Keep Only One Love



「―――遅いな」

指の間で燃え尽きて小さくなった煙草を床に落とし、グレンは靴底で火を消した。
本日6本目の煙草を咥える。約束の逢瀬の時間はとっくに過ぎていて、
グレンは懐中時計をちらりと見やり、顔を顰める。
時間潰しとはいえ、こんなに貴重な煙草を消費するとは思わなかった。
今の時代、食糧の生産に使える土地が少ない中、わざわざ煙草の葉を育てる余裕などない。
だから、今、特に上層部の間で流通されているものは、ほとんどが昔生産されていたものを再利用して作られているものばかりなのだが。

それでも煙草は、何か考え事をするときには非常に役に立った。
少し前までは、肺活量が下がるとか、摂取できる酸素が減り、持久力がなくなるとか言われていたし、
厳しい修行と鍛錬の中で生きていた自分には無関係極まりないモノではあったが。
今はもう、そんなことは正直どうでもよかった。
世界は崩壊したし、『帝ノ月』だって解体した。『帝ノ鬼』主体のわけのわからない軍組織まで出来た。
結局、自分は己の野心を実行に移すタイミングを逃し、こうして巨大な組織に吸収され、屈辱的な日々を強いられているのだから。
それを考えると、たまに、何もかもどうでもよくなる時がある。
そういう時はこうして、煙草の、舌に沁みるような苦味を噛み締め、グレンは気を鎮めていた。
紫煙を燻らせ、立ち上るそれをじっと見つめる。そうすると、マイナスな方向に傾きそうな意識が少しはっきりする。
感覚が研ぎ澄まされるような、そんな錯覚。勿論、その錯覚は、煙草の中の中毒物質が齎すものだとわかっている。
今更、そんなものに溺れるほど馬鹿ではない。ただ、
たまにはこんなのもいいな、と思うくらいに、精神的な余裕は出てきたように思う。
まぁ、こんなクソみたいな世の中で、クソ真面目に生きていても大変なだけだ。
息抜きだってたまには必要だろう。
こんな資源のない世の中にだって、アルコールや煙草などの嗜好品はなくならないのだから、皮肉なものだ。

「グレン!・・・ごめん、待った?」

グレンが7本目の煙草に火をつけたところで、少し息が上がったような深夜の声が聞こえてきた。
まったく、「ごめん、待った?」どころではない。
時計は予定時刻の30分を過ぎている。
そもそも、予定がはっきりとしないのなら、仕事が終わってから呼び出せばいいものを。
深夜は自分が今日、予定より早く上がれると知るや否や、
今日は1日フリーの自分に、ここで待っているようわざわざ連絡を寄越してきたのだった。
ここ、というのは、
実は、新宿の外れにある、倒壊したラブホテルの中だった。
電気は、辛うじて通っていたが、
損傷がひどく、はた目から見れば、ほとんど使えるようには思えない場所。
だが、ビル自体は倒壊したものの、2Fの部屋達は奇跡的に無事で、ほとんど被害は見られなかった。
まぁ、衝撃で壁にかかっていた額が傾いている程度。
ベッドも、カビくさいがスプリングの効いたまともなベッドで、
2人が人目を盗んで逢瀬を重ねるには十分な場所だった。

「ん〜だって、なんか最近、邪魔が入るだろ?」
「あ〜・・・まぁ、確かに」

少しだけ咎めるような表情を向ける深夜に、グレンはぽりぽりと頭を掻く。
邪魔、というのは、自分の部下が最近、夜遅くに用事がある、といってよく呼びに来るようになったからだろう。
というのも、その理由は、
グレンが最近拾った、まだまだ精神的に不安定な黒髪の子供のせいなのだが。
けれど、グレンはそれをまだ、深夜に話すつもりはなかった。

「ガキじゃないんだ、拗ねるなよ」
「まぁ、でも、ね。今日は僕も君もフリーでゆっくりできるのに、また仕事に呼ばれるのはもったいしね。
 ま、そんなことはどうでもよくて、それよりさ・・・」

深夜は、グレンの首に腕を回して、グレンに身体を近づけた。
それに応じて、グレンは指先に未だに挟んでいた煙草を、爪先で床に押し付け、火を消す。
そうして、しがみ付いてくる深夜の背を、おもむろに抱きしめる。
当然、この状況ですることといったら1つしかない。
自分の中の、彼を欲しいという欲望を認めて、グレンは自嘲するように肩を竦めた。
それは、逃れられない誘惑だ。
こういう時の彼は、普段そうとは思えないはずなのに、背筋がぞくりとするほど美しく、妖艶な表情をする。
頬を撫で、顎を上向かせてゆっくりと唇を重ねる。唇を舌で舐め、そうして深くまでねっとりと体液を共有する。
糸を引くようにして唇を離すと、既に深夜の目はとろんと蕩けていた。

