、隠し通すことなどできるはずもない。だから暮人は苦し気に、しかし自嘲気味に笑う。
グレンほどの自制心のある男もまた、結局、本能に負けるのだと思うと、何かおかしかった。
普段なら、自分突っかかってばかりの男だ、
彼が自分に欲情しているのは、この憎らしいΩの体質のせいに他ならないのだ。
決してグレンが、自分自身を欲しがってくれたわけではない。その事実が、なぜか胸に引っかかっている。
グレンは再び生唾を飲み込みながら、暮人の熱っぽい額や頬に触れてくる。
たまらなく、体が震えた。薬などで抑え込むより、他人に縋ったほうが楽になれるのは、この20年生きてきてよくわかっている。
だが、それに折れるわけにはいかないと、いつだって耐えてきた。

「今まで、よく誰のモノにもならなかったな」
「・・・薬があったからな」

そう無理矢理笑って見せるが、それはまったくの嘘だ。
Ωと発覚して、強い薬で発情期を抑制するように厳格な父親からは言われたものの、
暮人のその身体から発する無意識の色香に誘われて、どれほどの男共が彼を欲望のままに犯し、そして消えて行ったことか。
薬には、発情抑制剤のほかに妊娠を防ぐ効果もあったから、幸い絶望的な悲劇が起こることはなかったが、
それでも、暮人はその度に心を削っていた。
信じられる者はいなかった。自分だけが自分の味方で、誰も救ってくれる人間なんていなかった。
皆、見て見ぬふりをしては、次期当主候補としての体面を保つことばかり強要された。
Ωである自分を、同等と見てくれた人間などいなかった。

「嘘つくなよ。・・・全然、薬で抑え切れてねぇよ」
「はっ・・・それで、お前も?俺を抱きたいのか?・・・はは、そうだよなぁ、お前もαだものな」

蔑むような表情。暮人が向けたそれは、自分を輪姦した者全員に向けた軽蔑の視線だったが、
グレンはまっすぐにそれを見据えたまま、動かない。
絡み合う視線に耐えられず、顔を逸らしたのは暮人のほうだった。男たちが自分に惹かれて理性を失うように、自分もまた、
この身体と心の乖離に振り回されてきた。そんな自分が、一番嫌いで、我慢がならなかった。

「・・・ヤりたいのなら、ヤればいいだろう」
「・・・・・・」
「さっさとヤって、終わったらすぐに出ていけ。そして、俺がいいというまで顔を見せるな。そうすれば、勝手に俺の部屋に入ってきたことも、中将である俺に一瀬ごときが手をかけたことも、見逃してやる」
「・・・っは、俺がお前を抱きたいなんて言ったかよ」
「・・・違うのか?顔に書いてあるが」

再び絡み合う視線、きつい睨み合いはしばらく続くかと思われたが、今度はグレンから視線を外した。
深いため息をついて、己の理性を手繰り寄せるように。
意外だと思った。
今まで、こんな自分を目の前にして、理性を保ったまま行為に及ばない人間など、今までいなかった。
普段ですら、襲おうとする男が後を絶たず、発情期なんて論外だった。
狭い部屋に閉じ込められ、発情期が終わるまで一切の交流を絶たれたことすらあった。
だから、いかなこの男とて、見られれば終わりだと、そう思っていたのに。

「・・・で、お前の場合はどのくらいで通常に戻るんだよ」
「いつも通りなら、1週間位で収まる、はずだ」
「わかった。ならそれまで、俺は近づかない。書類も後日でいいな?」
「・・・・・・・・・ああ」

