命を賭しても。前編



吸血鬼殲滅部隊『月鬼ノ組』の生体実験施設。
その中でも、高度呪術研究所は、地下深くの、暗く冷たい場所に存在していた。
殲滅部隊の、その中でも一握りしか存在を知らないその施設は、
だが今、ひどく重い空気に包まれていて、
軽い足取りで研究所に足を踏み入れた深夜は、その気配に顔を顰めた。

「・・・グレンは?」

肝心の、主の姿がいないことを問われ、
数えるほどしかいない、既に見知った顔の白衣の研究員たちは、
そろって首を振る。その表情はひどく不安げで、
深夜もまた、自分の予想が当たっていることを知る。

ここ1週間以上、深夜はグレンの姿を見ていなかった。
何かと忙しい彼のことだ、軍の執務室にいないことは大した問題ではなかったが、
それでも、彼の自室に足茂く通う自分が、
何かの任務がある時以外で1週間顔を合わせないことはなかったのだ。
だから、ここへ来た。
ましてや、明日には、軍の定例幹部会議も控えている。
いくら不真面目、忠誠心皆無、を体現している彼でも、さすがにすっぽかすわけにはいかないだろう。
なんとか面会を頼めないか、と粘っていると、
しばらくして、彼の従者である雪見時雨が顔を出した。
基本的に無表情なのは相変わらずだ。
というより、彼女が自分に大して非常に冷たいのは(8年前から)いつものことなので、
勿論深夜は気にしない。
彼女は無言で深夜を研究所の奥へと案内した。
立入禁止の文字と、分厚い扉。そこを抜けると、片手で掴めない程に太く頑丈な鉄格子。そこには
一目でわかる拘束呪や起爆呪、封印呪などが折り重なるようにかけられていて、更に幾重にも結界が張られている。
中はもはや、どうなっているかすらわからない。
明かりがついているにも関わらず、中はひどく暗く、そして床は鬼の毒で真っ黒に染まっていた。
胸が締め付けられるような強い圧迫感と、己の中の、最上ランクの黒鬼ですら怯える気配。
確信はあったが、敢えて深夜は口を開いた。

「・・・中にいるの?」
「もう、既に10日間になります」

淡々とした声音の中に、微かな動揺。
今の時代、ほぼ確立したと言っていい『鬼呪』の研究は、基本的に量産型『鬼呪』の性能を上げることに特化していて、
個人のパワーの限界に関しては差止めと言っていい。
そもそも、個人で持てる力には限界があるし、最高レベルの黒鬼を扱える人間自体が
本当に一握りなのだ。
大半が、吸血鬼に比べれば圧倒的に力の劣る人間を率いるのに、個人プレーの必要性はほぼない。
となれば、個人よりは全体の能力値を高めるほうが効率的だろう。
だが、ここで研究されているのはほぼまったく意味のない、鬼呪の限界―――すなわち鬼自身の本来の力をそのまま表に出す、という
愚かしい内容のものばかりだった。
無論、公認ではない。
一瀬グレンがひた隠しにしている禁忌の研究はいくつもあったが、
その中でもこれは一番リスクの高い研究だった。
なにせ、実験台になれるのは彼自身しかいないのだから。

「・・・まったく、我ながら、馬鹿なことしてるなぁって思うよ・・・」

深夜は呆れたように小さくぼやいた。その表情には、微かな自嘲と、必ず連れ戻すという強い決意、だが
残りの大半は緊張と恐怖に彩られている。
中にいるのは、おそらくグレンではない。鬼だ。
彼自身が同化してしまった、『ノ夜』とかいう名前の鬼。ましてや、更に『真昼』まで出てきていたら、目も当てられない事態だ。
それでも、深夜は鍵を受け取ると、重い鉄格子を開けた。
時雨が、一礼して引き下がる。背にした重い扉がギィ、と音を立てて閉じられ、そこは完全に二人きり。
中で何があろうとも、誰にも知られることのない、閉じられた世界。
深夜は、もう1歩、慎重に中に足を踏み入れた。

「・・・グレン」

本当は、自分などの力では、暴走する彼を止められないのはわかっている。
そもそも、近接戦は得意とするところではないのだ。いくつか、防御用の幻術を準備してきたが、
彼相手では、致命傷を何度か避けられるくらいが関の山だろう。
ましてや、理性を失った彼相手では。
戦って力で制することなど、出来るはずもなかった。鬼の力は、上位の黒鬼ともなれば吸血鬼に負けるとも劣らないものなのだ。
下手を打てば、一瞬で殺される。
そう、一瞬で。
背筋が震え、冷やりとした汗が滲み出ていた。全身の細胞が総毛立ち、恐怖を感じているのがわかる。
1歩。あと1歩。
黒い影を、硬い軍靴で踏み締める。
瞬間、

