Mwu La Fllaga



この男が死んで、自分だけ還ってくることに、一体どれほどの意味があったろう。
待つ者など1人もいないこの自分、彼が死んで悲しむ者のほうがよほど多いというのに。
けれど、現実とは非情なもので、
一番死に近かったはずの自分が死に切れず、一番死ぬ必要のなかった男が死んでしまった。
・・・あまりに、世界とは皮肉な物だな。
クルーゼはそう洩らし、目の前のフラガの墓を眺めた。
もちろん、彼自身がここに眠っているわけではない。これは救済だ。
フラガを想う者たちが、無駄に心を惑わされないための。

「・・・お前に討たれるならそれもまた、とは思ったがな・・・」

過去に紡いだ気がする言葉をもう一度告げて、ため息一つ。
硬い石はそんなクルーゼの声にしかし何の反応を示すこともなく、ただ風に舞う枯れ葉の音だけがクルーゼの耳に響いていた。

今日は、11月29日。

世が世なれば、あの男の29の記念日だったはずだ。
自由に会えなくなってしまった恋人。だからこそせめて、こんな日くらい会いに行ってやりたかったし、
たまに会いにいけば反発しながらも時折見せる綻んだような笑顔が好きだったのに。
今更だが、フラガのそんな面影を思い出して、クルーゼはらしくもない表情を顔に浮かべた。

「・・・嘘吐きめ」

最後に会った時のことを思い出す。
それは、今ではひどく昔の気がしたが、けれどそれでもクルーゼには時が止まったような情景だった。
お互い、無理に作った逢瀬の時間。余裕のない時に、余裕のない行為。
別にフラガに対して身体だけの関係を求めているわけではなかったが、彼の顔さえ見れば手を伸ばしてしまう自分を、
彼はどう思ったろう。
けれど、そう本気の本気で抵抗して来るわけではないフラガを見ながら、
クルーゼはフラガもまた自分を欲しがってくれているのだと思いたかった。
そう、心だけでは足りないのだ。
フラガの本心を知っている。そして自分もまた、それに応え得るだけの想いをフラガに対して抱いている。
けれど、戦争という中でのお互いの立場の違いから、
それが実行された試しはなかったし、だからこそ結局は離れている時のほうが多くなる。
そして更に、そんな想いを抱いていながらも、
人前では建前の敵対心を紡いで対峙せなければならなかったのだから、
せめて会った時くらいは、身体の奥深くまでを繋げてそこに隠された本音を見出したかった。
案の定、熱に浮かされた2人の間に語られるものは、普段は誰にも見せられない弱音や、不安や、恐怖であったり、
お互い人の上に立つ者として許されないマイナスの感情であり、
その度に行き着くのは、どうして共にいられないのだろうという愚かな想いだけだった。
しかし、結局。
一介の軍人でしかなかったフラガには、
自分に課された立場や今まで共に戦ってきた同僚たちを捨てるわけにもいかず、
クルーゼはクルーゼで、
他人を拒絶し、自らに課された運命を人類に復讐という形で問おうとここまで来た自分の生き方を、
たかがフラガごとき――クルーゼにとってここまで他人に執着するなど信じがたいことだった――で覆すわけにもいかず、
また時代の波に呑まれ、2人は互いの本来あるべき場所へと戻っていく。
そんな2人だからこそ、また、
こうやって会える時をずっと待ち続けて、互いの背を向けていた。
・・・『死なない』という唯一つの約束を交わして。

「全く・・・下らない約束をしていたものだ」

戦場に生きる自分達が、どうして確実に生き延びれると思ったのだか知れない。
たとえ自分が必死に死から逃れようとしたとて、戦争とはそう甘いものではないのだ。
それなのにフラガは、
これだけは有り得ないとばかりに、「死ぬわけがない」と言い張り、この時だけは自信満々の表情を見せる。
その自信がどこから来るのか、今まで歴然とした死を目の前にしてこなかったからか、それとも自身の能力への驕り故かはわからない。
けれど、クルーゼにはそれがとにかく不安でならなかった。
クルーゼだとて人間だ。たまには不安にも、弱くもなる。
だがしかし、その不安を、フラガになど見せようもなかったし、彼を疑うわけにもいかず、
仕方なくクルーゼはエマージェンシーに急ぐフラガの腕を掴み、強引にキスを交わす。
指揮官である自分よりは時間の拘束が厳しいフラガは、しかしそんなクルーゼにも何も言わず、素直に腕の中に収まっていた。
沢山の想いが、2人の間を交錯した。
そして、ついに死神の鎌はフラガの首をも刈り取り、残された自分だけがこんな想いに捉われる。
今更のように、胸が痛んだ。
けれど、どうせ。
自分も寿命が短いことは、とっくの昔にわかっているのだ。
クルーゼは自嘲の笑みを浮かべると、かすかに口を開いた。

