水溜りに反射するモノクロな僕の顔

05:彼と僕の境界線・後




「ムウ、ここに、いるのか?」

と、キースが自分のベッドが置いてある書斎のドアを開けたとたん、

「どうしたんだ?!」

と、キースは、俺の姿を見てかなり動揺し、
普段の彼なら、エージェントとして、こういう時は身構えるのだろうけど、
一瞬の心の揺さぶりが、相手に隙を見せることになってしまった。

こうなることをも計算に入れていた兄貴は、
サッと、キースの背後から近寄り、いきなり、顔にシーツを被せ、
キースがそれを振り払おうとした時には、
兄貴はキースの腹部にパンチを食らわせ、意識を飛ばさせてしまった。
そして、手際良くキースを後ろ手に縛り、足も拘束し、口に猿轡をはめ、
もちろん目隠しもして、おまけに丁寧にも、
シーツで包んだ上から、何箇所かベルトで固定し、
床にゴロンと転がしてしまった……のだと思う。

俺も、実際、そういう兄貴のアクションを見ることはできなかったから。

というのも、俺自身、ベルトで後ろ手に縛られ、ネクタイで目は塞がれ、
ベッドの上に、使い古した雑巾のように、全裸で投げ出されていたからだ。

あぁ、この部屋にキースの衣装ケースや、小物を入れるラックがあったのが、
そもそもの間違いだったんだろうねぇ。

そう、キースは俺のこのような無残な姿を見て、
まぁ、誰が見ても、暴漢にレイプされたと思うわな……。
彼らしくはないが動揺してしまい、兄貴が望んだ通りの結果になってしまったのだった!

「ジョン、これで、俺は玄関から帰るが、5時まであと15分ある。
 キースって奴にも、おまえの迫真の演技を聞かせてやったほうが、
 レイプされた被害者なんで、何も聞かず、そっとしておいてくださいって、
 おまえには、都合がいいんじゃないのか?!」

と、俺の耳元で囁きながら、ベルトを外し、目隠しも解いてくれた……。
そこには、もう意識を取り戻し、もごもご動いている、
ベトナム風生春巻きみたいなキースが床に転がっていた。

「兄貴、余計なことせずに、帰ったほうがいいよ!
 俺、兄貴が迎えに来てくれる日まで、おとなしく待ってるから」

と、俺は兄貴に小声で呟いたが、人の話を聞かない性格は相変わらずで、
もう、俺の両足は抱えあげられ、先ほどの続きと言わんばかりに、
俺の中には、あっという間に、兄貴自身が収まってしまっていた。

「ジョン、おまえ、見られているほうが感じるんだろ?
 まぁ、見せるわけにはいかないが、聞かせてやることはできるよな。
 おまえは、見ず知らずの男に、いきなり襲われてるんで、
 助けを求め、叫ぶくらいはしてやってもいいんじゃないのか?」

あぁ、そんなことしたら、春巻き状態のキースが、かわいそうじゃん。
どうして、あんたは、そんなに外道なんだよぉ!
なんか、ジュリアンの時よりも、クルーゼになったほうが、
兄ちゃん、鬼畜度のレベルがアップしたんじゃないの?!

なんて、考える余裕は、俺の中に再び灯された熱で、すぐに吹き飛ばされた!
キースが帰って来た時、頂点に達する寸前で止められてしまった俺の身体は、
またすぐに、兄貴に軽く首筋を舐められただけで、簡単に昇り詰めていく。

「ジョン、いいよ、さっきよりも、よく締まって絡みついてくる!」

と囁いた兄貴は、
両足を大きく開き、両腕を兄貴の首に回して、ベッドで横たわっていた俺に、

「いいか、俺に、ちゃんと掴まっとけよ!」

と言うなり、いきなり俺の上体を起こしたかと思うと、
そのまま、つながった状態で、兄貴はベッドから降り立ち上がった!
そう、俺は、母親が幼児を抱っこするような姿勢で、
兄貴に抱えられてしまったのだった!

「アッ! アァッ!」

と、俺は反射的に、大声をあげてしまった!
だって、ジェットコースターだって、足が地につくものよりも、
空中でプラプラしてるほうが、スリルがあって、恐いっていうじゃん。
それと同じことを、俺は、俺と同じ体型の兄貴にされてるんだもん……。
あぁ、コーディネーターの腰の強さには、ナチュラルは勝てんわ。

「ヒィ、ヒィ、ヒィ……」

と、俺は兄貴がその姿勢で、腰を上下に動かすたびに、
もう、悲鳴しかあげられなくなった。
たぶん、キースは俺が犯られている声を聞いて、
いたたまれなくなってんだろうけど、
その時の俺は、そんなことを考える余裕は全くなく、ただ、ひたすら、

「ヒィ、ヒィ、ヒィ……」

と、兄貴のリズムにあわせて、声をあげ続けていた……その時、
急に、兄貴の動きがピタッと止まった。

「どうだ、ジョン、こんなに深い所で、受け入れたことはなかっただろ?
 おまえの、1番、奥深くは、俺だけのものだ!
 どんなに大勢の奴と寝てきたといっても、おまえのココは俺だけのモノだ」

と、俺の耳元で、小さな声だったけれども、力強く兄貴は囁いた。

あぁ、独占欲だ!
兄貴は俺を1人占めしたいんだ!
そりゃ、状況が状況だったから仕方なかったんだけど、
自分はウリやってて、汚れてるって、
ずっと兄貴に対して罪悪感があったから、
こんな俺でもいいんだ!
俺、こんなに愛されてるんだぁ!

と、なんか、すごく、嬉しくなって、俺は涙が滲んできてしまった。

「兄ちゃん、ありがとう、愛してるよ」

「ジョン、俺も、おまえを、愛してる」

あぁ、こんな格好で愛を伝えあうのは、ちょっと滑稽ではあったけど、
おまけに、キースは下に転がってるんだけど、
俺と兄貴は、誓いの深い口付けを交わした。

そして、それからは、もう、兄貴は時間がないからと、
一気に、一気に、俺は上り詰めされ、
あまりの加速度に、最後は、

「ヒィ、ヒィ、アッ、助けて、タァ・・スゥ・・ケッ・・テェェ……」

と、泣きながら叫んで、果ててしまった!

あぁ、俺にとっては嬌声だったけど、
キースにとっては哀願だったんだろうなぁ……と、
これまた、あとで、俺は後悔する羽目にはなるのだが、
この時は肉欲に流され、もう、絶叫マシン状態だった!

そして、兄貴は、あまりにも気持ち良すぎてボーッとして、
兄貴の身体からズリ落ちている俺をベッドに横たえ、
またネクタイで目隠しをして、後ろ手に縛り、

「じゃ、俺は帰るから、迎えに来るまで、元気でいてくれな!
 それと、この姿で意識があるよりは、寝てるほうがラクだろ」

と耳元で言って、兄貴は俺の頬を数回、思いきり叩いた。
その度に、俺は壊れた人形のように、悲鳴をあげながら、首を左右に吹き飛ばされた。
そして、その後、兄貴は俺の腹をグーで殴り、
俺は無理やり失神させられてしまった……。





「ムウ、ムウ、生きてるの?
 目を開けてよ、お願い、ムウ!」

と、女性の声が聞こえ、俺は薄っすら光を感じながら、瞼をゆっくり持ち上げた。
そこには、ジェシカが、俺の頭を抱えたまま泣いていた。

「えっ、ジェシカ、俺、どうなったの?」

「ムウ、よかった! 生きてたのね!!!」

「あっ、そうだ、キースの声が聞こえたような気がするんだけど、
 キースは、だいじょうぶなの?」

「キース、あぁ、キースは、これから助けなくちゃね。
 もごもご動いてるから、だいじょうぶだとは思うわよ」

と、ジェシカは、涙を拭いながら、
キースのシーツをどけるために、ベルトをはずし始めた。

「ムウ、ごめんな、俺が助けてやれなくて……」

というのが、こっちも泣き顔のキースの第一声だった。

「ねぇ、警察に届けましょうよ、それから、ムウは病院にも行かなくちゃね」

と、ジェシカが言うので、

「いいよ、ジェシカ、俺、警察にも言いたくないし、
 病院にも行きたくない!
 根掘り葉掘り質問されるのなんて、嫌なんだ。
 そっとしておいてよ。
 こんな姿を人目にさらしたくないんだ。
 過去にウリやってきたし、無理やりっていうのは、初めてじゃないから、
 俺なら、だいじょうぶ、慣れてるもん!
 シャワー浴びて、傷の手当てしたら、しばらく横になるから……。
 お願い、そっとしておいて、お願いだよぉ」

と、俺が、半分泣き声になって訴えると、
キースとジェシカは、顔を見合わせて、2人とも悲しそうではあったけれど、
黙って、俺を浴室まで肩を抱えて連れて行ってくれた。
彼らは、戸締りに用心しなかったオマエが悪いとか、俺を責めるわけでもなく、
また、どんな奴に、どういうことをされたのかと聞くこともなく、
ただ、黙って悲しそうな顔をしていた。

そして、傷の手当てが済んだ後、
俺は、自室のパイプベッドで、半日以上眠り続けた。

ときどき、意識が戻って、ウトウトしたりもしたのだが、
兄貴の顔を思い出し、幸せな気分になっても、
俺がレイプされたと思い込んでいるキースとジェシカの顔が浮かび上がると、
すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
本当のことを話したほうがいいのではないかとも思うのだが、
でも、兄貴が捕まったり、MITのうちの研究室が捜索を受けたり、
また、兄貴が俺を迎えに来てくれなくなったら、どうしようと考えると、
結局、何も言えず、ただ、そういう演技をするかしかないと、
これまた、自分が蒔いた(兄貴が蒔き逃げした)種とはいえ、
キースやジェシカに嘘をついているという罪悪感を拭いきれない俺だった。




そして、それからというもの、俺の第1発見者であるジェシカは、

そう、ジェシカは、キースが久しぶりに帰ってくるというメールをもらい、
もう着いた頃かと、うちに連絡したのに応答がなかったため、
この日は妙な胸騒ぎがして、急いで様子を見に来たら、
俺が、強姦され殺された……と、最初は思ったそうだ。

で、ジェシカは、あれから俺のことを心配して、
ヒマを見つけては、うちに顔を出すようになってしまった。
また、キースも1週間の休暇を、本当は、ボストンに寄った後、
N.Y.に遊びに行こうと、ブロードウェィのチケットまで取ってあったというのに、
ホテルから何から全部キャンセルして、
俺の側にできるだけ寄り添おうとしてくれていた。

しかたない。
だって、俺、ここボストンに来て間もない頃、リストカットして、
キースを慌てさせ、ジェシカをこの街に呼び寄せた、前科者だもん。
おまけに、その時は解離現象まで起こして、
もう少しで、多重人格障害にまで発展しそうになったんだもん。

しかたない。
2人とも、こういうことを過去にやってきた俺が、
何者かにレイプされるという心的外傷を受け、
また、あの時と同じようなことを繰り返すんじゃないかって、当然、思うわな。
そりゃ、心配してくれてるっていうのは、本当に、ありがたいことだとは思うよ。
愛されてるって証拠でもあるから。

でも……本当は、レイプでもなんでもなく、
1番好きな人に、ただチョット過激なSEXを施されただけなんだけど。
ハァ……。
俺も、演技として、つらい顔をしなきゃなんないし、
キースもジェシカも、本当に、見ていて気の毒なほど、俺に気を使ってくれるし、
俺、こういう雰囲気は、正直、耐えられないよぉ。
兄貴のバカ、バカ、バカ!!!
確かに、策略としてはパーフェクトだよ!
あのことは、時期が来たら話せるようになるかもしれないけど、
今は触れないでおこうって、タブーっていう雰囲気で、
2人とも、あの日の出来事については、俺に何も聞いてこないから、
兄貴のことも、まったくバレズにすんでるもん。

でもなぁ、俺が、割りきれたらいいんだろうけど、
俺って、やっぱり、ワルにはなりきれない小市民なんだよぉ……。

そんなことをウダウダ、頭の中でグルグル回転させながら、
あれから5日たった今日も、3人で一緒にディナーを食べている。
何とも言えない、この重苦しい空気。
会話をするのも気を使い、何か1つ動くのも気を使う。
俺がりんごを剥こうと果物ナイフを取ってくると、途端に2人の顔が引きつる。

「分かってるって、りんごは切っても、手首は切るなってことぐらいさぁ!」

と、あまりの2人の反応の良さに、こっちがいたたまれなくなって、
ついつい自虐的なセリフを口にしてしまうのだが、
いつもなら、ジェシカが、「そんな、言い方やめなさい!」って、俺を戒めてくれるのに、
オイオイ、今日はこのまま沈黙かい?!
俺が核爆弾を投げつけたら、そのまま、みんな灰になっちまったってことかい?!