「―――っ」

息が、詰まった。
呼吸が止まるほどの、衝撃。黒い刀身が、頬を霞め、血が溢れる。
それこそ、風も感じない。空気が震え、自分のほうに伝わるよりも早いスピードで、
男は目前に迫っていた。幻術を発動させる暇もない。
男の瞳の色は真っ赤に染まっていて、ひどく妖しげに写る。
刀を突きつけたまま、彼は自分を見、軽く目を細めて、

「・・・なんだ、お前か」

そう言った。
いつもより幾分低い声音。
背筋が凍る。これは、根源的な恐怖だ。目の前の男から放たれる、明らかな殺意、
目の前の人間を殺したいと思う欲望。それがひどくはっきりと感じられて、
間近に迫る死に、恐怖する。
それでも、

「・・・『ノ夜』か?」

問いかけると、目の前の彼は面白そうに顔を歪ませ、愉しげに口を開いた。

「違うよ。俺だ、グレンだ」
「嘘をつくな」

睨みつける。目の前の男は、姿も顔形も、見知った男のそれと同じはずなのに
まったく似つかわしくない笑みを浮かべている。
それは、傍から見ればほとんど見分けがつかないくらいの、微かな違いだったが、
自分にはわかる。9年間、ずっと彼を見てきたのだから。

「僕を騙そうとしても無駄だよ。
 ・・・いい加減、グレンを返せ。遊びの時間は終わりだ。さもないと・・・」
「さもないと?」

深夜は呪符を取り出す。鬼を封じるための呪術。鬼呪だ。
数年前、グレンと真昼が命がけで完成させた、鬼が最も嫌う拘束呪。当時はあれほど大がかりな手順を踏まねば封じられなかった鬼も、
今では2、3の手順を踏むだけで完全に拘束させることができるようになっていた。

「力づくで、お前を封じてやる」
「っは、お前のその実力で、俺に勝てると思ってんのか?」

グレンと同じ顔に、グレンと同じ口調。
声音も全く変わるところがない、グレンのそれと同じで、いちいち癪に障る。
だが、その中身が鬼なのは確定的だった。
挑発するように笑う口の端から覗く2本の牙。黒く伸びた角。長い爪が伸びてきて、
あっという間に喉元を掴まれる。
油断、していたわけではない。
圧倒的だった。手にした呪符を使う余裕すらない。軽々と持ち上げられ、足が地面から離れる。
凄まじい力で喉を引き絞られ、一瞬、意識が飛びかけた。今の彼なら、ものの数秒で、自分を殺すことができるだろう。
それは事実だった。
きっと、相手が完全に鬼ならば、次の瞬間に殺される。
だが、深夜はなんとか笑みを作ると、下から面白そうに自分を見やる男を見つめた。

「・・・殺せないよ、君には」
「何故?」
「グレンが望んでない」
「うぬぼれるなよ、人間。俺はお前なんか何とも思っちゃいない。邪魔立てするなら・・・」

と、そこで足元に違和感を感じ、男は床を見やった。
元々、この部屋は鬼の暴走を抑えるための手段がいくつも準備されている。
彼が踏み込んだ陣の中央には、容赦なく足首に絡み付く何本もの鎖と、そして呪符。
普段のグレンならば、こんな致命的な罠にはハマらない。だが、
今の相手は『鬼』だった。力技で引き千切ろうとするが、もう遅い。その隙をついて、

「っ・・・」

額に、呪符を押し付けた。少しだけ腕の力が弱まり、深夜はなんとか宙吊りの状態から逃れたが
それでも圧迫されたままの気道は緩まない。
鬼は凄まじい形相で自分を睨み付けてきた。勿論、グレンの顔で。それに深夜は
思わず笑いそうになる。

「消えろ、鬼」
「・・・死ぬのは、お前だ」
「ぐぅっ―――」

だが次の瞬間、首筋に激痛が走った。
呪符で拘束され、ほとんど身動きが取れない状況だというのに、
鬼は深夜の首筋に噛みついていた。一番太い動脈に深く牙を立てられ、溢れる真っ赤な血の色が、
グレンの口元を汚す。ただでさえ意識が霞む程の息苦しさと、急速に失われる血に、
指先が震えた。全身から血の気が引いていく感覚に、
深夜は必死に歯を食いしばった。

