ひとときの夢



これは夢だ、とすぐに解った。
目の前には、ノ夜。白い精神世界。何もないそこで、彼はぴょんぴょんと飛び跳ねている。自分がいることに気付くと、楽しげに手を降って近寄ってくる。幼い子供。角さえなければ、鬼だなんて誰も思わないだろう。
そんな彼が、今は弱い自分に力を貸してくれる相棒で、
仲間で、協力者だった。鬼はそんなものじゃない、という意見もあるが、少なくともグレンはそう思って手を取って戦ってきた。ノ夜はいつも呆れたように笑って、けれど最終的にはちゃんと力を貸してくれたから。
そんな彼が、ふと、自分の名を呼んできた。

「ねぇ、グレン」
「ん」

腕に絡みつくようにして自分にしがみついて、ノ夜は笑った。

「グレンって、何のために力が欲しいの?」

今更な質問で、彼の意図はわからない。
だが精神世界で問われれば、隠し事など不可能だ。答えなくたって、嫌でも脳裏に答えは浮かんでしまう。

「守る為だ」
「何を?」

部下を、仲間を、大切な人を。
全部守るためにはどうしても力が必要で、今まで血を吐くような努力をしてきた。
だが、それを嫌だと思った事は、グレンは一度もない。
やめたいと思ったことも、逃げたいと思ったことも。運命から逃げ出そうと思えば、きっと方法はあった。いくらでも。
ただ、グレンにはそれは選べなかった。
守るべき者たちは、既に自分にとって心を占めている者たちばかりで。
彼らを見捨てて生きる選択肢など、幼い自分にも今の自分にもなかった。
鬼呪を手に入れた今でだって、大切なモノは指の間をボロボロと零れ落ちていく。

力が足りない。
力が足りない。
力が足りない。

己の中の理性は、何度だって自分をそう責め立てる。
自分は力を欲してあがく。その間に人は死ぬ。それでも今抱えているモノだけでも守りたいと思う。
それでも容赦なく大切な命の灯が失われていく。

「辛くない?」
「・・・・・・」

辛いと思った事は、なかった。あるとすれば、己の弱さに頭を抱えるくらい。
こういう生き方を変えることはできなかったし、変えてしまったらそれは自分ですらない気がした。
きっと死ぬまで自分は、大切な誰かを守る為に命を落とすだろう。

「じゃあさ、もし、そもそも守る必要がなくなったら?」

背筋に悪寒が走った。
己の腕にしがみ付く彼を見下ろせば、彼は意味深に笑う。
彼は、腕を持ち上げて、そうして目の前を示した。顔を上げれば、思わずその光景に息を呑む。

「・・・小百合、時雨、」

第一渋谷高校の制服を着た彼女たちは、楽しげに笑っていた。
相手は、知らない女子だ。同じような制服を着ていて、同じクラスの友達かもしれない。
グレンの記憶の中では、あの学校は自分たち以外は皆敵同士で、
自分たちはクズ扱いされていて、友達などいなかったように思う。
だから、あんな姿は見たことがなかった。

「彼女たちは、もう君の従者じゃないよ。だから、君のことは知らない」
「はぁ?」
「嘘じゃない。一瀬はなくなったんだ。全部」

嘘だ、と叫びたい心が、けれど彼女らのセーラー服の襟元についていた紋章に気付いて固まってしまった。
それは帝ノ鬼の紋章だ。
あの、第一渋谷高校の、自分たちには着けることを許されなかった紋章。

「ちなみに、『帝ノ鬼』も、もうないよ。
 第一渋谷高校も、呪術組織の学校なんかじゃない。ただのエリート高校。有名な子女が集まってる。
 君を苦しめてきた『帝ノ鬼』は、もういない」

場面が変わる。
授業風景。皆、真面目に受けている。受験は2年先とはいえ、皆必死だ。
金持ちの両親に大きな期待を掛けられ、エリート校に通っていた。
別の意味での戦いは確かにあったが、
それでも命の取り合いなどという殺伐とした世界ではかった。

「もちろん、君だって、一瀬の当主なんかじゃない。部下もいないし、そもそも敵だっていないよ。
 で・・・これでも君は、まだ力を求める?」
「・・・・・・」
「大切なモノを守るために、力を欲しいと思う?・・・でもそもそも、大切なモノってなんだろうね?」

ノ夜の言葉が、ひどく頭に響いてきた。
大切なモノは、自分を慕ってついてきてくれた、部下や仲間たちだ。
期待に応えたいと日々努力してきた。
いつか、柊という強大な敵を倒し、自由になると。
だが、もう敵はいないという。
従者もいない。部下もいない。敵がいないから、戦う必要もない。
命を張って力を貸してくれる仲間たちも。

「そう、とっくに彼女たちは自由だよ。君が救ってやる必要も、守る必要もない。じゃあ君はどうする?」

一瞬、空虚感が胸に去来した。
生きがいというものを失って、グレンはただ立ち尽くす。
そもそも自分は、何のためにここに立っていたのだろう、と。
それすら見失いそうになる。
誰にも、必要とされていない自分。

