君の腕で眠らせて



何度も何度も、嫌な夢を見た。
自分が、グレンを殺す夢だ。夢の中で彼を殺す自分に、目的などはない。
ただの快楽だ。自分の目の前で、彼は全身を真っ赤な血に染め、自分の腕に力なく倒れ込む。
そうして、そんなグレンの顔を見やると、
普段ですら見たこともない、ひどく穏やかな表情。
その途端、深夜は我に返った。
自分が、何をしているか。
それを自覚して、腕が震える。夢の中で、深夜は冷たくなった彼の屍体を抱え、喉が枯れるほど泣き叫ぶのだ。

彼を―――グレンを、愛している。
それは、今では疑いようのない事実だった。気付けば自分はグレンの姿を追っていたし、
彼がいない時でも、彼の事ばかり考えている。彼を守りたいと、そう思って自ら彼の右腕になった。
これを愛と言わずして何と表現すればいいのだろう?
だから、自分が今、彼の傍に居られて、彼と肩を並べて戦えることは、
これ以上ない喜びだ。
人間一人の肩で到底持ちきれないような重い荷物を、けれどグレンは自ら背負おうとするのだから、
そんな彼自身を支えてやるのは自分の努めだとすら思っている。
だから。
当たり前だが、グレンを憎んでいるとか、嫉妬しているとか、
グレンを殺したいと思う理由なんて、自分には全くないはずだった。
夢の中で悲鳴を上げる己の声に目を覚ました深夜は、
ぐっしょりと汗をかいた自身の冷え切った身体を強く抱き締める。
こんな時、かれが傍にいればいいのにと思う。
彼の腕の中で夢も見ずに眠れればそれで幸せなのに、と深夜は自嘲するように笑った。










だが、それでも残念ながら、グレンは自分だけのものではないのだった。
翌朝、仕事も放り出してグレンの元に足を運んだ深夜は、
珍しく彼の執務室で忙しなく動いている部下たちの姿があることに気付いた。
本当に珍しい。
基本的に、グレンは煩いのが嫌いだったから、
執務室に人を呼ぶとしても、基本的には用のある1人だけで、
彼の部屋に3人以上の人間が同時に居座ることなんてほとんどないのではないか。
とりあえず、グレンといちゃいちゃするにも他人の目線があるところでは遠慮したいので、
深夜は落ち着くまで、グレンの執務室の前の壁に寄りかかって待つ。
睡眠不足の身体は、すぐに舟を漕いでしまうが、
なんとか耐えていると、

「深夜。そこで何してる」

ふと顔を上げると、呆れたような顔で彼が立っていた。
先ほどまで入れ替わり立ち代わり室内に出入りしていた人間たちもおらず、
漸く静寂が訪れる。

「あ。もう、仕事終わった?」
「終わるわけねぇだろ馬鹿。朝だぞ、朝。始まったばっかりだろーが」
「ああ、そうだよね」

本当、グレンの言うとおりだ。深夜は笑う。
けれどその表情は、結構無理矢理作った顔で、自分もいまいち失敗したかな、と内心思った。
グレンを騙せない。
引きつった笑顔では、彼を欺くことはできないのだと知っている。
けれど、今の自分ではこれが精いっぱいだった。
込み上げる、意味のわからない感情を抑えるので精一杯。
他人と何気ない会話をする姿も、時には自分には向けてくれないような優しげな笑みを浮かべるのも、
彼の姿ならどんなものでも見てきたつもりだ。だから、それは彼の日常であって、
常に自分を見てくれる余裕がないのもわかる。