「はは・・・今度こそ、ホント死ぬかも・・・」

小さくぼやいて、目を閉じる。迷っている暇はなかった。
右手で、腰のベルトに仕込んでいた銀製の杭を逆手に持ち、深夜は一気に男の背に突き立てた。

「く、そっ・・・よくも・・・」
「・・・重傷なのは、お互い様・・・ってね」

急速に鬼の気配が失われていき、漸く鬼の手から逃れた深夜は、
そのまま目の前の男の背に両手を回し、抱きしめた。
強がっていたが、自分のほうこそ既に限界で、立ち尽くしたままのグレンにしがみ付く。
吸われた血の量が多すぎて、眩暈すら覚えた。傷自体はすぐに塞がったが、
それでも立っていられずに、そのままずるりと下に膝をつこうとして

「っ、」

不意に、腰をぐっと支えられ、

「・・・深夜」
「遅いよ。皆、・・・どれだけ心配して・・・」

皆まで言うことができずに、崩れ落ちる。グレンは深夜を抱え、医務室へ運ぼうとしたが、
その時己の背に深々と刺さっている呪術用の杭に気づき、顔を顰めた。
今になって、漸く痛みを覚える。傷はすぐに塞がるとはいえ、その杭は正確に心臓まで達していて
グレンは苦笑する。今までの『人間』の常識では、致命傷のはずの傷も、
今の自分には大した傷ではない。

「くそ。痛ぇな」
「感謝してよね。ていうか、僕のほうが、そろそろ限界なんだけど・・・」

今にも意識を失いそうな深夜の身体を、グレンは部屋の奥の簡易ベッドに連れて行き、横たえた。
正直、自分も疲れていた。長期に渡る精神疲労で、他人と顔を合わせるのも面倒だったし、
彼自身、まだ自分の中で、状況が整理できていないからだ。
不意に、口元が血だらけなことに気づいた。
あれだけ暴走していたにも関わらず、自分の身体はひどく力に満ちていて、
その理由が、目の前の男の血を吸っていたからだと理解する。

「すまなかった」
「ほんとだよ。今回はマジで、死ぬかと思った。
 あの勢いだと絶対、僕干からびてたね。いい加減、気づいてくれてもいいんじゃないの?」

少しの非難を込めてそういうと、
しかしグレンは目を細めて、きつく締められ、傷ついた首筋や、
くっきりと残った自分の鬼の牙の痕をなぞる。
深夜はくすぐったそうに身を竦めた。
それでなくとも、10日間、身体の関係はオアズケになってしまっていたのだ。
彼の愛撫に慣れた身体が、彼の指先に反応しないはずもなく、
あまり欲情する場面でもないはずなのだが、少しだけ下半身が反応してしまう。
気づかれたくなくて、深夜は少しだけ身を捩った。

「・・・中にいると、外の時間の経過はわからないんだよ」
「にしても長すぎでしょ」

苦笑する。漸く理性を取り戻したグレンの背に腕を回し、呪言の刻まれた杭に手をかける。
いくら人間の姿に戻ったところで、ただの鬼呪持ちとは違い、
彼の身体は既に鬼と同化しかけているのだ。長く身体に取り込んでいれば害になるだけだった。

「・・・今すぐ、解呪するから。動かないで」

片手は杭に手をかけ、もう片方には止血用の呪符。ぶつぶつと言霊を呟く深夜を、
グレンは無言で見下ろす。
本当に、下手をしたら殺されていたかもしれないというのに、
わざわざ自分を止めに来た、馬鹿な男を見つめて、

「・・・・・・」

衝動的に、唇を重ねた。
深夜は目を見開いたが、幸い、解呪の言霊は言い終えていたから
後は、普通に杭を引き抜くだけだ。歯列を舐めるようにして割り、隙間から舌を絡め取られ、
ただでさえ意識がはっきりしていないのに、更なる熱に冒される。
ぐっと力を入れて、一気に杭を抜いてやると、
グレンの身体が苦痛に耐えるように一瞬だけ震えた。
穴の開いた心臓からどくどくと溢れ出る血を、呪符で止血する。
そんな簡単な処置だけで、あれだけの致命傷が半日としないうちに回復してしまうのは、
驚異に他ならなかった。

「あー・・・すっげー、血の味」
「自分の血だろ」

グレンの口内には、今だに先ほど吸っていた自分の血の味が残っていて、
深夜は顔を顰めた。
自分の首筋から貪るように血を吸っていた時の彼の瞳はかなり狂気じみていたから、
それを思い出し、深夜は今更ながら恐怖を覚える。