もぉ、ダメだ!
俺には、耐えられない、耐えられない、耐えられないよぉ!!!
兄貴、ごめん、俺、全部話すよ。

「というわけで、キース、ジェシカ、嘘ついててごめんね。
 兄貴のことを話すと、兄貴が捕まってしまうって思ったから、
 これまで黙ってきたんだけど、本当に、心配かけて、すみませんでした。
 あれは、レイプでもなんでもなく、ただの狂言だから、俺は、めちゃくちゃ元気です。
 かえって、キースとジェシカを傷つけてしまって、申し訳ありませんでした」

「やっぱり、そうか。
 なんか、あんなことがあったわりには、おまえ、どことなく嬉しそうだったから、
 コイツ、真性のマゾに目覚めたのかなぁって言うのはジョークで、
 あんなに手際よく、プロの俺を拘束できるなんて、
 クルーゼでも来たんじゃないかって、ピンとは来てたんだ」

と、キースは、やれやれと、大きく溜め息をついた後、話してくれた。
で、ジェシカはというと、

「じゃ、1番、抱かれたかった人に抱かれたんだから、ねぇ、ムウ、
 そのために、一生懸命勉強してMITに行ったんだし、夢がかなったのね。
 良かったわね!」

と、また、涙ぐんでいた……。

そして、やっと、2人にも笑顔が戻って、
まだ、ぎこちないけど、楽しい食卓が帰ってきたと思ったら、
また、俺の一言で振り出しに戻ってしまった。
というのも、

「あぁ、良かった!
 やっと、落ちついて食事ができるよ!
 なんかさぁ、さっきの雰囲気って、
 犯罪被害者とその家族って感じで、メッチャ、空気が重たくてさぁ、」

と言った時点で、

「アァッ」

と、ジェシカが突然大声をあげ、両手で顔を覆って泣き出したのだ。
俺はいったい何が起こったのかと、目を白黒させていたら、
キースが椅子から立ちあがり、ジェシカの肩を優しく撫でながら、

「ジェシカ、泣いていいんだよ」

と、優しく語り掛けた。
もう、サッパリ俺は理解不能だったのだが、

「ムウ、俺とジェシカの関係は、おまえには、どう映っているんだ?」

と、急にキースは、俺に質問してきた。

「ジェシカからは、キースとは幼馴染で、一緒に、この街で育ったって聞いてるよ。
 俺の目には、ジェシカはキースのことを好きだけど、
 キースはジェシカのことを、どことなく避けてるって感じに映ってたけど……」

「そうか、まぁ、おまえの分析は、当たってるよ。
 俺たちは6年前まで、この家で一緒に暮らしてた夫婦なんだ。
 ただ、ある事件が起こって、
 俺たち2人は、一緒にやっていくことに疲れてしまった」

「ウン、なんとなくだけど、俺がこの街に来て、
 ジェシカもサンフランシスコからボストンに帰って来た時、
 彼女の過去に、この街で、何かがあったとは思ってました」

「俺たち夫婦には1人息子がいてな、テロに巻き込まれて殺されたんだ。
 もう6年前の事件だし、西海岸に住んでいたきみは、あまり記憶にないと思う。
 コーディネーター専用の中学校に、ブルー・コスモスの自爆テロがあって、
 俺たちの息子は、その時テロの巻き添えになって死亡した」

「そうよ、キース、
 あなたは、子どもをコーディネーターにすることは望んでなかったわ。
 ナチュラルで、いいじゃないかって、あなたは言ってたわ」

と、ジェシカが顔を上げて、涙をこぼしながら、話し出した。

「でも、私には……、せっかく大きな可能性があるというのに、
 それを与えられるだけのものを、私たちは持っているというのに、
 子どもの将来の選択肢を広げることを優先して、
 私は息子をコーディネーターにしたのよ」

「きみが、ジョンをコーディネーターにしたことを、俺は責めてはいないよ!
 最終的には、夫婦で話し合って、そうしようと決めたんじゃないか!」

「ジョンっていうんですか、あなたがた夫婦のコーディネーターの息子さんは」

「そう、あなたが、ムウ・ラ・フラガになる前の名前、ジョンなのよ。
 15歳になる目前で、死んでしまったジョン……。
 あの子は、何も悪いことはしていないのに、
 ただコーディネーターだっていうだけで、殺されてしまった」

「俺が、地球連合軍で働いていなかったら、
 ジョンはオーブの寄宿学校にでも入れられたのに、
 俺のせいなんだよ、あの子があんな目にあってしまったのは」

「違うわ、私がコーディネーターなんかにさせなかったら……」

「聞いたろ、ムウ、あの事件があった日以来、
 俺たち夫婦は、出口の見えないトンネルを歩き続けている。
 いや、もう夫婦であることは、お互い辞めようと決めて別れたんだ。
 毎日、毎日、あの子のことを考え、自分を責め、相手を責める生活に、
 俺たちは2人とも疲れてしまった。
 そして、彼女は、この土地を捨て、西へと旅だった。
 俺はというと、以前は諜報部でも、ボストン在住だったのに、
 わざと、危険な任務につくように、世界中を渡り歩くようになってしまった」

「でもね、私はこの街に戻ってきたの。
 この家には、恐くて、これまでは入れなかったけど、
 でも、ムウ、あなたがいるから、
 私は、もう1人のジョンと一緒に、もう1度やり直そうって気持ちになれたの。
 あなたの複雑な出生の秘密は、私の中での課題でもあった。
 ナチュラルとコーディネーターの共存。
 自分の息子をコーディネーターにして、ナチュラルに殺されたけど、
 母である私もナチュラルなのよ。
 ねぇ、どうしたら、あなたとお兄さんのように、
 離れていても、お互いを慈しみあえるのかしら?」

「そうだったんですか……。
 俺が、犯罪被害者とその家族なんて気安く言ってしまったんで、
 お2人には思い出したくないものを、この場所で、甦らせてしまったんですね」

「いや、だから、俺もジェシカも、またジョンが殺されてしまったのかと、
 きみが意識を取り戻すまでは、本当に、生きた心地がしなかったんだ。
 また、きみが強姦されたと思っていたときは、
 どうして、きみみたいな、 宿命を背負いながらも、一生懸命生きている奴が、
 どうして、こんな目にあわなきゃいけないのかと思って、
 俺は、もう、本当に、つらくて、悲しくて、
 あぁ、あの時と同じ気持ちだ、でも、このジョンは生きているんだから、
 絶対、何とかしなきゃいけない、自殺なんかさせてはいけないって、俺は……」

と、今度は、キースが、むせび泣きを始めた。
そして、ジェシカが椅子から立ち上がり、キースをそこに座らせ、
黙って、キースの肩を優しく抱いた……。

あぁ、この2人は、やっぱり、今でも夫婦なんだって、強く思った。
いいなぁ、俺の父さんと母さんも、こんな感じだったよなぁって思い出すと、
急に、このボストンの食卓が、カリフォルニアでの、
もう、今は新地になり、誰かが住む家が建っているのかもしれないけど、
あの、ポータ・ヴァレェの、
俺と兄貴と父さん、母さんの4人で暮らした家の食卓に思え、
俺も、涙が溢れてきて、止まらなくなった。



いつも俺が道化役で、母さんと、学校のことや兄貴の活躍ぶりをおしゃべりし、
そこに兄貴はときどき、話しに皮肉を入れてくる。
そして、寡黙な父さんは、マイペースに、食べ続けてる。

あぁ、こんな、ありふれた食卓が、思い出になり、郷愁さえも醸し出している……。



結局、それからしばらくの間、
キースも、ジェシカも、俺も、誰も言葉を交わすこともなく、
ただ静かに3人で泣いていた。
3人とも、失った人のことを偲んだり、
自分たちが背負わざるを得なかった罪の重さに戸惑ったり、
それでも、何とか、前に進みたいんだと頑張ってはみるのだけど、
やっぱり、ときどき、挫けそうになる自分を慰めたり……。

そんな、静かな、みんなで泣いてもいい夜だった。





そして、また、いつもの学生生活が戻ってきた。

大学も3年目に入り、卒業研究を見据えて、
俺も、ちゃんと、OSを書けるぐらいの知識は身についてきた。
でも、兄貴が来て書き換えていったような、
あんな次元の違うことはできるはずもなく、
ぼーちぼち、ロボットの人工知能の向上を目指し、 仮説、実験、検証、仮説、実験、検証……と、地道に積み重ねていた。

そうそう、兄貴のボストン訪問をキースに知られたことで、
俺は、MITが捜索を受けるのではないかと、心配していたのだが、
何事も起こらなかったので、キースが黙っていてくれたんだと、
心の中で、キースに感謝した。

このことを、ジェシカに尋ねてみたら、
そう、ジェシカは、あの大号泣スペシャル・ナイト以来、
なんか、フッ切れたような、清々しい表情を見せてくれるので、
まぁ、いろいろあったけど、これで良かったのかなぁとか、俺も安心していた。

「キースはね、今は、私よりも、あなたのことを家族と思ってんじゃないのかしら?
 だから、あなたやお兄さんが不利になるようなことは、しないわよ。
 この前なんか、あなたを養子にしたいのにって、言ってたわ。
 フラガには、その気はないんだろうけど、
 今は、孤児扱いの戸籍だから、俺の家族として、書類を提出してもいいってね!」

「ねぇ、ジェシカ、順番が違うよねェ!
 俺を家族にする前に、ジェシカに戻ってきてもらわないとね!」

「そうそう、ムウ、あなたの家族のことで、
 なんか、キースが未確認情報だけどって、
 あなたに話すべきかどうか相談があったのよ。」

「えっ、じいちゃんと、ばあちゃんに、何かあったの?!」

「あなたのお母さんがね、スイスで療養していたでしょ?
 なんか、行方不明になってしまって、どうもオーブに移されたらしいのよ」

「行方不明で、オーブ?!」

「ウン、だから、スイスのお母さんの親族は、捜索願を出しているそうだけど、
 オーブにいる工作員からは、それらしき人が入院している病院があるって、
 情報が流れてきたんだって」

「なんか、兄貴が絡んでそうだね」

「そうね」

「で、母さんの様態はいいの?」

「うーん、そこまでは私は聞いてないんだけど」

「そうだね、自分でキースに聞いてみるしかないよね」

と、すっかり、母さんのことを精神的に抑圧し、思い出そうともしていなかった俺は、
母さんの存在を、ちゃんと考えていた兄貴に、
ちょっと、ショックを受けてしまった。
でも、だからといって、オーブに行きたいとまでは思わないのは、
俺が今の生活の中で、それなりに居場所を見つけてしまったからだろうか?



そんなことを考えながらも、時間は確実に過ぎてゆく。
兄貴が迎えに来てくれるという日を思うと、
コーディネーターに囲まれて生活しなければならないのかと想定し、
俺は、マーシャル・アーツを習って、身体を鍛えることを始めた。
また、朝は早めに起きて、大学の構内を走ることも日課にした。
あんな身体がバラバラになるような抱かれかたをしたのに、
当事者である兄貴のピンピンしている姿を見たら、
ハァ……、俺、コーディネーターの中で、生きてゆく自信、ないよなぁ。
まぁ、何もしないよりは、慰めになるかっていう程度の運動ではあるんだけどね。



そしてボランティアも、研究室での実験が忙しくなって、
以前ほどではないのだが、相変わらず続けている。
そう、こんなことが、あったんだ!
俺が近所に住む、車椅子で1人暮らしをしている老婦人を買い物に連れて行ったら、

「フラガァ、フラガァ、久しぶりぃ!!!」

と、スーツ姿の清楚な白人女性が、こちらに向かって走ってきた。
でも、近づいてこられても、その女性は、まったく記憶になかったので、

「すみません、どこかで、お会いしましたか?!」

と、申し訳なさそうに俺が尋ねてみると、

「フフッ、フラガ、私よ、マリアよ!
 あんたの家庭教師してた!
 あんた、最近は、いい彼氏ができたの?!
 ちゃんと、やってるの?!
 ハハハハハッ!」

と、このちょっと傲慢な態度は、確かに、俺の知っている家庭教師のマリアだけど、
マリアってば、確か、黒髪に褐色の肌で、ヒスパニッシュ系だったよね?
この女性は、茶色の髪に、白い肌で、どうみても、白人なんだけどぉ?!
「ビックリしたでしょ!
 私、あんたんとこで、家庭教師をして稼いだお金で、白人になったのよ!」

「エーッ! 白人になれるもんなの?!」

「そうよ、美容整形の1種よ!
 男になろうか、人種を変えようか、すごく悩んだんだけど、
 まぁ、あの家族と縁を切るなら、ヒスパニッシュを捨ててやろうって思ってね!」

「じゃぁ、戸籍も変えちゃったの?」

「そうよ、今は、白人男性の娘ってことで、
 戸籍はネットのオークションで購入したわ!」

「ハァ……」

「でね、今は、マリア・サンチェスって名前は捨てて、
 マリア・カニンガムって名乗って、国連で働いてるの!
 私ね、ブルー・コスモスとは逆の立場で、
 ナチュラルとコーディネーターの間を取り持ちたいのよ!」

「フーン、国連って、マリア、スゴイねェ!!!
 今、充実してるんだね!」

「そうよ、フラガ、あんたも彼氏と仲良くね!
 じゃぁね!」

と、彼女は、また別の方向に走って行った……。
そして、取り残された俺と婆ちゃんは、気まずい沈黙の中にいた。

「スーザン、俺さぁ、」

「いいのよ、フラガ君、ゲイだっていうの、私、理解あるから」

「いえ、あれはね、彼女の勘違いなんだけど……」

「いいのよ、フラガ君、私、誰にも言わないから」

「だから、彼女が、勝手にそう思い込んでて……」

「いいのよ、フラガ君、お風呂の介助を手伝ってくれても、
 あなたがゲイなら、私、恥ずかしくなくて助かるから」

と、いうことになってしまった……。
あぁ、マリア、
いつもながら、過激なキミに、俺は振りまわされているけど、
でもさぁ、ブルー・コスモスに入りコーディネーターを弾圧しているキミの父さんと、
白人になって国連に所属し、コーディネータを擁護するキミって、
俺には、1枚のコインの表と裏にしか見えないよ。
キミたち家族は有色人種、2級市民というレッテルに、捕らわれているんだね。
あぁ、マリア、俺は、マリアはマリアのままで、十分素敵だって思っていたけど、
それじゃ、満足できないほど、キミの心の闇は深かったんだね。
あぁ、テクノロジーの進歩は、人の欲望を何でもかなえてしまう。
金さえあれば、クローンやコーディネーターが誕生し、人種も変えることができる。
こんな世界って、幸せなのかなぁ?
よく、分からないよ。
ほんと、もう、壊れてるんだろうね、人間って……。
やっぱり、隕石でも落として、浄化してやろうっていうクレイジーが現れても、
しかたないのかなぁ……こんな世界。



でも、俺自身は、まだ、
コーディネーターとナチュラルの間で起こるであろうと言われている戦争も、
まだ、何とか回避する手段があるんじゃないのかって、信じてる。
マリアが国連から平和にアプローチするのなら、
俺は、地球連合軍の内部から、何か変えられればいいのだけど、
しょせん、下っ端の俺じゃぁ、何もできないのかなぁ。
でも、俺がプラントに渡るのと、地球に残るのでは、
どちらが、俺が俺らしくなれるのだろうか?!
ボストンに来て間もない頃、俺は、ジェシカのカウンセリングを受けた中で、

「俺、はりぼてで、中身、空っぽなんだもん!
 唯一心を奪われていたのは兄貴だから、結局、俺には兄貴しかいないんだよ」

と、話したのは、今でも、よく覚えている。
そう、確かに、あの時は、この言葉の通りだった。
でも、あれから4年の歳月が流れ、俺は23歳になった。
18歳で兄貴と別れてから、何度か束の間の再会はあったが、
5年間、兄貴と離れて、家族と離れて、俺は1人で生きてきた。

今の俺も、はりぼてで、中の空洞に顔を突っ込み、辺りを見渡せば、
俺の中で手を振る兄貴の姿が、そこにあるのだろうか?