「お前に構ってる時間はないんだよ。さっさと消えろって」

しっしっと掌で去るように言われて、今度こそ、深夜の表情から笑顔が消える。
軽くあしらわれたという事実が、
今の、精神的に不安定だった深夜の心を強く抉る。
いつもならば冗談で返せた言葉も、今は無理だった。
どうしても、今すぐグレンが欲しくてたまらなかった。
自分の強い欲望を自覚して、深夜は唇を噛み締める。それは、醜い嫉妬心だ。
あのひどい夢に魘されて、自分の不安を忘れさせてくれるはずのグレンを求めたのに、
現実は、彼は自分ではない誰かのために忙しなく動いていて。
理解していたはずなのに、心が納得していなかった。
自分にとって、彼がすべてであるのと同じように、彼にも同じ温度で自分を見て欲しいと思うのは、
あまりに欲深な感情だろうか?
理性的に考えれば、そんなもの当たり前だった。
何もかもを失って、残されたものは彼しかなかった自分と、
大切なものを失ってなお、生きる理由がたくさんある彼。
当然、彼が自分を顧みてくれる時間は短いし、それでも、他の誰よりも
自分に時間を割いてくれているのも知っていたから、それで十分だと思えればそれでよかったのに。
今は、そんな理性は全く意味がなかった。
自分を冷たくあしらう彼の、その冷えた紫電の瞳に、
自分だけを映してみたいと思う。
このまま彼を攫って、閉じ込めてしまえば、その夢も叶うのだろうか?
「・・・グレン」
「あ?」

だが、そんな想像は、完全な失敗だった。
それは、甘い誘惑だ。彼を手に入れるのに強引な方法を取ろうと思うならば、
今の自分なら簡単に出来る。本気で戦えば、圧倒的に彼のほうが強いに決まっているだろうが、
今の彼は自分に無防備だ。
信頼し切っているはずだった。実際、信頼されたいとずっと思って寄り添ってきた。
それを、そうやって積み重ねてきた信頼を、壊してまで手に入れたいものは、なんなのか。
深夜は、胸を掴んだ。
己の中の衝動と、理性との葛藤。グレンは怪訝そうな顔をする。
いくらなんでも、自分がこんな反抗的なことを考えているとは思わないだろう。
彼をからかう事は散々してきたが、彼の意見に反対したり、反抗したりすることはついぞなかった。
冗談を言いつつも、彼の意思に背いたことは今までなかったから、
すこし、興味が湧いた。
彼は、どんな顔をするだろう?
「なんだよ」
「ねぇ・・・結構忙しそうだけど、〆切ギリギリの仕事とかあるの?」
「別に〆切とかはねぇけど、やることが一杯詰まってんだよ」
「そう、よかった」
「は?」

意味がわからない、と言った風に首を傾げる男の、その喉元に腕を伸ばした。
手を伸ばせは届く位置。彼の首の太さは自分の手には余るが、それでも顎の付け根を引き絞れば、
驚きと苦悶の表情に歪む。
グレンの、そんな表情を見ることはあまりなかったから、
新鮮だと思った。何より彼のその表情は、自分の手によって齎されたものだったから尚更。
快楽を感じる。そして欲望を。もっと彼の歪んだ表情が見たい。その強い光を
自分のだけのものにしたい。
彼が抵抗する前に、ぐっと力を込めて、部屋に押し込む。

「っ深夜、何のつもり・・・」
「イライラするんだ」

後ろ手に鍵をかけて、強引に執務机に押し倒した。
自分の中の衝動に、ついに負けてしまった。けれど、ここまで来て後戻りはできない。
抵抗しようとする腕の両手首を掴み、頭上で拘束する。
簡単な拘束呪も使った。だがそんなもの、彼が本気で抵抗すればすぐに解呪されてしまうような代物だ。
本気で彼を己の手中に収めようとするならば、まったく準備が足りなかった。
それでも欲しいと思う。
自ら噛み付くように口づける。彼とは数えきれないほど口づけを交わしてきたが、
こうして自分から深く舌を絡めると、また違う感覚で興奮する。
唇を塞いだまま瞳を開けてみると、間近にある強い光が自分を見据えていて、ぞくぞくする。

