桜の色香に酔わされて



        廃墟にだって、花は咲く―――




新宿駅を挟んで軍本部と反対、かつての東口を道なりに歩むと、
そこにはひどく荒れ果てた庭園があった。
かつては国民に親しまれる美しい庭園だったそこも、今では水辺は毒の雨によって濁り、
草木も勝手気ままに勢力を拡大している。
石畳の道が、ほとんど見えなくなるくらいの雑草を踏みしめながら、
グレンは草木や花々が生い茂る庭園の中を歩いていた。

「相変わらず、綺麗なもんだな」

桜の咲き乱れる様を歩きながら眺めていた一瀬グレンは、ひときわ大きな桜の木の前で止まり、感嘆の言葉を呟いた。
世界が崩壊して、もう4年。ついこの間世界が壊れたと思ったのに、
もう季節が3周するのかと思うと不思議な気分だ。
崩壊してから初めての春は、まったく季節を追うような余裕はなかった。
毒の雨や爆撃によって、水はおろか、植物までもダメージを負った。あの頃は本当に凄惨としか言いようがなくて、
本当にこのまま人間が生き延びれるのかすら疑ったものだ。

「ほんと、4年間でここまで回復するなんてねぇ。植物の生命力はすごいね」
「回復どころか、昔より生き生きとしてるような気がするぜ」
「確かに。人間の手が入らない分、すごく生き生きしてる」

肩を並べて歩く男は、柊深夜だ。
同い年で、かつてのクラスメイトでもあり、また柊真昼を挟んだ元恋人と婚約者、という微妙な関係。
だというのに、気が付けばかけがえのない仲間になり、そしてついには身体の関係にまでなってしまった。
2人して非番のその日、グレンは深夜に誘われ、花見に来ていたのだ。
ご丁寧に和装までさせられてきてみると、
既に五士は酒盛りをしていてへろへろで、女子陣に非難を浴びせられながらも
それなりに楽しそうだ。
そんな喧噪に辟易しながらも、それでもやはり桜の花は綺麗で、
改めて、こういう景色に感慨を覚えたことすらなかったかつての自分を思い出す。
ほら、綺麗だろ?
そうやって、強めの風に飛ばされる花びらを掴もうと手を伸ばす深夜に目を細めて、
お前もすごく綺麗だ、などと馬鹿げた考えが浮かぶが、口にはしない。
それでも、太陽の光を浴びて銀色に煌めく髪と、眩しさに目を細める彼の、普段よりどこか柔らかな雰囲気は、
壁の外から一歩出れば、戦いと死に満ちた世界があることをすっかり忘れさせてくれる程。
足元も桜色の絨毯の中、更に風が舞い、強い桜の香りが立ち込める。
異世界に足を踏み入れたかのような現実とはかけ離れた空間で、
グレンは深夜の髪や肩に乗ってしまっているピンクの花びらに思わず手を伸ばしてしまう。

「・・・グレン?」

振り向いた彼は、悔しい事だがひどく美しかった。
風に煽られて、長い前髪が頬に張り付いているのもまたひどくそそる。
邪魔そうにそれを耳に掛け、露わになる首筋の白さも。
酒が入っているからだろうか。
アルコールに酔っているのか、桜の香りに酔っているのか、それとも彼の色香に酔わされているのか
それすらわからなくなる。

「・・・・・・きれいだな」
「うん、ほんと綺麗」

違うよ深夜、お前が。
目が覚めるようにキレイなカオをしていて、酔わされてる。
いつもはあんなにウザったい表情をしているくせに、こうして2人切りになると途端に緩む表情、
それをもっと間近で見たくて、グレンは深夜の身体を引き寄せた。
どうせ、ここまでくれば誰も見ていない。
遠慮なく腕を引いて、腰を抱く。グレンの腕に収まる深夜は、ふふ、と笑って体重をかけてくる。
ぐらりとバランスを崩す身体、けれど幸い、地面は桜の絨毯。
ばふっと音を立てる程花びらを舞い散らせて、2人はもつれ合うように地面に転がる。

「っ痛ぇな」
「へへ」

グレンの上に圧し掛かる深夜は、これまた楽しげで、グレンは肩を竦めた。
更に強くなる花の香り。キラキラとした瞳で自分を覗き込んでくる深夜越しに、
グレンは狂いそうな程に咲き乱れる桜を見上げる。
桜の花々は、太陽に向かって咲くのではなく、首を垂れるように咲いている。
それゆえに、花見は桜の下で行うのだと、下から見るのが一番キレイなんだよ、と深夜は言う。
本当にそうだった。
桜と、ぬるく頬を叩く風と、そうして男の柔らかな表情。
空色の瞳と、桜が良く映える。