背を向けて立ち上がる男を凝視する。
手を伸ばしかけて、ぎゅ、と暮人は己の手のひらを握り締めた。
自分に迫る男共をさんざん軽蔑していながら、己の身体は犯されて悦んでいた。今だって本当は、
こんな薬で一時的に抑え込む苦しみなどよりよほど、男が抱いてくれれば楽になれたはずだ。ごくりと息を呑み込む。
唇が渇き、言葉を発しようとするだけで震えた。あ、と掠れた声が漏れる。
息が、苦しかった。
身体も。熱がぐるぐると渦巻いていて、己の中の欲望を自覚する。
今までは、自分が望む前に抱かれていた。だから、被害者面をして、そうして男共を蔑んできた。
だが今はそれができない。
グレンは髪を?き上げて、己の中の欲望を無理矢理抑え込んでいた。
彼だって、ふつうならば抗えないだろうに。
αにとってのΩの色香は、ただ相手が魅力的だとか、性的に妖艶だとか、そういった姿形からあおられるようなレベルのものではない。
完全に、ごくごく科学的な、本能的なものなのだ。
それどころか、社会的な婚姻よりも、『番』と呼ばれる圧倒的に深い関係を築くことができるのもαとΩだけ。
もっとも、もともと出会う機会などなかなかないから、一般に番として確認されている人間など、今の時代にはいなかったが。
劣等種だが、国によっては、希少種として貴重に扱われる国もあるくらいなのだ。
だからグレンが、いや、柊家のαどもが、自分に欲情して当然なのはよくわかっていた。

「・・・勝手にはいってきて悪かったな。俺、行くわ」
「待て、グレン・・・っ」
「あ?」
「この事は、他の人間には・・・」
「言うかよ、」

睨みつけるようにして吐き捨てられて、一瞬喉が詰まる。
グレンの表情は、己の中の感情を無理やり押さえつけているようで、そうさせてしまう自分がほとほと嫌になった。
恋愛感情などなかったし、愛されたいとも思ったことはない。だが、嫌われたくはないのだ。
このまま本気で避けられるのはたまらない恐怖だ。今まで通り、ただ、軽口をたたきながら、それでも同じ道を見据えていたい、
ただそれだけの感情なのに。
それすら否定されたら、自分はどうしていいかわからなくなってしまいそうだ。
絶句する暮人に、グレンは顔を逸らして一つ咳払いをして、そしてなんとか冷静さを取り戻す。

「・・・言わねぇよ。どうせその様子じゃ、今までαのフリして生きてきたんだろうが。
今ここでお前に失脚されたら、その直属の部下ってことになってる俺も困るんだよ。だから、言わない」
「・・・・・・」

暮人は安堵したものの、けれどそれを表情に出すことはできなかった。
今の彼の顔に現れていたのは、不安と恐怖、そして戸惑い。およそ彼に似つかわしくないそれは、
もちろんはたから見れば、ただの無表情に見えたかもしれない。
だが、グレンにはそう見えた。
えんじ色の、強い光を放つ支配者の色合い、それが今は、ひどく潤み、今にも零れそうな水分を讃えている。

「・・・なんて顔してんだよ、お前」
「別に、いつも通りだ」
「・・・っは、」

そんな弱気な顔をして、真っ赤に染めた頬と耳と、熱っぽい吐息を吐きだした状態で。
なにがいつも通りなのだろうか、と、グレンは呆れたように笑うしかない。
部屋に充満する、目に見えない彼の放つ色香に惑わされそうになる己の欲望をなんとか抑え込んだまま、

「・・・『お前も』、か」
「なんだ?」

暮人の視線を感じながら、グレンはベッドでなおも蹲っている男の傍に腰を掛けた。
今度こそ意志をもって、彼のかぶっている布団をはぎ取る。油断していた暮人が取り戻そうとしたときには、すでにおそかった。
ボトムに、白いシャツだけの姿のままで、暮人は蹲っていた。
長い手足を折り曲げて。腹や胸をかばうようにしていたから、グレンは顔を顰める。

「痛むのか?」
「痛いわけではない。ただ、・・・苦しいだけだ」
「そうか」

それだけ聞いて、グレンは辛そうな彼の背を撫でてやる。
暮人は少しだけ身を捩ったが、何も言わなかった。だが、それだけでも感じるのか、時折唇を震わせていた。
ぎゅ、とシーツを指で噛み締めて、体の中の奔流に耐えているのだろう。
生まれというものは残酷だ。
彼が、彼らしく生きられないのは、明らかに柊という特殊な環境に生まれたからに他ならなかった。
(お前も、か)
グレンはもう一度脳内で暮人の言葉を反芻していた。
も、ということは、それだけ彼は過去に、男に輪姦されてきたという事実を如実に現していて。
だからきっと、身体は抱かれ慣れている。
ただ、それを受け入れていない、到底受け入れられない暮人が悲しい存在だと思う。
きっとこれからもいつ終わるともしれない時間、彼は自分を偽り続けていかねばならないのだ。
柊の次期当主候補として。
αの集まる柊の中でも、圧倒的なカリスマ性と、絶対的な権力を持つ支配者として。
グレンは男の手首を掴むと、少々強引に彼の身体をベッドに押し付けた。
驚きを隠せずにいる男の反応を無視して、横向きから仰向けにシーツに縫い止める。
やはり、芳しい香りがした。
どうしようもなく惹かれるそれに、しかしグレンは首を振って、意志をもって柊の男を見下ろす。