「もう、血ィ吸われるのだけは、勘弁して欲しいなぁ」
「そうか?その割には、結構気持ち良さそうだったけどな?」
「は?なにそれ」

唇を尖らせて文句を言ってみるが、
深夜自身、思い当たる節がないわけではなかったから、
指摘された瞬間、頭に血が上ってしまった。
あの時感じたのは、背筋が震え、頭が真っ白になるような浮遊感。
そしてそれは、思い出せば思い出すほど、セックスの時にイきたくなる時のあの感覚で、

「・・・見てたわけ?」
「見てたというより、思い出せるってやつかもな。
 記憶は共有してるんだ、有り得ない話じゃないだろ?」
「最悪」

吐き捨てて、深夜はベッドの端に座るグレンに背を向け、
申し訳程度にあった、カビだらけの薄い毛布をかぶってしまった。
背から、はは、と笑い声が聞こえてくる。
一体、誰の為にこんなにボロボロになっているのか、本当にこいつはわかっているのだろうか。

「あんまり人をからかってると・・・」
「うん?」
「今度またグレンが呑まれていても、絶対助けてやんないから」
「へー」

おもしろそうな声音と、するりと背中のあたりのシャツの合わせ目から侵入する掌。
悔しいことに、深夜の身体はひくりと反応した。
それは、先ほどのように恐怖心からではない。純粋に官能を煽られ、
性的な欲望を刺激された故だ。
漸く息苦しさもなくなり、身体のだるさも、少しの疲労感程度になったばかりだというのに、
いや、それとも、だからこそ、だろうか?
グレンが欲しい。その感情が自分にあるのは、今では間違いようのない事実だった。
それでなくとも、ここ10日、オアズケだったのだ。
しかも、あれほどの鬼との同化を見せつけられて、
今度こそ本気でグレンの意識が食いつぶされるのではないかと思うだけで、
また別の恐怖心が沸き上がっていた。
己に迫る死の恐怖ではない、大切なものを失う恐怖。
それが漸く安堵に変わったのだ。やはり、ここは欲情してしまっても、仕方のない状況だろう。

「グレン・・・」
「どうした?」

有り得ないくらいに甘い声音。
それだけで、自分の中の全てが壊れてしまう。
冷静な判断力や、理性、自制心など、人間を人間足らしめる全てが、
ガラガラと崩れ落ちる感覚。
本当に、自分の中の鬼が、黒鬼の中でも破壊衝動が強いタイプでなくてよかったと思う。
暮人やグレンのような強い自制心が必要な鬼なんか抱え込んだら、
すぐに自分は呑み込まれてしまっただろうから。
深夜は、かつて高校生だった頃の自分を思い出し、少しだけ自嘲した。
理想も、野心も、欲望も、まともな強い感情など何もなかった頃の自分が、
今ではこれほど求めているものがあるという事実に。

「戻って来てくれて、よかった。・・・本気でいなくなってしまったら、僕は」
「寂しくて生きていけません、って?」
「・・・馬鹿」

背後から、首筋に口づけられ、肌が総毛立つ様。
先程、同じ姿の鬼に強引に牙を立てられた場所に、ひどく優しく、濡れた感触が触れる。
我慢できるはずもなかった。

「お前が僕をこんなにしたんだ。・・・責任取ってよね」
「あー、はいはい」

まるで気乗りしない口調に、睨み付けるように背を振り向くと、
存外に真面目な表情が自分を覗き込んできて、一気に頬に血が上る。
今度こそ、男の背中にしがみつくようにきつく抱きしめてくる深夜に、
グレンもまた、情動的な欲望の名残に身を委ねたのだった。





to be contined...










深夜様が血を吸われるシーンを書きたかったんです!!(自爆)

そういえば、4巻のグレン様はマジで心臓ぶっ刺されましたね。
ていうか、あの位置で、心臓じゃないほうがおかしい。
でも平気で数日後にはぴんぴんしてるんだから、鬼呪ってすごいなぁ。
でも、最近の展開で、ネタバレになったらすみませんが、月鬼ノ組の、致命傷で死んだ男の子君も
左胸押さえてますけど、あれ脇腹ですよね・・・。
やはり、黒鬼と他の鬼では、回復力もレベルが違うのか・・・。
ちなみに、小説では、プロトタイプ鬼呪のくせに、五士の鼻が折れた瞬間回復してたらしいけど。
あの辺もちょっと、性能しっかり分けて欲しいぜ・・・

続きは、一応書く予定〜えろだけどw






Update:2015/03/22/SUN by BLUE

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