「甘い、匂いがする。・・・グレン、なんか香水でもつけてきた?」
「いや。
 ・・・きっと、煙草吸ってたせいだ」

グレンが今しがた吸っていたのは、キャスター・マイルドボックス。
バニラの香りをベースに、煙にも甘い香りが立ち上る、煙草の中でも特殊な銘柄。
こんな甘い煙草を、普段使いで吸っているわけではなかったが、
今日は、深夜との逢瀬の日。
そう思って、無意識に選んだのが、これだった。

「煙草って、こんな甘いのもあるの?」
「・・・吸ってみるか?」

少し面白げに笑って、胸元の煙草を取り出す。手際よく煙草の箱をくしゃりと握り、深夜に1本差し出すと、
深夜は恐る恐るそれを摘んで口に銜えた。確かに甘い香りがしていて、
深夜はしきりに鼻を鳴らす。そんな可愛らしい仕草に笑みを浮かべて、グレンはズボンのポケットからZIPPOを取り出し、
カチリと火をつけた。
軽く片手をかざして、深夜の銜えている煙草に火をつける。
更に香る、甘く、芳しい香り。
正直、グレンの好みとは程遠い煙草ではあったが、甘さと煙草らしい苦味がマッチして、それなりに美味しいと思うのだが。
けれど、深夜は煙草の煙を吸い込んだ瞬間、ゴホゴホッと、咽たように咳き込んでいた。

「っは、ん、けほっ・・・っ、むり、吸い込んじゃった」
「煙草は煙吸い込むもんだろーが」
「吸ったこともない僕にそれ言う?っていうか、全然超苦いんだけど!あの甘い味どこいったの」

すぐに吐き出して、再びはぁはぁと咳き込む彼に、苦笑する。
確かに、ただ甘いだけではなく、たばこらしい味も混じっていたから、彼にはそれが抵抗あったのか。
本当に、お子様な舌だなぁと笑ってしまった。
彼の好物はフルーツの甘煮やジャムで、密かに彼の部屋の戸棚に彼がコレクションしていることを
グレンは知っている。瓶に指を突っ込んで、幸せそうに舐めている深夜の姿も。

「はは。お前みたいな甘党じゃ、これでも無理だろうなぁ」

深夜が口を付けた煙草を取り上げ、そのまま口に運ぶ。グレンの長い指先に煙草が挟まっているのや、
煙を吸うときに少し首を下に傾けて、その後吐き出すときに無意識に上向くのが、
深夜は釘づけになる。
いつもカッコいいとは思っていたけれど、今日は一段とやばい。
彼が煙を吹かす度に立ち上る香りは、ひどく甘くて、
頭がくらくらする。
彼は、本当は甘い物はそれほど好みではなくて、
普段は確か、緑色のパッケージの、メンソール系のを好んで吸っていたはずなのに、

・・・もしかして、自分と会うから、これを選んでくれた?
甘い空気と、甘いキス。
普段はブラックコーヒーやら煙草やらで苦いばかりの舌が、
今日は少し、優しい味がする。

「・・・グレン、まさかこれ、僕のために・・・?」
「別に。丁度、珍しい銘柄が手に入ったから、持ってきただけだ。お前とは関係ない」

グレンが、自分に嘘をつくときは、少しだけ右に視線を逸らす癖があるのを
深夜は知っていた。
だから、彼がわざわざこれを選んで来てくれたのは、既に明らかだった。
それでも、追及しても、彼は絶対に認めないだろう。
こういうところが、彼の可愛いところでもあるのだけれど。

「・・・んもう、素直じゃないんだから」

深夜は再度、グレンの首にしがみついた。
彼の銜えていた煙草を奪い、そうして、靴底で踏みしめる。そうして、グレンの、いつになく甘い唇にキス。
彼の香りと、甘いキスに溺れる。もう、下肢は既に限界。ぴっちりと着込んだままの軍服の下がどうなっているか、
嫌でもわかった。
止まれない。こんな所で。
口の端から溢れるほどまで体液を共有して、それから、微かに上気した頬で、視線を絡ませて。

「・・・今夜は、眠れそうにないね」
「ああ。お前から誘ったんだ、俺を楽しませてくれ」

真顔でそんなことを言うグレンのロイヤルブルーの瞳に、吸い込まれそうになる。
ぞくりと震える身体を彼の胸に預けて、深夜は瞳を閉じたのだった。





end.






Update:2015/08/15/SAT by BLUE

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