水溜りに反射するモノクロな僕の顔

03:それぞれの居場所




「本当に、来ちゃったんだなぁ、マイアミ……」

明るい日差しに、乾いた空気は、カリフォルニアにも似たところがあったが、
同じ国なのに、イマイチ行き交う人々の言葉が耳に入ってこないのは、
西海岸とは、また別の訛りが、ここにはあるからで、
これじゃ、俺がよそ者だってすぐにばれてしまうよなぁ……とか、
青い空に目を細めながら、いつもなら、清々しい気持ちになるのに、
今日は、空が青すぎて、かえって、気分にブルーが入ってきてしまった。

とりあえず、俺は、街の中心部から少し離れたところにある、
普通の(豪華でもなく、さびれてもなく、ごくごく普通の)モーテルに宿泊の手続きをし、
爺さんとのヒッチハイクの間に買い足した、ガイドブックを見ながら、ベッドに寝転んだ。

兄貴が用意してくれた荷物の中身は、銃もあれば、手榴弾もありで、
こんなの触ったこともなかった俺は、それをカッコよく使いこなす自分の姿なんて想像できるわけもなく、
お蔵入りなんだろうなぁと、チョットだけいじって、すぐにバッグに戻した。
他にも、携帯用のモデムとか、電脳関係の機材も入っていたが、
ネットで情報収集なんかしたら、ド素人の俺なんか、すぐに見つかっちゃうんだろうなぁと、
これまた、お蔵入り……。

「はぁ、兄貴は、こんな日が来ることを知って、銃ぐらいは打てるようにしてたんだろうなぁ」

と、愚痴を言いながら、今後の身の振りかたを考えてみても、
観光客じゃないんだし、ガイド・ブックをいくら眺めても、答えなんて出てきそうにはなかった。
でも、それでも、何かしなくちゃと気持ちは焦ってきて、
とりあえず、金髪は目立つんだろうからと、
兄貴が入れておいてくれた染髪剤で、髪は茶色に染め、少しだけ、自己流だけど、短く切ってみた。
鏡の中には、今までとは違う雰囲気の自分がいて、正直、見慣れていないぶん、気持ち悪かった。
それでも、その晩は、久しぶりにゆっくり眠れた。
目的地に到着した安堵感と、兄貴がバッグに忍ばせておいてくれたバーボンの力を借りて、
やっと、夢を見ないで眠ることができた。
そう、家族の夢を見ないですむことのほうが、今の俺には、救いだった。
夢の中で幸せな家族の時間を追体験しながらも、「これは、夢だ、もう、失ったんだ」と、
夢の中にいるもう1人の自分が、夢見る自分に語りかけてくる……。
そう、早く時間がたてばいいのに。
夢の中の幸せも、これはこれでいいもんだと、
セピア色のセロハン越しに見られるようになればいいのに……。
今は、まだ、生々しすぎて、吐き気がきてしまう。
悲しい。

次の日、銃や手榴弾は、駅のコイン・ロッカーに入れてきた。
もう、取りに行かないから、自動的に、管理会社に強制撤去されるだろう。
運転免許証やIDカードの類は、切断した後、電脳機器と一緒に袋に入れ、
夜中に、ゴミ収集車が通った時、直接、車の中に放り込んできた。
情報を使いこなせないのであれば、手元において置かないほうが、賢明だろう。
モーテルに残ったのは、多少の日用品と衣類と、現金と、兄貴の日記。
本当は、この古びた小型の手帳こそが、俺と兄貴の関係を裏付ける確たる証拠になるのだろうが、
これだけは、これだけは、どうしても捨てられなかった。
俺の記憶の中の家族と、兄貴の目から見た家族は、かなり違ったものだったはずで、
宿命を知らずにノー天気に過ごしてきた俺には、いったい、何が、あの時起こっていたのか、
今となっては、この日記だけが、真実への拠り所だった。
でも、やっぱり、ちょっと時間がたって、冷静になってみると、
今は、持って置かないほうが賢明だろうと、
コンビニの袋に入れ、モーテルの裏の庭に、こっそり埋めた。

そう、これで、俺が何者かということを証明するものは、全てなくなった。
そりゃ、遺伝子レベルで解析されたら、ばれるんだろうけど、それも、クローンって(悲しい)。
でも、兄貴が安全な場所、プラントっていうところに着くまでぐらいは、時間稼ぎができるだろう。

「はぁ、どうしようかなぁ、
 これから、どうやって、隠れて過ごせばいいんだろう……」

俺はモーテルのベッドに寝転んで、ちょっと、ウトウトしかけていた。



「ピッー、ガチャ、」



俺の心臓は、ドア・ロックを解除される音に、激しく反応し、
そのまま死ぬんじゃないかと思うほど、ビビリながら、ベッドから飛び起きた。
で、俺が何が起こっているのかと認識する前に、
目の前を数人の男たちが、取り囲み、
その時点で、俺の意識は、何かの薬品の臭いとともに、失われていた……。



「オイ、気がついたみたいだぜ」

その言葉が耳に入るのと同時に、俺は自分がジョン・グリーンだとばれて、捕まってしまったのだと理解した。
ゆっくり目を開けながら、あぁ、ジュリアン兄ちゃんゴメンね、どんくさい弟で……と、申し訳なく思った。


でも、目を開け、身体を起こしてみて(別に拘束されていたわけじゃなかった)、
ちょっと予想外の光景が展開されていて、口ポカ(くちぽか)になってしまった。

これでも、自分なりに、拉致された場合の状況を何度かシミュレーションしてみて、
きっと、地下室とか、座敷牢(古っ!)とか、無機質で冷たい何もない部屋に、
手錠とか足枷とか付けられて、殴られ、蹴られ、自白剤とか打たれ……、
それでも、ほんとは根性なしの俺だけど、俺は兄ちゃんのために、出きる限り頑張るんだって、
気合は入っていたのに……。

現実は、金ピカピカの貴族趣味の光沢が、何ともまばゆい壁に囲まれた中、
もちろん、天井からはお決まりのシャンデリア、
装飾品は趣味の悪い、いかにも偽ものっぽいアンティーク・・…。

で、俺、なんでこんなとこ、いるの?!

と、俺が茫然自失をやっていると、タキシードを着て、葉巻を吸っている男が、こう、おっしゃった。

「うちのネット・バンキングの口座から、よくも、まぁ、多額の金を引き出してくれたもんだね。
 ムウ・ラ・フラガくん」

ネット・バンキング?!、多額の金?!、引き出す?!
でも、それよりも、もーっと、ビックリしたのは、

ムウ・ラ・フラガ?!、誰、それ?!

「フラガくん、どうしてくれるんだい?!
 君のモーテルの部屋にあった手持ちの金では、とても間にあわない金額だよ。
 私は、手荒なことはしたくない。
 まず、残りの金をどこに隠しているのか、教えてもらおうか」

「あのぅ、俺、フラガって人じゃないんですけど」

「そんな古典的な言い訳が通用すると思うのかい?!
 君のモーテルの部屋には、
 うちの店の隠し口座と暗証番号が書かれたメモが置いてあったと報告を受けている」

と、言って、見せられたメモは、
確かに部屋に、俺が来る前からTVの上に置かれていたものだったので、

「あっ」

と、反射的に声をあげてしまったら、
そら見ろという顔で、タキシードの男は、気の毒そうに、こっちを見た。

「フラガくん、じゃ、君がフラガじゃないっていう証明をしてくれないか」

実は、俺、フラガじゃなくて、グリーンなんだけど、IDカードは破棄したし、
カリフォルニアの住所は言えないし、えーと、えーっと、

「そのフラガって人の顔を見たことがある人を呼んでください。
 そうしたら、俺がフラガじゃないって、分かってもらえますよ」

「あいにくだが、うちの店でフラガを知っている奴はいないんだ。
 ネット上での操作だったから、誰も、彼の本性は知らない。
 ただ、君がいた部屋に行けとだけ、密告があったんでね」

「じゃ、俺、たまたまそこに宿泊していただけですから、俺、はめられたんですよ。
 たぶん、偽名でしょうけど、本物のムウ・ラ・フラガでしたっけ?!
 どこかで大金を持って、逃げているんでしょうから、お探しになってください」

「私は、別に君がフラガになってもらっても構わないんだよ。
 このままでは、私がボスに殺されかねないしね。
 きみ、フラガになりなさい。
 うちの店で働いて、まぁ、5年ぐらいはかかるかもしれないが、
 ぼちぼち、返してくれたらいいから」

「だから、俺も忙しいんで、誰か、そのへんのホーム・レスとかなんか、
 身代わりになってくれそうな人をスカウトしたらいいんじゃないですか?!
 別に、俺じゃなくても」

「だって、きみ、調べさせてもらったけど、
 IDも何も、身分を証明するもの、何も所有していないじゃないか!
 これこそ、我々が探していた、ムウ・ラ・フラガの身代わりに最適だよ!
 あの、メモの置いてある部屋に泊まったのを運がなかったと思い、
 ムウ・ラ・フラガとなって、金を返してくれたまえ。
 よろしくな、フラガくん!」

と言うなり、奴の部下どもが、俺の両腕を抱え、別の部屋に連れていった。

「申し訳ない、今からボスが来るんで、マネージャーを助けると思って、
 しばらくフラガになってやってください」

と、移動する最中、告げられたが、その時は、まぁ一時的に演技をすればいいのかと、
俺がフラガじゃないと向こうも分かってんなら、すぐに解放されるからいいかと思った。

で、俺が連れて行かれた場所には、さきほどの人物とはうって変わって、
TシャツにGパンというラフな格好のちょっと腹の出た中年の親父が、シンプルな部屋に座っていた。

「ボス、ムウ・ラ・フラガを、連れてきました」

「ヘェ、君かい、よく、まぁ、我々を相手に、たいしたことやってくれたじゃないか?!
 マネージャーから聞いてるけど、身体で返してくれるんだって。
 フーン、見たところ、パッとしない、どこにでもいそうな兄ちゃんだねェ。
 まぁ、うちはさぁ、さっきの部屋見たろ?!
 けっこう、個性的なパーツの寄せ集めだから、きみみたいな没個性ってけっこう新鮮かもね。
 そうそう、ベッカー氏が、素人のいい子がいたら、紹介してくれっていってたなぁ。
 ベッカーくんは、ブロンドよりも、ブラウンの髪の子が好きでねェ、きみ、ぴったりだ!
 オイ、ベッカーくんに連絡つけておいてくれな。
 フラガくんだっけ、ベッカー氏に気に入られたら、
 君の借金の返済が、1年は短くなるだろうから、せいぜい、がんばってくれよ。」

と、おっしゃった。
そう言えば、ここはどこかということ自体知らないし、
まぁ、たぶん、怪しいことやってるんだろうなぁとは検討はついていたが、
身体で返すって、どういう意味?!
用心棒、皿洗い、トイレ掃除、それとも雑巾がけ、風呂釜洗い(祝!アカデミー賞受賞)?
まさか、文字通りぃ……?!

俺は、身体の力がヘナヘナ抜けてゆく感じに襲われ、軽いめまいまでしてきた。
確かに、俺を拉致した組織は、ブルー・コスモスでもなければ、ラボでもないし、軍の諜報機関でもない。
確かに、これは、兄貴の身を思えば、かなり、ありがたい状況だ。
でもでも、俺自身について言えば、これって、かなり、ヤバイんじゃないの、別の意味で。

でも、俺は気を取り直した。
この場さえ切りぬければ……、
俺がフラガじゃないってことは、ボス以外の人には分かってもらっているんだし、
この部屋をボスが出てゆくか、俺が連れ出されるかしたら、
この茶番も終わりになるんだろうと思っていた。

「ボス、ベッカー氏が、今、店においでになっているそうで、
 すぐに、現物に会いたいと、こちらに向かっていらっしゃいます」

と、携帯を受け取った部下の男が、ボスに告げた。

エーッ、俺、どーなるのよ?!

俺は、顔を引きつらせて、さっき、「マネージャーを助けると思って……」と、声をかけた男を睨むと、

「すまない」

と、一言。
それも、右手を揃え、ちょっと上向きに動かし、「ごめんね」のポーズ付きで、おっしゃった。

ほんと、その瞬間、全身の力が抜け、俺はへたり込みそうになったが、
俺を支えてここまで連れてきた男が、さっと、俺の肩を抱き、かろうじて、俺は、まだ立ち続けていた。
おまけに、俺が逃げ出すかもしれないと思ったらしく、
俺の両腕は、先ほどよりも、きつく、強く、拘束されてしまった……。

で、俺が逃げようかとか考えるヒマも与えず、

「よぉ、ボス、いい子が手に入ったって本当か?!
 おまえの店は、濃いー奴ばっかりで、ちょっと、食傷気味だったんだよ。
 肉ばかり食っていたら、サラダも食べたくなるだろ?!
 で、俺のサラダちゃんはどこなんだい?!」

と、ウワァ、いかにも、どっかの社長って感じの、油ののった中年の親父が、部屋に入ってきた。

「どうだい、君にぴったりのサラダちゃんだと思うんだが」

えーぃ、やめんかい! その中年会話の中に出てくるサラダちゃんっていう表現は!!
マジ、俺、鳥肌立ってきたし、ここで舌噛み切って死んだほうがいいんじゃないかって、
マジ、怒りが込み上げてきた!