「・・・ふふ。寂しい?」
「別に」

まったく何も感じないかといえば、それは嘘になる。
だが少なくとも、今、彼女らはきっと、幸せなのだろう。
それならば、自分の出る幕はない、と思う。
そもそも、自分なんかの従者になっているせいで、本来の楽しい学生生活を送れないのは可哀想だと思っていた程だから。
柵など、ないほうがずっといい。

「彼女たちは、皆は、今より幸せなんだな?」
「うん、とってもね」
「そうか」

少し、微笑んだ。それならば、充分だと思った。
いつか来るとも知れない、平和な世の中を待ち続けて生きるよりは、ずっと。
最初から何もない世界のほうがいいに決まっていた。
彼女らの満面の笑みは、それを物語っていた。

「で、なーんにもなくなっちゃったグレンは、これからどうするの?」
「んー・・・」
「まだ、力に固執する?戦いの世界はもうないけど?」
「そうだな。力なんて必要ないな」

握っていた刀を、投げ捨てる。
戦い続けてきた自分が、馬鹿らしくなってきた。
誰にも必要とされなくなって、改めてグレンは自分のことについて省みて、苦笑してしまう。
考えてみれば、自分には何もなかった。
空っぽだ。好きな物はなんだろう?食べ物は?カレーだ。だが、それは皆と食べるカレーだからだ。自分から欲しくて食べるものではない。
好きな本は?呪術書も、教養本も、政治の本も、沢山の本を読んできた。
だが、趣味でただ喜びを得るためだけの本など手にしたことはなかった。お気に入りの本なんてものもない。
好きな曲は?真昼の聴いていたあのジャズだ。
だが、もう真昼は傍にいない。柊真昼は、目の前の平和な高校で、人気者のお嬢様だった。
彼女の周りには入れ替わり立ち代わり人がいて、ひどく人望が厚い事がうかがえた。
好きなテレビ、好きな飲み物、好きなタイプ、好きな動物、好きなスポーツ。
改めて考えて、結局ほとんど何の個性もない自分に笑ってしまう。
情けないな、とグレンは声をあげて笑ってしまった。
ノ夜は怪訝そうな顔を向ける。
それを無視して、グレンはノ夜に言った。

「なぁ」
「ん?」
「あいつはどうしてる?最後に、それだけ見せてくれよ」
「しょうがないなぁ」

少しの逡巡の後、ノ夜が腕を揺らして、また場面が変わった。
夕方の、誰もいなくなった教室。夕焼けの差し込むそこで、1人、立ち尽くしている存在。
深夜だった。
柊深夜。銀色の艶やかな髪を、オレンジ色に染めて。
グレンは目を細める。美しいと、今更ながら思った。馬鹿げた話だ。
いつもいつも傍に居たくせに、そんなことも思いもしなかった。
彼は憂いを帯びた表情で、窓の外を見つめ、そうして小さく溜息をついて、
机の上の鞄を手に取った。肩に担いで、そうして教室を後にする。

「柊が無くなって、でも、それで救われた人も一杯いたけど、反対な人も、いる」

深夜は、孤児になっていた。
柊に売られる人生はなくなったが、家族から離れる運命は変わらなかった。
優秀で、けれど近寄りがたい雰囲気の彼は、今は誰にも馴染めずにいて。

「あいつは不幸なのか?」
「どうだろうね。まぁでも、僕は、彼は柊にいないほうが、よっぽど幸せだとは思うけど・・・って、グレン?」

途中から、笑いが止まらなかった。
肩を震わせて、グレンは笑う。そう、そうだ。自分は何を忘れていたのだろう?
守るものも、大切なものも失った自分に、唯一残ったもの。
思い出した。
グレンは投げ捨てた刀を拾い上げると、ノ夜に背を向けた。
もう用はなかった。戯れの時間も、もうすぐ終わり。

「じゃ、俺、もう行くわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、グレン」

焦ったように追いすがるノ夜に、少し笑って。目を閉じて、グレンは先ほどの光景を思い出す。

「俺は、その時は、また学校に通うさ。
 勉強して、本も漫画も読んで、テレビも見る。ゲームもするよ。
 んで、普通に友達作って、あ、あと普通に共学だし、可愛い女の子とかの運命的な出会いとか期待するわ」

吹っ切れた表情で、グレンは告げた。
その時は、その時だ。何もなくなれば、その時また、探せばいい。
生きがいなんて、変わるはずだった。少なくとも、平和な世界がそこにあるならば、
また新たな希望も探せるだろう。
けれど、グレンは言った。

「まぁでも、もう俺は、告る奴は決めてんだ」

にやりと笑って、振り向いた。
その表情は、いつもの強気のあの表情。
一瀬グレンの、あの、自信家なグレンらしい力強い瞳の色に、ノ夜はまたダメだったか、と苦く笑う。
どうしてあの男が、グレンの心をこれほどまでに占めてしまったのか、
今でもノ夜にはわからない。

「全然女の子じゃないじゃん」
「うるせーな」

ひらひらと手を振って瞳を閉じて、
もう一度目を開けると、そこは自室のベッドの上。
隣を探ると、いつも通り銀髪の彼がそこにいて、少し安堵する。
充分だと思った。

どんな世界でも、
彼がいる限り自分は、それだけできっと幸せだと思えるだろうから。





end.





Update:2016/01/25/MON by BLUE

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