言葉に溺れて



新宿にある、日本帝鬼軍の官舎の内部は、
一度世界が崩壊したとは思えない程、豪奢な設備が整っていた。
というのも、そもそもここは、崩壊前は曲がりなりにも日本の中心、東京都庁だった建物である。
確かに、1年前までは吸血鬼に奪われていて、略奪の限りを尽くされた街ではあったが
それでも戦火の中心であったわけではない。建物は比較的無事に残されていたし、
人の手が離れていたのもそう長い間ではなかった。
だからこそ、帝鬼軍は、都庁をそのまま軍官舎として改装、利用することに決めたのだ。
その中の、特に上層階。
軍幹部の中でも更に上、将官以上の立場の者が利用する階の1室で、
柊深夜は熱い湯に打たれていた。
執務室ではない。執務室は宿舎の更に上層階に集中しており、
更にその上の階では軍幹部の会議が行われる、ワンフロアの部屋がある。
深夜がいるのは、柊に与えられた宿舎だった。
無駄に広い室内、どこかの課の事務室をそのまま改装したかのような、一間続きのLDK、
隣にはこれまた無駄に広い寝室と、キングサイズのベッド。
その部屋に置かれている設備は、柊に名を連ねる者だからこそ利用できる、
ひどく贅沢な作りのものばかりで、
けれど深夜はこの自室を、実はほとんど使ったことがなかった。
というのも、普段使用している執務室(あまり仕事を真面目にするタイプではないとはいえ)にも
かなりまともなシャワー室と仮眠用のベッドが設えられていたし、
何より、新宿で暇が出来た夜があれば必ずと言っていいほど、懇意である男の部屋に押しかけているからである。
しかし今回、なぜ自室のシャワー室に篭っているかといえば、
今日はここ数週間、茨城方面に遠征に出ていた男が漸く戻ってくる予定の日で、
半ば強引に、逢瀬の約束を取り付けていたからである。

(・・・グレン)

約束の時間まで、あと1時間を切っている。
こうして無心に湯を被っていると、いろいろな事を考えてしまう。
これから逢う男のこと。この逢瀬の約束は、実は直接交わしたものではなく、
上官からの呼び出し、という形で彼にしか読めない書面で伝達したものだったから
正直、あのグレンは素直に待ち合わせ場所に来てくれるかは五分五分だ。
書面を読んだときのグレンの嫌そうな表情が容易に想像できて、
深夜は一人で声を上げて笑ってしまう。
これだけ深い付き合いを続けているくせに、他人の前では「仲が良くない」と言い張る
姿が非常に可愛らしかった。
背負って来たものが重すぎたせいか、
強情で意地っ張りで、素直になれなくて、それでいて
仲間は勿論、目の前の人間の命すら簡単には切り捨てられない、優しい人間。
その致命的なほどの甘さは、しかし、柊という狂った人間達の中で
生きてきた自分にはひどく輝いて見えたのた。
絶望的な環境の中で、どれほど虐げられていても輝きを失わなかった彼に、
真昼が惹かれたのも道理だっただろう。
そんな彼に、今から逢うのだ。
きっと、また面倒臭そうな顔で、遠征帰りで疲れてるんだ、とか
そっけなさそうな態度で、それでも彼は自分の望み通りに待ち合わせ場所に足を運んでくれるだろう。
そして、気乗りしなそうな表情を崩さないまま、自分を抱くのだ。
文句を言いながらも、腕を伸ばし、腰を掴んで引き寄せ、そして間近で視線を絡めて。
求めるように強く唇を押し付ければ、満更でもなさそうに舌を絡めてくる。
そうして抱き寄せられると、互いの下肢の熱を感じるのだ。
身長も体格も同じだから、軍服越しでも、相手がどのくらい欲情しているのかわかるし、
自分がどれほど興奮を覚えているのか、嫌でも彼に伝わってしまう。
そうして、キスで乱れた吐息と、早鐘を打つような心臓の鼓動を、
はは、とあの声音で笑われるのだ。
ひどく恥ずかしい瞬間だけれども、それでも耳に吹き込まれる彼の声音は心地よくて、
身体は更に疼く。背筋がぞくりと震え、ぎゅ、と目の前の男にしがみ付かなければ身体を保てない程。
こういった即物的な欲望は、体内に鬼を飼ってから急激に激しくなったように思う。
勿論、今の鬼呪の技術はほぼ完全に鬼を制御できているから、
グレンのように無茶な拘束の緩め方をしなければ
欲望に引き摺られ、乗っ取られて暴走するようなことは有り得ない。
けれど、一度欲しいと思ったら、彼を求めなければ収まらない程度には、
深夜は己の欲望を自覚していた。
だから、目を閉じた瞼の裏に、自分を小馬鹿にしたように見下ろす彼が映った瞬間、