「・・・グレン」
「俺が、楽にしてやるよ。抱かれれば、少しくらい落ち着くンだろ」
「・・・いいのか?」

グレンにしてみれば、こんな、敵であるはずの家の人間の、それも男を抱くなんて不本意だろうに。
そういうと、もう黙れ、と顎を掴まれて、乱暴に唇を重ねられる。
熱かった。
グレンの唇が触れた箇所が。
薬で抑え込んでいたはずの欲望の箍が、一気に外れた音が聞こえた気がした。
一瞬の躊躇いの後、それでも体液を乗せて絡められる舌に酔わされ、どうしようもなく狂い始める。
これは恋なんかじゃない、好きだとか、そういう関係ではない、
ただの、いうなれば病気の治療みたいなものだと、そう自分を騙して、
グレンが与えてくる熱を受け入れる。
胸の苦しさは、なおも続いていたけれど。
それでも、逃げ場もなく、身体の中で渦巻いていた奔流が、彼の触れた個所から解放されていくような感覚に、
暮人は密かに安堵の吐息を漏らしていたのだった。





to be contined.





人間の性別に、男女以外の性差があると初めて知ったのは、本当に小学校高学年の、教科書上でのことだ。
人類の大半はβとしてひとくくりに扱われているものの、実際にはもっと他の人種がいること。
差別化の強くない日本ではあまり言及されることはないが、
エリート社会を牽引している優秀な彼らは、大半がαという人種で、事実上のβを支配しているのだと。
ただこれを聞けば、優秀な人間がαと呼ばれ、一般庶民がβ、という扱いをされているのだろうと、そういう認識を持ちそうになるが、
驚くべきことは、それはまさに自分たちが生まれた瞬間に、等しく持っているはずの性差なのだという。
頭脳明晰で優秀で、遺伝子的にも強い繁殖力を持つα。
一般庶民でしかないβ。
そして更に数は少ないが、Ωと呼ばれる、まさに繁殖に特化した稀有な存在。
馬鹿げたことだと思った。
生まれで既に差別が生まれるなど。
これでは、自分たちと同じではないか。
一瀬に生まれて、柊に虐げられる。これがどんなに足掻いても覆せない絶対のものだというなら、
そのために努力を重ねている自分はなんなのだろう?
生まれで何もかもが決まるなんて、真っ平だった。
だから、一瀬家の皆に自分がαと生まれたのだと告げられても、まったく納得がいかなかった。
結局αだとて踏みつけにされる立場の人間もいれば、
柊に生まれた、というだけでふんぞり返っている馬鹿共もいるのだ。
たった1人の個人の努力など、所詮、巨大の組織の中ではなんの意味も持たないのだと、
幼い頃から何度も何度も味わってきた。
だが。
同じ想いを抱いていた人間が、また1人、ここにもいたのだ。

「・・・暮人」

両手首をシーツに縫い止め、彼を見下ろす。
周囲に充満する甘ったるい匂い、それは明らかに目の前の男から発されるもので、
グレンはかすかに眉を潜める。
こんな存在、知らない。
グレンは今まで、Ωの人間をほとんど知らなかったから、
戸惑いを隠せずにいた。

「お前、すげぇ・・・エロいな」
「・・・・・・っ」

身にまとっていたシャツを前開きに拡げ、そうして胸元を解放する。
鍛え抜かれた鋼のような肉体、それでも存外に肌はなだらかで、触り心地がいい。
ましてや今は、熱に浮かされていたから、じんわりと滲む汗のせいで、触れた肌が吸い付くようだ。
はぁはぁと苦しげに何度も浅い息を繰り返す唇は、先ほどの深い口づけのせいで艶やかに濡れて男を誘っている。
普段は全くそうとは思えないような、近づきがたいほどの雰囲気を持つ男のはずなのに、
今では少しでも油断すれば、理性すら流されてしまいそうだ。