そんな、俺のこめかみの血管がピクピクいってんのに気づいたのか、
俺を拘束している男が、

「本当に申し訳ない、一晩だけ、つきあってやってください」

と、俺に小声で懇願してくるので、もう、しょうがないじゃすまないけど、
しょーがない!!!
この状況で、どこに逃げるかっていっても逃げようがないし、
ここで暴れても、俺の腕力じゃ、たかが知れてるし、
はぁ、一晩だけ、ムウ・ラ・フラガになりましょうと、俺は、自分の運命を呪った。

昔から俺はそうだった。
人にものを頼まれると、イヤと言えないのが俺の性分で、
はっきりNOと言える兄貴が、とても羨ましかった。

今も、こうやって、人違いで、俺は見ず知らず相手に身体を玩ばれる。
「マネージャーを助けると思って」とか、言われてさ。
バカみたい!
あそこで手を引けばいいって分かっているのに、
俺は時々トンデモナイ間違いを犯す。
心のバランスが悪いんだよね。
代償を求めない愛っていうのを、
「君は君のままでいい」っていう存在価値を、今まで示されたことがないから……。
たぶん、それは、兄貴への劣等感から生まれたもんだとは思う。
何をやっても兄貴にかなわない俺は、賞賛の眼差しを得られないのであれば、
せめて、嫌われたくない、いい奴だと受け入れてほしいというふうにしか行動できなかった。
実力で居場所を獲得できないんだから、下手に出て、相手の顔色を伺い、
相手が望むものを先に用意して迎合するしかないじゃないか!
そんな俺が、内心ビクビクしながら一生懸命、明るく振舞って生きてきたのに、
兄貴は俺が家族の中でのアイドルだったという……悲しいすれ違いだよね。

まぁ、今となっては、それがコーディネーターとナチュラルという、
遺伝子レベルからの違いが根本にあって、
兄貴が出来がいいのは当たり前、真実を知らなかった俺が劣等感を持つのも当たり前、
そう、割り切れたっていいのに、
長年培われてきた性格は、いまさら変われるもんじゃない……。

そんなことをブツクサ思いながら、
俺は、ベッカー氏といわれる人と一緒に、寝るための部屋に通された。
これって、一種の自傷行為なのかなぁとか、分かっていたけど。
父さんや母さんを見殺しにしたんだから(たぶん、生きてないよね、生きててほしいけど)、
何も出来なかった俺は罰を受けなきゃならない。
それが、俺にふさわしい場所なんだ……
と、俺は、この状況を受け入れることで、
自分の罪悪感を棚上げすることに決めてしまった!

どうにでもなれ!
壊れればいい!
もう、疲れたんだ。
逃亡生活も、誰かに勝手に期待されるのも。
父さん、母さん、兄貴、ごめんね。
俺、こんな奴で。



「坊主、初めてなんだろ」

と、いかにもおっちゃんという中年の男性が、俺にビールを差し出しながら、聞いてきた。
俺は、まだ、拉致された時の催眠剤が抜けきれていなかったので、アルコールは断りながら、
黙って、コクンと頷いた。

本当は初めてじゃないけど、それも、相手は実の兄貴でコーディネーターでクローンで……
俗にいう近親相姦なんだけど、ハァ。

「おじさんにまかせておくれ、痛くないように教えてあげるからね」

と、おっちゃんは嬉しそうに言い、俺にシャワーを浴びてくるように促した。
俺はヨロヨロと立ち上がり、浴室へ行った。
お湯のコックをひねり、ちょっと熱めのシャワーを顔面から浴びていると、
気分は、もう、娼婦!
どうして人間って、0(ゼロ)から1(イチ)になるのには、
あんなに悩んだりこだわったり、
自分の中で、今起こっていることへの理由や必然性を見出そうと、
あれこれ、試行錯誤してしまうのに、
1度1になってしまったら、1から2へ進むことの、垣根の低さっていったら、ありゃしない!
きっと、1が2になったら、2が4になり、4が16、16が……そっから先は暗算できないけど、
俺って落ちていくんだろうなぁ……あぁ、自罰的。
人前で、明るく振舞う奴ほど、陰で暗いって、当たってるよね。
とか、ブツクサ思いながら、
シャワーを浴び、軽くタオルで全身を拭き、バスローブを羽織って、
おっちゃんが待つベッドに腰掛けた。

「きれいだね、えっと、名前は?!」

「ムウ・ラ・フラガです」

「じゃ、ムウって呼ばせてもらうね、私のことは、トムでいいから」

そう言って、おっちゃんは俺をベッドに押し倒し、白いバスローブをはだけさせた。
この部屋は趣味が悪いことに、天井は鏡貼りだったから、
真紅の光沢のあるベッドカバーの上に、白いバスローブが広げられ、
それはさながら、何か華麗な花を思い起こさせた。
その中心にいる俺と俺の上に覆い被さる男の身体は、
おしべとめしべが絡みつくようなエロスを振りまいていた。
そう、湯上りの身体からは、高級なローズのソープの香りが発ちこめ、
目をつぶると、薔薇の海に寝ているような・・・・・・、
そんな錯覚さえ感じてしまう妖しい空間に、俺は漂っていた。

イルカだったら、目をつぶれば、ジュリアン兄ちゃんを思い出せたのに、
薔薇の花びらだったから、もう、娼婦になるしかないよね。

それは、それで、今、こうやって、俺の乳首にむしゃぶりつくオヤジの髪を撫でながら、
それは、それなりに、悪いもんではないって、
俺の身体は正直に、先走りの蜜を垂らし始めていた。

「ムウ、おまえ、本当に、初めてなのか?!
 それとも、この身体が、もともと卑猥なカラダで、俺が来るのを待っていたのか?!」

「バージンだよ。
 まだ、拉致された時に嗅がされた薬が抜けていないから、ちょっと緊張感が足りないだけ。
 痛いこと、しないでね、優しくしてね」

俺は、天井の鏡の中の自分を眺めながら、すっかり、娼婦を演じていた。
でも、鏡の中の俺は、ムウ・ラ・フラガなのか、ジョン・グリーンなのか、
いや、きっと、ジュリアン・グリーンのほうが、こんなに艶めかしいんじゃないだろうか?!
俺は、男に犯される自分の姿に、兄貴の姿を重ねていた。

そう、この表情は、あの時の兄貴の姿を思い起こさせた。


俺と兄貴がハイ・スクールに入りたての頃、兄貴は新人なのに、
レギュラーQBに抜擢され、周囲の羨望の的になっていた。
それを面白くないと思った上級生が、兄貴を呼び出し、
俺が慌てて、指示された場所に駆け込むと、
そこには、数人の男がなぎ倒され、息も絶え絶えになっていたが、
その中心に、右手の手首にナイフで刻まれたであろう一筋の傷を負った兄貴が立っていた。

兄貴は俺を見つけると、俺の目を凝視しながら、
自分の右手の傷から滴り落ちる真紅の血をぺロリと舐めた。
その恍惚とした気高さと、意地悪な野蛮さの両極面を併せ持った兄貴の表情は、
俺の知らない兄貴のもう一つの顔として、俺の記憶に永遠の居場所を見つけていた。

そして、その時、俺は兄貴に強い性欲を感じ、下半身が熱く騒いでいた。
この顔を持つ奴を犯したい。
この顔を持ってしまったのであれば、犯されるのはしかたない。



天井の鏡の中に写る俺は、あの時の兄貴の顔にそっくりだった。

そして、俺の記憶がフラッシュバックした瞬間、俺は放出していた。
オヤジにいたぶられたというよりも、兄貴にイカされてしまった。

俺は、自分の中のパンドラの箱を開けてしまったようだった。




「ムウ、オマエの身体は淫乱だな。
 初めてとは思えないほど、いろっぽいぜ」

俺は、奴の大きくて生臭いペニスをしゃぶりながら、
右手の人差し指で自分が放った液を自分のアナルに塗り込んでいた。

こんな、はしたないことをできる自分だったなんて……。

そして、オヤジの精液を飲みほしながら、
俺のアナルの指は2本に増え、さらに、深く激しくまさぐっていた。

「ムウ、そこから先は、自分1人で楽しむのは辞めな。
 客を喜ばすことを忘れる男娼がいるか?!」

俺が、奴を受け入れようと、自分からシーツに横たわろうとした腕を引き上げ、
男は先に自分がベッドに寝転んだ。
そして、俺に上に乗るよう指図をした。

「騎乗位のほうが、淫らなオマエの身体には、あうんじゃないのか?!
 オマエ、素人だといってたが、とんだ食わせ者だな。
 そんなに、あそこが疼くのかい?!」

俺は促されたように、奴の上に跨り、右手で奴の、また立ち上がりかけたペニスを、
自分のアナルに導こうとした。
でも、うまく入らない、そりゃ、そうだ、
バージンは兄貴に捧げたけど、まだ2回目だもん。
指のように細くも硬くもないそれは、プルプルして、つかみどころがなく、
自分の指を抜いた後、また、キュッと締まってしまった秘孔には、
体重をかけて無理やり押しこもうとしても、なかなかすんなり入るもんじゃない。
でも、がんばって、何とか咥え込もうと四苦八苦やっていたら、

「ムウ、おまえ、泣いてるぞ」

と、オヤジに言われ、エッとビックリして、自分のちょっと萎えたペニスを見ると、

「おまえ、気がついてないのか、そっちじゃなくて、本物の涙がずっと、頬を流れてるじゃないか」

俺は、オヤジの上に跨ったまま、天井の鏡を覗きこむと、
泣いている俺の顔が、映っていた。
その顔は、淫乱な娼婦でもなく、崇高な兄貴でもなく、まぎれもない自分の顔だった。

「ムウ、そりゃ、俺も金でおまえを買っているんだから、偉そうなことは言えないが、
 もっと、自分を大切にしたほうがいいんじゃないか?!
 そんなに、無理やり自分を傷つけるようなSEXをしていたら、歳をとった後が恐いぞ。
 若い時は、人に甘えていいんだよ。
 おまえ、口では優しくしてとか言いながら、やってることは、自虐的でさぁ、
 俺もSM嗜好がないわけじゃないけど、おまえ見てたらかわいそうになるよ」

と言って、おっちゃんは俺と身体をを入れ替えた。
そして、部屋の明かりを消し、BGMを流し始めた。

それは、潮騒の音だった。

「マイアミって言えば、ビーチだから、まぁ、これでも聞きながらリラックスしな。
 そして、おまえは何もしなくていいから、俺が気持ち良くしてやるから、
 気持ちいい時だけ、サインを送ってくれな、声とかでいいから」

俺は小さな声で、

「はい、すみません」

と、謝ると、

「だから、ムウ、謝らなくていいんだから、
 俺が、おまえにしてやりたいんだから、俺におまえを預けてくれ」

とオヤジは言い、俺に優しくキスをした。

真っ暗になったから、俺は鏡を見ないでいい。
娼婦を意識することも、兄貴の視線を感じることもなく、俺は俺になればいい。
BGMが波の音になったから、イルカが戻ってきた。
これは、兄貴との思い出だけど、でも、優しい記憶なら、寄り添ってもらいたい。

「アッ」

「なっ、無理にエグイことをしなくても、
 おまえの身体は、そっと太ももの内側を撫でただけで、感じるだろ?!
 そういう、おまえが気持ちいいところを、たくさん見つけてやるから、
 痛いことはしないから、安心して、自分の身体に向きあってごらん」

オヤジの手は、優しく温かかった。
人の手が、身体を撫でてくれるのが、こんなに気持ちいいもんだとは知らなかった。
わき腹や、耳の後、足のつま先、そんな、普段意識したことなかった場所に、
自分が心地良いポイントがあるんだということを、
乳首、ペニス、アナルしか頭になかった俺は、初めて知った。
これは、俺だけの気持ち良さで、兄貴がそうとは限らないし、
ラボで造られたクローンであっても、
俺が今感じている気持ち良さまでは、計算外だよね。
俺は俺でいいんだよね。
ちょっとだけ、自分に自信が持てるような気がした。

こんな売春宿で、癒してもらっている自分もヘンな奴だなぁとは思う。
普通、こんな状況はレイプって言われてもいいんだろうし、自尊心を傷つける行為だよね。
でも、俺は、たまたまこのオヤジがいい人だったから、
自分では自分を痛めつけるはずだったのに、
こんな状況においても、自分が守られているという安心感を、逆に得られてしまった。
あぁ、SEXって恐い!
例え、どんなに好きな相手で、全てを差し出すと決意して望んでも、
その場で裏切られ、自分を踏みにじられたら、かえって深い傷になるんだろうし、
意にそぐわない状況で、例えば金銭絡みだったとしても、
自分の弱さを曝け出し、相手がそれを受け留めてくれたら、かえって救いになるんだろうし、
あぁ、SEXって恐い!!
まぁ、最終的には確率の問題なんだろうけど、
好きな相手に裏切られる確率と、売春してお金以外のものを得られる確率は、
どっちとも、かなり低いから……。

と、俺の頭は、おっちゃんが、ちょっとベッドから離れた時、
気持ち良さの余韻の中で、いろんなことを考えていた。

「ムウ、おまえ、痛いのイヤだろ。
 今、ジェルを持ってきたから、塗らせてもらうが、
 ちょっと感じやすくなる薬も入っているから、
 初心者のおまえでも楽しめると思うぞ」

と、おっちゃんは言い、俺は、

「ウン」

と、頷いた。

確かに、おっちゃんの指が俺のアナルの中のいいところを開発してもくれたが、
その薬の作用だろう、だんだん、胸の鼓動がドクンドクン俺の中に刻まれ、
身体がポカポカ温かくなってきた。
そして、オヤジの太く厳つい楔が俺の中に入って来た時も、
初めての時のような鋭い痛みはなく、
それこそ、自然に吸い込まれていき、俺は嬌声をあげていた。
もう、その時は、オヤジのが俺の中で収まっているというのも良かったが、
フッと身体を引かれたときの喪失感と、その後すぐにドスンと打ちこまれる充足感の、
この間を行ったり来たりする時に得られるスピードに伴う激しい摩擦が、
本当に気持ち良かった!!!