「・・・待っていろ。どうせ・・・、私もすぐに行くさ・・・」









それから数日後、急な土砂降りの雨の日。
急いで家に着いたクルーゼの視界に、見慣れない獣の姿が映った。
不安そうな瞳。犬にしては珍しい、キレイなブルーの目をしている。
雨に濡れるのが嫌で雨宿りをしていたんだか、門の下で蹲るそれに、クルーゼはいささか驚かされた。
近づいても、自分に怯えたりもしくは敵意を抱くことはなく。
そのままクイと顔を上げられ、助けを求めるような潤んだ瞳を見せ付けられ、
クルーゼには珍しく情にほだされたような感情が芽生えた。
隣に立ってもその場所からどくことはない。首輪もしていない。どこかの飼い犬でもないというのか。

「・・・・・・入るか?」

見上げられ、きゅうんと切なく鳴かれれば、いかにクルーゼでも破顔するしかない。
こんな大型犬、家にいれていいのかとも思ったが、少し開けただけでそれはするりと入り込み、クルーゼはやれやれと入室を許してやった。
まだフローリングの床だからよかったものの、
これで絨毯だったらその濡れた足で部屋をひどく汚されていたかもしれない。
けれど、濡れた毛が嫌なのだろう、ぷるぷると身体を震わせて周囲に水滴を撒き散らし、
おかげでみるみる布張りの家具は汚れてしまう。
これでそんな場所に身体をこすり付けられでもしたら大変だと、クルーゼはバスタオルを持ってきてばさりと被せてやった。

「ほら・・・これで拭け」

背にかけてやったつもりが顔にまでかかってしまい、視界を失ったそれは途端嫌そうにぐるぐると周囲を一転する。
するとやっと問題のタオルが地に落ちて、獣は今度は嬉しそうに背や頭を擦り付け、
こちらもまた頭にタオルを被せた男は苦笑した。

「まったく・・・世話の焼ける奴だ」

癖なのか、左側しか拭こうとしないそれを起こして、きちんと全身を拭き取ってやる。
ふとなぜか懐かしい感覚がクルーゼの中で芽生えたが、
漠然としたそれはクルーゼ自身にもよくわからず、軽く眉を寄せる。
すると、気付けば手元の生き物が不思議そうに自分を見上げてきて、クルーゼははぐらかすように笑った。
たかが動物にこんな感情を向けるなど、今までにあっただろうか。
相変わらずの青の瞳。
何か懐かしくも胸の痛むものを思い出させるそれに、クルーゼは少しだけ顔を伏せた。

「・・・お前、腹は減ってはないのか?」

人間にするように声を掛ければ、
言葉がわかるかのように獣は尻尾を揺らして自分を見つめてくる。
強請る様な仕草が微笑ましくて、クルーゼは立ち上がると何か探すか、と台所に赴いた。
基本的に料理が苦手なほうではないのだが、あの戦争以後、何をするにも億劫になっていたため、
あまりまともなものは置いていない。
けれど、とりあえず肉類を発見したので、それにミルクでもかけてやればどうにかなるかと、
・・・動物の世話すらしたことがない自分が考えられることといえばそんなことくらいで、
今日はとりあえずこれで済ませて、明日にでもきちんとしたドッグフードを買ってやればいいかと思いかけて――・・・。
はたと気付いた。
なぜ、ただの迷い犬を。
自分が飼う気になっているのだろう?!
ただの気まぐれで中に入れてやったそれを、
どうして自分が世話までしてやる必要がある。

「・・・・・・」

しかし、ふと後ろを振り返れば、相変わらず切なく鳴いて自分の手の中のそれを待ち続ける生き物がいて。
催促するように自分の足を鼻先で突付かれれば、
クルーゼにはもはや浮かんだ疑問の答えを見つける術などなかった。

「・・・ほら」

諦めたようにため息をついて、ボウルを置いてやる。
従順そうにお座りの姿勢をしていたそれは、クルーゼの許可がおりた途端がっつくようにして食べ始めた。
よほど腹が減っていたのか、周囲すら見えていない様子で結構な量のそれを平らげていく。
クルーゼは苦笑して、そんな生き物を眺めていた。
艶のある茶金の長い毛。まだ乾燥し切ってはいなかったが手触りはよい。
食べている最中の犬に触れてはいけないことぐらいは知っていたが、
なんだかこんなに身近に命のあるものが存在するのは久しぶりで、
クルーゼには手に染み込む生き物の熱が心地よかった。

