『愛』などというよくわからない感情について。



自分の思考回路が、他人と違ってどこかおかしいのは知っていた。
真昼の許嫁候補として柊に買われた子供たちの間ですら、自分は浮いていて、
日々行われる訓練と試験、殺し合いの日々に恐怖する彼らは、
自分のことを気味悪がって離れていった。
涙など、ここ数年流していない。感情が乏しいのは自覚している。
親元から引き離されたときは泣いた気もするが、もう覚えていない。
気付けば、人を殺すことに慣れ、痛みもしない心に笑顔の仮面を張り付けた、殺戮人形のようになっていた。
多分、いやきっと、最後のほうは、何を目的に争っていたのかすら、興味がなかったかもしれない。
ただ、目の前の人間を倒さなければ生き残れないから、戦う。
殺さなければ、自分が消されてしまうだけだから、殺す。
ただ、呪術の才能を、強さを求められた子供時代。
だから、10歳の頃、唐突に、

<柊深夜様>

そう呼ばれて、けれどそれほど、感情は動かされなかった。
ただ理性的に、この地獄は終わったのだと実感し、
儀礼的に「許嫁」というものを想像し、「人生の伴侶」の相手を想像し、
そして、少しだけ、結婚や、愛について、考えた。
もう覚えていないが、別に、親に虐待されて育ったわけではない。
むしろその逆、大いにその能力に期待されて、褒められて生きてきたと思う。
だから、別に「結婚」とか「夫婦」とか、「愛」や「恋」について
否定的な感情を抱いたことはなかった。
ただ、自分とは無縁の世界だと思っただけだ。
まともな環境で育ったわけでもない自分に、しかも10歳という幼い自分に唐突に与えられた、「人生の伴侶」。
どう、接すればいいのか、よく、わからなかった。
だから、いざ、その、「許嫁」ならしい彼女に出会ったとき、
思考を巡らせた。

<彼女に好かれなければ>

自分の存在価値は、彼女の許嫁である、という、ただその1点にある。
それは10歳のガキでもわかっていた。

<どういう対応をすれば好かれる?>

「好き」という感情は知っていた。
「好き」か、「嫌い」か、二択は簡単だった。
それでも、自分には、興味のないもののほうがはるかに多かったが。
だから、「他人に好かれる方法」は予想できた。
深夜はまずは笑顔を向けた。
ライバルたちには気持ち悪いと言われたが、初対面で笑顔を向けない人間はいないだろう。
第一印象は、確実に関係を左右する。
考え抜いた末、最大限の敬意と親しみを持って彼女に接したわけだが、
まぁ、結果的に、彼女に好かれることは不可能だった。
彼女は既に、心に決めた男がいたのだから。

そして自分は、一種の絶望と諦めを受け入れ、自分の生きる意味と価値について模索しながら、成長していくことになる。
柊家の養子。
柊真昼の許嫁。
柊の持つ絶対的な権力は、しかしとてもつまらないものだった。
自分のこの、何にも動かされない感情を揺らすようなものではなかった。
ただただ、退屈だった。
深夜が人生で見てきた顔は、
追い詰められた子供たちの恐怖に引きつった顔、
絶望に浸る無感動な顔、そして、
権力を畏怖し、時にはその力にあやかろうとする醜い人間達の顔だけだ。
乏しい感情のまま、深夜は時たま会う機会が出来るとぼんやりと真昼を見つめていた。

真昼は、2人きりの時は必ず、あの男の話題を出した。
あの男―――、一瀬グレンの話を。
だから自分は、彼女の話から、その男について夢想する。
この優秀で、頭がよく、いつも凛とした強さを見せる彼女が、ただの少女のようにひどく無防備に、嬉しそうに笑う姿は
完全に恋するお嬢様だった。だから深夜も、これが「恋」というものなのか、と理解する。
写真に写る幼い真昼の横で、しかし恥ずかしげにそっぽを向いたままの、こちらも幼い黒髪の子供を見つめて
深夜は思う。
彼は、わかるのだろうか?
彼女の抱く「恋」というものを。
日々募らせているらしい彼女の恋心を受け止められる人間なのだろうか。
深夜はそこで、嫉妬めいた感情を覚える。
真昼の心を掴めない時点で、既に自分は負けていて、
ましてや、感情が乏しく、冷めた目でしか何事も見れない自分には、
こんな彼女を見ていると、人間的にも彼には絶対に勝てない気がする。