「もっと、もっと、お願い、激しく突いて、イかせてぇ」

と、経験未熟なのに、おねだりまでしてしまって、
もう、俺はすっかりオヤジのテクと薬にメロメロで、自分から腰まで振ってしまっていた。

「ムウ、いいだろ?! もっと、欲しいか?!」

「あぁ、いい、いいですぅ……そこ、そこ、あたってるぅ、あっ、引かないで、ちょうだい、もっとぉ」

と、オヤジが黙々と腰を動かしている最中、俺は引っ切り無しに嬌声をあげていた……。

「いい、いい、あぁ、そこ、あたってる、いや、深く、深く、あぁ、そこ、アァ、ヒィェ、いい、もっと」

「あぁ、俺がもたないよ、ムウ、おまえのあそこは、よーく締まって、こんなのは初めてだよ」

「あぁ、俺も、俺も、イかせてください、お願い、イかせて、苦しい……ぃぃイ、アッ!」

と、一緒に、達してしまった。

もう、搾り取られたという虚脱感で、身じろぎ一つできない俺を撫でながら、オヤジは、

「なぁ、ムウ、おまえ、ワケアリだろ。
 行くとこないんなら、しばらくここで働いてもいいんじゃないか?!
 客の相手するのは、俺の専属ってことで、言っとくから、
 この店の地下のキャバレーで、ボーイでもさせてもらったら、どうだい?!
 なんか、おまえ見てたら、ほっとけないって思っちまったよ」

と、言ったと思うのだが、いや、これは俺の願望だったのかもしれないのだが、
そう聞こえてきたので、俺は安心して意識を飛ばした。


目が覚めた時、俺は、ビジネス・ホテルのシングルのような部屋、
つまり、ベッドのあるシンプルな小部屋に裸で寝かされていた。
そこには、俺が拉致された時、モーテルに残してきたバッグも置かれ、
俺はその中から、自分の着替えを取り出した。
シャワーを浴び、トレーナーとGパンに着替え、今後の身の振り方を考えた。
なんか、最近の俺って、SEXの後、次にどうしようかと考える機会が多いなぁって、
ちょっと、流されてるなぁと反省してしまう。

あぁ、どうしようかなぁ?!
ここは、やっぱり、イカガワシイ店なんだし、
ここにいるってことは、客を取らなきゃいけないんだろうし、
昨晩みたいなことを、これからも続ける自信はイマイチないよなぁ。
まぁ、身体はすぐに慣れちゃうんだろうけどさぁ。
いや、心が落ちるほうが先か?!
でも、俺の現時点での究極の目標は、逃げること、見つからないこと……。
その点に関しては、この場所って、最高じゃない?!
外で不特定多数の視線を感じながら、ビクビク過ごすのと、
この店の中で、客の視線を浴びながら、ベッドで過ごすのと、
どっちが、おいらはラクなんでしょう?!
あぁ、プライドさえ、かなぐり捨てれば、ここのほうが絶対、ラクだよね。
ラクして金が手に入ることを知っちゃったら、
まぁ、それが売春ってもんなんだろうけど、
もう、カタギの暮らしが出来なくなるって、昔、母さんが言ってたけど、
母さんは、俺にこんな日が来ることを知って、釘を刺していたのか?!
母さん、父さん、兄貴、ごめんね。
まさか、おいらが、こういう形で逃亡生活をしているって知ったら、
やっぱ、悲しむよね。
でもね、知恵もないし、武器も使えないし、ほんと、ただの人の俺が、
組織から追われて生きてゆくには、こういう場所にたどり着くしかないんだよ……。
自分と同じ身体を汚されちゃって、ジョージ・グレンさんにも、ごめんなさい。



そんなことを考えていると、部屋のドアが開き、
昨日マネージャーと呼ばれていたおっさんと、その部下が入ってきた。

「えーと、きみの本当の名前は知らないんだが、ここに謝礼は用意してある。
 昨晩は、こちらの都合で、きみに多大な迷惑をかけてすまなかった。
 ベッカー氏が、きみのことを気に入っていて、自分の専属にしたいと申し出ていたが、
 きみにその気はないだろうし、まぁ、今から、きみの行きたい場所に車を出すから、
 どこがいいか、考えといてくれたまえ」

と、昨日の横暴な態度とはうって変わって、ジェントルマンな素振りで話し出した。
その姿が、なんか、予想外にまともだったので、俺は決心した。

「あの、俺、ここに置いてもらえないでしょうか……」

「エッ、もう1度言ってくれないか?!」

「ここで、働かせてください!(祝!アカデミー賞)
 客を取れというのなら、取ります。
 皆さん、ご承知の通り、俺は、身を隠さなきゃならない立場なんで、
 ここに住まわせてもらえないでしょうか」

「そりゃ、きみが人を殺したとか、そういう類で逃げているのではないのなら、
 置いてやってもいいが、いったい、何をしたんだね?!」

「俺は、何もしてません。
 理由は知らないんですが、俺の家族が追われていて、
 俺は、その人質のような意味で価値があるから狙われているんだと思っています」

「じゃ、こういうことにしよう。
 この部屋をきみの部屋として使ってもらって構わないが、
 昼は店の掃除、夜はホールでの給仕係、で、ベッカー氏が来た時は相手をする。
 これでいいかな?!
 えーと、きみの名前は?!」

「ムウ・ラ・フラガでいいです」

「そう、ムウ・ラ・フラガくん。
 では、さっそく、契約書を用意するから、サインを頼むね」

「あのぅ、俺、ムウ・ラ・フラガという綴り字(スペル)知らないんで、教えてくださいね」

という訳で、マネージャーは意外という顔をしていたが、
俺は、とりあえず、居場所は手に入れた。

マネージャー達が出ていった後、俺は小声で呟いた。

「さよなら、ジョン・グリーン。
 この名前、好きだったけど、もう、使えないんだ。
 ムウ・ラ・フラガ……なんか、ヘンな名前。
 でも、仕方ないか、他に思いつかないんだから、これで、いいや!」







この店で、ムウ・ラ・フラガとして働き始めて1ヶ月、この間の記憶は、ほとんどない。
あまりにもいろんなことを覚えなくてはならなくて、もう、たいへんだった!
それまで、仕事といっても、庭の芝刈りとか、犬の散歩とか、プールの監視員とか、
あまり、頭を使わない、お小遣い稼ぎ程度のバイトばかりやってきたので、実際に、集団の一員として、
他の人の足を引っ張らないようちゃんと自分の役割を果たすというのが、
こんなにたいへんなことだとは、思ってもみなかった!
客の相手をするだけなら、個人プレーだろうが、
限られた時間内に担当する部屋の掃除を仕上げたり、
高級クラブ内でのマナーを仕込まれたり、覚えなきゃならないことが山ほどあって、
もう、もう、ムウ・ラ・フラガは大変ですぅ!
そんな俺の様子を見ていたベッカー氏曰く、

「ムウ、ホールでの仕事を覚えられるまでは、SEX禁止だ!
 ちゃんと言われたことはメモして、
 1度言われたことは2度言われないですむよう、頑張ってくれ!
 俺が推薦した子が、仕事ができないと言われるのは、私もつらいからねぇ」

と、叱咤激励される始末……。

でも、そんなふうに目まぐるしく過ぎてゆく日々の中で、俺はかなり救われていた。
外に1歩も出ることなく、3食・仕事付きで、
兄貴のことを想うヒマもなく、
俺は、ひたすら、周囲に「できる新人」だと認められたいと、一生懸命働き続けた。
ムウ・ラ・フラガ、頑張りますぅ。

で、このアヤシイ館の紹介ね。
俺も、1ヶ月ほど働いてみて、やっと全容が掴めたかなって思うんだけど、
ここは、マイアミの繁華街の裏通りにある地下2階、地上5階のビルで、
ビル全体が1つの娯楽施設なんだな。
地下2階は駐車場、地下1階はキャバレーで、1階が玄関と、事務所兼倉庫、
2階が賭博場、3階がホール、4階が売春部屋、5階が居住施設という、
まぁ、一言で片付けたら、「人間の欲望追及のためにできた無法地帯」ってとこ。
俺は、5階に一部屋もらって、住み込みの従業員やってるんだけど、
だいたい、昼前に起きて、飯食って、3階、4階の掃除をして、
夕方になると、飯食った後、正装して地下のキャバレーでボーイをしたり、
イベントがあるときは3階のホールの手伝いをしたりして、
夜明け前に自分の部屋に戻って、飯食って寝るというのが日課かな。
俺のように住み込みって人はほとんどいなくて、
だいたいが、このビルの近くのアパートやモーテルで暮らしてるみたい。
調理場や清掃担当の裏方のスタッフもいるし、
ホストやホステスの美男・美女も大勢いるって感じなんだけど、
俺は裏方兼ホストの、ようは、何でも屋のような扱いってとこです、はい。

で、1ヶ月がたち、何とかそれなりに、オープン前の掃除もこなせ、
夕方からは、ホールでも、お客さまに迷惑をかけず、サービスができるようになり、
表裏問わず、他の従業員の皆さんとも、コミュニケーションが取れるようになった頃、

「ムウ、401号室へ行ってくれ」

と、チーフに言われ、ベッカー氏との愛人契約が再スタートした。
その頃には、俺は、すっかりベッカー氏に感謝していた。
というのも、この1ヶ月の間、1日に何度も、俺はキャバレーやホールで指名が入り、
これだけハリウッド・スターばりの美男、美女をスカウトしている、
エリートのホスト・ホステス軍団の中で、
おいらのような、1ヶ月前まで、グランドでボール拾いしてました……みたいな(事実だけど)、
ごく普通ののティーンエイジャーが、皆さんの注目を浴びるのか理解できなかったのだが、
(本当は、ただ単に、醜いアヒルの子が目立っていただけなんだろうけどネ)
でも、その度に、チーフが、

「あのムウって子は、ベッカー氏のお気に入りなんです」

と、言っただけで、俺を指名をした人々は、俺のことを羨望の眼差しで見るので、
ちょっとだけ、フフッて気分を味わえた。
こんなにモテモテなのは、生まれて初めてで、
いつも兄貴の落穂拾いをしてきた俺としては、
こんな売春宿で、アイデンティティを確立したって、どーなんのよ?!って、
嬉しいような悲しいような、複雑な気分を味わっていた。


そう、ほんと、おいらの人生、兄貴の残飯処理って意味合いが強かったから……、


初めてSEXした女性は、高校のフットボールのチアリーダーをしていた先輩で、
俺を兄貴の身代わりとして誘ったんだし、その次も、その次も、
俺が肌を重ねた女性は、俺に抱かれているというよりも、
双子の兄貴の面影を求めて、俺を利用しているって感じだった。
だったら、断ればいいじゃんって思うんだけど、
俺も、優秀な兄貴を持って孤独だったから、
ついつい、彼女達に寄り掛かっていたというのが、本当のところ。
まぁ、俺も彼女たちも、自分の手が届かない兄貴という存在を意識して、
傷の舐めあいをしていたんだな。
そう、兄貴は特定の彼女は持たないっていうのが主義だったみたいだからね。
今となっては、コーディネーターの自分の正体をばらしたくなかったんだって、分かるけど。
俺の通っていたハイ・スクールは、ナチュラル専用ってことになってたから。

でもね、そんな俺にも、1人だけ、兄貴じゃなくて、俺がいいって言ってくれた娘がいたんだよ。
クリスって名前の子でね、彼女も、俺と同じ平凡な子で、
ほどほどの成績、ほどほどの人気、ルックスも凡庸だし、スポーツができるわけでもない、
でも、彼女とつきあっているときは、やっと、兄貴じゃなくて、俺のことを見てくれる娘が現れたって、
俺、本当に嬉しかったんだ!
俺が抱いてきた、どんな美人でグラマーで、趣味のいい女性たちよりも、
そばかすがあって、ちょっと小デブで、あかぬけないクリスが、
まぁ、俺には似合いだろうって、俺たちは、それなりに仲良く楽しく過ごしていた。

なのに、なのに、そういう時に限って、兄貴は俺のささやかな幸せをぶち壊したんだ……。

今でも、はっきり、覚えてるよ!
先輩の卒業パーティーに呼ばれていた夜のこと。
俺はクリスと出席するつもりだったのに、ドタキャンされて、
これじゃカッコつかないからって、行きたくなかったんだけど、
先輩の顔を立てないわけには行かないから、渋々足を運んだら、
なんと、そこには、兄貴とクリスが踊ってた……。
もう、何それって、ショックで、俺はその場から走って逃げたよ。
悔しかったのは、俺が今まで見たことのないような極上の微笑を浮べて、
兄貴と踊っているクリスの顔……。
そんな表情、俺といる時は見せたことなかったのに、
どうして兄貴なの?!
俺じゃ、ダメなの?!
双子なのに、同じ遺伝子なのに、どうして神様は、こんなにイジワルなんだろうって、
その晩は神を本気で呪いそうになっちまったよ。
まぁ、その後、兄貴とクリスがつきあっているという噂も聞かなかったし、
俺もクリスとは顔を合わせないよう避けちゃったし、
おいらの小さな幸せは自然消滅したんだけど、
そりゃネ、今となっては、遺伝子操作に差があったっていう事実はあるよ。
コーディネーターとナチュラルの差は、埋めようがないもん!!!
全てをお見通しの神様にしてみりゃ、お気の毒ってもんだろうよ!
でもでも、クリスはいいよ、もう、許したよ。
そりゃ、俺なんかと何年付き合おうと得られない至福の時を、
兄貴なら一瞬でもクリスに授けることができたんだから、
俺がクリスの立場だったって、たぶん、同じ選択をすると思うよ。
けど、許せないのは兄貴……じゃなくて、俺自身。
兄貴に、そういうイジワルをされたって、俺は兄貴にイヤミの一つも言えなかったし、