「・・・っは、」

深夜は、無意識に己の下肢に指を絡め、熱を持ったそれを慰めずにはいられなかった。
理性では、わかっている。
今すぐに彼に会いに行けば、自分で慰めるよりも何倍も深い快楽が得られるはずだというのに、
既に己を抑える術がない。目を閉じたまま、彼の掌を思い出す。あの、大きな手で包み込まれる瞬間は
何事にも代えがたい快感だ。壁に額を押し付けて、彼の姿を脳裏に描きながら掌の腹で先端を包み込む。
シャワーの湯で既に濡れたそれは、すぐに反応を露わにして硬く芯を持つ。
逸る気持ちを抑え、熱い吐息を吐きながらゆっくりと砲身を先端に向かって扱いていくと、
ぐちゅぐちゅと卑猥な音が響いてきた。
たまらない。
先端も早く解放されたいと訴えているが、それよりも身体の奥が。
直接的な鋭い刺激と共に、彼のあの鉄串のような熱塊に貫かれる圧迫感は、
息が出来ない程苦しくてたまらないのに、それ以上の重く深い快楽を与えてくれるのだ。
早く。
早く、逢いたい。
と、そこまで思考を暴走させながら、深夜は馬鹿な話だと自分を嘲笑った。

「っ・・・、っは、んっ・・・、あ、」

下肢を捕える掌の動きが、激しくなる。
片手では物足りず、肩で身体を支え、壁にもたれるようにして、両手で自身を包み込む。
誰にも見られていないのをいいことに、上気させた頬で、口づけた時に舌を絡めるように唾液を舌に乗せ、
喘ぐ。声も抑える必要はなかった。シャワーの音が掻き消してくれるし、
何より目の前にあの男はいないから。
こんな乱れた自分を見られて、それをからかいのネタにされることもない。
いつもはどうしても唇を噛み締めて声を殺したくなってしまう分、
今なら遠慮なく漏れるままに声を上げることができた。
もうすっかり勃ち上がった前は右手に任せ、熱く息づいてたまらない後ろの秘孔にも触れる。
背に流れる湯の助けもあって、簡単に中指と薬指の侵入を許してしまう。
最奥には触れられないが、それでも入口が広げられると、背徳的な、堕落した行為をしている気分になる。
本当に、このご時世に同性に溺れて自分は何をやっているのか。
それでも、理性を失った身体は解放を求め、無意識に腰が揺れる。両手でがちりと腰を支え、
乱暴ともいえる手つきで自分の奥を求める男の気配はひどく心地よかった。
規則的なリズム、単調な動き、耳の裏を舐めてくるのは、必ず左。右手で肩を支え、左手で前を包み込んで、
そうして顎を上向かせてキス。今でこそ手慣れたものだが、最初はひどくぎこちなくて、
というより自分の劣情に忠実になること自体慣れてなかったあの頃の彼。
だからといって、自分だって抱かれ慣れているわけでもないし、というより当時は童貞だったし、
16歳にして先を越されてしまった自分はどうなのよ、という感じではあったのだが。
まぁ、そんなことは今はどうでもいい。
ただ言えることは、
自分は彼に溺れている。精神的にも、肉体的にも、すべてだ。
自信家で、不敵に笑うその表情も、自分がからかうとすぐに不貞腐れたように向けてくるきつい視線も、
仲間を失った時や他人の苦しみに共感し表情に出すまいと耐える姿も、ふと見せる無防備で優しげな目つきも、
その全てを傍で見ていたいと思う。
叶わない望みであることはわかっているけれども。
出来るだけ彼と共有した時間を欲しているからこそ、こうして足繁く通っているのだ。
まぁ、すべて自分の身勝手である。
彼は本気で自分が欲しいと、愛しているなどと血迷ったことを自分に向けて言ったことはなかったし、
深夜もまた、それを望んでいるわけではなかった。
こうして傍にいられるだけで十分だった。
むしろ、

(・・・真顔でそんなこと言うグレンのほうが、)