「ホント、酔っちまいそうだ」
「何十年も、何百年も人々を虜にしてきた桜だよ?魔性が棲むってね」

そう言って口の端を持ち上げる彼も、ひどく妖艶な淫魔のようだ。

「…魔性」
「知ってる?グレン。
 ―――桜の樹の下には、屍体が埋まっている、って」

妖しい気配と、更に強くなる桜の色香。
心なしか、見上げていた桜の花の色合いが、更に濃く染まった気がした。
紅。紅色。あか。
一瞬、それが血のような鮮やかな赤に染まる。

「桜の精が、屍体の血を啜って、その身体を栄養にしてるから、こんなに美しく咲くんだって」
「ああ、」

それで、合点がいった。
馬鹿げた迷信ではあるが、実際、この桜の下にも、たくさんの屍体が眠っているかもしれないと思う。
世界が崩壊して数年。処理された死体もあるが、そのまま風化していった命もたくさんある。
だからこそ、これほど、うつくしく、激しく咲き乱れているのだ。
まるで、下に眠る者達への鎮魂の儀式のように。

「死んでなお、花となって綺麗に咲くなんて。・・・ロマンチックじゃない?」
「・・・・・・」

そう嘯いて、深夜は顔を傾けた。どちらからともなく唇を重ねる。仄かに色づいた深夜の唇は、ひどく甘くて、思わず夢中になる。深夜もまた、抵抗することなく舌を絡めて来て、それだけで脳が灼き切れそうな気さえする。
深く貪りたくて深夜の頭に掌を添えた。
指を差し入れ、柔らかな彼の髪の感触を楽しみながら、そのまま深く体液を共有し合う。
甘い蜜を頬に滴らせながら、2人は時間を忘れる程にキスを続けていた。
時折離れる唇からはねとりと糸が引き、そうして視線は妖艶に絡み合う。いい加減、下肢も反応を返す頃だった。
少し深夜が身を捩ると、グレンの足の間で感じる熱。
そうしてまた、深夜自身も。
浅ましい身体だと思うが、今更、この愛する男を目の前にして、取り繕えるはずもない。
ぞくりと背筋が震えた。
快楽の予感に、既に深夜の身体は反応を示している。

「っは・・・、グレン、」
「・・・じゃあ、お前が死んだら、俺が桜の下に埋めてやるよ」

この、桜の下に。
再び風が薙いだ。笑っているのか歓迎しているのか、深夜はそれに眉を寄せて、言葉を紡ぐ。

「なにそれ。全然嬉しくないんだけど」

折角崩壊後まで生き残って、やっと立て直し時期だというのに。
第一、自分が死んだ後の話を振るなど不謹慎じゃない?
深夜が唇を尖らせる。
自分から屍体の話を振ったというのに、深夜は拗ねるように顔を背けるが、
けれどグレンは意に介さず、少し笑って頬を染めたままの彼の頬を掌で包み込み、
ゆっくりと瞳を見つめる。
ひどく真摯な、その紫色の宝玉を嵌め込んだような瞳に、吸い込まれそうになる。

「そうすれば、お前は桜になって、毎年咲いてくれるんだろ?」
「・・・・・・っ・・・」

不覚にも。
不覚にも、胸がときめいてしまった。
毎年毎年、桜を見つめて自分を想う彼の姿を想像してしまって。

彼を遺して死ぬなんて、今まで絶対に出来なかった。
何故なら、きっと、彼は忘れてしまうから。
沢山のモノを抱えている彼にとって、自分の存在は、その中の1つでしかなくて。
例え自分が死んで、確かに彼はとても悲しんでくれるとは思うけれど、
けれどそれでも、ひとしきり苦しんで、乗り越えて、そうして、きっと前を向くのだろう。
きっと、振り向いてくれなくなる。
自分などいつか忘れて、もしかしたら違う出会いだってあるかもしれない。
そして、その時に、
自分が何もできないのは辛かった。

グレンについて行きたい。
深夜にとって一番の望みはそれだけで、決して、グレンを自分で独占したいなどと思ったことはなかった。
それでも深夜は、グレンにとって自分が一番の存在あることを無意識に期待してしまっていた。
自分が、グレンの前だけは普段よりも浮かれてしまうのと同じように、
グレンもまた、自分の前で、自分だけしか知らない顔を見せて欲しいと思うのだ。