「クリスって、いい娘だろ、兄貴のこと前から好きだって言ってたんだよ。
 俺とよく一緒にいたのも、兄貴のこと聞き出したかったんだって、つきあってみたら?!」

って、逆に彼女の幸せを願ってるバカな俺。
どうして、こんなに、いい人を演じなければならないのだろう?!
どうして、優秀な双子の兄貴を持つと、弟は自虐の道を突き進むのだろう?!
しかたないじゃん、それでも、兄貴が好きだったんだもん。
自分と同じ顔を持ち、同じ遺伝子を持つ兄貴がカッコイイのは、悔しいけれど、
それ以上に、愛しかったから……、
俺は一生、兄貴を陰で崇拝する信者でいいって、あきらめたんだ……。

なのに、ここには兄貴はいない。
俺が、兄貴に捨てられちまった。
兄貴の陰で、兄貴を崇める、1番の使徒にぐらいは、なれるかと思っていたのにね。
神様のイジワル……。

こんな、売春宿で、兄貴から引き剥がされ、俺が唯一の俺になったからって、
俺を指名する客が引っ切り無しに現れ、
今まで兄貴が当たり前のように味わってきた羨望の眼差しを、
ここにきて、おいらが身に受けたとしたって、正直、何か、物足りない。
嬉しいんだけど、哀しい。
兄貴がいない。

そんなことを考えながら、俺は、ベッカー氏の待つ401号室へ向かった。

そして、抱かれた。
今回も、最後はアナルに誘淫剤を使ったけど、それはそれなりに気持ち良かったし、
ベッカー氏は、俺のことを大切に扱ってくれた。

「ムウ、おまえ、仕事を覚えるのが早いって、マネージャーも誉めていたぞ!
 ちゃんと、頑張ってくれて、おまえを囲っている私も嬉しいよ!」

と言って、頭を撫でてくれた。
本当は、アナルに突っ込まれるSEXそのものよりも、
俺のことを誉めてくれる優しい声と、頭を撫でてくれる温かい手が、
1番、1番、兄貴がいない今となっては、心の支えだったんだけど。

ねぇ、俺、こんなに汚れちゃってるけど、生きてていいのかなぁ?!
生きていれば、兄貴に会えるかもしれないって思ってもいいのかなぁ?!

ここにきて1月(ひとつき)がたち、少し余裕が出てきたら、
兄貴のことを思い出すようになってしまった。
そうそう、もうそろそろ、兄貴の日記を取り戻しに、外で日の光を浴びよう。
そして、俺の知らなかった兄貴にとっての真実を、俺も受け止めよう。


俺がベッカー氏との愛人契約を再スタートしてまもなくの頃、
マネージャーが、ホールの床にワックスをかけている俺に近づき、

「ムウ、ベッカー氏から、チケットを預かっているんだが、
 今度の日曜の昼、ドルフィンズ対49ersの試合があって、いっしょに見に行かないか?!
 ベッカー氏が保有する年間予約シートだから、いい席だぞ」

「エェッ?! 49ers! 俺、大ファンなんです!
 俺が見に行ってもいいんですか?!」

「ハハ、やっぱり、ムウ、おまえは西海岸からフロリダに来たんだろ。
 おまえのイントネーションは、ウエスト・コーストだからって、
 ベッカー氏が、わざわざ、サンフランシスコのチームの試合を選んでくれたんだよ。
 あいにく、ベッカー氏はこの日は日本に出張だそうで、私と行くことになるが、かまわんな」

「ハァ」

「なんだ、その不満げな返事は!」

「だって、マネージャー、服装の趣味悪いじゃないですか?!
 昼のスタジアムを、俺、マフィアと愛人って一目で分かるような姿で歩きたくないです!」

「あぁ、その点は考慮する。
 そして、日曜は、1日仕事は休んでいいぞ。
 ムウ、おまえ、ここに来てから1日も休んでいないし、外にも出ていないだろ。
 いくら、身を隠してるといっても、もう、そろそろ、マイアミの太陽を浴びてもいいんじゃないか?」

というのが、きっかけになって、俺はその日曜日を境に外出するようになった。
その頃には、髪も金髪に戻り、
どことなくハイ・スクールに通っていた頃のジョンの姿に戻ったような感じもしたが、
鏡に映る俺の姿が、なんとなく中性的な艶めかしさを伴ってしまったのは、
やってることがやってることだけに、仕方ないんだろうなぁ……と、悲しくなった。
本来なら、ブルー・コスモスとか、ラボとか、どっかの諜報部とかのことを考慮して、
出歩かないほうがいいんだろうけど、なんか、もう、自棄ね(やけね)、自棄(やけ)。
俺は、精神的には、マリファナ海溝ってとこまで沈没しちゃったんだし、
兄貴は、肉体的に、地球の重力を振りきって宇宙(そら)に上がっちゃったんだろうし、
いまさら、ブルー・コスモスも、ラボも、諜報部もあったもんじゃねぇやぃ!!!
じゃ、ここを出て行けばいいんだろうけど、
誰かに拘束されてるわけでもないのだし、
俺の自由意思でここにいるってことになってるんだから、
出て行くのなら、誰も止めはしないんだろうけど、
俺、本当のこと言っていい?!
ここでの生活、嫌いなわけじゃないんだ。
SEXは、まだ、そんなに慣れはしないし、自虐は付き纏うけど、
俺、独りになったことないから、孤独がすごく恐いんだ。
ベッカー氏に、マネージャー、俺をかわいがってくれるホステスの姉ちゃん達に、
いつも何か美味しいものを取っておいてくれる、コックのリーさん、
お掃除おばさんのアンナさんに、俺にベッド・マナーを教えてくれた先輩のステファン。
なんか、擬似家族みたいな人間関係ができちゃって、
家族が崩壊した俺には、例え偽者であっても、そんな関係が心地良かったんだ。
だから、俺は出て行かないし、出て行けない。
こんな生活に、いつピリオドが降されるのかは分からないし、
ある日突然、平和な家族がバラバラになったように、
終わりは、唐突に訪れるものなんだろうけど、
今の俺には、この場所は必要だった。

そして、まず、あのモーテルに行ってきた。
そう、俺の大切なものを隠してあるはずの場所で、
正直、無くなっていたらどうしよう?という不安と、
失われていたら、解放されるのに(何から?)という期待が入り混じって、
妙なテンションに吐きそうになりながら、俺は、兄貴の日記を取り戻しに行った。

で、今、手元にあるのだけど……、
あぁ、やっぱり、恐くて読めない!
読まなきゃいけないっていうのは、理解できるんだけど、
俺に読んでほしいから、兄貴は俺に渡したんだろうけど、
でも、俺、こういうの、本当に、1番苦手なんだ。

ここで初めて告白するけど、
おいら、昔、あるコミック・クリエーターにファン・レターを出したんだ。
なぜか、期待もしていなかったのに、返事が来て、
嬉しいのは嬉しかったんだけど、正直、読むのが恐くて、
今でも、封を切らずに、そのままどこかに放置してある。
というか、たぶん、俺の家が焼けたのなら、いっしょに燃えたのかもしれないけど。
で、返事をもらってから、
その作家の作品が掲載されている雑誌の表紙を見ただけでも、
俺、罪悪感を持っちまって、近づけなくなって、
結局、その作家の作品を自分の中で遠ざけるようになってしまったんだ。
あまりにも思い入れが強かったから、
返事の中で、俺自身が拒絶されてたらどうしようかとか、
いや、たぶん、否定するためだったら、返事をくれないんだろうけど、
俺の中の劣等感とか、違和感とか、家族にも友人にも言えないマイナスの感情を、
コミックを媒体にして表現したくて、書き殴って出したんだけど、
まさか、返事が来るなんて、予想外だったんだよ。
で、どんなことが書かれてあるんだろうとか、いろいろ考えたら疲れちゃって、
あぁ、うざったい!!!って自分の中で切り捨てちゃったんだ。
もう、いいや、読まないって決めたから、読まないんだって!
ほんと、俺って、誰かに自分を理解してもらいたいって気持ちは人一倍強いのに、
もし、自分をチョットでも否定されたらどうしよう、
絶対的に認めてくれるんじゃなきゃ嫌だって、
スゴイわがままになってしまうほど、小さくて弱く、そして愚かな人間なんだ、本当に……。



兄貴の日記も、それと同じ感じ。
やっぱり、恐いよ、読めないよ……。

宇宙(そら)にいるであろう兄貴は、俺がとっくにこの日記を読んでいると錯覚して、
1人ご満悦に浸って、ワインなんか飲んでいるのかもしれないけど(未成年のくせに)、
そりゃ、兄貴に保護されて、ぬくぬく生きてきた俺に、
おまえが思っているのと違い、兄貴は実はたいへんな運命を背負わされ、
悪戦苦闘してたって、知ってもらいたいのも、よーく分かるけど、
でも、俺は、今は読みたくない、読みたくない、読みたくない、読みたくない、読みたくない!
だから、読みません!

はぁ、やっと、自分の中で宣言して、俺は兄貴の日記をバッグにしまった。

そして、俺の中で、兄貴の日記と同じようなタブーがもう一つある。
やっぱり、家族のことだ。
どうして、あんなに一緒だったのに、離れたらタブーになってしまうのだろう?!

俺は、近頃、コックのリーさんと一緒に、州立図書館に通うようになった。
ベッカー氏のSEXパートナーを務めるようになってから、
裏方の掃除の仕事はしなくていいようなシフトになったので、
俺は夕方まで、自由な時間を持て余すようになった。
そんな時、リーさんが、バス停を教えてくれて、

「私は昼は図書館で過ごしているから、ムウも本でも読んだらどうだ」

と、誘ってくれた。
リーさん一族が住んでいるエリアに隣接して、というか、
リーさんの住むチャイナ・タウンがスラム化してきたために、
公共の施設を建設して、スラム化の流れを食い止めるのがお上(おかみ)の狙いだそうだけど、
たいへん立派な図書館に、俺は足繁く通うようになった。

で、話は元に戻るのだが、何がタブーかというと、
父さんと母さんの消息を、俺はどうしても探す気にはなれなかった。

あの、俺が兄貴に抱かれた夜が明けた後、俺の家は、まだあるのか?!
父さんと母さんがいたはずのラボは、どうなったのか?!
ネットで探せば、すぐに分かることだろうし、それで逆探知されるのなら、
新聞を見るだけでもいいのに、俺には、それもできなかった。
そりゃ、息子の義務だとは分かるんだよ。
でも真実を知るのが恐いんだ。
本当に、父さんも母さんも死んでしまったって分かったら、
喪失感がどのくらい大きなものになるかということすら、想像できないんだ。
特に、こんな仮の住処に、不安定な自分を丸投げして、
その日暮らしでやっとこさ生きてるっていうのに、もう、俺、限界なんだ。
だから、だから、ごめん、父さん、母さん、
おいらが、もう少し元気になるまで、ちゃんと向き合える日が来るまで、
もう少し時間をください。
ごめんなさい。

でもね、それでも図書館に行くのは、
ジョージ・グレンのことを調べたかったのと、
クローンについても知りたかったからなんだ。

リーさんは、自分のIDカードで、本を借りたらいいとは言ってくれるんだけど、
もし、そのことで、俺の身元がばれたりしたら、リーさんに迷惑をかけるから、
図書館では、その場で本を読むだけにして、借りることはしなかった。

ジョージ・グレン関連の本は、けっこう出版されていた。
彼の悲劇的な結末をドラマティックに描いた伝記や、
人類初のコーディネーター誕生に至った経緯を述べたものや(プロジェクトX)、
彼の成長過程に関わった人々へのインタビュー集もあった。
正直、俺は自分がコーディネーターじゃないから、
ハイズマン・トロフィー(全米大学フットボール最優秀選手賞)を手にするとか、
自分が設計に携わったスペース・シップで木星に行くとか、
俺が彼のクローンだとしても、とてもじゃないけど、無理って、
そういう彼の偉業に関しては、親近感を持てなかった。
でも、兄貴だったら、やれるのかなぁとも思ってしまったけどね。
ただ、知りたかったのは、彼に遺伝子を提供した人で、
実質的に、俺の親となる人は、どんな人だったのかは気になった。
でも、ほんと、がっかりした。
ジョージ・グレンを生み出すために精子と卵子を提供した人は、
彼の育ての親の研究者夫婦ではなく、
世界規模で集めた精子と卵子のデータ・バンクの中から、
選抜して用いたというだけの記述だった。
俺の金髪も、骨太の体格も、そういう基準に満たされていたからなのかと思うと、
本当は、親の写真でも見れたらいいのになぁって期待していたのに、がっかりした。
クローンだから、そりゃ、ジョージ・グレンの晩年を見たら、
ハゲてデブじゃなかったので、俺も、その点は大丈夫なのかなぁとは安心したけど、
でも、クローンっていう響きは、なんか長生きしそうにないよね。
クローンについての本も何冊かは読んでみたのだが、
遺伝情報の複製を作る過程での読み取りにバグが生じる確率が、
精子と卵子を受精させて発生した個体と、
クローンとして発生した個体では、クローンのほうが高いという研究結果が出ていた。
つまり、クローンは遺伝子の複製を作る過程での突然変異の確率が高く、
それは、短命になるという結論だった。
あーぁ、ジョージ・グレンはクローンじゃないから、
暗殺されたとしても、あの歳になるまで生きてこれたけど、
俺と兄さんは、下手したら、もう、老化が始まっていて、
あと数年もしたら、老人班が皮膚に浮かび上がっているかもしれないなぁとか、
あーぁ、命短し、恋せよクローンだよね。
こんなとこで、身体売ってる場合じゃないんだろうけど、
太く短く生きるのも、俺と兄貴の定めなのかと、ため息が出た。