気持ち悪いよね、と。
荒い息のなか、グレンのしかめっ面を思い出して、笑う。
そうだ。
今日、後で逢ったら、抱き合って、キスして、それから言ってやろう。
たまには愛の言葉を囁け、と。
そしたらグレンはどんな顔をするだろう?
なんでそんなことを言う必要がある、だとか、お前と付き合ってるつもりはない、だとか、
言い訳するだろうか。
でも、そんなことを言いながらも、きっと彼は自分の身体を求めてくるだろう。
考えるだけで、ぞくぞくした。
左耳に熱い吐息が吹きかけられ、幻聴が聞こえる。深夜、と声にならない声音が聞こえてきて、
文字通り腰が砕けた。膝が震え、体勢を崩しながらも、右手の中に溢れる精。
ぎゅ、と締め付けられる後孔の指。頬は涙なのか、シャワーの湯なのかすらわからない熱い雫で濡れている。
手の中に吐き出した己の白濁を見ながら、少しだけ冷静になる。
この平穏が、ひどく脆くて、まるで薄氷の上に立っているようだと深夜は思う。
留まることを知らない、吸血鬼との戦闘。
世界が崩壊して、早くも3年。
一体、この見せかけの平穏はどのくらい続くのか―――一瞬だけ鬱々とした感情に捉われかけた深夜は、
軽く首を振って浴室を後にした。










***





新宿、日本帝鬼軍の官舎の45階。
そこは、かつて東京都の都庁だった頃、展望台だった場所だ。
一瀬グレンは、その窓際で崩壊した東京を見下ろしていた。
学生時代、渋谷には住んでいたが、その時は観光などまったく興味がなかったから足を運ぶことはなかった。
だが、今こうして東京を見下ろしてみると、当時は非常に美しかったことがうかがえる。
・・・もちろん、今はまったくといっていいほど、何も見えない。
辛うじて明かりがついているのは、渋谷と、池袋にある帝鬼軍の施設だけ。
そもそも、今は深夜12時をとっくに回っていて、当たり前だが、明かりは都庁の最上階についている、
夜間は必ずついている電灯のみである。
室内も電気はついていなかった。かつては展望台でも、今は悠長に東京を見学しようという人間などいない。
だからここは常時閉鎖されていた。
というより、26階から上は、基本的に誰もが気軽に立ち入れる階ではなく、
上層部からの呼び出しのため、特別に許可が降りた場合と、40階で行われる幹部会議のためだけしか解放されていない、
柊家と、その忠実な従家出身の幹部たちだけの特別な階だ。
だというのに、グレンが今、この45階に来ている理由は、

「・・・遅ぇ」
「ごめんごめん」

予定の時間より遅れてやってきた深夜に、グレンはあからさまに舌打ちした。
汚れひとつない軍服と、まだ乾ききっていないであろう、濡れたような艶のある髪。
身を清めてきたのだろうと、あからさまにわかる。
肩を竦めて謝る深夜に目を細める。
無論、こちらだってこんなところへの呼び出しというから、時間がないながら、それなりに
身支度は整えてきたのだが。

「・・・遠征帰りで疲れてるんだが」
「うん。知ってる」

そりゃ知ってるだろう。
相変わらずの軽い口調で相対する深夜を睨み付ける。
軽い違和感。数週間ぶりの逢瀬、彼がこんなに余裕のある態度を取るのは珍しい。
それどころか、逢いたいから来て、という文面上、
彼の目的は1つしかないはずで。

「・・・別に用事がないなら、帰っていいか?」
「帰れないのはグレンじゃないの?」
「はぁ?」

深夜は展望室の入口に鍵をかけ、ふらりとグレンに歩み寄る。
窓際の、本来ならば夜景が美しく見えるはずの場所に同じように立ち、そして笑みを浮かべる。
よく見ると、グレンの髪も艶やかな黒髪で、月光によく映える。
そういえば今日は満月で、天気もいい。世界が崩壊してしまってから、天気もまともじゃない日々が続いていたから、
こんな晴天は珍しい。
深夜はまたくすりと笑う。怪訝そうな顔で、更に眉間に皺を寄せるグレン。

「洗い立てのシャンプーの香りがするよ。・・・グレン、シャワー浴びてきた?」
「そりゃ、遠征帰りで砂みどろだったしなぁ。
 自惚れんなよ。別に、お前と逢うからってわけじゃない」
「僕はちゃーんと身を清めてきたけどね〜」
「あーそ、」

いつもの冗談めかしのキャラクターは健在だ。
遠征帰りで疲れ切っているところに、この男の相手は正直ごめん被りたかったのだが、
それでも、心の奥底では、数週間抱いていなかった男への欲望が確かにある。
だから、彼の誘いに釣られてここまで来たのだ。
本当は、こんな面倒くさい言葉のやり取りよりも、早く身体を繋げてしまいたかった。

「じゃ、へらへらつまんねぇ言葉言う必要ねぇだろ。」
「っ、」

腕が、伸ばされる。
深夜は笑った。予想通り。グレンは性急で、自分とのくだらない会話を楽しむことはしない。
だがそれでも、腰を抱く男の腕は強い。それに満足する。
間近に迫るアメジストの瞳。宝石のように深い色が、きらりと鋭い光を放つ。
どちらからともなく、唇が重なる。すぐに舌先が絡み、互いの体液を共有し合う。流し込まれるそれを恍惚とした表情のまま嚥下して、
更に深いキスを求める。すぐに呼吸が乱れ、膝が震えだした。
もう自力で立っているというより、ほぼ彼の腕に支えられている状態で。
案の定、下肢は再び熱を持つし、心臓は聞こえるくらいに脈打っている。耳元で笑われる。
ぞくりと腰の奥が疼く。先ほど足りなかった箇所が、今度こそ欲しいと訴える。