だがきっと、
そんな彼では、この世界では生きづらいだろう。
柊の世界は、あまりに冷徹だ。
家族など名ばかりで、ただの血族といったほうがいいのではないかとすら思う。
自分は、柊の家族になりたかったわけでもないから、そんなことで絶望することもなかったし
むしろ気楽でいいのだが、
世間的には全くまともではなかった。
完全な実力主義、そして主家、分家、従家の派閥。
確かに、一瀬は分家といってもそもそも『帝ノ鬼』ですらないのだから、柊家の派閥としては数えられていないが、
それ以外でも、1000年に及ぶ歴史があれば、それなりに血族は広がる。
派閥は無数に存在していた。
だがそれでも、柊の本家の権力は絶大だった。
力に溺れ、情を失った世界。
人間味など、とうになかった。だから「愛」や「情」を知らない自分も比較的生きやすかった。
だが、それでも。

「・・・あんな真昼を見ていると、少しだけ、興味が湧いてくる気がするよ、一瀬グレン」

真昼が忘れていった彼の写真を見つめて、少しだけ笑う。
それは彼が珍しく出した、本音の笑みだった。










「グレンはさ、『愛』ってなんだと思う?」

下らない事を、唐突に聞いてみた。
ちなみに、今は学校だった。しかも、組手の授業だ。名前の知らないクラスメイトの誰かが戦っている。
順番待ち、というよりはグレンはあまりの弱さにクラスメイトに馬鹿にされていたから、
除け者にされていると言ってよかった。
そして深夜は、強すぎる故に自分勝手に授業をサボっていた。

「はぁ?」
「ほら、君は真昼に愛されてるでしょう?」
「俺は、そんな浮ついた話に興味がない。だから話は終わりだ」
「逃げるなよ、一瀬グレン」

殺気。それも、かなり本気のそれが感じられて、グレンは眉を顰めた。
気配を感じて、クラスの皆がこちらを見る。一触即発だった。もちろん、皆の視線がある中で、
実力を隠したまま彼の攻撃に対応するのは不可能だ。
もちろん深夜もそれをわかっているから、本気で攻撃をすることはしない。
空気だけが張りつめていた。

「・・・なら、お前はどうなんだ」
「僕?わかるわけないじゃん。そんな感情、柊家にはないよ」
「じゃあ、なぜ訊く?」
「ただの『興味』だよ。何せ君は、あの真昼の恋人なわけだしね」
「ガキの頃から一度も逢ってない女を恋人と呼ぶほど・・・」
「馴れ馴れしく話しかけるなよ、一瀬のクズ」

途端、深夜の呪詛加速された拳が、グレンの鳩尾を直撃した。
身体が吹っ飛び、武道館の壁に背を叩きつけられる。

「ぐはっ」

血を吐いて、グレンは蹲った。クラスメイト達は楽しげに笑う。
深夜はこちらをもう見てもいない。
無論、深夜が途中で呪詛を挟み込んでいたのは気づいていたから、敢えて直撃させたのだが、
多少手加減されていたとはいえ、やはり彼の拳を受け止めるのはそれなりにキツイ。
蹲りながら、グレンはそっと胸ポケットに差し込まれている紙を見遣る。
それは、深夜が自分を殴ってきた際、胸元に滑り込ませてきたものだった。
クラスメイト達が自分に興味を無くした頃、内容を見てみると
待ち合わせの場所と、時間だけが書いてあった。
彼は、何を求めているのだろうか。
待ち合わせの場所は、有楽町の、とあるラブホテルだ。
確かに、ああいうホテルは他人の目線を避け、密かに逢瀬に使われたりするものだから、
裏口がいくつもあったり、入り組んでいて尾行を巻きやすい場所ではある。
そして何より、防音性の高い部屋では、比較的柊への野心を腹を割って話すこともできるはずだった。
だがそれでも、きっと彼が求めているのは、そんな話ではないだろう。
グレンは密かに溜息をついた。