そして、俺がプライベートで図書館とか出入りするようになった頃、
仕事のほうは、順調に、ベッカーのオヤジさん好みに身体は仕上がっていた。

はじめは、俺に負担をかけまいと、挿入する時は媚薬とかも使って、痛みを和らげてくれていたが、
今では、そんなもの必要なくなり、すっかり、身体はそういう行為に馴染んでしまった。
慣れてくると、羞恥心とか、罪悪感とかも薄れてきて、
なんか、スポーツ感覚っていうと悪いんだけど、適度ないい運動のような気分になった。
確かに、気持ちいいことは気持ちいいし、若いから、刺激はどんどん求めてしまう。
そんな俺を見ていたベッカー氏は、
一通り素人を自分の色に染めた満足感も味わえたようで、

「なぁ、ムウ、俺の仲のいい奴らが、俺が調教した子を抱いてみたいって言うんだが、
 どうかなぁ、俺の専属という枠を、チョット広げてもいいかい?!」

「ベッカーさん、それって、誰とでも寝ろってことですか?!」

「いや、そこまで、広げる気はない。
 まぁ、俺が許可をした範囲内で、
 おまえと相性が良さそうな奴を何人かってところさ」

「いいですよ、そりゃ、俺のご主人様は、あなたですから、
 ご主人様のおっしゃる通りにいたします」

と、いうわけで、俺は専属という立場から、
何人かの顧客を抱えるという立場になったのだった。
それでも、ベッカーさんの許可を得た人たちというだけあって、
お金もあって、地位も高く、がっついてくるという人々ではなかったので、
俺的には、そんな酷いことをされるわけでもなく、安心して身を任せていた。
SMにしても、ソフトSM止まりで、鞭で打たれるということはなかったし、
どちらかというと、知的階級が高い人々は、
肉体的に痛めつけて楽しむというよりは、
俺を縛って何もしないとか、精神的に焦らして楽しむほうが好みのようだった。
また、3Pとか、乱交パーティとかもあったけど、
そういう時は、自分のテンションを上げるためにも、ちょっとだけ、ドラッグを使用した。
副作用の少ない、脳内ホルモン剤を服用してから、プレイに望むと、わりと積極的に楽しめた。
でも、こういうプレイをした翌朝は、けっこう脱力感がひどく、
これを補うために、またドラッグを服用すると、薬物依存になってしまう。
それだけは避けようと、ただでさえ短命なクローンなのに、
自分から、遺伝子の突然変異を誘発するような自殺行為は、してはいけないよね。
まぁ、だったら最初からドラッグを使用しなければいいんだけど、
そこは俺の弱さってことで、微妙なバランスを維持しながら、
男娼生活も、半年は過ぎ、季節は夏から秋、冬へと移行していた。
冬といっても、ここマイアミは、全米最大の避寒地だし、
冬のほうが、ニューヨークやシカゴからの長期滞在者が増えるため、
かえって、ビーチは活気に溢れているようだったのだけど。



で、脱力感がひどく、やるせないなぁという日は、
夕方までのプライベートの時間を、俺は水族館で過ごすことにしていた。
バスに乗れば、わりと近くに、大きな水族館があり、
巨大パノラマ水槽でのアクアラング・ショーや、イルカやアシカのショーもあり、
親子連れやカップルでにぎわっていた。
でも、俺の指定席は、水族館内にある喫茶店で、
そこは、イルカ専用のプールを横から眺められる設計になっており、
コーヒーを飲みながら、イルカが水の中で泳ぐ姿を見られるようになっていた。
昼時になると、子どもの声がうるさかったりもするのだが、
その時間帯を外せば、わりと、ゆっくり、のんびり、
イルカの優雅な姿を眺めることができ、俺の癒しの空間だった。
でも、そんなある日、

「ムウ、あんた、うちの店のムウでしょ」

と、女性の声にビックリして振り向くと、
なんと、掃除婦のアンナさんが、コーヒーにベーグルをのせたトレーを持って立っていた。

「ムウ、そんなにイルカを見ていたいのなら、いい場所知ってるわよ」

と、彼女が案内してくれたのは、海に面した施設で、
ここでは、イルカを使った精神療法が、研究、実践されているとのことだった。
心に傷を負った(PTSD)人たちや、自閉症の方々などが、
イルカと一緒に海で泳ぎ、イルカに触れることで、
気持ちがほぐれ、生きてゆく力を与えられるという……
そんなことをやっている場所なのだそうだ。
アンナさんと俺は、子どもがイルカと戯れているのを、桟橋の上から眺めていた。

「本当は、こういうの、非公開じゃないんですか?!」

「まぁね、私の夫が、ここでトレーナーをしていたのよ。
 3年前に、交通事故で亡くなってね。
 だから、私は特別に顔パスで、ここに入ってもいいって許可をもらったの。
 寂しくなると、ここに来て、夫の姿を探したり、イルカに元気をもらってるのよ。
 ムウ、ここに来たくなったら、いつでも来ていいわよ。
 さっき、あなたのことを、私の甥っ子だって声をかけといたから、
 あなたも顔パスでここに入ってきてもいいからね」

「すみません、アンナさん、気をつかっていただいて……」

「いいのよ、あんた、ワケアリでしょ。
 珍しいのよ、あんたのように、お客様からも、ホステスやホスト、
 それに、私たち裏方に管理職まで、みんな、あんたのことを誉めてたわよ。
 あんな、まともな子は、こういう場所に居てはいけないって。
 どうして、ムウは、出て行かないんだろうねぇって。
 まぁ、身を隠したいっていうのなら、仕方ないけど、
 いつでも、その時が来たら、みんなで笑って、送り出してあげようねって、
 マネージャーは、あなたが今まで稼いだお金をすべて、
 あなた名義の口座を作って貯めてあり、
 あなたがここを出るときに、渡すのを楽しみにしてるんですって。
 あんたのサヨナラ・パーティーの話しまでしてんのよ」

「俺……あそこにいちゃ、いけないんですか。
 そりゃ、男娼やってるっていうのは、自分もつらいんですけど、
 でも、居心地がいいっていうのも事実なんです」

「ムウ、あなたの仕事を責めてるわけじゃないのよ。
 身体を売ってるっていっても、あんたは、ちゃんとお客様を喜ばして、いい仕事をしてるんだし、
 あんたに救われてるって話はよく聞くの。
 どちらかというと、あんたとのSEXそのものよりも、
 その前後で自分の話を聞いてくれるってことのほうが、
 お客様にとっては、嬉しいみたいなのよね。
 でもね、私はそれを聞くたびに、あなたが不憫になるの。
 ムウは、こうやって、掃除のおばちゃんの話しにもつきあってくれて、
 あなたは、本当に、いい人よ。
 だからこそ、あなたが無理してるんじゃないかって、
 生き急いでいるんじゃないかって、心配になるの。
 分かる、そんなにいい人にならなくていいのよ。
 何か大きな物を背負っていて、 自分が癒してほしいけど、癒してもらえないからって、
 それを、他人にしてあげようとまで思わなくていいのよ。
 あなたは、そのままのあなたで、十分なんだから!!!
 だから、もっと、自分を大切になさい。
 ここが、あなたにとって相応しくない場所ならば、
 出て行ってかまわないのだから……」

俺とアンナさんは、並んで桟橋に立っていたが、
アンナさんは、俺の頬から涙が流れては落ちるのを、知っているのだろうか?!
俺が、本当に言ってもらいたくても(特に家族から)、
誰も言ってくれなかったことを、サラリと、掃除婦のアンナさんが言ってくれた。
嬉しかった。
こんなところに、自分を理解してくれる人がいるのかと、嬉しかった。

「アンナさん、ありがとね。
 俺のこと、分かってくれて、俺のためを思って、ちゃんと言ってくれて。
 そうなんだ、あそこは、仮の住処で、
 いつまでも居る場所じゃないって分かってる。
 なのに、動けないんだ。
 まだ、向き合いたくない現実から、逃げてるんだ。
 アンナさん、聞いてね」

「いいわよ、つきあうわよ」

「俺さぁ、双子の兄貴がいてね、
 兄が追われていて、僕は彼の弟だから、
 自分が兄の足手まといになってはいけないと、身を隠して、ここにいる。
 だから、兄が、どこかで元気にやってるって分かったら、
 もう、この生活は終わりにするつもり。
 できれば、兄に会って、ちゃんとお別れを言って、次の階段を昇りたい。
 でも、兄の消息は不明だし、今、俺が捕まったら兄貴に迷惑かかるし、
 どうすればいいのか分かんないんだ。
 だから、もう少し、ここにいてもいいかなぁ。
 分かるよ、みんなが俺に言うことも。
 でも、もう少しここにいさせてもらえないかなぁ……。
 もう、今の俺って、どこにも行く場所がないんだ。
 出て行けなんて言われたら……」

俺は、桟橋に前かがみにもたれて、頭を突っ伏して、泣いてしまった。
どこにも居場所がない俺、売春してても、出て行けって言われてしまう俺。
どうしたらいいんだよう?

「ごめんね、ムウ、ごめんね。
 あなたを追いつめたいんじゃないの、
 あなたが居たいんだったら、いつまでも、居ていいのよ。
 あなたが、そんなに大きな物を背負ってるって分からなくて、
 生意気なこと言って、ごめんね。
 気休めに聞こえるかもしれないけど、いつか、あなたはお兄さんに会えるから、
 会えないにしても、お兄さんの消息が分かる日がくるでしょうから、
 その時、ねっ、その時、また考えましょう。
 私にも、相談してね」

「アンナさん、ありがとう」

この日のアンナさんとの会話は、俺にとって重要なことを認識させた。
俺は、いつまでもここにいてはいけないということ、
兄に会った時、俺はちゃんと言いたいことを伝えなければならないっていうこと、
兄に会えなくても、消息が分かったら、俺は行動を起こすべきだということ。

人に話してみて、自分の置かれている状況や、何をしなくてはならないのかが、
やっと、輪郭だけだけど、俺にも掴めてきたような気がした。

でも、まだ、動けない。

膠着状態の気持ちを引きずった俺は、季節が冬から春へと移行しても、
相変わらず、同じ場所で、同じことをやっていた。

あぁ、そうそう、俺が、そもそも「ムウ・ラ・フラガ」にならされてしまった経緯を、
最近になって、先輩のステファンから聞いた。
こういうことだったそうだ。

従業員やお客様が、何か負傷したり、トラブルに巻き込まれた時のために、
日頃の売上を少しちょろまかして、コツコツ貯めていたお金が裏口座にあった。
これは、マネージャーが管理して、ボスは知らないことになっていた。
それを、当時のチーフが持ち逃げして、
おまけに、そういうことをマネージャーがやっていたと、
ボスに匿名で告ってから失踪したため、事態がややこしくなった。
ボスはそういうことをマネージャーがやっていると薄々気がついていたし、
マネージャーが個人的に使用しているわけじゃないと知っていたんで、
マネージャーを責める気はなかったらしいが、
ボスという立場上、何らかの制裁はしなくてはならず、
かといって、当時のチーフは行方不明で、誰かを犯人に仕立てなければならず、
自分が経営するモーテルに網を張り、
誰か犯人になってくれそうな人を探していたら、俺が選ばれた……ということらしい。
でも、これって、もともとマネージャーの裏口座が悪いんだから、
マネージャーは形だけでも、制裁されても仕方ないのに、
そのへんが、うやむやになって、
俺だけ、とばっちりをくったというのが、いかにもな展開なんだけどね。
だったら、最初からこんな茶番劇しなくてもいいのにって、
俺を巻き込まなくてもいいのにって、いうのが、正直な感想だった。
まぁ、今となっては、どうでもいいんだけどね、一応ご報告まで。





で、今日は、イベントがあるとのことで、俺はホール担当として、給仕係りをやっていた。
俺たち従業員は、ただの正装だったが、お客様は皆、仮面(マスク)をつけており、
ちょっとした、中世といわれた時期の「仮面舞踏会」のような、アヤシイ集まりだった。
もう、こういうのを見慣れてしまった俺たちは、

「あぁ、また、ルネッサンス・ナイトやってるのか」

と、別に気にも留めず、淡々とグラスを運んだり、料理を取り替えたりしていた。

このところ、人々の会話に、戦争とか、脅威とか、新保守主義とか、
あまり平時にはふさわしくないネタが多くなり、
それに反比例して、俺の顧客が、あまり店に顔を出さなくなったので、
4階の個室で嬌声をあげるよりも、こういうただのボーイとしての仕事が多くなった。
それはそれで、まぁ、いいんだけど、
なんとなく満たされていないなぁって疼くのは(身体もだけど、心もだよ)、
俺って、SEX依存症にでもなってしまったんじゃないだろうかと、
余計な心配までしてしまう。

「ムウ、おい、あの人、知り合い?!」

と、同じくボーイをしていた先輩のステファンが俺に声をかけてきた。

「いや、知らないけど。
 例え兄弟でも、あんな仮面つけてたら、分かるわけないじゃん」

と、答えながら、視線の先には、凛とした青年将校のような若い男が立っていた。
なぜ、この時、青年将校と思ったかと聞かれても、
別に彼がそういう軍服を着ていたわけではなく、普通のスーツ姿であったが、
このアヤシイ謎に包まれた集団の中で、
キリッと背筋を伸ばし、彼のオーラだけが、きれいだったのだ。
それが、なんとなく、私利私欲にまみれた軍の幹部の中で、
己の志を高く秘めた若き将校というふうに……俺の中には写ったのだ。

「ムウ、あの人、おまえのこと聞いてきてさ、
 いつからここにいるのかとか、どこの出身だとか聞いてくるから、
 で、俺もバカでさぁ、つい、しゃべっちゃたんだよ。
 でも、ほら、おまえ逃げてるって言ってたの思い出して、
 俺、チョット心配になってさぁ」

「フーン、ただ、俺と寝たいってだけじゃないの?!
 まぁ、俺も、いいかげん捕まったほうがいいのかもって、思うときもあるから、
 ステフ、気にしなくていいよ。
 それなら、それも運命だって!
 うそ、うそ、そんな気にするなって、まぁ、大丈夫だから!」

と、俺は、笑顔で答えていた。
俺の直感で、その男が、そんなに悪い奴だとは見えなかったから、
まぁ、身の危険は考えなくてもいいかと、楽観的に思っていた。

で、そんな会話を交わしたということ、そのものを忘れた頃、
マネージャーから客を取る気はないかと聞かれたので、
最近、ご無沙汰だったし、俺に顧客以外を紹介してくるのもワケアリかと思って、
俺は、その新規の客が誰かと確認することもせずに承諾し、4階の部屋の鍵をもらった。



先に部屋に入り、ゲストを迎えるため、俺好みの準備を済ませていたら、
いきなり、ドアが開いた。
「エッと、今宵は私を指名してくださいまして、ありがとうございます。
 ムウ・ラ・フラガと申します。
 ご要望がありましたら、出来る限りお答えしますので、おっしゃってください」

と、俺は、男を部屋に案内しながら、挨拶をしたのだが、
正直胸がドキドキして、なぜか嬉しくもなっていた。
というのも、さっき、きれいなオーラって思った、例の青年将校が、
俺の前に立っていたからだ!
いつも、中年のおっさんや、たまにはおばさんをも相手にしてきた俺にとって、
こんな若い人が客になるということが珍しく、嬉しかった!