そんな疑問を持ちながら、
俺は一方では、このままボストンに残り、ジョージ・グレンの遺志を継ぎ、
ナチュラルの中で、コーディネーターとの共存を模索したほうがいいのではないかと思い、
もう片方では、コーディネーターの中で、兄貴に囲われて暮らし、
兄貴とのラブラブな日常の繰り返しを想像する。

あぁ、引き裂かれている俺。
どっちも、俺の欲望ではあるのだけど、
今のところ、迎えが来たら、プラントに行くもんなんだと、
俺はその日が来るのを心待ちにしていた!






そんなある日、ジェシカに、
とある自助グループのお手伝いをしてもらえないかと頼まれた。
何でも、男性のスタッフがいないので、言われた通り動いてくれたらいいからということで、
とりあえず、俺で役に立つのかどうか不安だったけど、そのグループに参加した。

そこは、「AT」と略して呼ばれる、
アサーティブ・トレーニング(自己主張訓練)の場であった。
なんか、異性との間で、うまく意思の疎通ができないという女性が7人ほど集まって、
各自順番にロール・プレイ(即興芝居)をしながら、
日常の課題を克服しようというプログラムだった。
俺は、彼女たちの相手の男性役で、
1人1人にあわせた、シチュエーション・ドラマを演じ続けた。

例えば、こういう感じだ。
ファシリテーターと呼ばれるスタッフが、全体の司会をするのであるが、
メンバーの1人を指名し、こう、促すのだ。

「じゃぁ、サリー、あなたが、今日、課題にしたいと思うことを話してもらえませんか?」

すると、皆で輪になって座っている中で、サリーは、

「私は夫に育児に参加してもらいたいんですが、うまく気持ちを伝えられないんです。
 どうしたら、ちゃんと私の意思が通じ、夫も嫌がらずに育児を手伝ってもらえるのか?
 皆さん、私へのアドバイスをお願いします!」

というふうに、今日の自分の課題を提示し、
皆が、こういう場合は、どう言えばいいのか、
あーだ、こーだ、意見を述べてくれるのである。
そして、集まったアイディアの中で、もっとも、自分にあいそうなものを選び、
実際に、俺が相手役(サリーの場合であれば、夫役)として演技をしながら、
サリーは、そのフレーズを使ってみるのだ。

例えば、こんな感じ。

「あなた、今日、ちょっと風邪気味で、熱っぽいから、横になりたいんだけど、
 子どもの世話をしてもらえないかなぁ?」

と、サリーが言ったら、俺が夫役で、

「そんな、育児はおまえの仕事だろ。
 俺は、毎日会社で働いて疲れてるんだから、休みの日ぐらいは、ほっといてくれ!」

と、これは、サリーの夫が、いつも言うセリフだから、俺も、それは言わなきゃならない。

「あなたが、一生懸命働いてくれるから、私も本当にありがたいと思ってる。
 感謝してるわ!
 ただ、あなたの休みが来る度に、子どもの世話をしてほしいって言ってるんじゃないの。
 今日は、たまたま、私の具合が悪いから、あなたに協力してもらえたらってお願いしてるの。
 どうかしら、どこかで、子どもたちと一緒に遊んで、外食でもしてもらえないかなぁ?」

「オイ、金は俺の小遣いからじゃなく、おまえが出すんなら、外食でもいいぞ。」

と、夫はケチだという設定だから、俺はアドリブでこう言ってみたりする。

「ほんと、お金はもちろん出すわ、ありがとう、あなた、子供たちをヨロシクね!」

という感じで、ロール・プレイは終了し、皆はサリーと俺に拍手を送るわけ。
その後、今の劇を見て、どこが良かったか、まず、誉めるところを探し、

「サリー、夫から嫌だと最初に言われても、感情で反論しないで、
 冷静に、まず、相手に日頃の感謝の気持ちを伝えたのは、良かったわよ!」

とか、まず、今の即興劇の長所を探し、
その後、ここはこうしたら、もっと良くなるんじゃないかという意見も聞いてみる。

「けど、サリー、今の劇を見ていて感じたんだけど、
 夫から、拒絶の反応を示された時、
 あなたは、すごく怯えたようにビクッと身体が震えていたのね。
 そういうサインは、たぶん、夫にも伝わって、
 あなたのことを、もっと、もっと、夫は苛めたくなってしまうから、
 できるだけ自信を持って、だって、あなたは正しいことを言ってるんだから、
 自然に、自然に振舞えるよう、心にとめておいてね!」

で、今のアドバイスを参考にして、再び、俺とサリーは劇をやってみる。
そして最後に、宿題として、それを現実の場面で使い、どんな結果が出たかを、
次週報告するというのが、だいたいのパターンである。

だから、俺は、7人いたら、7パターンの男性像を毎週、毎週、演じるわけだが、
まさかねぇ、昔、売春宿でコスプレし、
いろんなシチュエーションを演じてきた時の経験が、
こんなところで役に立つとは、思ってもみなかった!!
人生において、無駄な経験は何1つないって、聞いたことはあったけど、
まさに、その通りだった!

で、余談だけど、あの時、俺が1番、感じまくって、お客さまに大好評だったのが、
実はザフトのコスプレだった!
あの衣装を着て、鏡張りの天井を見ていたら、
なんか、兄貴もこんなこと上官に求められてんのかなぁとか、
勝手に想像して、当時の俺は、すごーく、燃えちゃいました!
大バカでした!

で、で、そんな過去のバカ話しは、おいといて、
俺は、毎週、毎週、いろんな男性像を演じてきて思ったのだけど、
もう、いろんな、状況があるのね。

夫に、たまには、2人でゆっくり映画でも見たいと言ってみたいとか、
彼氏に、ブランド物のバッグを買ってほしいとかいう、
わりと、気楽な、おねだりっぽいのもあれば、
あなた、私を殴らないで!とか、
離婚したいんだけど、財産分与はどうしたらいいかしら?とか、
すごーく、切実な、問題解決もあって、
俺は、なんか、本当に、勉強になりました、はい。

でも、だんだん、皆も俺も、打ち解けてきた頃、
けっこう、SEXに関する話題も増えてきて、それが俺には、大ショックだった!

「やめてよ! 私は、やりたくないの!」とか、
「そんな愛撫は、愛撫じゃない、暴力だ!」とか、
「勘違いしないで、そんな体位は望んでいないの!」とか、

俺は、即興劇の中で、男として、こういうセリフをガツンガツン女性たちから言われ、
その度に、心の中で、ビクッビクッと仰け反ったり、タラタラと冷や汗をかいていた!

「抱いてやってんだから、口出しすんな!」とか、
「おまえは、少しぐらい痛いほうが感じると思ってさぁ」とか、
「けっこう、よがってたくせに、いまさら、なんだよ!」とか、

俺は俺で、彼女たちのパートナーの代弁者として言い返していたんだけど、
でも、彼女たちの気持ち、すっごく分かる。
思ってたって、言えないよねェ。
だって、これってさぁ……これってさぁ……

俺のこと?!

って、思えてきたら、なんかさぁ、ほんと、
俺が兄貴に言いたくても言えない、本音ばかりだった!

そう、本当は、俺のほうが、自己主張トレーニングを受けるべき側の人で、
SEXのネタに限らず、
幼稚園のウサギのウースケの餌やりのことも、
ハイ・スクールでの、クリスのダンス・パーティのことも、
そして、つい最近の、逆さづりSEXにしても、
俺は兄貴に、言いたくても言えない、聞いてみたくても聞けない、
うやむやにしていることが、わんさか、わんさか、山のように積もり積もっていた!

これまでは、それはそれで、しかたないと、割りきっていた。
だって兄貴が俺の支配者で、俺は奴隷であっても、
兄貴は俺を愛してくれていたし、俺も兄貴を愛していたし、
これは、愛があるから、いいんだ!
と、そう、強く信じてきた。

でも、でも、これって、こんな関係って、相思相愛でラブラブっていうのだろうか?
うーん、うーん、うーん、
俺には、分からなくなってきた。

このSEXの話しが出るたびに、思うんだけど、
そう、それはすごく自分とパートナーの間で、大切な関係だから、
ちゃんと、向き合って、相互に理解しあえるのが、ベストだよね!
だから、俺、こういう場で、性の話しができるってことは、
とても重要だし、いいことだと思うんだぁ!
で、その度に、ファシリテーターをしてくださっているCP(臨床心理士)が、

「SEXとは、互いを認め合う行為でね、
 それをやっている2人は、
 快楽の中で、それぞれの精神的な境界線を越え、
 肉体的にも境界侵犯を許し合うの。
 でも、本来は人間にとって、自分の殻を破られ他者に侵入されることって、
 めちゃくちゃ、危険な状態になってしまうことであり、
 だからこそ、SEXは人間関係の中でも、特別な関係って言われるのよ」

ウン、ウン、その通りだと思う。

「でもね、ここに集まっている皆の話を聞いてると、
 まず、自己評価が低いから、
 自分の境界線っていうものがなかったり、
 または、ガチガチに凝り固まってたりして、
 相手と交渉するという場、そのものが持てないのよね。
 だから、その延長で、自分を相手に伝えることもできないし、
 逆に相手を素直に受け入れることもできない。
 ようは、バランスが悪いのよ。
 特に、肉体的に受け身になる役の人は、
 こういう状態では、一方的に相手の言いなりになってしまうか、
 または、まったくSEXを拒否して、パートナーを作れなくなる。
 まぁ、セックス・レスのカップルもいるけど、
 自分が心地良い距離で、SEXと上手につきあえたら、
 人生が、より、充実したものになるんだけどなぁ……」

ウン、ウン、その通りだよ!
と、俺は、そこに集まっている7人のメンバーと一緒に、
いつも、この話しが出るたびに、頷いてしまうのだった。


さて、こんな俺に、自分の境界線は、あるのだろうか?


俺は、自問を繰り返していたけど、
循環系否定回路の頭では、混乱が増すばかりだったので、
助けを求めて、ジェシカの部屋を訪れた。

「ジェシカ、俺さぁ、あの自己主張トレーニング、
 スタッフの側で参加させてもらってるけど、
 個人的にも、すごく勉強になるよ!
 だってさぁ、あそこに集まってる皆が俺で、
 俺が演じてるのは兄貴で、
 なんか、俺、頭がクラクラしてきちゃった。
 だから、ジェシカ、考えを整理するの、助けてもらえないかなぁ」

「もちろん、いいわよ!
 あのグループのファシリテーターは、私の友人のCPで、
 ほら、ああいう集団療法って、怪しいのがあるじゃない。
 宗教めいたものや、自己開発セミナーみたいなの。
 お金儲けの道具に洗脳されてしまうやつ。
 でも、彼女は、ちゃんとしたライセンスを持っているから、
 ムウにも、安心して、スタッフとして紹介できたんだけど、
 彼女、あなたのこと、褒めてたわよ!!
 MITで、ロボット工学なんてするよりも、
 臨床心理学を勉強したほうが向いてるって、言ってたわ!
 あなたは、男性にしては珍しく、
 オーダー言語よりも、情緒言語を理解できるからってね!」

「何ですか?
 その、オーダー言語と情緒言語っていうのは?!」

「オーダー言語は、言葉のとおり、命令する単語で、
 具体的には、フロ、メシ、寝る、みたいな、男性が一般的に良く使うものね。
 で、情緒言語は、これは女性が使うほうが多いんだけど、
 ほら、相手の表情や仕草や、何気ない言葉を拾って、
 向こうは何を伝えたいのかを察する能力。
 ムウは、人の顔色ばかりうかがって自分がないとか否定的に言ってたけど、
 本来は、こういう情緒言語を使いこなせる人は、
 オーダー言語も当然使えるから、ちゃんと訓練したら、
 あなたは、いい臨床心理士になれるって、彼女は、太鼓判を押してたわよ!」

「はぁ、エージェントにしたいってキースは言うし、
 まぁ、俺のこと、価値があるって認めてくれるのは嬉しいんですけどね!」

「さて、今日は、ついにきたかぁって感じの話ね」

「ジェシカ、俺さぁ、ここボストンで暮らすようになって間もない頃、
 俺は自分がないから、兄貴のために生きるって言ったよね。
 で、ジェシカは否定も肯定もしないって言ってくれたよね」

「えぇ、4年前の話ね」

「あれから、俺、自分なりに、いろいろ試行錯誤してきて、
 なんとなくだけど、ここに居場所を見つけられたって思った。
 でね、俺、分かんないんだよ!
 兄貴を崇める信奉者でいい、使徒でいいんだって、思って生きてきたんだけど、
 本当に、これでいいのかなぁって、最近、疑問を感じるようになったんだ」

「つまり、ムウにも自我が芽生えてきたってことね!」

「自我とか言われても、よく分かんないけど、
 なんか、今までよりは、自分が何をしたいのかとか、
 何を感じてるのかっていうことが、少し、見えてきた気がするんだぁ」

「いいことじゃない!
 執行猶予の時間を使って、ちゃんと、自分探しができてるってことでしょ!」

「ウン、それは、いいんだけど……」

「寂しいんでしょ?!
 お兄さんから離れていく自分が」

「そう、たぶん、そういうことなんだと思うんだぁ。
 俺、兄貴のこと好きだよ、大好きだよ、抱かれるのも嫌じゃない、
 兄貴に愛されてるって実感もある……だけど、」

「だけど?!」

「兄貴のこと、もう、以前のように、
 全てを捧げて愛せるような気持ちにはなれないんだぁ。
 好きだけど、嫌い。
 抱かれたいけど、もう、触れられたくない。
 この相反する感情、ジェシカは分かってくれるよね!」

「えぇ、かえって、それが自然だと思うわよ。
 人の気持ちは、揺れ動くのが当たり前だし、
 ムウが、お兄ちゃんから離れて、自分というものを取り戻してるんだなって、
 ちゃんと成長してるって、いい傾向だと思うわ」

