幸福の定義 前



どうせ、幸せになんかなれないなら。
一瞬だけの快楽なんかいらない。偽りの幸せなんかで俺を騙すな。
現実を受け止めきれないガキとは違うんだ。
ああ、ぜんぶ、わかってるよ。
この戦争が、不幸しかもたらさないことも、
そうわかっていてもたかが人間の1人や2人ではどうにもできないことも、
結局は流されて、時代に呑まれて死んでいくしかないことも。
だから、もう、やめてくれ。
嫌なんだ。その時だけの快楽に溺れて、つらい現実を忘れるのは。
つかの間の酔いから冷めてみれば、更に悪化している現状。
目を背けたって意味がない。

本当に、こんなことをして、何になるっていうんだ。





「・・・大丈夫か?」

顔を顰めながら目を空けたフラガに、クルーゼは彼にしては珍しく優しげな声を掛けた。
普段の彼を知っている者ならば、おそらく目を見張るだろう。
そう、ただ1人の前でだけ。
クルーゼは普段見せることのない人間らしい表情を、自分にだけは見せる。
そのときは、あの仮面をつけた冷徹で酷薄な彼とはあまりにかけ離れていて、
いや、確かに冷静で切れのいい頭や容赦のない言葉は相変わらずなのだが、
ただ、とにかく他人を全く寄せ付けない刃のような空気は失われていた。
仮面の下の端整な顔立ちは、
本来ならば男女問わず多くの人間を惹き付けるほどのもの。
それをわざわざ仮面で隠し、他人との隔たりを明確にする。
何を考えているのかなどフラガにはわからなかったが、
それでもフラガはこの男との関係をだらだらと続けていた。
理由は簡単だ。
"好きだから"、だ。
だが、過去に一度たりとも、それをクルーゼに告げたことはない。
フラガには、自分の所属する地球連合軍に敵対するザフトの指揮官との関係を、自覚する勇気はなかった。
それに、そもそもその必要などなかった。
求める前に、求めている以上のものを与えられていた。
強引に、自分の気持ちなどお構いなしに。
最初はわけのわからない感情ばかりぶつけられて。
気付けば、こんなに目の前の存在に溺れているなんて、どうかしてる。
フラガは覗き込む男から逃れるように背を向けると、
そのまま鈍痛の走る身体をゆっくりと起こした。

「・・・触るな」
「ムウ」

拗ねたように身を捩るフラガを、クルーゼは少々強引にベッドに引き入れる。
先ほどまでの情事の空気から逃れようとしていたフラガは、
結局クルーゼの力に抵抗できずにその腕に収まる。
春になったばかりの時期の朝は、まだまだ肌に寒さを訴えてくる。
ふわりと抱き締められて、フラガはその暖かさに唇を噛んだ。
クルーゼの腕の中は、有り得ないほどに優しい。
世界は戦争の真っ只中にあって、戦火は全てを灼き尽くすほどなのに、自分達のいるここだけはそんな現実から切り離されているようだ。
だが、所詮それは、今この瞬間だけの妄想であって、
定められた時が過ぎ、この場を離れれば、また現実が2人を取り巻くのだ。
敵同士、という現実。
戦火にあって、常に死を目の前に晒すという現実。
幸せなんかない。ただただ、不幸を享受するしかない、哀しいそれは、
フラガの心の中に暗い影を落としていた。

「まだ、時間はあるだろう・・・」
「・・・おい、やめ・・・っう・・・」

いささか怒気を孕んだ声でクルーゼを押し返すが、もう遅い。
強引に正面を向かされ、唇を塞がれる。
正気に戻ったはずの自分がまだ惑わされるような甘いそれに、フラガは眉根を寄せた。
こうなってしまえば、自分が抵抗を続ける限りクルーゼは離してくれない。
仕方なく、素直に舌を受け入れる。
甘く、ねっとりと絡みつく柔らかな感触。
それを感じながら、フラガは必死に理性を保とうと拳を握り締める。
ひとしきり唇を味わったクルーゼが一瞬離れた隙をついて、
そのまま彼を押し返しベッドから降りた。

「・・・ムウ?」
「もう、やめてくれよ」

はぁ、とため息をついて、近くにあったローブに手を伸ばし、床に放ってあった衣服を拾い上げる。
時計を見れば、まだ早朝。いつもの出勤時間よりは数時間も早い。
だが、フラガは気にせず、身支度を始めた。クルーゼはというと、いまだにベッドの上で寝そべっている。
こちらはただ休暇でフラガの家へ押しかけてきただけだ。
わざわざ急がなければならないことなどなかった。