「さて・・・」

食べ続けるそれを置いて、クルーゼは立ち上がった。
もう冬だ。長く開けた部屋は冷え切ってしまっていて、一旦意識してしまうとひどく寒い。
居間に戻り、暖房をつけ、ハンパにしかつけていなかったライトをつけて、モニタをつけて。
こちらも雨に濡れた身体のままでは風邪をひく、と熱いシャワーを浴びて、
クルーゼはふぅ、とため息を吐いた。
フラガがいなくなったことは、クルーゼの生活に直接的に影響のあることではない。
だから、常に1人だった彼の生活が変わる事はほとんどなかった。
ただ、彼の心の中に、ぽっかりと抜け落ちた穴があるだけで。

「・・・どうした」

バスローブを羽織って居間に戻ると、食べ終わったのか例の生き物が自分を待っていた。
別に、自分など放っておいて、勝手気ままに部屋を荒らされることを覚悟していたのだが、
そもそも犬という生き物が恩に厚い存在だからなのか、それともこの犬だけがそうなのか、
自分が戻ってくるまで何もせずに待っていたらしいそれに、少し感動を覚えた。
昔の自分なら考えられない行動だが、少し屈むだけで丁度手の高さにある頭を撫でてやり、
クルーゼは気だるい体をソファに預けた。
テーブルに手を伸ばして、リモコンでチャンネルを回す。
そんな何気ない仕草に、生き物が動いた。
少し離れたところで座っていたそれ。クルーゼの足元に足早に走り寄る。
クルーゼは呆れたような声を上げた。

「なんだ、お前・・・」

生き物はクルーゼの座るソファに上がろうと前足をかけていた。
それも、クルーゼとソファの横にあるクッションの間に。
当然大型犬の巨体が上がれるはずもない隙間であり、そもそもそんな犬がソファに上がりたがるなんて聞いたことがない。
結局クルーゼのほうが根負けして身体をずらしてやると、
ひどく嬉しそうに乗り上がり、クルーゼとソファに身体を預けるようにして寝転がった。
・・・食べ過ぎて、眠くなったのだろうか。

「・・・一体、どんな育て方をされてきたんだ・・・」

初対面の人間に、これほど心を許す犬など初めて見た。
それに、この類の犬がソファに上がり、そのまま眠る?!・・・聞いたこともない。
けれど、不思議と、
クルーゼは不快に感じなかった。
摺り寄せられるぬくもりが、心地よかったのだ。
もうほとんど乾いた毛並みに、自然と手が伸びた。

「・・・・・・、・・・ゥ」

息を、呑んだ。
自分が洩らしてしまったそれに驚いて。
思わず口元を押さえれば、そう呼ばれた生き物は、慣れ親しんだ自分の名を呼ばれたかのように青い瞳でクルーゼを見上げてきて。
そう、たいして変わらなかった。
キレイな透き通った青の瞳も、茶色がかってはいるが艶やかな金の毛並みも、
こうやって身を摺り寄せてくる温もりも、甘えるような仕草も。
全て、2人切りで純粋に素直になれた時のままに。
今更のように、あの男に似ていたからここまで穏やかな気持ちになれるのだと思い当たる。
そして、それでいて、
微かな胸の痛みを覚える訳も。
自分が心を動かされるのは、ムウ・ラ・フラガその人のみ。
けれど、かれがいなくなってしまった今、フラガを思い起こさせるそれがひどくクルーゼを揺らした。

「・・・ムウ・・・」

もう一度。
今度ははっきりと口に出して、かの男の名を紡ぐ。
生き物は自分からクルーゼの手に顔を擦り付けるようにして甘えてくる。クルーゼは応じないわけにはいかなかった。
犬は喉の下をくすぐられるのが好きだ。
触れていた耳の辺りをくすぐり、それから喉のあたりを撫でてやれば、
気持ちよさそうに目を閉じるそれが可愛らしい。
手を伸ばしたその温もりはにわかに離れ難くて、クルーゼは思わずその首元を抱き締めた。
クルーゼの耳元で、少し苦しいのか生き物が微かな鳴き声を上げる。
それすら、クルーゼには心地のよいものだった。
懐かしい、感触。そう、本当は何もいらなかった。この――男の、存在があれば。

「もう、少し」

さすがに逃れたいと抵抗を示す生き物を腕の力で押さえつけて。

「このままでいさせてくれ・・・」

クルーゼはかの存在の耳元で、呟いた。





END












Update:2003/12/20/SAT by BLUE

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