「俺、これから、どこに向かっていくのかなぁ?
 もう、戻れないかもしれない……。
 ジェシカ、今まで、ありがとう。
 そして、キースにも御礼を言っといてほしいんだ。
 今まで、ほんと、よくしてくれて、ありがとうって!」

「ムウ、私には、あなたが伝えたいこと、分かるようで、分からないけど、
 でも、あなたが、自分で選んだことなら、それで、いいと思うの。
 自分の感覚を信じなさい!
 そして、あなたは、いいところがいっぱいあるし、
 あなたから、元気をもらっている人も大勢いるわ!
 自分に自信を持って、
 お兄ちゃんにも、ちゃんと、あなた自身のこと、理解してもらえたらいいわね」

「ジェシカ、ありがとう! 本当に、ありがとう!!
 いつまでも、キースと2人で、元気でいてね!」




そう、これは、俺の問題だ。
もう、時間はない。
何かを得ようと思ったら、必ず、何かは失わねばならない。
俺は、自分が何を欲しているのか、何を捨てようとしているのか、
たぶん、頭で考えるよりも、
その場に放り込まれた瞬間、俺が何を選ぶのか、自分の感覚を信じよう。
もう、その日は近づいている。



そう、その日は、突然やって来るものだと思い、
俺は、少しずつ、自分の研究のデータを、
他のスタッフにも分かるように、注釈を付けて記録に残すようにしていた。
だから、帰りが皆よりも遅くなるのは、しかたなかった。
今日も深夜遅くまで1人残って、データの整理をしていると、
誰かが、研究室に入ってくる足音が聞こえた。

あぁ、ついに、兄貴との約束の日が来たんだ!と、
俺はモニターから、ゆっくり振りかえると、
そこには、なんと、MITの学長が1人でたたずんでいた。

「学長、どうしたんですか?」

と、俺は、まさか学長がザフトの手引きをしているのかなぁとか、
ビックリしながら立ち上がると、

「フラガ君、きみに、どうしても話をしておかなければならないと思ってね」

と、学長は、散らかった部屋の中に、
乱暴に放り投げ出されている椅子を見つけ、さっさと腰掛けた。

「あのぅ、何かお飲み物でも、用意しましょうか?」

と、俺が慌てて簡易キッチンに向かおうとすると、

「いや、気を遣わないでほしい。
 とにかく、このことだけは、きみに伝えなければと思ってね。
 まぁ、きみも、そこに座りなさい」

「はい」

「私も、もう、退官する時期が迫っている。
 人は、いつかは、表舞台から消えてゆく、そう、生物には寿命がある。
 そして、人であっても、きみとお兄さんはクローンだ。
 クローンの寿命は、一般的に短いとされているのは、きみは知っているね?」

「はい、クローンはDNAの複製の際、突然変異が起きやすく、短命であると」

「その通りだ。
 しかし、ナチュラルとコーディネーターの違いは、
 クローンの寿命にも関与しているというのは知らないだろう」

「えっ、どういう意味ですか?」

「つまり、ナチュラルのきみよりも、コーディネーターのきみの兄さんは、
 さらに、寿命が短い、たぶん、彼は、そう長くは生きられない」

「どこから、そんな、情報を手に入れたんですか?」

「プラントに渡ったラボの研究者が、私に相談してきたよ。
 ラウ・ル・クルーゼの老化は、既に始まっており、
 死を迎える日を、できるだけ遅くするために、どういう措置をとるべきだろうかとね」

「もう、兄は、老化が進行しているんですか……」

「そうだ、きみの兄さんは、髪が抜けるようになり、皮膚に異常が現れている。

 きみには、そのような傾向はないようだが、どうかね?」

「はい、具体的に、何か変わったというようなことはないのですが」

「そうだろう。
 コーディネーターという遺伝子を操作し、素晴らしい能力を手に入れたとしても、
 生物の種としての強さは捨てざるを得なかった。
 生殖能力や寿命には、限界があったんだよ」

「僕は、いつまで、生きられるんでしょうか?」

「うーん、そうだねぇ、一般的な人の寿命を80歳とすると、
 きみは50歳、きみの兄さんは30歳ぐらいになるのではないかなぁ」

「30歳?!
 兄は、もう後7年ほどしか、生きられないんですか?」

「今、老化を遅らせる薬を飲んだりはしているようだが、
 どこまで、効果があるのかは、疑問視されている」

「あのぅ、本人は、兄は、このことを知っているんですね」

「あぁ、きみの兄さんは、ラボのデータを自分でハッキングして、
 事実を知ってしまったよ、残酷な真実をね」

「そうですか……」

「ただ、このことはザフトには、知られてはいない。
 ラボも、欠陥商品を売りつけたとなると問題になるからね」

「はぁ」

「そして、もう1つ、このことも、きみは知っておいたほうがいいだろう。
 きみの出生の秘密を」

「そうです、僕はいつも思っていました。
 どうして、僕は、生まれてきたんだろうかと。
 僕は、本来、製作される必要がないナチュラルのクローンです。
 どうして、兄だけではなく、僕まで、
 それも、ナチュラルで生まれる必然性があったんですか?」

「それは、遺伝子を操作してコーディネーターになったとしても、
 きみとお兄さんの、もともとのDNAの塩基配列は同じである。
 だから、白血球のタイプも同じで、免疫の拒絶反応は回避される。
 この話しが、何を前提にしているか、きみに、想像がつくだろうか?」

学長の低く鋭い声が、俺の背筋を駆け昇った!
俺は、ゾクゾクっと身震いするのが、はっきり自分でも分かった。

「まさか……バックアップ……」

「そう、きみは、お兄さんの老化を遅らせるため、
 使い物にならない臓器などが見つかった時に、
 パーツを交換するために製作されたナチュラルのクローンだ」

あぁ、そうなんだ。
確かに、それなら、全ての話しが、うまく噛み合う……。
そうでないと、こんなに時間も金もかけて、俺が存在するわけがない……。
どうして今まで気がつかなかったんだろう?!
ほとんどの場合、オリジナルが、自分の病気や負傷時に、
代替品としてクローンが必要になるから、製作を依頼するのだ。
そうか、兄貴も、俺も、2人ともクローンだから、
こういう視点では考えたことがなかったけど、
2体のクローンの内、より価値があるほうが生き残るために、片割れは代替品となる。
あぁ、俺は、俺は、人じゃなくて、部品(パーツ)だったんだぁ……。

「フラガ君、プラントにいるラボの職員から、噂は聞いてるよ。
 近いうちに、きみがプラントに渡るとね。
 そして、きみを手に入れれば、
 クルーゼ君は延命できると言われている」

「その後、臓器移植などが行われた後、僕は生きていられるのでしょうか?」

「まぁ、腎臓や肝臓など、多少切り刻んでも、ドナーに影響が少ないものもあるが、
 心臓移植の場合、きみの死は免れないだろう。
 そして、クルーゼ君の心臓は、そう長くはもちそうにないと聞いている」

「僕が、プラントに行けば、兄への心臓移植が行われるんですね」

「すぐにではないだろうが、いずれ、そうなるであろう」

「僕は、兄の身代わりとなって死ぬために、プラントに行くんですね」

「……そういうことになる」

「学長はいいんですか?
 僕に、こんな話をして、僕が逃走してプラントに行かなくなっても、
 それでも、いいんですか?」

「私は、ジョージに頼まれた。
 いずれ生まれてくるであろう私の息子たちを、守ってほしいとね。
 私には、クルーゼ君も大切だが、それ以上に、フラガ君、きみも大切だ!
 コーディネーターのきみのお兄さんの寿命は、しかたがない。
 それこそが、自然の摂理なんだからね。
 だから、私は、きみにプラントに渡ってほしくないんだ。
 ナチュラルとして、きみはきみの50年の人生を全うしてほしい。
 きみが、車椅子を押したり、ボランティア活動をしている姿は、
 この大学の構内でも、よく見かけていたよ。
 きみは、弱者の視点でも物を考えられる、立派な青年だ。
 本当に、きみを見ていると、ジョージを思い出す。
 きみなら、もしかしたら、
 軍の内部から、平和を導くきっかけを作れるかもしれない。
 だから、きみのお兄さん、クルーゼ君とは離れなさい。
 きみは、プラントに行ってはならない」

そう言い残して、彼はスッと立ちあがり、帰って行った。
俺は、研究室のドアの外まで、彼を見送りながら、
正直、どうしたら良いのだろうかと、大きく溜め息をついた。

兄貴は、このことを知っていて、俺をプラントに誘ったのだろうか?
俺を自分の身代わりとして殺すために、俺を手に入れたいのだろうか?
確かに以前は、俺がこの世にいても、兄貴のような活躍はできないし、
兄貴のためなら、人柱になってもいいとか思ったこともあった。
でも、やっと、俺にも少し自我が芽生えて、
自分らしく生きていけるように、
兄貴にも、ちゃんと俺のこと分かってもらおうと思っていたのに。
やっと、俺と兄貴の境界線ができ、
俺は俺だっていう実感が持て始めたのに……運命は、なんて、残酷なんだろう。

あぁ、悩む時間は、もう、そんなに長くはない。
キースに助けを求めるべきなのか?!
そうしたら、もう、兄貴には2度と会えないだろう。
例え会えたとしても、今度は戦場で敵と味方に分かれ、
互いに剣を交えることになってしまう。



あぁ、俺、どうしたらいいんだろう?!



月が綺麗な夜だった。
ボストンは学生の街だから、いつもは遅くまで、
ワイワイ・ガヤガヤ賑やかなのが、この街に相応しい夜の姿なのに、
今日は、なぜか静かな、月の綺麗な夜だった。

俺は、メッセンジャー・バッグを肩から斜めに掛けて、
MITからマンションまで30分の道のりを、足取りは重かったけど、歩いて帰った。
やっぱり、気持ち的にはウツ入ってたから、
背中を丸めて、ポケットに手を突っ込みながら、トボトボ歩いてしまった。
そして、いつものように鍵を開け、真っ暗な部屋に戻ってきた。
もう、住みなれた部屋なので、暗がりの中をリビングに入り灯りをつけると、
そこには、1人の男がソファに寝転んでいた。
鼻に付くコーヒーの香り……。
まさか、今日に限って、例の日がやってきたのか?!

「よう、お帰りかい!
 遅くまで、勉強熱心だねェ。
 待ってたよ、ムウ・ラ・フラガくん!」

男は、寝転がったまま、片目だけ開けて俺に話しかけてきた。

「もう、待ちくたびれてねぇ!
 明日の朝には、オーブに向かって出発するから、そのつもりでいてくれよな」

N.Y.ヤンキースのTシャツにGパンという、
どこにでもいそうな兄ちゃんという風情で、彼は、そこに横たわっていた。

「あなたは、誰なんですか?」

「クルーゼに頼まれて迎えに来たんだが、聞いてないのか?
 あ、そう、聞いてないんだ。
 じゃぁ、自己紹介しなきゃね、はじめまして!」

と、やっと男は身体を起こし、ソファに腰掛けた。

「クルーゼに、きみをオーブまで連れて来るように依頼された。
 俺の名は、アンディ・バルトフェルド。
 もちろんコーディネーターで、クルーゼとはプラントでの大学の同級生だ。
 まぁ、あいつの影響で、俺までザフトの一員になっちまって、
 こうやって、工作活動も手伝わされてるってわけ、お分かり?」

「ハァ……」

「まぁ、怪しいもんじゃないから、
 この部屋にも、ちゃんと、クルーゼから渡された合鍵使って入ったし、
 オーブに行けば、クルーゼも、きみを待っているんで、
 安心して一緒についてきてくれたまえ!」

「ハァ……」

「じゃ、まずは、きみにはシャワーを浴びてもらった後、
 身体検査をしなきゃなんないから、裸で、俺んとこに来てくれるかなぁ。
 発信機が埋め込まれたまんま、プラントに来られちゃマズイだろ?」

というわけで、なんと、グッド・タイミングゥ……。
俺は、悩む時間も与えられず、とりあえず言われた通り、シャワーを浴びている。
あぁ、またいつものように運命に流されて、
気がついたら、俺、手術室に運ばれて、心臓をえぐり出され、死体になってんのかなぁ。
はぁ、ヤダなぁ……。
でも、アンディとかいう人に、行きたくないと言っても、話しがややこしくなるだけだし、
とりあえず、プラントに行く前に、オーブで兄貴に会ったら、
何らかの決心はしなきゃなんないんだろうねぇ……。

溜め息をつきながら、身体を拭くと、
バスローブを羽織って、アンディのいるソファに向かった。

「フーン、俺は、男には興味はないが、
 こうやって、バスローブを脱がせていたら、その気になってくるもんだねェ」

「悪いジョークは、やめてください。
 さっさと、検査してもらえませんか?」

「ごめん、ごめん、セクハラだったねェ。
 えーと、まずは、触診、触診。
 ウン、いいカラダしてるじゃない、ナチュラルの肌っていうのも、悪くはないねェ」

と、言いながら、彼は、俺の頭の先から、足の親指まで、
一通り、全身を両手で撫でていった。
俺は、できるだけ無関心を装うとしたが、身体は正直なんだから、しょーがない。
こういう時は、やっぱ、ウリやってた1年の重みというものを、ヒシヒシと感じてしまう。
彼は、そんな気はなかったんだろうけど、
胸を揉まれると、乳首が立っちゃうし、わき腹を撫でられると、鳥肌が立っちゃうし、
次に立つのは、やっぱりアソコ?!
あぁ、それだけは、勘弁してほしいよ!
と、俺が、顔を真っ赤にして、うつむきながら耐えていたら、

「フラガくん、きみのカラダって、すごく、敏感なんだねぇ。
 なんか、誘ってる?」

俺は、うつむいたまま、首を左右にプルプル振った。

「そう、クルーゼにはさぁ、ケツに埋め込まれてるって聞いてたんだけど」

「ええっ?!」

と、俺は、その言葉に瞳孔が開き、全身がビクリと跳ねてしまった!
兄貴、この男に、俺たちの関係をばらしてたの?
もう、顔は羞恥心で真っ赤になり、目も開けられなくなってしまった。

「いやぁ、発信機が、尻の皮下組織に埋められてるって聞いてきたんだけど」

なんだ、発信機のことね、はぁ、疲れた……。

「でも、なんで、クルーゼは、こんなところにあるって知ってたんだろうねぇ?」

あぁ、やっぱり、そこに行き着くんだ……結局、答えは同じかぁ。

と、俺が思っている間にも、
彼の手は俺の尻の、ある1箇所を撫でたり、つまんだりしていた。
そして、麻酔の注射だろう。
いきなり、チクッとした痛みを尻に感じ、
それから、肉が焦げるような匂いが立ち込めた。
たぶん、レーザーメスで俺の皮膚を焼いたのだろう。
すぐに処置は終わり、彼は俺の手に、発信機をのせて見せてくれた。

「確かに、言われた場所から、出てきてくれたんだけど、
 あんたも、こんなものを埋め込まれてるとは、カタギの人じゃないねぇ」

そうか、これはフロリダで、俺が兄貴の身代わりとなって、
軍の諜報部に捕まったとき、意識がなかった3日間の出来事だな!
ずっと、監視されてたんだぁ。

「はい、これで、撤去作業終了!
 服に着替えてくれてもいいんだけど、さっきの質問に答えてくれるかなぁ?
 どうしても失敗は許されないから、くれぐれも、よろしく頼むと、
 あのクルーゼに、何度も、何度も、念を押されてきたんだけど、
 あんたとクルーゼって、いったい、どういう関係なの?
 ただのナチュラルにしては、発信機を埋めこまれてたり、
 クルーゼに、カラダ、触らせてたんだよね、あんた何者?」

「見て、分かりませんか?」

俺は、素直に聞いてみた。
彼は、俺の全身を下から上に舐めるように見つめながら、呟いた。

「フラガくん、きみって、9月7日生まれの23歳?」

「えぇ、そうですが」

「まさか、あいつのサングラスの下の顔って、
 おまえら……双子の兄弟かぁ?」

えっ、サングラスの下の顔って?!
兄貴、顔、隠してたの?
俺、そんなん一言も、聞いてないよ?
なんか、ばれたら、やばかった?