「・・・・・・お前にゃ無理だよ」

四つ折りにされたそれの裏側に

『無視したら、今度こそ殺すから☆』

と書いてあるのに、小さく毒づいて立ち上がる。
とにかく、従者たちには何か言い訳をして、外に出る必要がある。
そうして、ある程度の装備も。
丸腰で行くわけにはいかない。彼が自分の何を試したいのかわからないが、
本気で戦うことになる可能性もある。
特に相手が深夜ならば、余裕をかましているわけにはいかなかった。
つい先日、折られた孔雀丸の代わりに自宅から取り寄せていた妖刀が届いていたか確かめなければ。
グレンは従者たちに連絡を取るべく、ケータイを手に取る。

「・・・『愛』、か」

ふと、彼に問われたことを思い出して、グレンもまた、少しだけ物思いに耽った。
何か、と問われれば、想像は出来る。
グレンは、自身の父親を尊敬している。今の今まで厳しい修行に明け暮れてきたし、
もちろん、甘やかされて育ってきたわけではないが、
愛と甘やかすことがイコールではないことくらいは理解している。
そもそも、定義できるものですらない。
だが自分の中で敢えて『愛』というものがあるとすれば、
部下や『帝ノ月』の仲間たちを大切に思う気持ちは、きっとそれに当たるのではないかと思う。
だから多分、
個人的に『1人』を『愛』することは、自分には向かないのだろう。
深夜が言ったように、例え真昼が―――誰かが、自分を『愛』してくれていたとしても。
だが、深夜は違う。
まったく興味がなかったから気にしたこともなかったが、
彼は本当に、『愛』が何か、わからないのだろう。それもそのはず、
幼い頃に家族から引き離されて、修行と試験に明け暮れてきたのだから。
『帝ノ月』は、柊にいびられ続け、身を寄せ合って長い時を生き抜いてきたが、
あの巨大すぎる組織に、そんな情愛など必要ないだろう。
特に、トップに君臨する柊にとっては。
ただただ、力を維持するために、常に強い血を求め、人体実験と間引きを繰り返す人間たちだ。
だから、彼が―――あんなことを言ったのも、
本当に純粋な興味だけなのかもしれない。もしくは、真昼の影響か。

「まったく・・・付き合ってられないな」

口調とは裏腹に、少しだけ、グレンは笑う。
メールで呼び出した時雨がやってくる。
グレンは己の専用装備一式を準備するように伝達すると、さっさと帰宅すべく、準備を始めたのだった。










「まさか、本当に来てくれるとはね〜」
「お前が脅したんだろ?弱い一瀬のクズは、柊様には叶いませんよ」

呼び出しに使った紙を、グレンは投げつける。
ラブホの裏の、知る人ぞ知る隠し通路の前で、深夜は闇に埋もれるように待っていた。
とはいえ、彼の銀色の髪は、まったくといっていいほど溶け込めていないのだが。
これでは、暗殺任務などはこなせないな、などと思う。
少しの光でも反射して、艶めいた輝きを見せるのだから。
そこまで考えて、自分は何を馬鹿なことを考えているのか、とグレンは少しだけ自嘲した。
別に、本気でそのつもりで来たわけではない。
彼の出方を伺うつもりだったし、場合によっては一戦交えるつもりで武装してきた。
勿論、傍からは気付かないよう、衣服の下に仕込んでいる。
それでも、やはり刀は手放せず、背に背負い込んできたのだが。

「うわ、帯刀までして来てんの?どんだけ警戒してんだよ」
「臆病なんでね」

肩を竦めて、己の背のそれを抱え直す。長めのナップザックに入れているから、傍目にはそれとわからないが
まぁ、それでも人目を引く長さではある。
高校生だから、部活帰りと言えなくもないが・・・こんな場所にいたら、
下手をすれば警察に職質されそうだ。

「ま、とりあえず部屋に入ろう。こんなトコで長居してたら、監視の目が入りそうだしね」

深夜は軽い足取りでホテルの裏口を潜った。
グレンも後に続く。無人のフロントには、趣向を凝らしたテーマの部屋のパネルがあり、
そこで選ぶ形式になっていた。だが深夜は既にチェックインしていたのか、それには触れずに奥のエレベータへ入る。
そんなに高い階ではなかった。すぐに部屋に着く。滑り込むように部屋へ入る。