でも、その気持ちはすぐに萎えた。
なんか、彼が怒っているように見えたからだ。
あぁ、やっぱり、こんなことやっている奴を見たら、軽蔑するよなって、
逆に、今度は悲しくなった。

「シャワーを浴びてもらえないだろうか」

と、彼がやや命令口調で、そっけなく言ったので、
あぁ、やっぱり、怒っているんだなぁと確信した。
じゃぁ、俺なんか抱くなとも思ったのだが、
金で買われてるんだから、俺に選択権はないと、あきらめながら、浴室へ向かった。
すると、彼もついてきて、俺が全裸になるのを浴室の隅から眺めていた。
自分は服を脱ぐわけでもなく、まして、仮面を外すわけでもなく、
まるで、何かの標本を眺めているような冷たい視線が、仮面の奥から俺に届いていた。
俺がシャワーのコックを捻ろうとしたとき、彼が動いた。
シャワーヘッドを自分で持ち、勢いよくお湯を出すと、いきなり、俺の顔にぶちまけた。
さすがの俺もこれには、まいったので、シャワーを避けながら、

「お客様、やめてください。
 そういうプレイがお好みであるのなら、事前に打ち合わせをしてください。
 無言でいきなりというのは、困ります」

「分かった、俺はおまえを、きれいにしたい。
 俺の言うとおりにしてくれ」

「お客様、お客様の服が濡れますよ。
 バスローブにお着替えになったほうがよろしいのでは?」
「いい、俺は脱ぐ気はない、おまえを洗いたいだけだ」

その言葉を聞き、もしかして、この人、イっちゃってんじゃないの?!
と、俺は、サイコな展開にビビリながら、怒らせたらいけないと、
黙って彼のいうことを聞くようにした。

「ここに寝て」

と、広めの浴室のタイルの上で横になった俺に、今度は自分で股を開くよう指示した。
まぁ、浴室でのプレイを好む人もいないわけじゃないから、
言われた通り、俺は足を開き股間を彼の目の前に晒した。
すると、熱めのシャワーが俺の秘孔に注がれ、中に指まで入ってきた。
あぁ、きれいにしたいっていってたのは、俺の身体じゃなくて、穴だったのね。
と、思いながら、俺は、なんかやるせなくなって目を閉じた。
だって、顔を正面に向けると、俺ではなく穴を見つめる彼がいるし、
横を向いても、排水溝があって、排水溝と同じ目線というのも、悲しくなる。
どうして、同じ水なのに、宙を舞っているときは清潔で、
地に落ちた瞬間に、不潔な排水になってしまうんだろう?!
なんか、こうやって横たわり、排水にまみれている俺って、なんだかなぁ……。
いっそのこと、排水と一緒に、渦を巻きながら、下水に流れて行ってしまいたいよ。
と、気持ちは自虐の極みを味わっていたが、
下半身は、前立腺を刺激され、ちゃんと、極楽に上り詰めようとしていた。

「アッ、ハァッ」

と、つい刺激への心地良さで、いつものように、腰を動かしていたら、

痛いっ!という感覚が頬を襲った。
もちろん、「バン」という弾ける音と一緒に……。

何が起こったのかと慌てて目を開けるのと同時に、
俺の身体は抱き起こされ、

「お客さ……」

ま、SMプレイはオプションなので、追加料金がかかりますよ、と言う前に、
俺の口の中に、シャワーヘッドがズブッと収められ、
無理やり、胃液が薄められるかのごとく、お湯を飲まされていた……。

これは、SMじゃなぁい! お腹こわすのは嫌だぁ!
と、この時は俺も必死に抵抗したのだが、仮面の男は俺のジタバタなど平然と封じこめ、

「次は、こっちを清めさせてもらうよ」

と、一言おっしゃった。
でも、さすがに、オレがむせて涙を流し始めたら、口腔からシャワーを引き出してくれた。
オレは、その場にしゃがみ、咳き込みながら、
なんでこんなひどい仕打ちを見ず知らずの相手から受けるのだろうかと、彼を睨みつけた。

彼は、黙って仮面を外した。

「ジュリアン兄さん?!」

俺は、恐る恐る震えながら声に出してみた。
いや、そんなはずがない、こんな売春宿に、兄貴がいるはずがない。

「ジョン、まさか、こんな所で再会するとはな。
 俺と同じ身体を、大勢の奴に触らせたんだろ。
 おまえが、こんなことをできる奴だったとは知らなかったよ。
 まさか、身体を売って生きているとはな、汚らわしい。
 失望したよ」

そう、なぜ初めに気がつかなかったのだろう。
その声は、確かにジュリアン兄さんの声で、
その仮面の下の顔は、夢に出てきた兄さんの顔だ。
あぁ、兄ちゃんは怒ってる。
せっかく会えたというのに、俺が、こんなことやってるから、怒ってる。
シャワーの音にかき消されそうになりながらも、冷たい言葉は、俺の心を侵食した。
でも、兄貴に再会することが出来たなら、
そして、その時、兄貴がそれを望むなら、
俺は、必ず言わなければならないということを、ずっと前から決めていた。
俺はヨロヨロと立ちあがり、兄貴の目を凝視した。
そう、ここで言わなければ……。

「兄貴、ごめんな、ほんと、本当にごめん。
 兄貴が怒るのも無理ないよ、俺、見ての通りの男娼だもん。
 でも、いいよ、安心したよ。
 おれさぁ、兄貴が捕まらないように、
 俺の存在が足手まといにならないように、それだけを考えて、あの晩から生きてきた。
 そうするためには、俺のちっぽけな頭と身体では、
 成り行きとはいえ、こういうことしか思いつかなかった。
 だから、言い訳はしないよ。
 もう、俺の任務は完了したんだって分かったからね。
 兄貴を利用しようとする奴らに捕まって、終わりを迎えるよりも、最高のエンディングだ。
 いつか、兄貴に、こう言える日が来ればいいのにって、ずっと願ってた。
 やっと、今日、かなったよ。
 兄貴、俺や父さんや母さんの分も頑張って生きててな。
 さようなら」


そう言って、俺は、兄貴から視線を外し、浴室から出た。
兄貴は身じろぎ一つせず、そんな俺を冷ややかに見ていた。
覚悟は出来ていた。
俺の、ジョージ・グレンのクローンとしての人生は終わる。
兄貴にとっての、人質としての人生も終わる。
受精卵の段階から仕組まれた俺の人生、もう、終わりにしてもいいよね。
本当は、兄貴に、生きててくれただけでいいって言ってほしかったけど、
それは、俺の贅沢な願望で、かなうはずのない夢だって分かったから。

俺は窓を開けた。
少し埃っぽい乾いた風が、カーテンを揺らし、
ベッドの横の一輪挿しの花をざわつかせ、部屋を駆け抜けた。

俺は、窓枠に足をかけ、飛び降りる体勢に入った。
その瞬間だった。

「ジョン」

背後から、俺の名を呼ぶ声がした。
いまさらと思って振り向くと、兄貴が俺に銃を向けていた。

そうだね、それこそ、ジュリアン兄さんだ。
兄貴はこんな俺を許してはくれない。
許したいって思ったって、兄貴の性格を、18年つきあった俺は、よく知ってるよ。
1度、こうだって決めたら、兄貴は絶対自分の考えを変えはしないじゃないか。
もう、十分だよ、兄貴にとって俺はじゃまだって分かったんだから。

「ありがとう、それが今の俺への、最高のプレゼントさ。
 兄貴が俺を殺してくれるなら、俺は全てを捧げるよ」

兄貴は黙って、銃を向けたまま、ゆっくり、窓際に全裸で立つ俺に近づいてきた。
俺は軽く目を閉じた。
来るべき瞬間を覚悟して……。

と、その時、なぜか、俺は、空気の流れが変わったというか、
何か、自分の死よりも不吉な予感がして、フッと目を見開いた。

そこには、もう少しで手が届くという場所まで、俺に近づいていきた兄貴が、
俺に向けていた銃を、自分の額に当てていた。

「兄貴、バカなことは、よせ」

と、俺は叫ぶと同時に、反射的に、兄貴の銃を捉えようと手を伸ばしていた。
兄貴は、俺を避けようと身体のバランスを崩し、銃の照準が身体からズレたところを、
俺は、銃に手をかけるのではなく、兄貴の頬を、思いっきり引っ叩いた。
兄貴は重心がぶれて、斜め後に倒れ、俺は、兄貴に馬乗りになり、銃を取り上げた。

「何やってんだよ、兄貴はしっかり生きていかなきゃだめじゃないか。
 何のために、俺が男娼にまで身を持ち崩したんだよ。
 いまさら、死んで、逃げるなんて、卑怯だ!
 兄貴に会いたくて、生きてきた俺は、俺は、俺は……」

最後は言葉にならず……、
次から次へと溢れてくる涙に、ただなす術もなく、
俺は、兄貴に馬乗りになったまま、放心状態を迎えていた。

「ジョン、ごめんな。
 俺はおまえが許せなかった。
 おまえを手放したのは俺なのに、俺は、おまえを独占したかった。
 俺は、おまえと別れた最後の夜を忘れることができず、
 俺のために、全てを捧げ、俺を迎え入れてくれたおまえが、愛しかった。
 ザフトに渡ってからも、おまえとの記憶だけが、俺の生きる支えで、
 だからこそ、裏切りは許せない、
 あんなに綺麗な、俺だけのおまえが、人の欲望にまみれ、汚されているなんて、
 だったら、死ねよって、そう思った。
 でも、ジョン、おまえが死ぬことはないんだよな。
 おまえは、俺に振り回されただけで、悪いのは、俺なんだから。
 俺がこの世に生を受けたがために、大勢の人が巻き込まれ、命まで落としてきた。
 死ぬなら、おまえじゃない、俺だ」

兄貴は、俺を身体の上からどけ、横に座らせ、
自分の着ている少し濡れたスーツを、俺の肩から掛けながら、
ポツポツと、心の内を話してくれた。

そう、俺だって分かってる。
悪いのは兄貴じゃない、兄貴こそ、勝手に宿命を背負わされただけだ。
俺たち双子は、どちらも被害者であって、加害者ではない。

「兄貴、もう、よそうよ、お互い傷つけあうのは。
 確かに俺は男娼だし、兄貴はザフトの最高機密で、
 お互いの立場は、この1年で、あまりにも懸け離れてしまったよ。
 でも、それでも、俺を1番理解してくれるのは兄貴だし、
 俺だって、兄貴のことを1番よく分かってる。
 それが、クローンであっても、双子ってもんだろ?!
 ジュリアン兄ちゃん、俺は、俺は、兄ちゃんがザフトでも、
 俺のことを汚らわしいと思っても、それでも、兄ちゃんのことが好きなんだよ。
 こんなことを言うと、さらに不潔って思うかもしれないけど、
 兄貴と寝たいよ、抱かれたいよ。
 もう、一生分のSEXをこの1年で味わったと思うけど、
 俺を本当に心も身体も満たしてくれるのは、兄貴だけなんだ。
 おれだって、兄貴との記憶だけが、ここでの生活で、支えだったんだよ」

そう、結局、ぼくたちは、運命に振りまわされる悲しい存在。
ジョージ・グレンもクローンも、コーディネーターもナチュラルも、
そんなこと、俺たちが選べたもんでもなく、
できれば、ただの普通の高校生として、
家族4人仲良く暮らせたら、それだけで良かったのに……、
そんな些細で平凡な幸せさえも、奪い去られてしまった宿命の存在。
俺たちは、互いの心の痛みを癒し合うかのように、唇を重ねた。