「俺が、とかいうな・・・。惑わされてるだけだ、お前も」
「・・・ああ、そうかも。そうかもしれない、な」

グレンは自分にそう言い聞かせ、何とか欲望に狂いそうになる己を抑えた。
胸元の、既にぷっくりと勃ち上がっている、濃い紅色のそれに吸い付きたい衝動に駆られながら、
暮人の下肢のボトムの前を開かせる。張り詰めた筋肉に覆われた尻に両手を這わせ、その感触を楽しみながら下着ごと両膝まで下ろしてしまう。
既に上気し、頬を赤く染めていた暮人が、更に羞恥を感じて耳まで真っ赤になっている。
ただ乱暴に扱われ、犯されるのに慣れた身体は、グレンの丁寧な扱いにひどく焦らされてしまう。
慰みモノのように、ただの性衝動を吐き出されるだけならここまで相手を意識することはなかっただろうに、
暮人もまた、強く唇を噛み締めて、男を求めてしまいそうになる己を必死に耐えた。

「見てないで、するなら、早くしろっ・・・」
「ああ・・・、わかってる」

ごくりと唾を呑み込みながら、グレンは既にはち切れんばかりに天を向いている彼の雄の証を掌に包み込む。
暮人はぎゅ、と目を瞑った。今までほとんどおざなりにしか扱われたことのないそれを、
グレンはまるでガラス細工を扱うかのように丁寧に触れてくる。
ゆるゆると亀頭の辺りを触れてきただけで、腰が持ちあがるほどに快感が走り抜ける。
それは、自分の掌で慰めていた時よりもはるかに強い快楽で、
暮人は一気に上り詰めてしまった。

「っく、あああ―――っ!!あっ、ああっ、っは、・・・っ」

どくどくと、グレンの掌に吐き出されるどろりとした液体。
けれど、濃度はそれほど濃くはない。きっと、Ωの発情期というものは、己が手で抜いたくらいでは
何の解消にもならないのだろう、と思う。べとりと濡れた砲身を指先で軽く拭ってやるだけで、再び暮人自身は熱を持って勃ち上がり始めた。確かにこれでは、まともな日常生活など送れないだろう。

「・・・ほんと辛そうだな」
「・・・・・・悪かったな。別にお前も、無理して俺に付き合う必要はないんだぞ」
「無理はしてねぇけど。・・・正直、抑えるほうがキツイ」
「ああ、」

その言葉に、暮人の瞳が羞恥と、そして諦めの色に滲んだ。
もはや、拒否することはできないのだろう。それだけ、彼は己の本能に翻弄されている。
だが、彼が柊家で生まれ落ちて一番不幸だったことは、きっと、彼が生まれ持ったその体質を、その瞬間から否定されたことだ。
表の顔では信者たちに羨望のまなざしを浴びながら、影では自身を否定し続けて生きていたのだと思うと、
ひどく哀しい存在に思えた。
だからグレンは、今だけでも彼自身を肯定してやりたいと思う。
相変わらず情欲に飢えた身体が、微かに震えている。
これから与えられる快楽に期待しているのだろうか。グレンは暮人のボトムから左足を引き抜き、そうして広げるようにして持ち上げた。
晒される中心部。暮人の雄の、その後ろに鎮座しているのは、既に濡れそぼってひくひくと開閉を繰り返している、
本来ならばただの排泄器官だったはずの場所。
だが、暮人にとっては違う。
排泄器官であると同時に、彼にとっては生殖器官であった。
男でありながら、子を孕むことのできる子宮を持つ希少種。それがΩだった。
きっと、これほど人間の減少した世の中では、より多くの子を産める、繁殖力の強い人間の存在は貴重だろうに。
だが、彼が求められたものは、真逆の生き方だった。禁欲を義務付けられ、厳格な上下社会の中で生きてこなければならなかった。
だが今だけはそれを忘れて、本来の彼を感じてみたいと思う。