「・・・はは。いいね。少し、嬉しいかもしんない。
 ・・・毎年、君に思い出して貰えるなんて、・・・あ、でも、」

でも。深夜は少し笑って、再びキスを強請る。
グレンが応じるように唇を重ねる。今度は、キスだけでは到底終われなかった。
深夜の掌がグレンの胸元の布地の合わせ目に入り込み、そうして素肌に触れるようにして胸元に顔を埋めると、
グレンもまた、少し笑って、こちらは深夜の腰ヒモを緩めてやった。片膝を立て、深夜の着物の足を隠すスリットを捲り上げて、露わになった太腿も撫で上げる。
ひゃぁ、と甘い声が漏れた。
するすると滑らかな深夜の肌を掌で摩り、内股を探る様に。
下着に隠された箇所には敢えて触れない。
彼の肌の弱い付け根の部分を只管焦らす様に触れて、そうして時折思わせぶりに布地の上から刺激を与えてやれば、んんっ、と鼻に掛かったような甘い声音が漏れてくる。
ぐれん、そう、甘い声音で名を呼ばれて、
もうすでにとろんとした蒼く潤んだ瞳に笑いかけてやった。
桜が舞う。
視界はピンクと蒼と、そうして白い肌。
布地はもう既にはだけていて意味を為さない。
誰かきたら、などということは考えなかった。そんな野暮な人間は、
きっと今の世の中にはいないだろうから。

「深夜、」
「・・・でも、やっぱり嫌だな」
「桜の下が?」
「いいや?死ぬことが、だよ。君を置いて死ぬなんて、絶対にいやだ」

存外に真剣な瞳で、深夜はそう言葉を紡ぐ。
無論、グレンだって、桜の花に埋めるなどという話は冗談でしかなくて、
けれど深夜の言葉をだまって受け止めた。
もちろん、相変わらず掌の動きは止まらないから、時折混じる喘ぎ声に下半身が反応したけれど。
当たり前だが、自分だって嫌だった。
仲間を失う事は、グレンにとって既に半身を失う事と同義で。
意地でも、救う。
その決意は、今なお続いていた。

「何故?」
「だって、桜は1年に1回しか咲かないから思い出す機会が少ないじゃない。しかも、すぐ散る。やだよ僕、そんなの」
「・・・・・・」

少し泣きそうな表情でそう言った後、胸元に顔を埋める。
忘れられたくないよ。もっと、グレンとこうしていたい。
小さく呟かれたその言葉は、彼にとって本物の本音で、グレンは思わず苦笑してしまう。
ぎゅ、と背を強く抱きしめた。
深夜はグレンの上に跨ったまま、膝で両足を広げさせられた状態で。
可愛らしいと思った。
出会ってから4年が過ぎた。
顔立ちは大人びて、少年というよりは青年に近くなり、
けれどこういう時ばかりは、かつての幼い表情を覗かせるのだから、まったく罪な奴だと思う。

「・・・深夜。お前、俺を見くびりすぎだ」
「どゆこと?」
「俺はな、欲張りなんだよ。
 鬼に憑かれてから、よくわかった。全部大切だ。絶対に死なせたくない。仲間も、もちろんお前もだ。
 お前を桜の下に埋めるなんてこと、俺がするかよ。埋めるなら俺にしろ」
「っは、嫌だよ、誰が、君なんか」

はは、と笑う。けれど今度はくしゃりと泣きそうな顔をしている深夜を、
グレンは強く抱きしめて、そうして体勢を入れ替える。
地面に敷き詰められた花びらのシーツに押し付ける様にして、銀髪の青年を見下ろす。
白い肌が仄かに紅を纏い、美しさでは負けていなかった。
そうして、彼から香る芳しい色香も。
上気した頬に、濡れて光る唇も、とても卑猥だと思う。

「深夜・・・綺麗だ」
「グレン・・・君もね。背後の桜。すごく、似合ってる」

その言葉に、お互い照れた様に笑って、額を触れ合わせて笑い合うのも、もういつものことで慣れてしまった。
触れ合わせるようにキスを重ねて、そのままお互いの欲望に掌を這わせるのもいつも通り。
舌を絡ませながら掌で己の雄と彼自身を擦り合わせるようにすると、
深夜の身体が一気に緊張したように強張る。それを解きほぐすようにして、
ゆるやかに愛撫を進めて行った。
片足の膝裏を持ち上げて、そうして彼の隠された部分を晒してやれば、
恥ずかしげに頬を真っ赤にする。けれど逃げない。
お天道様と桜の木の下で、ひどく恥ずかしい恰好をしているというのに、
けれど深夜はどこか嬉しげな表情で、
グレンを誘うように妖艶に笑っている。

「来て・・・グレン」
「ああ、深夜」

唇を離し、そうして挑発的な、蠱惑的な笑みを浮かべる深夜に、苦笑する。
自分が彼の淫らな姿に惑わされているのを自覚しながら、
けれどグレンは、己の素直な欲望に身を委ねたのだった。





end.





Update:2016/03/27/SUN by BLUE

小説リスト

PAGE TOP