「何が?」
「・・・ガキじゃねーんだよ。甘やかされるのは御免だぜ」

肩をすくめて。
そのまま、シャワー室へと消える。
ザァザァと聞こえてくる水音に、クルーゼはやれやれとベッドから身を起こした。
相変わらず素直じゃない。
だが、彼の気も意に介さず引っ張りまわしている時点で、
まぁ自分に非がないとも言えない。
朝方まで続いた甘い空気はひとまず切り上げて、
クルーゼはひと声かけてモニタを立ち上げた。
部屋と現実を繋ぐ箱は、相変わらず各地の戦況を伝えている。
その中には、クルーゼが戦功をあげ、プラントで賞賛されたものもあれば、
地球連合軍としてフラガが高い功績をあげた戦いもあった。
そう、確かに、どんなにこの現実からかけ離れた時間をこの場所で噛み締めても。
現実は変わらない。
こうしている間にも、時間は容赦なく過ぎていく。
戦火に呑まれる各地を、ただモニタの中の出来事として見ることなど2人にはできなかった。
ガチャリ、と音がしてフラガがシャワー室から出てきた。
髪からしたたる水滴をタオルでふき取りながら、クルーゼがいるソファの横に座る。
足をテーブルに上げてだらしない態度を取るフラガに、クルーゼは眉を顰めた。

「ん〜・・・6時前か・・・」
「今日は早いな」
「は?何いってんの?」

テーブルの上の時計に手を伸ばしたフラガは、呆れたように顔を向ける。
非難がましい表情。
フラガはソファから立ち上がると、適当に冷蔵庫を漁り飲み物を取り出した。

「あんたがここにいる。ってことは、どーせまたウチに襲撃が来るってことだろーが」
「今日はただの休暇だがな」
「ったく、毎回そう言っときながらアレだしなぁ」

やれやれ、と肩を竦めると、そんなフラガの言葉を裏付けるように呼び出し音が鳴った。
部屋中に響くエマージェンシーコールに、フラガはため息をつく。

「ほら、言わんこっちゃない」

うるさいそれを消して、フラガは少しだけ急ぐそぶりを見せながら身支度を整えた。

「・・・言っておくが、今回は私の管轄じゃないぞ」
「あー、さいですか。んじゃ、休暇中の指揮官殿はゆっくりお寛ぎくださいませ」

慇懃無礼にそう言って、ばたり、とドアを閉め。
その後は、現実とかけ離れた世界に、今はクルーゼただ1人。
クルーゼがフラガに言った言葉は、嘘ではなかった。
基本的に、地上における作戦は自分の管轄ではない。
プラントを拠点とするザフトにも、地球上に陣地はある。
ただ、確か近々地球軍の基地襲撃作戦が敢行されるという話は聞いていた。
それが今日この日だったというのは、なんという運の悪さだろう。
クルーゼは先ほどフラガが出て行ったドアを見つめた。

「・・・ムウ」

さっさと現実に呑み込まれていったフラガに、クルーゼは苦笑する。
クルーゼには、彼がこうした時間を過ごすのを快く思っていないことなどわかっていた。
快楽に溺れていても、ふとした時に唇を噛み締めている。
それは、ただ快感に耐えるものではなく、
そういった行為に嫌悪を覚えていることもあるからだろう。
フラガは、現実を捨てきれないのだ。
自分達が甘い時間を共有している間にも、戦争は続く。
一刻一刻と、罪のない人間達が死んでいく。
クルーゼにしてみれば、そんなことは日常茶飯事であって、
事実自分とてそんな現実から逃れ、ずっと不幸も苦痛もなにもない世界に生きているわけでもないのだから、
たまにはそんなひとときの時間を過ごしたっていいのではと思うのだが、
フラガは違った。
かれは、この戦争を早く終わらせ、また平和な世界に戻すことを望んでいる。
戦いより、調和を。敵対するより、助け合う心を。
そしてそのためには、たとえ一瞬でも世の中の不幸を忘れて快楽に溺れる自分など、
つらくて仕方がないのだろう。
誰も、何も責めているわけでもないのに。
何もせず、ただ怯えて戦争に不満を漏らす人間達よりもよほどいいではないか。
それでなくとも、フラガは戦いに出るたびに、常に部下を第一に考え、
少しでも被害の少ない戦い方をしているのだ。
そうやって神経をすり減らしていながら、非番にあってもなお戦争に心を痛める彼に、
クルーゼはやれやれとため息をついた。
どうして、あんな性格なのだろう、と思う。
これだから、結局自分が振り回してやらねば気晴らしすらできやしない。

「まったく・・・」

クルーゼはちらりと時計を見た。
6時半を少し過ぎている。フラガは基地についた頃だろうか。
少し考えてから、クルーゼはフラガのデスクにある端末の前に座り、操作をし始めた。
目標は、ザフト軍地球基地。
ハッキングなど朝飯前だし、なにより今回は自軍のコンピュータだ。
ほどなくして、クルーゼは地球連合軍基地襲撃の情報にたどり着いた。






...to be continued.


Update:2004/05/31/MON by BLUE

小説リスト

PAGE TOP