「・・・すっげ、濡れてる」
「っあ、言う、なっ・・・」

つぷりと、先ほど散々精液で濡れた指を、押し込んだ。
秘湯の坩堝のように、そこはひどく熱く濡れ、蠢いている。指を埋めた箇所をじっと見つめて、グレンは興奮を隠せずにいた。
その箇所は、既に指を2本、3本と簡単に呑み込んでいく。抵抗などなかった。暮人は相変わらず熱い吐息を吐きながら、
羞恥に必死に耐えていたが、グレンに片足を抱えられたままでは、閉じることも不可能だ。
ましてや、グレンは彼の足の間にいるのだ。恥ずかしい部分を丸見えの恰好にさせられて、
暮人はいやいやと首を振るしかない。
グレンは、指を根元まで突きいれてしまうと、彼の柔軟な内部の壁をゆっくりとなぞっていった。

「っ・・・ん、あっ、あ、そこ、擦るな・・・っ!」

明らかに大きくなる喘ぎ声。
グレンは目の前の暮人の勃起した濃紅色の乳首を、長い舌でちろちろと舐めねぶってやりながら、
暮人の内部の、腹側の壁の部分を執拗に擦っていく。
すると、硬く張りつめていた暮人の雄が、再び吐き出しそうなほどにまで高められ、暮人は何度目かわからない射精の衝動に
眉根を寄せ、ぎゅ、と目をつぶる。
グレンの指先が刺激しているのは、彼が雄であることを証明する、前立腺だった。
こりこりとした感触のそこをひっかくように指を立てたり、更には円を描くようにして、その部分を何度もこすりあげれば、
耐えきれずに、暮人は再びシャワーを浴びたように精液をまき散らしていく。

「っひ、ひああ―――っ、あ、だ、だめだ、やめ、んんっ・・・!!!」

射精は止まらない。グレンの指がそこを擦る度に、どろどろと精液を垂れ流していく。
もちろん、それでも暮人の雄は収まらない。
綺麗にするように軽く手のひらで包み込んで拭った後、再び暮人の内部に侵入する。も、やめろ、死ぬ、耐えられない、と
快楽に浮かされた暮人は、彼とも思えないような弱気なことを口走っている。
だがもちろん、ここでやめれば、結局つらいのは暮人なのだ。
もう少し辛抱しろよ、と耳元で囁いて、今度はグレンは、前立腺とは反対側の腸壁を辿る。
Ωの体には、子宮があった。男性もまた、女性と同じようにそれで子を孕み、育て、そうして産み落とすのだ。
それをグレンは、ひどく神秘的だと思う。命を授かることができる身体は、大切に扱わなければならない、とそう教えられてきた。
案の定、内側の腸壁をなぞっていると、小さな口のような、かわいらしい入口に当たった。
初めて感じたそれに、グレンはごくりと息を飲んでしまう。
男の体にそんなものがついているなんて、今の今まで、信じられないとすら思っていた。
だが実際に、暮人の身体は、自分と圧倒的に違っていて。
キツく締り、自分の指先1本すら受け入れてくれないそれを、けれどグレンは指の腹でなぞる様に丁寧に愛撫を続けていく。
すると、暮人の乱れかたが、男のそれとは明らかに変わった。
びくびくと大きく揺れる身体、反射的に強引に閉じようとしてしまう足、それはまるで女の反応のようだ。

「・・・暮人、お前・・・」
「あ、ああ、だめだ、そこ、さわるなっ・・・」

声音はもはや涙声で、彼が激しく首を振るたび、汗か涙か判別のつかない水滴が舞う。
もはや閉じることを忘れた唇の端からは、溢れる唾液が筋を作っている。
だめだ、と言いながらも、暮人のそれは、明らかに快楽に狂わされている反応で、これで自分が止められるはずもない。
己の足を閉じようとする彼の内股を、少々強引に開かせて、指を深くまで押し込んでいるそこを見やると、
暮人の尻から溢れだした体液がべとりと染みを作っていた。たまらなくなり、乱暴に内部で指を動かしてやれば、
ぐぷぐぷと水が弾ける音。激しい抽挿のせいで、透明だった浸出液が、空気を含んで白濁に染まる。
暮人は既に意識が朦朧としているようだった。
壊れた機械のように、浅い吐息と、それに混じる甘い声音しか発していない。
溢れる唾液を舌で掬い取って、そのまま唇を重ねると、
暮人は自ら舌を絡め、激しくグレンを求めた。ねとりと絡まる舌、角度を変えようと顔を上げると、互いの間を濡れた糸が繋いでいく。
もはや、相手がだれかちゃんとわかっているのだろうか、と思うくらいに彼は抵抗がなかった。背に回される腕。暮人が求めているのだ。ぎゅ、とシャツを握り締め、背に爪を立てられる。
だがその反応は、ひどくかわいらしいと思った。
大の男が、こんな風に全力で縋りついてくることが。
少し、嬉しいと思ってしまうのはなぜだろう?