「お前っ、何馬鹿な事・・・」
「君が他の奴と話してると、本当にイライラする。」
「ぐっ。。。」

両手でさらに彼の首を引き絞り、そうして歪んだ顔を恍惚として見下ろす。
彼の瞳は、こんな時でも強い光を失う事はなく、身体の奥を、快楽が走り抜けた様な感覚だった。
抵抗するように腹を膝で蹴られ、思わず息をつめたが、それくらいで
自分が彼を手放すはずもない。
抵抗を試みようとする彼の両手首を更に肩紐で縛り上げ、軍服に仕込んである細身のナイフを取り出す。
衝動的に彼の頬に押し当てると、動揺していたように自分を睨みつけていた強い光が、
何故か逆に一気に冷静さを取り戻したようだった。
剣呑な光。
半眼で見つめられ、しかし壊れた思考は踏みとどまることもできない。

「・・・どういうつもりだ?」
「どうも、しないよ。僕は君が欲しい。そのためならどんなことでもする」
「っは・・・自分のモノにならないのなら、殺すって?」
「それでも、いいよ」

まるで、一昔前のオペレッタのように。
二人で結ばれない運命なら、いっそ殺してしまえば自分のものになるのではないかと、
首筋に触れたナイフから溢れる血の赤に魅入りながら考える。
唐突に、夢の中のシーンが思い出され、興奮と同時に身体が震えた。
ひどい罪悪感と、それを凌駕する背徳的な快楽。
グレンを愛している。
閉じ込めたいとすら思う。自分だけのものにしたい、と心の奥底でこれほど強く思っていたことを
深夜は初めて自覚する。
そのためならば、彼を殺しても許されるとすら思う。あまりに歪んだ思考回路。
けれど。

「お前には、出来ない」
「出来るさ。今までだって何度も殺してきた。
 知り合いも、友達も、自分のためなら何度もね。君を殺すのだって、僕にとっては容易いことだ」
「そうか。じゃあ、殺してみろよ」

グレンは笑う。肩を竦めて、彼が力を抜く。
軽いウェーブのかかった長めの髪が、執務机に広がっている。
改めて彼の真っ直ぐな視線と、男らしい顔立ちを見下ろす。今は、今だけは、彼は自分だけを見つめていて、
それに満足している自分がいる。
だが一方で、こうして彼の一挙一動に振り回される己を滑稽に思う自分もいて。

「・・・出来ないのか?」
「・・・その余裕顔、クッソむかつくよ、グレン」
「そりゃどうも・・・っ!」

彼の言葉の一つ一つに、感情が暴走する。
いつもこんなに心を揺さぶられたことはなかったのに、
衝動的に、深夜はナイフを握っていないほうの腕で、グレンの頬を殴った。
拳の甲で、思いっきり頬を張り倒す。腕を拘束されたままのグレンは、庇うこともできない。
衝動のままに、何度も両頬を殴る。簡単に頬の皮膚が破れ、口の端が切れた、
顔を歪ませながらも、グレンはまだ笑っている。
それがひどく感情を毛羽立たせて、更なる暴力を加えたくなる。
このまま、彼を痛めつけていれば、
彼は最後には自分にやめてくれと懇願してくれるだろうか?
「っは・・・グレン、痛い?」
「・・・別に」

不意に視線が絡み、
彼の紫の色に見据えられて、息を呑んだ。
もう既に、彼の顔面は、どこもかしこも傷だらけだ。目元はおろか、頬骨の辺りや額にもアザがあり、頬は腫れ上がっている。口の端や切れた皮膚からも血が溢れている。
それでも、彼のアメジストの瞳は、あまりにも高貴で。
先ほどよりも、真剣に自分を見据えてくるそれに、深夜は唐突に己の拳の痛みを思い出す。
命を懸けて守ろうと誓った男を傷つけている自分の拳の痛みだ。
焼ける様に痛い。
途端にガタガタと震え出し、深夜は己の手を掴んで縮こまれるように身体を丸めた。
痛い。
まるで、今朝の、悪夢を見てぐっしょりと汗をかいたあの時のようだ。
冷や汗が噴き出す。

「っあ・・・あ、ああっ・・・」
「・・・深夜」

一気に身体が冷めていく深夜に、グレンは無言で腕を伸ばし、引き寄せた。
手首の拘束は、既にない。彼の心が乱れている時点で、まともな拘束呪をかけられるはずもなく、
グレンの意思のままに、身体は動く。
ただ、深夜が乗り上げている体重だけが、心地いいと思う。
服越しの感触だが、
確かに最近は、お互い仕事の忙しさに構替えて繋がっていない。
だから、不安だったのかもしれない。