「・・・お前は、よく来るのか?」
「まぁね。パパと一緒にね〜」
「・・・・・・」

眉を顰める。パパ、という馬鹿げた表現は、明らかに彼の義父を示しているものではなく、
考えるのも汚らわしいが、女の真似事をして金を貰う相手のことだ。
もし彼が本気売春やっているとすれば、きっと金などが目的ではないだろう。
では、何が目的なのか、さっぱりグレンにはわからなかったが、
深夜は破顔して言った。

「冗談だよ。そんな真昼に不敬なコト、柊家が許すわけがないだろ?」

深夜もまた、肩を竦める。
彼の生きざまは、本当に柊に縛られたものだったのだろう。
2人が入ったそこは、普通のビジネスホテルのように、質素な、けれど設備の整った部屋だった。
だが、そのベッドは異常に広い。やはり、その目的のために誂えられた、特殊な環境だ。

「俺の尾行は巻いてきたが、お前はどうなんだよ」
「僕?そりゃいるよ。柊の名を持ってても、結局部外者には変わりない。僕も常に監視されてるよ」
「・・・まさか、今もいたのか?」

そんなはずはない。彼が指定したホテルの裏口は、ご丁寧に入り組んだ道の奥の、一方にしか開けていない場所にあった。
監視の目があれば、自分が気付かないハズがなかった。

「いないよ。別に視線は感じなかったでしょ。捲いてきたし」

その言葉に、グレンは深夜の顔を見た。
いつも通り、挑発するような、からかうような視線。それが自分を見据えてきていて、
こちらも少しだけきつい視線を向ける。彼の考えていることは、まだ読めなかった。だが明らかに、
彼は自分のために尾行を捲いてきたのだ。わざわざ、こんなところに来るために。

「・・・お前、疑われるぞ」
「しょうがないよ。君とこんなところで逢うのを見られちゃさすがにまずいしね。
 ―――それに僕は、欲しい物は、自分で手に入れることにしたんだ」
「欲しいもの?」

その言葉に、深夜はグレンの首に腕を回す。
グレンは立ち尽くしたまま動かなかった。彼が不審な動きを見せれば、すぐに仕込み針を抜けるように、
呪符を取り出せるように、その場所を意識だけで確認する。
彼の背で、密かに腕を構えた。今なら、簡単だった。彼を殺すことなど、あまりに簡単すぎた。

「グレン、お前だよ」
「・・・・・・」

深夜の瞳が、きらりと光った。
自分が欲しい、と、そうストレートに言われて、しかし男からそんなことを言われても、
全く嬉しい気などしない。
というより、異性から告白されたところで、
今の自分には、そんな想いを受け入れる余裕は本当になかったから、ごめん被りたいものだが、
だが今回の場合、純粋な愛の告白ではないことは、グレンにはわかっていた。
深夜は、『愛』を知らない。
自分を欲しいと思う理由も、ただの興味や探究心レベルのもので、
いや、むしろ彼にあるのは、もっと別の、くだらない執着心。
グレンは目を細めた。

「・・・はっ。真昼の心が手に入らないから、腹いせに俺が欲しいって?」
「腹いせ・・・とは、思わないけど。
 でも、あの真昼が『愛』してる君を手に入れたら、少しは『愛』ってものがわかるかもしれない」

からかうような笑みを向ける深夜の瞳は、しかしひどく真剣だ。
グレンは目を細めた。
その瞳は、ひどく情愛に飢えているようだと思う。揺らぐような紫の瞳は、
縋るようで、自分にこっぴどく否定されるのに怯えているような気さえする。
おそらく彼は、平気を装っていて、しかしかなりの決意を持って自分をここに誘ったように見えた。
わざわざ、己の監視を振り切って、危険まで犯して、いわば柊を裏切って、
自分を誘ったのだ。
後戻りはできないはずだった。
彼もまた、自ら背水の陣を敷いて、自分の前に立っていたのだから。