「・・・そろそろ、本気でヤっちまうけど・・・本当にいいんだな?」

最終確認で、グレンはそう問いかける。もちろん、自分だってこのまま止めるわけにはいかないが、
確認を取らずに犯すのは憚られた。
第一、今は避妊具なんて何もないのだ。まさかこの男の部屋で、こんなことになるとは思わないから、
当たり前だがポケットに忍ばせているようなものでもない。ましてや、自分はαで、相手はΩ。発情期とは文字通り発情期で、
Ωはこの時期にしか妊娠しないという。逆に言えば、今抱いてしまえば、下手をしたら孕ませてしまう可能性もある。
今になって暮人を抱くことを躊躇するグレンを、暮人は涙を貯めた茶褐色の瞳で睨みつけた。
何を、今更。
その危険をはらんでいるのをわかっていてなお、抱いてやるといったのではないのかと、
半ばあきれたような気持ちになった。
もちろん、こちらだって、本気で妊娠させられるつもりはない。
そのための発情抑制剤だった。己の性衝動の抑制と、そして万一間違いがあっても、最悪な事態には陥らないための薬。
だからきっと、大丈夫だ。
心の中で、薬の効果が薄れていることを理解していながらも、それでも暮人は不安を拭うように目の前の男にしがみつく。
全身に緊張が走った。グレンのはちきれんばかりの雄が、己の下肢にあてがわれていることに息を呑む。
胸が詰まりそうなほどに、苦しい。
暮人は身体を縮込ませるようにして、膝でグレンの腰を挟み込んだ。
グレンもまた、より一層濃厚になる男の色香に、どうしようもなく煽られてしまった。もはや制御できない欲望。
頭の中で何度も反芻する。
これは、愛や恋といった、生温い感情からくる行為ではないのだと。
ただの、性衝動の抑制のための行為。己の発情期との上手な付き合い方もわからないまま、
強引に薬で抑え込み、理解しようともしなかった彼を救うための行為なのだと。

「っああ―――!グレ、入って、・・・!」
「っ・・・暮人、お前の中、すんげぇ熱い・・・」

指で解した時には、あれほど濡れそぼり柔らかく弛緩しtはずのそれが、
侵入した異物をぎゅ、と包み込んだ。
それは暮人の無意識の反応で、グレンは唾を飲み込み、舌で乾いた唇を舐め濡らす。じわりと奥まで丁寧に侵入してったから、
グレンもまた、大粒の汗を額からこぼしている。吸いつくような内部、熱く蠢くそこの感触に、グレンは少し笑った。
腰を引いて、また最奥を貫く。グレンが己の根元を極限まで埋めてしまうと、まるでそれがパズルの最後のピースの一マスみたいに、
ぴっちりと収まった。腰を引くのもつらいくらい。
追いすがる様に絡みつく内部を感じながら、それでもグレンは己の欲望のままに腰を揺らす。
はじめは小さなストロークの抽挿から始まり、次第に大胆に最奥を抉るように。グレンの凶悪なほどの大きさの男根が、
暮人の内部を完全に塞いでいる。腰を打ち付けるたびに、暮人の身体が跳ねた。
前立腺めがけて抉られれば、もはや精液など残ってもいない暮人の砲身から、更なるどろどろとした液体が溢れてくる。
涙を零すそれに指を絡めしごきあげながら、グレンは更に足を広げさせて、結合部を露わにする。
ぐぷぐぷと、耳を犯すような音がひっきりなしに聞こえていた。
体液同士が絡み、泡を吹いて、突き入れる度に結合部から溢れてくる卑猥な光景。
グレンは己の理性の崩壊も近いことを自覚して、暮人の腰を両手で掴んだ。