「そうか、そういうことか……。
 あいつが、いつも、サングラスをかけて、素顔を隠していたのは、
 地球連合軍に、双子の片割れを人質に取られていたからかぁ、なるほどねぇ。
 ふんふん、それで、取り返しに来たってわけなんだ。
 じゃ、もしかして、きみかい?!
 クルーゼに、松葉崩しって言ったのは?!」

「ブッ!!!」

と、俺は、いきなりのこの展開に、顔だけじゃなく、全身が真っ赤になって、
気持ち的には、濡れた髪から湯気が出てくるような感じまでした。

「いやぁ、クルーゼに、
 ナチュラルの恋人がいるんだけど、
 恋人はカーマ・スートラを全部仕込まれていて、
 それに対抗できる、コーディネーターならではの、
 何か新鮮な技を教えてほしいって言われてさぁ、
 ジョークで、逆さ吊りとか言ってみたんだけど、
 まさか、ほんとに実践されたとかぁ……。
 あぁ、そうなんだ、きみ、やられちゃったんだぁ。
 あんなの、あるわけねーだろ、ただのジョークだって、
 クルーゼ、気がつかなかったんだぁ。
 まぁねぇ、双子の近親相姦っていうのも、スゴイけど、
 クルーゼなら、やりかねんもんなぁ。
 いやぁ、つらい思いさせちゃったねェ、悪い、悪い、ごめんね」

もう、そーですよーだ、双子で、できちゃってるんですよーだ!
で、おいおい、アンディ、あんたかい?!
うちの兄貴を、からかってくれたのは!
おかげさまで、死にかけましたよ、マジに。

と、心の中で思っても、そんなの言葉に出して認めるわけにもいかず、
俺は、彼を無視して、そそくさと、トレーナーに着替え始めたのだが、
彼は突然、俺の前に立ちはだかり、
トランクスを履こうと屈んでいた俺の顎に手をかけ、自分の顔に引き寄せた。

「よく見せてくれよ、これがクルーゼの顔なんだろ?
 あいつには、散々、迷惑かけられたからねぇ。
 パイロット養成所でも、教官より上手に飛ばすんだと、
 まだ、無理だっていうのに、空中で勝手に1人で旋回して、ニアミス!
 俺の機体は、ぶつけられそうになったし、
 もう、あいつの傍にいると、いつも、こっちが振りまわされるのに、
 お手柄は全部あいつのものになるんだから、たまんないねぇ」

「兄貴は、相変わらずなんですね」

俺は、誘導尋問だとは分かってはいたけど、つい、笑って応えてしまった!

「そうなんだよ、きみがプラントに来て、
 俺の代わりに、あいつの世話をしてやってくれ!」

と、言った後、アンディは目をつぶり、
ゆっくり、俺の唇に、自分の唇を重ねてきた。
俺は、こういう場合、どうしたらいいのだろうかと戸惑いながらも、
俺も目をつぶり、むさぼられるがまま、彼の動きに合わせて応えていた。
たぶん、アンディは、あんなことを言いながらも、
兄貴のことを好きなんだろうなぁと思い、
あぁ、また、兄貴の身代わりかい?!
いや、彼に兄貴を投影して求めているのは、俺のほうか?
と、頭の中では毒づいても、優しく、上手な、女殺しのアンディのキスに、
俺は、ふにゃふにゃと、身体も脳みそも、ぽよぽよになってしまった……。

はっ!
でも、流されてはいけない!!!
キスより先を、求められてしまったら、
そして、そのことを、近日中に会うであろう兄貴にばれてしまったら、
俺も、アンディも、残酷な仕打ちを兄貴から受けるであろうことは、
100%、確実である。
そんな、デンジャラスな領域には、絶対、踏み込んではならないと、
俺は、ぽよぽよの思考回路から、慌てて理性を呼び戻し、
無理やり、身体をアンディから離した。

「もう、クルーゼの代理ごっこも、お互い、おしまいにしましょう。
 こんなことを、2人でやっていると兄貴に知られたら、
 どんな酷い目にあうか……」

「確かに、その通りだな。
 でも、どうする?!
 この状態・・…」

と、彼は自分の下半身を指差すと、欲情した彼のモノは、前を固くしていた。
そして、俺自身も、まだトランクスは履きかけだったので、
もう、そのまんま、半勃ちになっていた。

「なぁ、入れさせてくれとは言わないよ。
 素股でいいから、イかしてくんないかなぁ」

「ダメです、ダメ、ダメ、絶対ダメ!
 そういう男に限って、いざ、始めてみると、
 素股なんかじゃ物足りないって、無理やり挿入してくるもんなんです!」

「なぁ、ナチュラルで、しかも同性だなんて、人生、最初で最後だと思う!
 絶対に、情事の痕は残さないし、痛い思いはさせないから、
 なっ、やらせてください!
 お願いしますぅ。」

と、なんと、アンディは俺の前で、土下座までしてるじゃないですか?!
土下座よ、土下座……。
あんた、コーディネーターだし、力ずくなら絶対、
俺なんか簡単に手篭め(てごめ)にできるのに、
えー、そこまでするかぁ、アンディ?

あぁ、でも聞いたことある、ある、ある、ある!
俺の友人に、すっごく、ナンパ&お持ち帰りの成功率が高い奴がいるんだけど、
そいつは、たいして顔もよくないし、まぁ、その辺にいそうな男なんだけど、
何が成功率を上げるかというと、もう、嫌がられても、蹴られても、粘る、粘る!
そして、最後は土下座して頼むと、
相手は、そこまでしてくれるならぁって、やらせてもらえるんだって!
あぁ、アンディも、相当の遊び人なのね……。

「フラガくん、ほんと、お願いします!!!」

あぁ、どうしようかなぁ、
なんか、もう、いろんなことがありすぎて、どうでも良くなっちゃたよ!
また俺の悪い癖、投げやり、投げやり……。

「じゃぁ、いいよ、やろうか。
 痕跡は残さない、中出しはしないって言うのなら、いいよ、優しくしてね」

すると、アンディは、パッと顔を上げて、スンゴイ笑顔で、こう、おっしゃった!

「ありがとう、フラガくん!
 恩に着るよ!
 でも、きみ、クルーゼに、中出しさせてたの?
 性病とかもあるからね、例え同性や、双子であっても、
 必ず、ゴムは着けさせなきゃ、ダメだよ!」

オイオイ、アンディ、ご忠告、ありがとね!
また、俺の顔は、真っ赤になってしまった!

そして、アンディに身を任せてしまったのだけど、
もう、アンディったら、上手過ぎ!!!
こりゃ、兄貴が武者修業にアンディ道場の門を叩くのも、十分、頷けるわぁ。

もう、きみ、コンドームと一緒に、普段持ち歩いてんのかい?!
という、秘密兵器まで、飛び出して、
俺の身体はヘロヘロのトロトロになってしまった。
秘密兵器ってば聞きたい?!
なんとさぁ、化粧用の刷毛(はけ)なんだけど、そうそう、母さんとかが使うやつ。
もう、この小道具は、サイコーです!!!
いい、いい、これはイイ!!!

人の手で撫でられるのも悪くはないけど、
微妙なくすぐり具合といったら……
もう、太ももの内側とか、そっと優しく一振りされたら、
ゾゾゾゾゾゾゾッツって、快楽の波が押し寄せ、
あれよと言う間に、浜辺まで打ち上げられちゃってるもん!
確かに、これなら、痕跡は残らんし、気持ちはいいし、
アンディ、どうして、あんたはこういうのを、兄貴に教えなかったんだよぉ!
「出し惜しみすんなぁ!」
と、心の中で、浜辺にたたずみ夕陽が沈む海に向かって叫んじゃったよ!

でも、実際の俺があげてた声はというと、
心の中で叫んでいた言葉とは正反対で、

「アンディ、いいよ、ズゴク、イイ!」

あとは、もう、

「ウフ、アハン、アッ、ヒィェ、ウッ」

とか、言葉になりませんでした。

そして、もう、クネクネのジュルジュルに、なっちゃって、
すっかり、身も心もとろけてしまった頃、
やっと、ゴムを着けたアンディが、俺に覆い被さり、
めでたく結合となったのでした。
でも、もう、その時には、俺は3回もイかされてたんで、
身体は弛緩しきって、兄貴と再会して以来のSEXだったのに、
全く苦痛もなく、なすがままに、アンディに玩ばれてしまったのだった。

「あぁ、綺麗だよ」

とか、
「あどけない表情が、また、そそるねぇ」

とか、アンディは、快楽に潤んだ声で、甘く囁いてくれる。
まぁ、たぶんアンディの中では、クルーゼを抱いているんだろうけど、
俺も目をつぶって、アンディではなく兄貴の顔を思い浮かべていたんで、
そう、鬼畜な兄貴からは決して味わえない、優しいエクスタシー。
だから、俺とアンディの情事は、
どっちもどっちな、身代わりの切ない一夜だった……。



そして、身体を重ねてしまった後、先に俺がシャワーを浴び直し、
次にアンディも一汗流し、明日の予定(もう、今日だけど)を確認した。
そう、明日は夜明けと同時に行動開始。
といっても、今から寝ても、2時間ほどしか寝れないんだけどさぁ。
俺は、ムウ・ラ・フラガとしてのIDカードや免許証などの身分証明書を、
発信機と一緒に、この部屋に全て残し、
チョットした衣類だけをバッグに詰め込んだ。
そして、もう、3度目の名前、ケン・ハミルトンという名のIDカードと、
オーブへの渡航ビザを持たされた。
ジョンから、ムウになって、今度はケンかぁ……。
もう、俺の人生、どこまで流されてゆくのだろうかと、
半ば呆れながら、深く考えてもしかたがないと、寝ることにした。

順調に行けば、明後日の夕方には、オーブに到着する予定である。



オーブに到着するという機体は満席で、妙な活気が充ちていた。
皆、ビジネスというよりは、バカンスというラフな服装で、
ガイドブックや、地図を開いている。

「アンディ、オーブでは、何か大きなイベントでも開催されるの?」

と、無知なんだから、無知っぽく、俺は尋ねてみたら、

「知らないのか、無知だなぁ。
 今晩が前夜祭で、
 明日から、オーブでは、1年で1番盛大なカーニバルが始まるんだよ。
 ほら、リオのカーニバルは知ってるだろ?
 あんな風な、踊りと光の祭典さ」

と、アンディに、やっぱり無知と言われてしまった……。
でも、そうか、祭りの賑わいに紛れて、オーブに入国し、
そして、プラントに渡るのか……さっすが、クルーゼってば、賢い!
準備ができたから、突発的に迎えに来たわけじゃなかったんだね。
全ては、計算通りってことなんだ。


そして、ちょっとドキドキしたけど、さっすが、ザフトの偽ID!
難なく、オーブの検閲を終えて、すんなり入国できました!
まぁ、人が多過ぎて、入国審査に時間がかかったのは、辛かったけどね。


実は、アンディとの旅行は、兄貴にばれたら後が恐いから、
もう、エロイことは、しないようにしようと提案したのに、
昨晩も、飛行機の乗り継ぎ先のホテルで、抱き合ってしまった……。
あぁあ、このままプラントに渡ったら、俺、不倫関係になっちゃうのかなぁ。
アンディ、この状況、かなりヤバイと思うよ、俺……。
やっぱり、アンディの件もあるし、プラントには渡らないほうが無難だよね。
でも、もちろん、何度も全身を鏡でチェックしたけど、
アンディは、情事の痕跡は残してはなかったんで、
こうなったら、とことん、しらを切りましょう!
不倫だって、浮気だって、完璧に相手にばれなきゃ、
それはそれでいいんだって、俺も思うよ。
ただ、あのクルーゼ相手に、そんなこと、通用するのかなぁとは思うけど。

あぁ、やっちゃったことを、とやかく後悔しても始まらない!
アンディなんか、涼しい顔してるもん。
もう、こうなったら、自己暗示!!!
アンディとは何もやってません、アンディとは何もやってません、アンディとは……
と、まるでステージに上がる前に、
人という字を手の平に3回書いて飲み込むと、あがらないという、
少女のおまじないのようなことを、
俺は、空港のトイレで、一人密かにやってました。
あぁ、ばれませんように!!!
(じゃ、最初からするなってんの)


そして、アンディと一緒にタクシーに乗り、オーブの空港から、
兄貴が待つという、ザフトが借りた、とある部屋に向かった。
もう、太陽は傾き始め、
夕暮れのオーブの街は、祭りのムード一色で盛り上がっていた!