「っ・・・グレン、」
「そんなに、何を怯えてる?」
「・・・」

先ほどとは一転、少しだけ気遣うような声音が耳に吹き込まれ、深夜はいよいよ涙が止まらなかった。
失う恐怖。自ら愛する男を欲して彼を死に追いやっておきながら、
己の傍から彼の存在が失われることに絶望するなんて、矛盾している。あまりに身勝手なこの感情に、
深夜は呆れてしまう。
けれど、実際はグレンの前で泣きじゃくっているのだ。
醜い存在だと思った。
彼に振り回されることに怯えて、彼を振り回そうとして失敗した。
当然だった。元より自分に彼を監禁して自分のものにする気概などなかったのだから。
彼の光の傍で、影のようにひっそりと立ち続けることこそが願いで、
それだけで十分に幸せだったはずだ。
それなのに、
おこがましいことに、彼の存在すべてを欲してしまったのだから、
傷ついて当然だ。
この胸の痛みは、すべて自分のせい。
深夜は唇を噛み締め、そうして、尚も目の前にある男の頑丈な胸板を叩いた。

「深夜」
「・・・ぜんぶ、グレンが悪いんだ」

肩にすがり、その素肌に爪を立てる。
血が出るほどに指を食い込ませて、そうして溶け合うほどに抱きしめる。

「僕を、赦したから」

傍にいることを赦したから。
どうしようもない欲望が溢れ出して止まらなくなる自分を、彼は笑って抱きしめてくれたから。
抱きしめられて、けれどそれだけでは飽き足らない自分を、抱いてくれたから。
自分が彼の懐に慣れてしまったから。

だからきっと、自分は彼に溺れたまま、二度と出てこられないだろう。
自分には彼しかいなかったわけじゃない。
自分から望んで彼しか見なくなったのだと、今更ながら自覚する。

「グレン、僕は・・・」
「馬鹿だな、お前」

軽く呆れたような声音と、優しい口調。
顔を上げると、自分がめちゃくちゃにしたはずの彼が、珍しく優しげな表情を浮かべている。
今度こそ彼の意思で腕の中に抱かれて、それはまるで吸い込まれそうな感覚だと思う。
両足を絡め、そうして深く舌を絡めた。どちらも互いを求め合う行為。簡単に含み切れない唾液が溢れ出し、
それでも水音をさせながら口内を蹂躙し合う。
グレンの指が深夜の目じりを撫で、涙の痕を辿った。
名残惜しげに唇から銀糸を引いて、そうして、肩口に顔を埋める。

「っあ・・・ぐれ、」
「お前は既に俺の一部なんだ。
 他の人間や部下たちとは全く違う位置にいるのに、つまらない嫉妬なんてするなよ」
「いちぶ、」

その言葉に、深夜は息を呑む。
一部。
グレンの真摯な言葉が、彼のずきずきと痛む心を癒していく。
再び溢れ出す涙が止まらない。
グレンの軍服の肩口を濡らす深夜を、グレンは黙ったままその背をさすってやる。
やがて、羞恥をごまかすように、深夜は身を捩った。
昨晩の睡眠不足のせいか、身体を支えるのも一苦労だ。
このまま、縋って眠れればいいと、そう思った。

「・・・このまま、眠ってもいい?寝不足なんだ」
「ったく・・・甘えるのも大概にしろよな」
「うん、ごめん・・・」

頭を抱えてやると、漸く安堵したようにすぐに寝息を立て始まる深夜に、グレンは溜息をつく。
顔の傷くらい、鬼呪があるからすぐに治るとして、けれど眠ってしまった彼を妨げぬように身を起こすのは
少しばかり辛い。
まったく、世話の焼ける奴だ。
彼を起こさぬように静かに身を起こしながら、
グレンは再び、濡れたような彼の唇に、己のそれを重ねたのだった。




end.






Update:2015/09/08/TUE by BLUE

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