「ジョン、身体が冷えたな。
 一緒に風呂に入ろう、俺が、洗ってやるよ」

「兄貴、SMは、なしにしてくれよ」

そう、今度は、大き目のバスタブにお湯を張り、俺の大好きなラベンダーのソープも入れ、
子供の時、よくやったように、泡風呂を作って、2人で泡の投げ合いをした。
兄貴も俺も、母さんの

「ジュリアン、ジョン、遊んだ後は、ちゃんと片付けるのよ!」

という、ちょっとヒステリックな声や、父さんの

「オイオイ、父さんが入った後で、おまえらには入ってもらいたいよ」

という困ったような声を、思い出しながら、お互い久しぶりに、こんなに笑った。

「ジョン、抱いてもいいかい?!」

兄貴が俺の左手の薬指を、しゃぶりながら、俺を誘ってくる。

「いいよ、この1年間での成長ぶりを堪能してくれよな」

兄貴の目の中に、俺への悲哀が感じられたが、しかたない。
もう、俺は、1年前のウェンディの洞窟での初心なジョンではなく、
売春宿で、しっかり身体は仕込まれた、ムウ・ラ・フラガなんだから。



「兄貴、チョット試してみてもいい?
 兄貴と俺ってクローンで双子だけど、感じやすい場所も同じなのかなぁって」

「オイ、どこ触ってんだよ。くすぐったいじゃないか」

「わき腹が感じるのは一緒なんだ。
 じゃ、ここは、どう?」

「あんまり、どうってことないけど」

「フーン、俺はそこを優しく触れられると、すごく気持ちいんだけど、違うんだねぇ」

「オイ、そんなとこ、しゃぶるなよ」

「ハハッ、足の親指が感じるのは、俺と同じだ。
 兄貴の、もう、こんなに大きくなってる」

「なぁ、ジョン、おまえも好きな体位ってあるんだろ」

「そりゃぁね、SEXも数をこなせば、好みの順位は自然に決まってくるよ」

「この前は、俺が無理やり自分本位で、おまえは痛そうにしてたんで、
 もし、また、おまえを抱けるんなら、今度は優しくしたいなぁって、
 ずっと、後悔していたんだ」

「じゃ、リクエストしていいの、俺、1番好きなのは、松葉崩しっていうやつ」

「エッ?! 聞いたことないけど」

「あのね、まぁ、やりながら、俺がお願いするから、そういうふうに動いてくれたらいいよ」

「プロのいうことは違うねぇ」

「そう言われたら、ミもフタもないけどね」

俺と兄貴は、初めてベッドでSEXをした。
前回が、野外で、おまけにビニールシートの上で、
すごく虫とか、埃とか、実は気になっていたんだけど、
今回は、物理的には、ウォーター・ベッドに、間接照明という最高のセッティングだった。
ただ、俺が男娼で、兄貴がその客という設定は、正直、勘弁してほしかったけど。
いやぁ、そのほうが燃えるかって聞かれたら、
たぶん、同意の上でのシチュエーション・プレイなら楽しめると思うよ。
でも、現実として、ラブホに彼女と入るところを、
偶然通りかかった母さんに見られてしまうみたいな、
こういう展開になってしまうと、兄貴は俺に優しくしたいと言ってはくれるけど、
どうしても、俺は自虐的になってしまう。



俺は、ベッドの上にあぐらをかいて座っている兄貴の股間に顔を埋めた。
もう、いろんな人のを、何十回も舐めてきたけど、やっぱり、兄貴のソレがいい!
独特の臭いも色もツヤも、俺そっくりで、ナルシズムが満たされ、悪い気はしない。
そして、そうやっている間も、兄貴が俺の秘腔を指で刺激してくれるから、
誰も触れていないのに、俺のまで、ムクムク勃ってしまう。

「入れていいか」

「いいよ、ねぇ、俺の言う通りにしてな。
 そう、俺が下になるから、
 でも、足は兄貴の太ももを片方挟むように俺の身体も、そう、横向きにして、
 そう、そう、この状態で、兄貴の大きくて太いのを入れてくれたらいいんだよ。
 動きづらかったら、俺が挟んでるほうの足の膝を折って下につけたら、動きやすくなるよ」

「ジョン、なんか、AV見てるみたいだな。
 これが、例の松葉崩しってやつ。
 おまえって、ほんと、上手になったんだね。
 ザフトに持って帰れる収穫だなぁ」

「兄貴、こんな時に、素で感心されてもねぇ、
 いいから、俺と一緒に気持ち良くなろうよ」

「ウン、ご指導よろしくお願いします」

あぁ、経験の差はいかんともしがたいよね。
何一つ、兄貴よりも優位なものがなかった劣等感の塊の俺に、
SEXの経験では、兄貴を凌駕しちゃったという……それも受けで。
あぁ、どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ?!
世の中、うまくいかないよねぇ。
これで、俺のコンプレックスが解消されるかというと、逆に深まりそうだもん。
あぁ、また自虐になってきた、いかん、いかん……。

「アッ、いい、そこ、当たってる!」

兄貴の動きにあわせて、本当に、この体位は、いいところに当たるんだな。
ほんと、バックや騎乗位よりも、もちろん、ただの正常位よりも、
俺は、この形が1番好き、大好き!
特に、相手の太ももを挟んでいるっていうところがミソで、
感じたくなればなるほど、ギュッと、相手の太ももを、俺の両足で挟んでしまう。
向こうは、動きづらそうだけど、でも、俺のあそこも、いっしょに締まるから、
だいたい、みんな、喜んでくれる。

「いい、いい、あぁ、ねぇ、痛くして、どこか1箇所、痛くして」

「ここでいいか」

「あっ、爪はたてないで、あっ、そう、そんな感じ」

兄貴が俺の胸の突起を指で、キツクつまんでくれた。
そう、ちょっと、自虐入ってる俺は、どこか1箇所痛みを与えられたほうが、
身体が感じやすくなり、締まるところが締まるし、勃つところは勃つんだなぁ。
あぁ、最高!
だんだん、昇りつめてきた……

「イイ、イイ、このまま、イって!」

「もう、俺も、もたないから、このまま出すよ」

「アァ、イィ、イッィ、ハァ、アアァ……」

互いの呼吸とリズムが、激しく1つになる。

「アァ!」

と、兄貴も俺も、初めて2人同時に達することができ、
あまりの快感に、一瞬、真っ白になってしまった。
前回のロスト・バージンのときは、
はっきり言って、俺は演技でエクスタシーのフリをしたけど、
今日は、めちゃくちゃ、良かった!

1番愛する人に、自分の快楽追及を最重要課題にして抱かれるなんて、
男娼やってる時は、これの正反対のことやってるから、
もう、死んでもいいやぃっていうぐらい、最高の瞬間だった。



お互い、しっとりと汗ばんだ身体が心地良く、ベッドの上で仰向けに寝転んでいた。
こうやって、昔はよく、いっしょに寝袋を持って、
牧場をやっている友人の家に行っては、勝手に敷地内に転がり、2人で星を眺めていた。
流れ星を見つけては、よく、願いをかけたものだった。
そういえば、兄貴は、宇宙(そら)に行きたいって言ってたよなぁ。
兄貴は、願いがかなったのかぁ……。

「ジョン、父さんと母さんの消息は知っているのか」

俺が黙ったままだったので、兄貴はそれ以上、その話題にはふれなかった。

「ザフトに行ってな、今は、評議会議員の親戚ってことで、よくしてもらってるよ。
 昼は大学に行って、夜は軍事訓練を受けているんだ。
 訓練といっても、パイロット候補生ってとこだけどな。
 今日は、ザフトの偉いさんが、情報収集でアメリカに行くって言うので、
 俺がガイド兼護衛でついてきたんだ」

「兄貴、時間はいいのか、こんなところでくつろいでいて」

「あぁ、もう、彼らは帰ったよ。
 俺は明日の朝までに、合流すればいいから。
 そうそう、俺がここに部屋をとったって言ったら、笑われたよ。
 クルーゼは、まだまだ若いから、楽しんできたらいいってな」

「クルーゼって言うんだ」

「あぁ、ラウ・ル・クルーゼ。
 ジョージ・グレンのクローンだということは、上層部だけの最上級機密さ」

「俺は、ムウ・ラ・フラガ」

「フ〜ン、ヘンな名前だな」

「お互い様だろ、ラウ・ル・クルーゼのほうが変だよ」

俺たちは、顔を見合わせて笑ってしまった。

「でもさぁ、よく、俺だって分かったね」

「あぁ、すぐに分かったよ。  おまえは昔からドジだったから、あぁ、また、グラス割ってって思って見てたよ」

「でも、俺、今、新規では客を取ってなかったのに、兄貴、よく指名できたね」

「マネージャーらしき人に、仮面を外して見せたよ。
 彼の兄です、話しがしたいんですってね」

「そうだったんだ、じゃ、別に、俺、客だと思って接待しなくて良かったのに。
 バカみたい、兄貴、俺を騙したな?!」

「日頃のお勤め具合を見させていただこうと思ってな。
 でも、まさか、ケツを振って喘ぎ声を聞かせてくれるとは、予想外だった。
 ほんと、すっかり、淫乱になってしまって、ジョン、この仕事、天職じゃないのか?」

「あぁ、そうですよ、命短し恋せよクローンって言うじゃない?
 俺たち、どうせ、短命だろうから、
 今のうちに味わえるだけの快楽をストックしてるだけなんですぅ」

こう言うと、急に兄貴の顔が曇ったので、俺は慌てて、

「どうしたの、兄貴?
 まさか、もうお肌の染みが増えてとか、老化が始まったとか言うんじゃないの?」

「ジョン、おまえそうなのか?」

「こういう不摂生な生活をしている俺は、肌が荒れているのは、確かだけどね」

なんとなく、気落ちしている兄貴を見ると、
どうして、余計なことを言ってしまったのかと、チョット、後悔した。

「兄貴、話は元に戻るけど、俺と同じ身体を汚すなって、
 俺を自殺にまで追い込もうとした奴の言うことじゃないよ。売春が天職だなんて!」

「あぁ、今でも思ってるよ、おまえをザフトに連れてゆくって。
 今の俺なら、おまえを守ってやれる。
 もう、こんな、自分を切り刻むような生活から解放してやるよ。
 マネージャーも、おまえを連れて行ってくれって俺に頼んだしな」

「そうだったんだ……」

あぁ、兄ちゃん、一緒にいてもいいんだね!
俺、宇宙(そら)に、行けるんだね!
俺だって、あの時、流れ星に、宇宙(そら)に行きたいって願いをかけたんだ……。



「ピピピピピピピピピピピピー」

俺の携帯がなり、兄貴も俺も、慌ててベッドから身を起こした。

「ムウ、やばいぞ、このビルは包囲されている。
 これから、突入してくるようだから、おまえは逃げろ!
 抜け道は以前教えたな、早く行け!」

マネージャーからの緊急コールに、俺は急いで、兄貴に俺の服を渡した。

「兄貴、俺の服を着て、早く逃げるんだ!
 この建物は包囲されてるって。
 これから抜け道を案内するから、兄貴は屋外に出て、ザフトに合流しな。
 俺は、兄貴の身代わりとなって時間稼ぎをするから」

「何、言ってるんだ、ジョン、おまえを連れて行くって言っただろ」

「いいよ、その気持ちだけで、俺は何とかなるから。
 俺が捕まっても、たいしたことないって、でも、兄貴が捕まったら、殺されるよ!
 早く、早く着替えて、ムウだって言えば、みんな、抜け道を教えてくれるから!」

と、俺は、兄貴の着ていたスーツに素早く着替え、
抜け道の入り口である、荷物運搬用の小型エレベーターに兄貴を押し込んだ。

「ここから出たら、ムウだって言うんだよ。
 そうしたら、皆が次の抜け道を教えてくれるから。
 兄貴、元気でな、捕まるなよ!」

「ジョン、すまない、いつか、必ず、迎えに……」

兄貴の言葉を最後まで聞かず、俺は、シャッターを閉め、下へ向かうボタンを押した。
やっぱり、俺は、宇宙(そら)には行けない定めなんだ。
兄貴と一緒にいるのは無理なんだって、あきらめた。
でも、今の俺には、まだ、やらなきゃならないことがある。

へこむ気持ちを引きずりながら、俺が部屋に戻ると、
待ってましたとばかりに、10人ほどの毒ガス防止マスクをつけた、
いかにも特殊部隊と思われる兵士が、俺を囲んできた。
あぁ、コーディネーターを捕獲するためには、ここまでしなきゃいけないのかぁ、
俺はナチュラルだから、へたしたら死ぬんじゃないの、おい?
と、考えた瞬間、彼らは一斉に手にしていた機器を操作し、
俺は天国の門(地獄の門かも)が開くような、妙な感覚を味わった。




何もかもが霧がかかったような、不思議な感覚にフワフワ浮いていた。
目を開けているのか、それとも、これは1種の臨死体験なのか……。
なんだか、よく、分からない……さまよっている……。



「ジョン、ジョン・グリーン、意識が戻ったのか」

と、誰かが俺の名を呼び、肩を揺さぶっていた。
ボーッとする視界の中で、俺の名を呼んだらしき人物に、だんだん焦点があってきた。
と、同時に、急に頭が痛くなりながらも、はっきりと物が見えるようになった。

「ジョン・グリーンだな。
 おい、目が覚めたんなら、返事ぐらいしたらどうだ」

俺は、どう対応したらいいのか困って、小さく口をあけて、形だけ「はい」と動かした。

「ジュリアン・グリーンを知ってるか?!」

あぁ、やっぱり、兄貴がらみなんだ……
白い、病室のような、それとも研究施設のような個室に寝かされていた俺は、
何か自分がしゃべることで、兄貴が不利な立場になってはいけないと、
とりあえず、今は、黙秘を決め込んだ。