「・・・っ、は、ああっ・・・グレン、も、やめ、っひ、やぁ―――!!!」
「暮人・・・っ、!」

名を読んでやれば、それだけで反応を示す内部を、さらにズン、と奥を貫けば。
もはや涙もよだれも止まらない暮人の雄から、再び白濁液がどろどろと溢れてきた。それを指に絡ませながら、
グレンは腰をさらに打ち付け、己の我慢の限界を感じ、不意に腰を強く引いた。一気に擦られる感覚に、暮人はますます嬌声を上げてしまったが、
そのままグレンは、ぎゅ、と己の亀頭球を握りしめ、そのまま暮人の腹に己の精をぶちまけた。

「っく―――、」
「っあ、ああ、グレっ・・・」

何度か断続的に溢れてくる濃厚なそれが、暮人の腹や胸元を汚していく。
精液まみれの暮人は、その普段の冷徹な表情など微塵もなくて、ただ、男に抱かれた後の、雌の顔だった。
意識を失ったように、瞳を閉じたまま浅い息を吐き続けている暮人を見やりながら、
グレンは秀でた彼の額にキスを落としてやる。
力の抜けた体を抱き締めると、弱々しくも自分に縋りついてくる男に、グレンは少しだけ笑って、彼の呼吸が整うまで静かに待ち続けていたのだった。








少しだけ、吐き気やふるえが収まった気がした。
下肢の熱も、先ほどよりは断然弱まっている。これだと、まだ薬さえ飲んでいれば、日常生活を送れるだろう。
先ほどまであまりのだるさでベッドに張り付いていたままの暮人は、漸く身を起こした。
まだ、頭がぐらぐらする。
思い出すのは、未だにグレンのあの獣のような飢えた表情で、
暮人はそれを忘れるように首を振った。
身体はいまだにドロドロで、うんざりするほど。しかもそれが、己と男の精液まみれだというのだからあまりに笑える話だ。
腰が痛くて、やはりまともに起き上がれなかった。
だがそれでも、暮人のプライドが許さない。
なんとか強引に立ち上がろうとすると、その時、グレンが室内にやってきた。
扉が開いたとたん、芳しい香りが部屋に漂ってくる。どうやらグレンが、自分のために紅茶を淹れてきたらしい。

「・・・他人の部屋を勝手にあさるな」
「まぁそういうなよ。今じゃ失われた、最高級のフォートナム&メイソンだぜ?まぁお前の台所から出てきた奴だけど」

カチリ、と音を立てて手渡されたそれは、崩壊前のイギリス王室でも御用達の、最高級紅茶ブランドである。
さすが高級というだけあって、アールグレイの香りにまったく雑味がない、上品で優雅な香りが暮人の鼻をくすぐる。
ストレートティーが一番良い、とグレンに話したことなどなかったと思うが、
偶然にも、暮人が一番好む状態で持ってきてくれていて、少し、感動した。
素直に受け取る。
いつ飲んでも、これは旨いと思う。ただ、今やあまりにも希少な存在ではあったが。

「・・・・・・なぁ、暮人」
「ん」

カップに口をつけながら、暮人は横目でグレンを見やった。
再びベッドに腰をかける男は、珍しく真面目で、殊勝な顔をしている。いつものグレンらしからぬそれに、
暮人はひどくくすぐったいと思う。
いつだって、彼とのやりとりは喧嘩腰で、思わず笑ってしまいたくなる程。
もう数年、彼とは付き合いがあるが、そういうところは、初めて会った15歳の頃と彼はあまり変わっておらず、
お互いそんな言葉遊びも楽しんでいる節がある、とは暮人の見解だ。
自分も、彼も、野心や目的、目標にとって必要なモノと必要でないモノを明確に線引きしていて、
そして無駄なものには、何の興味もわかないような人間だった。
必要ないとすら思っているのに、それでも、敢えてくだらないやりとりを繰り返してしまうのは、
そんな余裕の表情の合間に、少しでも互いの本音を探ろうと視線を光らせているためか。
とにかく、自分と彼は永遠に犬猿の仲のはずだった。
一瀬と柊、一生相容れない立場。
今後、本当に世界がひっくり返ってしまえば、そんな差などなんの意味もなくなってしまうだろうか?