「もう、こんなにしてんのかよ」
「まぁね。でも、グレンだってそうでしょ?」
「あ?」

グレンの下肢に触れる。
軍服越しでは、まだ彼の熱はわからない。わからないが、
それでもそこを両手で揉みしだくよう包み込んで、

「こんなにしてるんだからさ。
 少しくらい、僕に愛の言葉とか囁いてくれてもいいんじゃない?」

さすがにいつもみたいにまともに目線を合わせることはできなくて、
少しだけ下を見ながら、そう言ってみる。
案の定、男は少し息を呑んで、戸惑ったように口を開いて、それから、
苦し紛れに、

「約束を守らない奴は嫌いだ」
「はは、まだそれいう?」

唇をへの字に曲げてそういうグレンの首に、深夜は両腕を回した。
真っ直ぐに彼を見つめて、そうして少しだけ唇をとがらせて、

「ねぇーグレンー」
「〜〜〜〜〜・・・っ」

甘えてみる。
これは、少しだけ効いた。
彼が返す言葉に詰まり、頬を染め、唸り声をあげているのだから。
こんな所が、本当に可愛いと思う。
あと、どういうアプローチをすれば、彼はあの言葉を言う気になってくれるのだろう?
わくわくと思考を巡らせたところで、

「〜〜〜ああ、くそ、一度しか言わねぇからな」
「お」

両手で頭を抱えられ、それは少々深夜としても意外で、
しかし額同士を触れ合わせられて、その近さに戸惑う。今にも唇が触れ合いそうなその刹那で、

「・・・深夜」
「っ」
「―――愛している。お前が欲しい」
「・・・ちょ、」

それは、完全に予想外だった。
みるみる、頬に血が上るのがわかる。目の前のグレンも同じように顔を赤らめていたが、
再び貪るように唇を重ねられ、何も言えなくなる。
含み切れない体液が、口の端を汚す。その間にも、彼の掌は止まらない。軍服の前を脱がされ、上着を落とされ、
シャツを肌蹴られる。
東京が一望できる窓を背に、手すりに乗り上げるようにしてガラスに押し付けられ、
その体制は非常に心もとないのだが、それどころではなかった。
胸元の、小さな飾りに口づけられて、深夜は仰け反った。これだけで、全身に快楽が宿る。
ひんやりとした空気も忘れ、全身が火照り、そうして何も考えられなくなる。
身体の奥を走る痺れは、先ほど1人で己を慰めていた時よりも何倍も強いもので、
これから彼に与えられる快感は、きっと先程の比ではないものだとわかる。
だから深夜は、これほどまでに自分を乱れさせる男を、恨みがましく見つめてみた。

「・・・反則でしょ」

あの声で、あんなに間近で、あれだけ恥ずかしげに言うのだから。
それでも、十分に真摯な言葉だとわかる。そうでなければ、自分がこれほどまでおかしくなっていない。
洗いたての彼の髪を抱きしめて、そうして深夜は熱い息を吐く。

「もう・・・黙れよ」
「っ―――」

片方に爪を立てられ、もう片方は濡れた舌で丁寧に嬲られ。
もう既に、深夜の下肢はパンパン。
このままでは、軍服を脱がされる前にイきそうだと、深夜はぼんやり思う。
だが、今はただ、彼に与えられる快楽を受け止めたい。

「グレン・・・僕も、愛してる」
「いいから、黙れって」

自分の胸に顔を埋めている男の頬が熱いことに、
深夜は、はは、と楽しげに吐息を漏らしたのだった。





end.















都庁は48階建て。の内部妄想。

43〜48は機械室。
45階は元展望室。でも今は好き好んで展望室に入る人はいないし、基本閉鎖中
40階〜42階 会議室
33階〜39階 一等執務室
32階→食堂。上層部のみの食堂にしようぜw
26階〜31階 最高幹部宿舎
16階〜25階 二等執務室
10階〜15階 幹部宿舎
1階〜9階 訓練所とか資料室とか食堂とか一般軍兵向け
地下(吸血鬼殲滅部隊の研究所やら何やら)

てか作者様、いつか、スピンオフでグレン様が新宿奪還した時の話を書いてください。
切実にお願いします。まぁいつか書いてくれそうだけれども・・・。





Update:2015/04/12/SUN by BLUE

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