「・・・残念だが、俺がお前のものになることに、何の意味もないな」

びくりと、少しだけ彼の身体が震えたのがわかった。
深夜の表情は、硬い。だがそれを無視して、グレンは彼と視線を合わせずに口を開いた。

「わかってないな。俺は一瀬なんだよ。それも、クズで卑怯者の一瀬だ。
 お前は俺のほうが何でも持っているように見えるかもしれないが、それは完全に逆だ。
 例えば、俺がお前に呼び出されてレイプされたとして、誰もお前を罪に問う奴らなんていないし、
 逆にお前が事実無根の暴行容疑で俺を訴えハメることなんて余裕だ。一瞬で、『帝ノ月』は取り潰しになる。
 お前を信用する、ってのは、全く持って割に合わない」

だからグレンは。
敢えて本音を言った。深夜は傷ついただろうか?例え養子だろうが、所詮、柊は柊だ。
完全な敵、自分たちを虐げてきた柊に所属する者に、
自分が従属することなど不可能だった。
ましてや、彼の生きざまは、柊に縛られ、流され、壊されてきた人生で、
このままでは、彼のちっぽけな野心(というレベルのものかすら、よくわからなかった)が、
自分のそれより大きいとはとても思えない。
案の定深夜は、笑っていたが、ひどく傷ついた顔をしていて、

「・・・ひどいな。
 僕は君に信じてもらいたくて、ここまでしてるのに」
「俺に信じてもらいたいというのなら、お前が差し出せ」
「っ―――」

ぐい、と腰に手をかけ、引き寄せる。正直、もうこれ以上の駆け引きは面倒だった。
結局のところ、こいつは何かと理由をつけて自分と肌を重ねたくて―――
そして、『愛』とは何なのかを感じるつもりだった。
だがそれは、彼の勘違いだ。
物理的に身体を重ねたくらいで『愛』が芽生えるというのなら、世の中はこれほど殺伐としていないだろう。
身体を重ねる行為とは、至極単純なものだ。
ただの、即物的な快楽を満たすだけのそれは、『愛』などではなかった。
だが、それでも。
グレンは、深夜が心密かに求めていたように、彼を抱いた。
強く引き寄せて、視線を絡める。

「お前が、俺のものになれ、深夜。―――そうすりゃ、少しくらい、信用してやるよ」
「・・・少しくらいって、ここまでしといて、少しかよ」
「十分だろ?これでもまだ、お前が100倍有利だ。俺の弱みだってこうして握らせてやってる。
 だからお前も見せろ。そもそも、お前が望んだんだろ?」

顔を上げさせ、ゆっくりと、視線を合わせながら唇を重ねた。
抵抗はなかった。重なった唇は薄く、ひやりとしていて、彼がかなり緊張していたことを今更ながら確信する。
だが、もう、途中下車はできなかった。自分も、彼も。
どんな言い訳をつけてみても、ここに来た時点で、運命は決まっていたのだ。
いきなり最初から深く舌を絡めるキスは気が引けて、グレンはそっと唇を離していく。
深夜の吐息が、ひどく情欲を煽った。
異性でもない、抱きしめて柔らかくもない肢体、こんな男の、どこがいいのかと理性が叫ぶ。
なのに、感情は止められない。支配欲。彼を自分のものにしたいという、
強い欲望が心の底にあった。
唇を離した深夜は、微かに上気した頬をグレンに向けて、言った。

「・・・君のモノになってもいいよ。ただ、」

ぐい、とグレンの髪に指を絡め、強く引く。こちらも、簡単に負けるわけにはいかなかった。
なぜなら、初めてだったから。
誰かを、何かを欲しいと思った、そんな感情は、本当に初めてだったから。
深夜はうっとりとグレンを見つめて、

「それなら、君の考える『愛』ってのは、なんなのか教えてくれない?」
「・・・『愛』」

今更、定義を求められて、グレンは顔を顰めた。
口に出すのは、ひどく勇気のいることだった。第一、自分だってよくわからないのだ。
それでも、今、自分が考えられる限りの人生で、愛、と呼べるものがあるというなら、

「・・・誰かを信じられる、強い想い、かな」
「じゃあ、僕は君を信じることにする」

だからグレン、僕のことも信じてよ?
深夜はそう言って、男の胸に顔を埋めたのだった。





end.





Update:2015/06/21/SUN by BLUE

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