「お前はさ、多分、自分を否定しすぎなんだよ」
「・・・・・・」
「物心ついたときから、周りに否定されすぎたのはわかるが、そろそろ、無理が来てるんじゃないのか」

グレンの言葉ももっともだ。
暮人は手元のティーカップに注がれたティーの水面に映る己の顔を見やり、それを無表情で見つめる。
昔は、もう少し感情があったかもしれない、と思う。
だが今は、もうまともに顔も動かせなかった。喜びも、怒りも、悲しみも、楽しいという感情も。
そのすべてを忘れた。柊家の中で、歯車として利用されるたびに。
己を偽り、完全無欠な当主候補の演技を続けるために。
暮人は肩を竦めた。
そう、もう、無理なのはわかっている。ガタが来ていることも。だが、それは、自分が気づかなければ、
きっと、あのまま洗脳され、己を犠牲にしてまで、柊に尽くしただろう。

「別に、それほど嫌だとは思っていない。今は」
「あ、なんだよそれ」
「こんなくだらない社会に振り回されていることに気付けたからな。もしかつての俺だったら、何の疑問も抱かずに、
 柊の大人どもの言われるままに自分を犠牲にしていただろう」

気付かせてくれたのは、一瀬グレン。
目の前の、一瀬のネズミだ。柊家に踏みつけにされ、文字通り頭を踏まれ、屈辱に耐え、今の今まで生きてきた。
彼と同じ感情を己が抱いていると感じたのは、いったいいつだったか。
だが、世界は残酷だった。
2人は、その立場の違いから、親しい友人のように簡単に距離を近づけることはできなかった。
けれど。

「自分がこんな立場だからこそ、柊という張りぼてだけの腐った組織の真実を見ることができた。
 それには感謝してるよ。あいつらは社会のガンみたいなものだ。俺は柊家を潰し、もっと自由に生きられる、新たな世界を作る」
「はは、社会のガン、か。そりゃいい」

グレンも笑って、彼もまた、己の手の中のアールグレイを口づける。
帝鬼軍、柊家、吸血鬼。敵はたくさんいた。己の中の本能にも、また戦いを強いられることもあるだろう。
だが、今度こそ、二度と、生まれで差別されない世界を作る。
そのために、今まで血を吐く思いで屈辱に耐えてきたのだ。

「まぁまた、苦しくなった時は、俺に言えよ。なんとかしてやるから」
「結局、欲望に負けて心行くまで俺を犯しまくっておいて、なんとかしてやる、とは・・・態度がでかいにもほどがあるな」
「ああ?お前こそさんざん善がっといて、なに偉そうなこと言ってんだよ。また啼かせてやろうか」
「やれるもんならやってみろ」

互いの視線を絡めて、火花を散らす。だが、互いの表情はあまりに緩い。
気怠い空気。ほっと一息ついたら、また眠くなった。
もちろん、そう長い間寝過ごしていくわかにもいかない。既に早朝で、カーテンの先では朝の日の光が微かに差し込んでいる。

「・・・シャワーを浴びて、着替えたら書類を確認する。だから机に置いておけ」
「あ、あー・・・それな」
「なんだ」
「いや、実は、今日に間に合わないからなんとか締め切り伸ばせ、って言いに来たんだよな・・・」

真顔だったグレンの視線が、慌てたように泳ぐのを確認して、暮人はひくりと震えるこめかみを抑えきれなかった。

「貴様・・・締め切りは絶対に破るなと言っているだろう!」
「うるせーな!量が多すぎんだよ無茶ぶり柊様が!
 そもそもなんで俺の管轄じゃない報告書まで書かなきゃなんねーんだよ!お前馬鹿だろ」
「五月蠅い、頭が割れそうだ・・・」

はぁ、とため息。
この男のふざけた仕事っぷりには呆れたものだが、
それでも、彼ほど能力の高い人間などいなかったから、そばに置いておきたいと思ってしまうのだ。
我ながら、ひどく依存しているとは思うが、もう、今更だった。

「絶対に今日中に作ってこい。何度も言ってるが、俺は暇じゃないんだよ」
「寝込む時間はあるのにな?」
「無駄口叩くならつまみ出すぞ」
「はは」

肩をすくめて立ち上がる男に、もう一度ため息。
けれど、彼のおかげで、漸く本調子に戻れたのもまた事実。
もう少し眠っていたい気持ちをなんとかベッドから引きはがして、
暮人は情事の熱を洗い落とすべく、シャワー室へと向かったのだった。





end.





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お読みいただきありがとうございました!
マイ設定オメガバースですみません。








Update:2015/11/22/SUN by BLUE

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