「はぁ、何もしゃべる気はないか。
 まぁ、おまえに聞いても、無意味だとは思っていたがな。
 じゃぁ、こっちが先にカードを切るから、おまえの持ち札を見せる順番でも考えろ。
 ただし、きみが協力しないのであれば、こっちもそれなりの次の手を打つからな」

と、男は、目が覚めたばかりの病人に、いきなりゲームを仕掛けてきた。

「きみの名は、ジョン・グリーン。
 出身はカリフォルニア州、サンフランシスコ郊外。
 そして、ジョージ・グレンのクローンであり、ナチュラルである。
 昨年8月から、行方不明。
 ここまでは、事実だね。
 そして、きみがここに運ばれて、3日たつのだが、
 3日前、双子の兄のコーディネーターのジュリアン・グリーンときみは接触した。
 これも、事実だね?」

「いえ、俺は、兄貴には会っていません」

それが、その男への俺の第一声だった。

「フーン、きみは、そういうカードを持ち出すのかい。
 この後に及んで、しらばっくれたことを。
 きみがカリフォルニアで失踪してから、
 あのマイアミの売春宿で、客をとっていたのは分かったが、
 最後の客が、双子の兄だったっていうのを、こちらが知らないとでも思っているのか。
 おまえの身体に残された精液が、動かぬ証拠だろ。
 遺伝子レベルで解析させてもらったよ、ジュリアン・グリーンがいたという証拠をね。
 汚らわしい、兄と交わってまで、おまえは何を望むんだ?
 プラントに連れて行ってと、身体でお願いでもしてたのか、おい」

それでも、俺は、俺の方針を変えなかった。

「あの仮面をつけた男性は、兄だったんですか?!
 俺はただ、マネージャーから、お客様の相手をするように言われただけですから」

「フーン、そうかい。
 きみが、そこまで言い張るのなら、そういうことにしよう。
 ジュリアン・グリーン、いや、ラウ・ル・クルーゼもバカじゃない。
 大切な弟には、自分の居場所を教えるようなことはしないだろうしな。
 まぁ、あそこでおまえたちが再会したのは、単なる偶然だったというほうが、
 おれたちも助かる。
 ザフトの情報網が、あんな売春宿の男娼にまで及んでいるとは、思いがたいしな。
 まぁ、いい。
 おまえから得られる情報なんて、最初からあてにしてなかったよ、
 ムウ・ラ・フラガくん」

俺は、黙って、その男を見つめた。

「安心したまえ、きみの兄さんは、もう、地球にはいないよ。
 プラントで、きみの兄さんは目撃されている。
 彼の身代わりとなって時間を稼ぎ、上手に彼を逃がしたもんだな。
 見事だったよ、きみの作戦は」

はぁ、よかった、兄貴は無事だったんだ……。

「ほら、安堵の表情が浮かんだ。
 まぁ、今となっては、本命ではなかったが、きみが手に入っただけでも、良しとせねばな。
 きみがカリフォルニアで失踪してから、きみを探してきたのだが、
 全く足取りがつかめなくてね。
 まさか、こんな形で、手に入るとは思わなかったよ。
 まぁ、しばらくは、きみはここで拘留され、いろんな検査やら質問やらに答えてもらう。
 それから、きみの今後は、当局によって決定されるだろう」

「当局って、俺は誰に拘束されてるんですか?」

「地球連合軍だよ。
 君の身柄を確保したことは、ブルー・コスモスにも連絡済みだが、
 彼らは、ナチュラルの君には興味がないそうだ。
 まぁ、ザフトも、君を囮にしたからって、クルーゼを引き渡すこともないだろうしな。
 そういう意味では、きみには人質としての価値はない。
 あとは、ジョージ・グレンのクローンとして、どこまで素質があるかということを、
 こちらで見極めさせてもらうよ。
 死にたくなかったら、いい成績を残すんだな」

まぁ、いまさら死なんて、恐くもないけど、
俺が兄貴に迷惑をかけずにすむということが分かって、
気持ち的には、ずいぶん解放された。





俺は、病室から、外部よりロックされる個室に移された。
そこには、俺の荷物が運び込まれており(例の手帳は没収されていた)、TVもあった。
そして、呼ばれた時だけ、その部屋を出ることを許され、
後は、食事もトイレもシャワーも、部屋の中ですますというような生活だった。
当然のごとく、尋問も受けたが、ほとんどが、カリフォルニアでのラボとの関わりで、
今の兄貴に関して聞かれることは、そんなに多くなかった。
まぁ、俺自身本当に兄貴の現在の状況なんて、ほとんど知らないし、
それよりも、ラウ・ル・クルーゼという男が、
地球連合軍の諜報部の中で、かなり高い評価を受けており、
あのクルーゼが、こんな身体売ってるようなナチュラルの弟に、
ザフトの情報をばらすわけがないっていうのが常識になっていた。
まぁ、兄貴がそんなへまをやらかすわけないので、その通りなんだけど、
それに、兄貴がこんなに活躍しているなんて、やっぱり、兄貴はスゴイって思うけど、
あぁ、それに比べ俺は……と、また、自虐的になってくる。
ほんと、俺が生きている価値がないって、こちらで判断していただけるなら、
どうぞ、煮るなり、焼くなり、抹殺するなり、ご勝手に!
という投げやりな気持ちで、
医学検査、体力測定、運動能力テスト、心理検査、知能検査などなど、
まぁ、調べられるもんなら、何でも調べてくださいな!と、
しばらくは検査漬けの日々を過ごしていた。




そんなある日、ひょっこり、俺の部屋に、
俺がこの施設で目を覚ました時に傍に立っていた男が入ってきた。

「ジョン・グリーン、きみの名前の件なんだが、偽名を使ってほしくてね。
 ブルー・コスモスやラボを、むやみに刺激したくはないんだよ。
 偽名の希望はあるかい」

「俺、役立たずだから、処刑されるんでしょ。
 いまさら新しい名前なんて要らないと思いますけどね」

「このクソガキが、少しは素直になったらどうだ。
 おまえの処遇は、まだ決まってはいないが、
 引き取ってもいいという嘆願書は出ていたぞ」

「えぇ、あの風俗施設からですか?!」

「よく、分かったなぁ。
 きみが処分されるのなら、
 多額の金を払ってでも引き取りたいとの申し出があったよ。
 おまえ、よっぽど、稼いでたんだってな」

「じゃぁ、偽名はムウ・ラ・フラガでいいです。
 この名前で、客がついてましたから」

「分かった、ムウ・ラ・フラガでいいんだな。
 それと、きみはマーク&メアリー・グリーンの現在の状況について、
 何も知らないそうだね」

「はい、意識的に彼らを探すことは避けていましたから」

「どうする、きみの父さんと母さんの消息を知りたくはないのかい」

「恐いんです、真実を知るのが」

「そうか、まぁ、きみにはつらい現実だとは思うが、
 お母さんには会おうと思えば会えないわけではないよ」

「母は、生きているんですか?」

「不幸なことに、きみの育ての父のマークは、
 ラボがブルー・コスモスの襲撃にあった際、命を落とされたが、
 お母さんは生存し、今、スイスで療養中だ」

「母は、病院にいるんですか」

「大きなやけどを負ったそうでね、まだ病院にいらっしゃるそうだよ」

「会いに行ってもいいんですか」

「まぁねぇ、そのあたりのことは、母上の担当医から直接聞いたほうが良かろうね。
 私も詳しくはないんだが、きみのお母さんは、記憶に障害があるそうで、
 我々も事情聴取が出来なかったんだよ。
 だから、きみの訪問が、彼女にとってプラスなのかマイナスなのかは、
 医者と相談してからの話しだな」

「母は、そんなに、ひどいんですか」

「まぁ、生きてはいるんだから、そのうち、いい方向に動くよ、きっと」

そう言って、彼は、ベッドに腰掛けていた俺の肩を叩いて、部屋を後にした。



あぁ、やっぱり、父さんは死んでたんだ。
まぁ、そうだろうとは薄々感じてはいたし、
父さんは死んだものだと思って、心の中にそういうお墓も建ててはいたのだが、
はっきり死亡宣告を受け、俺の、わずかな望みも消え失せた。
心の準備ができていたとはいえ、やっぱり、すごく、ショックだった。
父さんとの思い出が、こうやって、何もしないで一人でいると、次から次へと浮かび上がる。
もっと、一緒に父さんの好きな園芸を手伝えば良かったとか、
父さんは、フットボールで、QB(クォーター・バック)の兄貴が投げたパスを、
WR(ワイド・レシーバー)の俺がキャッチし、
タッチダウンするのを見るのが夢だったのに、
俺、兄貴の弟だという目で見られるのが嫌で、まともに練習に行かなくて、
レギュラーにはなれなかったしぃ……。
父さん、本当にごめんね。
つい先日まで、身体売ってたし、父さんが聞いたら泣くよね、俺、殴られるよね。
でも、もう、父さんいないんだよね……。
ごめんね、血はつながってなくても、俺は父さんのこと今でも大好きだよ!!!
ごめんね……。
ずっと、涙が止まらなかった。

そして、母さんが、大やけどを負い、
なんか記憶に障害があって入院しているというのも、
俺の心に、深く大きな闇をもたらした。
会いたい、会うのは恐いけど、でも会いたい……。
でも、母さんは俺に会いたいのだろうか?!
なんか、どうしたらいいのか分からない。
情報がなさすぎて、悪いほうに、悪いほうに、考えてしまう。
でも、兄貴も母さんも、生きていれば、会えるよね。
でも、俺、死ぬのは恐くない、死んだほうがいいのかもしれないし。
もう、疲れたというのが、本当のところ。
父さんに会いに、死んでもいいって誰か言ってくれないかなぁ……。

暗い憂鬱な気持ちを抱えながら、俺は独りベッドに腰掛け、
父さんと母さん、そして、兄貴に祈りを捧げた。

「父さん、母さん、兄さん、俺、もう、分かんないよ。
 自分が何をしたらいいのかも分からない。
 どこに行けばいいのかも分からない。
 父さんに会いに死んだほうがいい?
 母さんに会いに、スイスへ行く旅費をためようか。
 兄さんとの再会のため、俺に何が出来る?!
 分からないんです。
 自分が、何者なのかも、分からないんです……」

それでも、俺が結論を出さなくても、
きっと当局が、俺を処分してくれるんだろうなぁと、
静かに、その日が来るのを待っていた。





そう、その日がついに来た。
例の男が、俺に話しがあるからと、彼の部屋へと呼び出された。
そこは、乱雑に散らかったオフィスで、彼はパイプ椅子を出し、
腰掛けるように俺に指示した。

「きみの処分が決まったよ」

「はい、好きなようにしてください、希望はありません」

「これ、新しいIDカードと学生証」

そこには、ムウ・ラ・フラガと書かれ、
俺の写真が貼られた2枚のカードが並べられていた。
1枚はIDカードで、もう1枚はマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生証だった。
「もうすぐ9月になる。
 きみは、本来ならこの9月から、大学生になるはずだ。
 きみの通う大学は、ボストンにあるから、明日から君はボストンで生活してもらう」

「あのぅ、俺、存在に価値がないから、死ぬことになるんじゃないんですか」

「いや、きみはジョージ・グレンの遺伝子を継ぐ者として、
 高い素質があるという結果報告が出ているよ。
 まぁ、ナチュラルだから、ラウ・ル・クルーゼのようにはいかないけどな。
 でも、きみに投資する価値があると、我々は判断した。
 宇宙工学のパイオニアであったジョージ・グレンと同じ道をきみには選択してもらう」

「俺、数学苦手ですし、物理も化学もダメで、MITに入って学問するなんて、
 絶対無理ですよ、やめてください!」

「無試験で入るからには、こちらも裏で手を回した。
 そして、きみには専任の家庭教師もつくことになったから、
 もう一度、ジュニア・ハイスクール時代までさかのぼって、
 勉強をやり直すんだな、まぁ、がんばりたまえ!
 これが、兄に相応しい弟になるラスト・チャンスだよ。
 亡くなられたお父さんや、療養中のお母さんも、
 きみが真面目に勉強し、学生生活を送ることが、
 なによりも、喜ばれるんじゃないかなぁ、男娼生活よりはね」

生きる意味を失い、自分が何者かも分からなくなっていた俺に、
とりあえず、生きる目的と期間が与えられてしまった。
ほんと、モラトリアムというか、執行猶予とはこのことだ。

もう、とっくの昔に、あきらめたはずの、普通の学生生活が、
再び、俺の元に返ってきた。
ボストンなんか、全く知らないし、ニューヨークの近所だろ?!
寒そうだし、行きたいわけじゃないんだけど、
でも、確かに奴の言う通り、
父さんも、母さんも、兄貴も、みんな喜んではくれそうで……。
もう、俺がそんなに頭いいとは思えないんだけど、
遺伝子が同じだからって、
実際に使いものになる能力までが同じとは限らないだろうに、
かなりのプレッシャーを感じながら、
俺はマイアミから、ボストンへと飛び立った。

機内では、俺の身元引き受け人となったエージェントの彼、
キース・マクマーンが、俺の隣に座っていた。
彼のボストンにあるマンションから、俺はMITに通うことになり、
彼は1週間の休暇をとって、俺の引越しに付き合ってくれるそうなのだ。
もう、俺のことは全て、俺自身よりも彼のほうが詳しく知っているので、
(俺が読んでない、兄貴の日記も、彼は読んでいるのだろうし)
彼に隠すこともないし、俺は妙に安心して、機内でウトウトしていた。

ふと目を窓の外にやると、きれいな空の青が眩しかった。








04:彼と僕の境界線・前




Update:2004/04/09/WED by CHIYOKO MURAKAMI

小説リスト

PAGE TOP