タクシーから降りると、アンディは携帯で連絡しているようだったが、
俺に上を向くよう、ジェスチャーで指示を出した。
指示通りに俺が見上げると、開いた窓から、
サングラスをかけた男が身を乗り出していた。
そう、兄貴の姿だった!


「ラウ、言われた通り、連れてきたぜ!
 彼で、間違いないんだろう?」

「あぁ、アンディ、本当にありがとう!
 確かに、俺が取り戻したかった人だよ。
 よくやってくれた、感謝してるよ!」

「じゃ、俺は、これで今回の任務終了だから、
 あとは、おまえに任せたよ。
 まぁ、なんとか、祭りには間に合ったしな。
 じゃ、あとは、よろしく!」

とだけ、言い残し、さっさとアンディは部屋を後にした。
アンディが去り際に、俺にウィンクでも寄越してきたら、
兄貴に感づかれるんじゃないかと、ビクビクしてたけど、
さすがアンディ、一流の工作員は身内を裏切るのもウマイもんです!
そして、アンディが出て行ってすぐ、
兄貴は、サングラスをはずし、俺をギュッと抱きしめ、こう言った。

「ジョン、やっと、一緒に暮らせるね!
 もう、手放したりしないよ!
 俺のジョン!
 この日が来るのを、ウェンディの洞窟で別れた日から、
 ずっと、ずっと、待っていたよ!」

「俺もだよ、兄ちゃん!
 なくした半身を、やっと、取り戻せたんだね!」

と、俺まで、テンション高く答えてしまった!
あぁ、臭いセリフ!
今までは、こんなことを、本気(マジ)で言ってたんだから、
俺たち双子って、地方ドサ廻りの舞台役者って感じだよね。
あぁ、でも、今は、演技になってしまう自分が、悲しいよ。
運命のバカ……。


それでも、俺は、まだ、迷ってはいた。
行くべきなのか、行かないべきなのか、答えは、まだ、見つかっていない。


「ジョン、プラントに渡るのは、明日に予定している。
 今日は、一緒に、カーニバルの前夜祭でも見に行くか?」

「兄ちゃん、キースに聞いたんだけど、
 母さんは、スイスからオーブの病院に移されたんだろ?!
 これって、兄貴が関与してんだよね」

「あぁ、スイスの病院では、母さんの事故を未然に防げなかったんで、
 俺の目が届く、オーブのラボが経営する病院に移したんだ」

「あのさぁ、プラントに渡る前に、母さんの見舞いに行っていいかなぁ?
 俺、あの日に別れて以来、母さんには1度も会ってないんだぁ」

「そうだな、どんな姿になっていようが、母さんは、おまえの母さんだもんな。
 まぁ、母さんは、おまえには会いたがっていたしね。
 じゃ、今からでも、病院に行ってみるか。
 ただ、心の準備はしておいてほしい。
 今はそれしか、言えないが……」

という、兄貴の意味深な言葉に、多少の不安を覚えながら、
俺は、兄貴が操るバイクの後に跨っていた。

そして、ラボが経営するという病院に到着したが、
今日は、祭りということもあって、夜だというのに、
患者さんも職員も、様々におしゃれをして、院内外を自由に出入りしていた。
だから、俺たちも、その人ごみに紛れ、目的の場所へと移動した。

そこは、地下の霊安室の隣で、
見るからに怪しく、異質な空間だった。
兄貴が、そのドアの前で暗証番号を入力し、
やっと、母と面会できることになったのだが、
もう5年以上も会っていなかった母に、
なんて声をかければいいのかと戸惑いながら、
兄貴に導かれ、部屋の中に入った。

暗い静かな部屋に、何やら機械の音と光だけが、
ここに誰かがいるというのを、指し示していた。
兄貴が灯りのスイッチを入れる。
ちょっと広めの白い部屋の奥で寝ている母の顔は、
かろうじて、耳らしきものは見えていたが、
鼻から上は包帯で、すっぽり巻かれていた。
包帯から、少しのぞいている栗色の髪は、
確かに、母さんの髪の色と同じだった。
しかし、だからといって、本当に、この人が俺の母さんなのか、
一瞬、違う人ではないかと、期待してしまったのだが、

「母さんのカルテだ。
 サマリー(要約)を読めば、全てが書かれてある」

と、母の病床の横に設置されたモニターには、
電子カルテの写真欄に、包帯の下の無残な母の顔が浮かび上がっていた。
なんて、酷い……。

サマリーによると、母はラボが火災にあった際、全身に大火傷を負ったが、
一命は取り止め、徐々に皮膚の移植手術を受け、身体は快方に向かっていた。
しかし、自分の側で夫であるマークが焼け死んだという記憶が、母を混乱させ、
一時期は記憶喪失であったのだが、その記憶が甦ったことで、
母は灯油を頭から被り、火をつけたまま、飛び降り自殺を図った。
しかし、自殺は未遂に終わる。
脊髄損傷により、首から下はマヒで動かなくなり、
火傷の後遺症で、視力も失われた……。

そう、これが母の現在の姿だった。

「ジョン、母さんは、痛み止めの麻薬も使用しているし、意識が混濁しているから、
 まともに話はできないと思うが、声をかけてみるかい」

と、兄貴が俺を促し、母の耳元で話しかける。

「メアリーさん、あなたの息子のジョン君を連れてきましたよ!
 メアリーさん、ジョン君ですよ!」

「母さん、母さん、俺、ジョンだよ。
 長いこと会いに来なくて、母さん、ごめんね」

と、俺が、兄貴に続いて声をかけると、か細い声が聞こえてきた。

「ジョン、ジョンなの?!
 母さんが作って、冷蔵庫に入れてあったサンドイッチは、食べてくれた?」

と、あまりにも、突拍子もないことを言われ、俺は顔が引きつってしまった。

「メアリーさん、サンドイッチは美味しかったそうですよ、
 ジョン君も、喜んでますよ!」

と、兄貴が話しを続けるので、あぁ、母は本当に狂ってしまったんだと、
ある程度の覚悟はしていたが、
外見のみならず、精神までもが病んでしまった母の姿に、
俺は、急に目から涙が溢れてきた。

「うん、かぁ・・さん、いろいろ、ありがとう……」

「ジョン、ジョン、私のただ1人の息子、ジョン……」

えっ、ただ1人の息子?!

「母さん、今、横に、兄貴のジュリアンがいるんだよ。
 俺たち、双子だよ、母さん!」

「ジュリアン?!
 そんな人は、私は知らないわ」

と、母が言うので、俺は視線を母さんの顔から兄貴の顔へとシフトした。
兄貴は、サングラスを外し、沈痛な表情で俺の目を見つめた。

「母さんには、俺を育てたという記憶がないんだ。
 自分の息子は、ジョン1人だけ。
 ジュリアンと言っても、さっきみたいに否定されるし、
 俺がジョンだと名乗っても、あなたはジョンじゃないと言われるし、
 俺は、母さんの中では、抹消されてしまったんだよ。
 でも、さすがに、ジョン、おまえが来たら、母さんは、すぐに分かったね。
 ジュリアンじゃダメでも、本物のジョンは分かるんだ……」

と、俺の耳元で兄貴が囁いた。

あぁ、なんてこった!!
コーディネーターで優秀な兄貴が忘れ去られ、
ナチュラルでバカな俺が、記憶に残っているなんて!
母さんは兄貴のことしか興味がないと思っていたのに、
俺は家族の中でお荷物だって、いじけて生きてきたのに、
こんな形で、母の愛を再認識するなんて、なんて現実は皮肉なんだ!!!

俺は、予想外の展開に、どう対応すれば良いのだろうかと、混乱した。
すると、母の口から意外な言葉が飛び出した。

「ジョン、ジョン、そこにいる?」

「う、うん、母さん、ジョンはいるよ」

「ジョン、あなたしか頼めないの。
 ジョン、私を殺して……。
 もう、こんな姿で、皆に迷惑をかけてまで、生きているのが、つらいの。
 あなたとは、以前、話をしたわね。
 延命措置はしないし、安楽死を認めようって。
 今が、その時よ、ジョン、私を苦しみから解放して……」

「母さん、どんな姿になっても、母さんは母さんだし、俺の心の支えだよ!
 俺には、母さんを殺すことなんて、できない!
 また見舞いに来るから、母さん、頑張って生きようよ!」

と、俺が言うのを聞いた兄貴は、母の腕に何かの注射をした。

「鎮静剤だよ。
 母さんは、ちょっと、眠ったほうがいい。
 こんなに、長く、母さんの意識が、はっきりしてることがあるなんて、
 俺もビックリだよ!
 それも、死にたいだなんて……俺は何度か、ここに来たけど、
 1度も、母さんの口から聞いたことなかったのにな。
 さぁ、これで、見舞いはいいだろ?!
 もう、帰ろう」

と、言われて、俺は、こんなセリフを兄貴に投げかけた。

「ねぇ、兄ちゃん、プラントに渡った後も、
 また、母さんの見舞いに、俺、ここに来てもいいよね!」

すると一瞬だけ、兄貴の顔はこわばり、哀れみの視線が俺に降り注いだ。
でも、それは、ほんの一瞬だけで、

「あぁ、また、会いたくなったら、来ればいいさ!」

と、笑顔で、兄貴は答えた。


そう、その瞬間、俺は決意した!
俺は、一瞬の兄貴の悲哀の表情を見逃さなかった!
誤魔化しが効く言葉よりも、
ノン・バーバルな表情のほうが、正しいメッセージだと、
俺は、自己主張トレーニングで学習してきた。

そう、兄貴は、知っている。
俺がプラントに渡ったら、
もう2度と、生きて地球には帰って来られないということを。



兄貴は、この部屋を出るつもりで、病室のドアに向かって歩いていく。
そして、俺は、ゆっくり後ずさり、兄貴から距離を取る。
ポケットの中から……
さきほどザフトの隠れ家で、トイレに行くフリをして、
キッチンから持ち出したナイフを取り出しながら。


「兄貴、俺、プラントには行かない!
 この身体は、兄貴には譲れない!」



と、俺は兄貴の後姿に向かって叫んだ。
両手で握ったナイフを、自分の心臓に向けて、いつでも刺せる用意をして……。

そして、兄貴は振り返った。
俺の姿を見て、全てを理解した兄貴は、
今にも泣き出しそうな、痛々しい表情になっていた。

「ジョン、おまえ……。
 そうか、知ってたのか……」



あぁ、かわいそうな兄貴、
そんな目で、見ないでよ。
俺が、兄貴に同情してしまうじゃないか。
母さんに存在を否認され、弟の俺も、その手を拒む。
そう、いつでも、兄貴は、
上から見下ろす神の眼差しを、
下々の民に向けてくれればいいんだよ。
今まで、そうだったんだから、これからも、それでいいんだよ!
俺なんかに同情されたら、兄貴、不甲斐ないだろ。
情けないだろ?
でも、教えてやるよ!
本当の鬼畜は、俺なんだってことを。



「兄貴、俺、ここで死ぬよ。
 母さんの側で、死ぬよ。
 でも、この心臓は、あげない!
 俺から、何もかも奪っていく兄貴。
 でも、俺、兄貴のこと愛してたから、それでいいと思ったよ。
 だから、幼稚園のウサギの餌やりも、
 ハイ・スクールのクリスのことも、全部、許してきた。
 兄貴に身体を求められたって、喜んで与えたさ!
 今までは、自分が、なかったからね。
 でも、兄貴と離れた5年間で、俺は分かった。
 俺は俺であって、兄貴じゃない!!
 俺と兄貴は、決して1つには、なれやしないんだから!!
 だから、心臓は、あげないよ。
 これは、俺のものだ。
 例え、生まれる前から、
 兄貴のクローンとして、兄貴を生かすために、
 切り刻まれて死を迎えるのが、俺の宿命だったとしても、
 これだけは、譲れないよ!!!」

そう叫んで、俺は微笑を浮かべて、兄貴の目を凝視した。

「ざまぁみろ!
 俺がここで死ぬと、おまえも長くは生きられまい!
 父さんはテロで殺され、母さんは植物状態、
 弟は自殺、おまえも、やがて死ぬ。
 ざまぁみろ!
 何が、ジョージ・グレンだ!
 何が、コーディネーターだ!
 しょせん、誰かの命を貪り尽くす、壊れた生命体なだけのクセに!!!」

もう、後戻りできない。
どうせ、死ぬんだから、今まで積み上げてきた怒りを、憎しみを、
一気に兄貴に向けて、俺は放出した!!!

そして、その時だった、母さんの声がベッドから響いた。
それは、か細い声ではなく、かすれながらも、魂がこもった大きな声だった。

「ジュリアン、ごめんなさいね、ジュリアン!
 私が、あなたを産んだ、本当の母親であれば、
 私の心臓を、あなたに、あげられたのに!
 ジュリアン、私の息子、ジュリアン」

そして、兄貴は、ナイフを握って微笑している俺にではなく、
母さんに駆け寄った。

「母さん、母さん、俺のこと、思い出してくれたんだね。
 母さん、俺だって、ここにいるんだよ!
 母さん、もう、心配しないでいいよ。
 俺、ジョンの心臓を取り上げたりしないから。
 誰がなんて言ったって、ジョンは俺の大事な弟だから、
 ジョンを殺してまで、俺は、生きていたいとは思わないよ」

兄貴は、母さんのベッドサイドに膝まづき、神に祈りを捧げるような姿勢で、
毛布の上に両手を組んで、泣きながら語り始めた。
俺は、兄貴の予想外の言動に、硬直したままではあったけど、
まだ、心臓に向けたナイフを引っ込める気にはなれなかった。

「母さん、苦しかったよ。
 俺が生き続けるためには、ジョンの心臓が必要だと言われた時から、
 ずっと、苦しんできたよ。
 プラントにいるラボのスタッフは、
 こうなることは、最初から計算通りなんだから、
 俺が気にすることはないと言うけれど、
 ジョンは、俺の大切な片割れなんだ。
 ジョンの心臓が、俺の中で生き続けたとしても、
 ジョンの笑顔が、もう、見られないのなら、
 永久に、この世から消えてしまうのなら、
 俺は、生きていたくなんてないんだよ。
 母さん……」

その兄貴の言葉を聞いて、やっと、俺はナイフを降ろした。
こんなに悲しい兄貴を見たのは、売春宿での自殺騒動以来だった。
俺の中で、暴走していたエネルギーが鎮火に向かう。
生まれて初めて兄貴にぶつけた怒りが、スーッと、おさまってゆく。
あぁ、やっぱり、兄貴は裏切れないよ……。

「もう、いいよ、兄貴。
 例え、その言葉が芝居であって、
 この病室を出たら、ラボのスタッフが待機して、
 そのまま、この病院で心臓移植の手術が行われたとしても、
 俺は、今の言葉を聞けて、幸せだったよ。
 ありがと、ジュリアン兄ちゃん」

あぁ、俺の負けだ、負け。
鬼畜になんて、やっぱり、なれないよ。
しかたない。
やっぱり、俺たち、相思相愛のラブラブなんだから……。

と、その時、母さんの声が響いた。

「良かった、あなた達双子の兄弟が、運命に流されず、
 自分たちの足で歩いてゆく姿を見られて……
 そう、目は見えないけど、
 母さんの心の中には、ジュリアンとジョンの姿が浮かぶわ。
 2人とも、立派な青年になったんでしょうね。
 ねぇ、この、幸せな気持ちのまま、
 母さんを、父さんのところに連れて行って!
 ジュリアン、ジョン」

「それは、できないよ。
 せっかく、俺のことを思い出してくれたのに!
 ここで、母さんを失うようなことは、できないよ!」

「ジュリアン、本当に、母さんのことを愛してくれるのなら、
 安らかな、永遠の眠りを授けて。
 光も何もない暗闇の世界で、身動きもとれず、
 ただ生かされているだけの時間が、
 どれだけ苦痛を与えるか、あなたに想像がつくかしら?
 痛みをとるための麻薬を打たれ、意識が遠のいては、
 また痛みがぶり返し意識が戻り、そして麻薬を打たれ……
 こんな毎日の繰り返しに、どこに、生きている価値があるの?!
 父さんに会いたい、マークに会いたいの。
 私を救って!」

母さんの切実な願いが、俺と兄貴の胸を貫く。
俺は、それでも、何も言い返せず沈黙を守っていたが、兄貴は答えた。

「分かったよ、母さん。
 今まで、ありがとう。
 母さん、安らかに眠ってね」

「ありがとう。
 さようなら」

そして、兄貴は、先ほどと同じアンプルを母さんに打ち、
ほどなくして、母さんは、安らかな寝息を立て始めた。
兄貴と俺は、2人並んで、沈黙を保ったまま、
そんな母さんの姿を、ボーッと眺めていた。

はじめに、静寂を破ったのは、兄貴だった。

「ジョン、おまえの気持ちは分かったよ。
 もう、帰りな、ボストンに。
 待ってる人がいるんだろ?
 ラボは、おまえの身体を欲しがるかも知れないから、
 軍の諜報部に匿ってもらったらいいよ。
 さぁ、帰りな。
 さよなら、ジョン」

俺は、黙ったまま、部屋を出ようとした。
もう、かける言葉は見つからなかった。
ここで別れたら、2度と会うことはないだろう。

そして、部屋のドアを開けた時、俺は最後にもう1度と、振り返った。
そこには、母さんの額に照準を合わせ、銃を向けた兄貴が立っていた。
俺は、しばらく、じっと兄貴の姿を眺めていたが、兄貴は動かなかった。

その時、急に、俺の中に、母さんの声が聞こえてきた。


「ジョン、人は生まれ育った家族を捨て、新しい自分の家族を作るものよ。
 そうやって、人は成長し、生命は受け継がれてゆくの。
 さぁ、私を殺して、あなたは、旅立ちなさい!」


俺は、急に向きを変え、母さんのベッドへと近づく。
兄貴の横に立つと、兄貴の銃を持つ手は小刻みに震えていた。
そうだよな、親殺しなんて、そう簡単にできるもんじゃない!
俺は、兄貴の耳元で囁いた。


「共犯者になるよ」


兄貴が持つ銃の引き金に、俺の右手の人差し指を添え、
俺は、兄貴の指の上から、力を込めた。

「シューッ」

という、サイレンサー(消音銃)の無気味な音が響くのと同時に、
プシューッと、包帯を巻かれた母さんの額から、噴水のような血が飛び出てきた。
それは、本来一瞬の出来事であったのに、
まるで、スローモーションのように、
鮮やかな血が、白い病室に飛び散ってゆくのが、ゆっくりと俺の視界に広がった。



あぁ、母さんを殺した、母さんを殺した、俺がやった……。



そして、その瞬間、俺も兄貴も少し返り血を浴び、
そのあまりの生々しさに、ちょっと、ビックリした顔で、お互いを見やった。
でも、なぜだろう、なぜか、俺も兄貴も顔を見合わせて、
ほぼ同時に、目には悲痛な哀しみを伴いながらも、微笑んでしまった。




親殺しを1人で背負うには、俺たちは、まだ若過ぎた。
俺と兄貴は共犯だ。
これから、どんな人生を送ろうとも、この瞬間は罪として、
俺たち双子には圧し掛かるであろう。
これから、戦争が起こり、幾多の人々を死に追いやったとしても、
原点は、この瞬間だ。




「ジョン、終わったね」

「うん、兄ちゃん、これで、本当に終わったね」



返り血を浴びた衣類は、その場で脱ぎ捨てた。
顔に飛び散った血痕は、お互い、拭きあった。

母さんに会いたいと面会する奴は、兄貴ぐらいしかいないから、
犯人は誰かと聞かれれば、兄貴はすぐに捕まるだろう。
でも、俺も兄貴も知っている。
これは、殺人事件にはならない。
ただの病死。
母さんの死を悼む人なんて、
この街には俺たち双子以外、誰も存在しないんだから……。

俺は、母さんの死体から、赤く染まった包帯の下にのぞく栗色の髪の毛を、
遺髪として、持ってきたナイフで切り取った。
兄貴を見やると、手を差し出したので、
俺は兄貴の手の平に、切り取ったばかりの母さんの髪を全てのせた。
そして、兄貴の手の中で3等分し、

「これは、俺の分」

と言って、一つまみを、枕もとにあったティッシュ・ペーパーで包んだ。

「これは、父さんの分。
 ボストンに帰るついでに、カリフォルニアによって、父さんのお墓に供えてくるよ」

と言って、次の一つまみを、ティッシュで包んで、また、ポケットに入れた。

「そして、残ったのは、兄貴の分」

兄貴も、ティッシュの中にしまった。

そう、これが、母さんへの、お別れのセレモニー。
こんな結末を迎える人生なんて、母さんにとって、幸せだったのだろうか?
父さんの死に様も、母さんの死に様も、正直ヒドイもんだった。
でも、誰かに殺されるっていうエンディングは、きっと俺も兄貴も一緒だよ!
母さん、父さんのところに、ちゃんと行けた?!
父さんに、ちゃんと、会えた?!
俺も、兄貴も、近いうちにそこに行くよ、待っててね、母さん……。



血に染まった部屋を後にして、
俺たちは、祭りに浮かれた病院内を、出口に向かって歩いた。


そして、バイクに乗り、華やかなカーニバルの人込みを避けて、
郊外の川沿いの土手を疾走する!
俺と兄貴の頭上には、絶え間なく色鮮やかな花火が舞い、
その光が川の水面に反射し、キラキラ輝いていた。
次々に打ち上げられる花火は、
闇に原色の光を放っては、消えてゆく……。
その幻想的な光の饗宴、腹に響く打ち上げの音、何もかも振り切るスピード、
あぁ、俺の頭はクラクラする。
ナゼだろう?!
あんな残酷なことを仕出かしたというのに、
俺も兄貴もヘラヘラ笑い、歓声をあげて、
カーニバルに踊り狂う街のざわめきや電飾を、背後に感じながら、
ただ、ひたすら、疾走する、疾走する、疾走する!!!




ふと気がつくと、俺と兄貴は、人気のない浜辺に来ていた。
ここには、カーニバルの喧騒も届かず、花火すら見えもしなかった。
ただ、満月だけが、誰もいない海岸で俺たちを見守っていた。
兄貴はバイクを止め、俺にかまわず1人で降り、突然、服を脱ぎ出した。

「兄ちゃん、どうしたの?!
 家に帰るんじゃなかったの?!」

「母さんの血を、海で洗い清めたくなってな。
 おまえも来いよ、泳ごう、冷たくはないよ!」

「でも、クラゲとか、だいじょうぶ?!」

「おまえって、いきなり、現実的だなぁ。
 ここは海水浴場で、オーブは観光にも力を入れているから、
 そういう安全対策は、万全なの!」

「フーン」

と、鼻で言って、俺は兄貴につられて服を脱ぎ、裸になった。
俺が、水に浸かる前の準備体操をしていたら、兄貴はとっくに海に入っていた。
そして、俺に声をかける。

「ジョーン、ほら、あそこに、光が見えるだろ?
 あそこに、人口の浮島があるんだ。
 俺は、先に、あそこまで泳いで行っとくから、おまえも来いよな!」

確かに、海の上に、ぼんやりとした明かりが見えた。
そんなに、遠いわけではなさそうだったので、

「分かった、俺も行くよ!」

と、答え、兄貴の後を追うように、俺も海に入って行った。

満月に照らされた夜の海は、とても神秘的で、
寄せては返す波の音は、母さんを殺したばかりだという現実を、
忘れさせてはくれなくても、和らげてはくれた。
また、いつまでも、まとわりついているように思えた血生臭ささえも、
全身で水に浸かれば、母なる海に融合し、
生まれた場所に帰ってゆくような気にもなった。

そして、俺は兄貴の後を追って泳ぎ、浮島にたどり着いた。
先に到着していた兄貴はサッサと島に登っており、
俺にも上がってくるよう、手を差し出した。
俺は、兄貴の手に引っ張られて、人工の島に上陸した。

「なんか、昔さぁ、よく、宝島とか、ピーターパンとか読んだよね。
 いつか離れ小島に渡って、海賊と戦うんだって、
 兄貴、よく言ってたよね」

と、島に上がって、開口1番に、俺は、そんなことを言ってしまった!
だって、ちょっとした広場のような大きさの、
その人口の浮島の上に立って周囲を見渡すと、
なんか、海賊が出てきてもおかしくないような、
御伽噺の世界を思い出させてしまったのだから。

「ジョン、懐かしいね。
 あの頃は、楽しかったよ!
 ウェンディの洞窟とか、ほんと、ピーターパンの世界に生きていたよな。
 大人になんかなりたくないって、ずっと、子どものままでいたいって、
 ピーターパンに憧れてたよな」

「なんでかなぁ、こんな、変な大人になっちゃたのにね!」

俺と兄貴は、顔を見合わせて、笑い合った!
もう、こんな、一緒に過ごした時間を、懐かしむことができる日なんて、
2度と訪れないだろうって、お互い、覚悟はしていたのだけど。

でも、海から上がると、オーブの気候では、暑い時期だといっても、
やっぱり、夜風は、濡れた身体を冷やす。

そして、すっかり冷えてしまった身体を、2人で身を寄せ合って温めあった。
合成樹脂でできた人工島に、背中やお尻を押しつけられると、
ちょっと、擦れて痛みが走る。
でも、兄貴が、俺の濡れた髪をかきあげながら、
首筋に舌をはわし、ときおり、ついばむと、
俺は、頭を軽く左右に揺らしながら、

「アッ、アッ、アッッ」

と、喘ぎ声をあげてしまう。

そう、兄貴に与えられる愛撫が心地良くて、
俺の身体は、だんだん、芯からじんわり火照ってきた。



そして、ずっと閉じていた目を、ふと、開けてみる。
灯りが1つだけ、この浮島には設置されていたが、
俺のモノをしゃぶる兄貴の姿を、まじまじと見たいとは思わなかったので、
俺は、自然に腰を揺らしながら、虚ろな目を横に向ける。
暗い海と、暗い空のかなた。
この広い空間の、どこに、海と空の境界線があるのか、俺には分からない。
そして昼でも、海と空の青の境界線は、たぶん俺には分からないだろう。
海も空も、どちらも、全く別の存在なのに、
遠くから眺めていると、どこかで溶けて1つになっているような気がしてくる。

俺と兄貴も、こんな関係なのかなぁと、ふと、頭に浮かんだ。

でも、俺の思考回路は、ここまでだった。
もう、次の瞬間には、考える余裕がなくなり、
ただ感じる熱を、本能のままに追い掛けていた。

兄貴が、途中で、しゃぶるのを辞めてしまったので、
中途半端に煽った俺のモノは、
焦らされて、先端を濡らしていた。
あぁ、もっと、もっと、与えて欲しい!
と、俺は、ブリッジのように腰を持ち上げて、
俺に覆い被さる兄貴の身体に、自分の下半身をわざと摺り寄せ密着させる。
すると、兄貴の先走りの液と俺の液が混ざって、
ネチャネチャと厭らしい音をたて、波のざわめきに混じって、耳に届く。
互いのナニが、ひっついては、離れる感触は、
秘腔の奥で感じるものとは、また違い、即物的な快楽を提供してくれる。

「アッ、もう、イきそう」

と、俺は、腰を振りながら、つい、言葉が口から、ほとばしってしまう。

「俺もだよ」

と、兄貴も、俺のリズムにあわせて、身体を揺らしてくる。
そして、俺は兄貴の背中を強く抱き寄せ、
もう、ガマンできないと、互いのナニを一緒に、
身体で挟んで擦り合わせ、

「アァッ!」

という声とともに、果ててしまった。
その時、ほぼ同時に、兄貴の熱い液が、俺の腹に降りかかってきたので、
いっしょにイけたんだと、スゴク嬉しかった。

そして、十分に温まっただけでなく、自ら熱を帯びた俺の身体を、
兄貴は、優しく抱き寄せ、

「もう、寒くないね、よかった。
 ジョン、ここは下が固いから、擦れて背中が痛いだろ。
 俺が下になるから、おまえは、俺の上に乗れよ!」

と、身体を入れ替えた。
確かに、今のナニの擦り合いだけでも、俺の背中や尻は、
少しヒリヒリしていたので、兄貴の申し出は、ほんと、ありがたかった!
やっぱり、今生の別れだと思うと、鬼畜さが、薄れるもんなのかなぁとか、
そりゃ、いい傾向だ!と、正直ホッとした。

で、お言葉に甘えて、兄貴の上に跨った俺は、兄貴のナニを咥えながら、
ちょっと、意地悪して、兄貴の秘腔を指で、ツンツン突ついてみた。
おっ、バックに刺激を与えると、俺の口の中のナニが硬くなるっていうのは、
兄貴、もしかして、ザフトの高官の誰かに、穴、開発されちゃったの?!
うわぁ、俺、今の想像で、すごく、燃えちゃう!!!
萌え、萌え!!
と、俺のナニまで、また鎌首をもたげてきた!
でも、俺、自分がバックで慣れるのに、けっこう時間がかかったから、
兄貴に、そんな痛い思いはさせたくないので、
兄貴を抱きたいという気持ちにはならなかった。
だから、ちょっと、からかってやろうかなぁって、軽い気持ちで、
俺は、身体を起こし、兄貴の顔をのぞきこみながら、
おねだりスマイルで、尋ねてみた。

「兄貴、俺、兄貴を抱きたい!」

そう、こう言われたら、兄貴はどんな顔をするのだろうかと、
俺は、半分ワクワク、半分コワゴワという気持ちを抱え、
兄貴の顔を見やると、

「ジョン、今まで、俺が一方的だったから、怒ってるんだよな。
 母さんの病室で、ざまぁみろ!って、おまえに、言われてから、
 俺、考えたよ。
 おまえが、俺に口答えするのって、初めてだったし……。
 ウサギの餌やりにしろ、クリスのことも、
 おまえ、ずっと、ずっと、ずぅーーーっと、根に持ってたんだな」

と、兄貴は、俺の下で静かに語り始めた。
なんか、意外な兄貴の発言に、
萌え萌え!なんて、思っていた自分のテンションが一気に冷め、
スッゴイ意地悪なセリフを兄貴に吐いてしまったと、反省していた俺は、

「兄ちゃん、もう、いいよ。
 さっきの病室では、俺、言い過ぎたよ。
 ごめんよ」

と、素直に謝った。

「いや、いいんだよ。
 おまえの本音が最後に聞けて、良かったよ。
 俺がおまえの側に居たら、おまえがダメになるんだってことも、
 心臓移植の件を別にしても、よく分かったしな」

俺は、兄貴の手を掴み、自分の左胸に当てた。

「兄ちゃん、俺のここが欲しいかい?!」

「いいや、もう、いいよ。
 俺の中で、もう、決めてたんだ。
 おまえが、最後まで完璧に騙され、
 何も知らされないまま、ドナーとして手術室に運ばれるのなら、
 俺は、おまえの心臓を欲しいと思ったよ。
 それか、おまえが、俺に、どうしても捧げたいというのなら、
 受け取るつもりでいたよ。
 でも、おまえは、このことを知って、嫌だと言った。
 それなら、もう、俺に権利はない。
 おまえは、おまえだ。
 俺は、生きるために、また別の方法を探す。
 だから、気にするな。
 このことは、もう、終わった」

そして、兄貴は、上半身を起こし、俺に優しく口付けした後、
物憂げに語り始めた。

「もう、戦争は避けられない、おまえは地球連合軍、俺はザフトだ。
 ロボットの開発だなんて、悠長なことをやってる余裕はなくなっちまった。
 でも、俺は、おまえが近くにいれば、おまえを感じられる!
 たぶん、おまえもそうだと思う。
 だから、この感覚を信じ、俺たちにできることを、やろう。
 それで、戦争を終わらせる方向に導くことができれば、
 それがベストなんだがなぁ……」

あぁ、そうか、もう、別々の道を歩んで行くんだな、俺たち。
もう、顔を見ることもできないんだなぁ。
寂しいけど、戦争が始まろうとしている今、
これしか、方法がないよね。

「兄ちゃん、戦争が終わったら、また、会おうね。
 たぶん、俺は最前線に駆り出され、戦死しちゃうんだろうけど、
 運良く生きていたら、生きて帰ってこれたら、
 今度は、いっしょに、ホウェール・ウォッチングで、イルカを見ようね!」

「あぁ、そんな日が来ればいいな」

と言った兄貴の声は、どことなく、淋しそうだった。
きっと、兄貴も、自分がその日まで生きているとは思っていないのだろう。
クローンのコーディネーターとしての寿命もあるしなぁ……。
それに、俺たち双子は、軍隊という組織の歯車の中で、
擦り切れて交換される消耗品の1つだから、
お互い、戦死は免れないだろうというのは、分かっていたのだけど……。

「ねぇ兄貴、最後の夜だから、優しく抱いて……」

と囁き、俺は兄貴の額に張りついた濡れた髪を、
両手の親指で左右に撫でつけながら、
顔を近づけ、瞳を閉じ、唇を重ね、舌を絡める。
兄貴の太ももに跨り、座った格好のままだったので、
さっき頬張っていた兄貴のナニが、また、熱く硬くなってくるのが、
俺の下半身にも直に伝わってくる。
兄貴はというと、俺の尻を下から抱えるようにして、指を這わし、
俺の秘腔に、先走りの液を塗り込んでくる。
指が出たり入ったりしながら、俺の感じるスポットを弄ってくるので、

「ハァッ!」

と、俺は、上下からの快楽に耐え切れず、思わず、反り返ってしまう!
その反動で、後に倒れ込みそうになる俺の身体を、
兄貴はサッと、両腕を俺の背中に回し、受け止めてくれた。
快楽に潤んだ目で、兄貴の綺麗な瞳を覗き込むと、

「ジョン、いいね」

と、兄貴は呟く。
俺は、黙って頷く。
すると、兄貴は俺を自分の上から降ろし、
俺の腕を掴み、2人同時に立ち上がった。
兄貴は俺を引っ張りながら、浮島の端にやって来た。

「ジョン、海に入ろう。
 おまえは、人工島の周囲に張り巡らされているロープを、
 握っていたらいいから」

と、言い残し、自分は先に、ドボンと、頭から海に飛び込んで行った。
俺も、慌てて、兄貴に続いて飛び込んだ。

一泳ぎしてきたのだろうか、兄貴が波間から、勢いよく顔を出した!
ほぼ真上に昇った満月に照らされ、
海面から浮かび上がった兄貴の顔は、とても淫らで、綺麗だった。
そして、また兄貴の姿が見えなくなったと思ったら、
俺の真下に潜り、俺のナニを咥えていた。

もう、水中でのSEXなんて、もちろん、生まれて初めてだったんで、
これまで味わったことのない不思議な浮遊感の中、
俺は、気持ち良さに我を忘れ、ついロープを手離してしまった!

すると、兄貴も俺も、スーッと、海の底に引きずり込まれていった。
月の光が海面を揺らしているとはいっても、
夜の海に落ちてゆくのは、
闇の世界に吸い込まれて行くようで、恐怖を覚える。
しかし、すぐに兄貴が体勢を入れ替え、
俺の腕を掴んで上昇してくれたので、何とか溺れずにすんだ。

「ジョン、ちゃんと、ロープは持っとかないと、
 明日の朝には水死体になって、それこそ、一家心中になるぞ!」

「ごめんなさい」

そして、俺はロープを腕にグッと巻きつけ、兄貴をバックから受け入れた。
兄貴は、俺とは別のロープを両手で握り、
人工島という壁に、背泳ぎのスタートのような格好で、
両足を大きく広げ踏ん張り、俺は、その壁と兄貴の間で、貫かれていた……。



なんか、もう、どう表現したらいいのか、よく分からないのだけど、
肉体から直接与えられる快楽も心地いいけど、
それよりも……母なる海に抱かれているような、
摩訶不思議なイメージが、頭の中に広がっていき、
精神的な、癒しの気持ち良さは、
過去に味わった経験がない次元のものだった。

目を閉じると……、
ウェンディの洞窟の中で、
モニターから流されていたイルカと、今、波間に浮き沈みする自分が重なる。
全ては、あの晩から始まり、そして、この夜に終わりを迎える……。



この5年間、あの晩、出生の秘密を知ってから、
無茶苦茶な出来事の連続だった!
カリフォルニアに住む、どうってことのない普通の高校生だった俺が、
フロリダに流され男娼になったり、
ボストンに連れて行かれ、MITに通わされたり、
ついにはオーブで母親を殺してしまった……。

でも、この間、離れていても、
兄貴がいる、
兄貴といつか一緒に暮らせるというのが、俺の夢だった。
でも、それも、もう、かなうことはないと、今日、はっきり分かった。



さよなら、ジョン・グリーン。

父さんであるマーク・グリーンが殺され、
母さんであるメアリー・グリーンを殺し、
兄貴であるジュリアン・グリーンと交じり、でも、敵対する。

俺たち、家族の悲劇は、ギリシャ悲劇か?!
オディプス王は、自分の父を殺し、母と交わった後、
その運命を呪い、自ら両目を潰し、流浪の旅に出たという。
俺と兄貴は、親殺しの罪を背負い、近親相姦というタブーを抱いて、
戦争という死の旅で、互いに刃を向かわせねばなるまい。

古代ギリシャで、上演されていたという悲劇は、
今でも、現実に、繰り返されている……。



そんなことを思いながらも、
俺は、波に抱かれ、兄貴の腕の中で、
兄貴の動きに揺さぶられながら、快楽に身を流される。
夜の海は、それほど、冷たくはなかったが、
それでも、兄貴とつながる1箇所だけは特別で、
そこだけは、別の生き物のように、
俺の身体の中で熱を放ち、その波動は全身を駆け廻っていった。

でも、兄貴が、足を折り曲げたり、伸ばすたびに、
俺の顔には波飛沫がかかり、目は開けられず、
呼吸すらもしづらい状況で、
それはつまり、溺れているようなもんなのだが、
あぁ、愛に溺れるって、こういうことなんだって、
身をもって知ることができた人なんて、そんなに、いないだろうから、
貴重な体験を、最後の最後までさせてもらい、
いいかげんにしろやっ!て、思わせてくれるなんて、
あぁ、そんなマイ・ペースな兄貴が、愛しくてならないよ!!!
愛してるよ、ジュリアン兄ちゃん!

で、兄貴が刻むリズムは、徐々に早くなり、
俺の中で熱いモノが弾けるのが感じられた。
そして、俺も、同時に海の中に放っていた……。

「ジョン、泳ごうか?」

「うん、泳ごう!」

俺と兄貴は、浜辺に向かって、泳ぎ始めた。
寄せては返す波の間で泳ぐのは、かなり体力は要るけれども、
5分もクロールで泳げば、岸に辿り着いた。

俺たちは、海水に濡れたままの身体に、とりあえず服を着て、
ザフトの隠れ家に向かって、バイクで走った。
もう、カーニバルの前夜祭は終わったようで、ざわざわした街の活気も少し治まり、
夜空は静けさを取り戻していた。



俺と兄貴は、部屋につくなり、
濡れた身体で、風を切って走るのは、ちょっと寒かったので、
慌てて、熱いシャワーを、一緒に浴びた。

俺は、濡れた髪を拭きながら、一足早く、浴室から出て行った兄貴を見ると、
兄貴は、端末に向かって、何やら仕事をしているようだった。
そして、プリンターから印刷した用紙を俺に見せ、

「ジョン、おまえの帰りの飛行機とホテルは、全部予約しといたから、
 これでいいだろ?!」

と、言うので、覗き込むと、

びっしり、スケジュールが、書き込まれていた……。

「オーブは24時間空港だから、おまえは、今すぐ、ここを出ろ。
 タクシーで、空港に行けば、この便には間に合うはずだ。
 そして、ロスの空港に着いたら、
 ケン・ハミルトンのIDは、すぐに破棄してくれな」

「ウン、分かったよ、兄ちゃん。
 ロスに行くっていうのは、父さんの墓参りのこと、覚えていてくれたんだね」

「あぁ、こうなってしまったってことを、母さんのことをよろしく頼むと、
 俺の分まで、父さんに祈ってきてほしい」

「あぁ、そうするよ!
 でも、兄貴、俺たち、母さんをほったらかしにしてきたけど、
 これから、病院に戻るんなら、俺も、手伝おうか?!」

「いいよ、アンディを呼んで、死体の処理については、手を打つさ。
 アンディには、おまえのことも、釘を刺しとかなきゃなんないしなぁ。
 まぁ、あいつは、いい奴だから、おまえのこと、黙っていてくれるだろうよ」

確かに、俺とアンディは、兄貴には内緒で、
実は、深いところで結ばれてしまっていたから、
俺に対しては、悪いようにはしないと思うよ……。
あぁ、これで良かったんだか、悪かったんだか?!

「でさぁ、兄貴、飛行機のチケットとか、ホテルの宿泊費とか、
 兄貴、俺、手持ちの金ないよ?」

「あぁ、その費用は、おまえのキャッシュ・カードの番号で決算しといたよ!
 おまえ、すごく金持ちなんだなぁ。
 まぁ、逃げて帰るんだから、それぐらいは、自分で払えよな!」

ヒデェ、兄貴の野郎!
俺の目を盗んで、キャッシュ・カードの番号を控えてたんだ!
そりゃ、暗証番号を、
カリフォルニアの家の電話番号から登用していた、俺もバカだったけど、
ボストンに着いたら、すぐ、口座番号と暗証番号を変更して、
兄貴に使われないように、対策を立てねば……糞アニキ(ファッキン・ユー)!



そして、俺が、濡れた髪をドライヤーで乾かしていると、
兄貴の独り言のような呟き声が、背後から聞こえてきた。

「ジョンは、結局、俺の日記は読まなかったんだな。
 あの手帳を読んでいたら、
 きっと、あいつは俺と一緒に、プラントに来ていただろうに……」

あぁ、読んでないよ、兄貴、ごめんね。
その言葉の真偽を確かめることは、もう、しないよ。
あの日記は、俺の手元に戻ることはないだろうし、永遠に封印され、
今の兄貴の言葉さえも、俺は、聞かなかったことにするんだから……。

と、ドライヤーの音に、かき消されたフリをして、俺は兄貴の呟きを黙殺した。



俺は兄貴と別れた。
別れ際は、熱い抱擁を交わすわけでもなく、あっさりとしたもので、
兄貴が携帯でアンディに連絡を入れている(揉めているようだった、そりゃねぇ)、
その兄貴の肩を俺はポンと叩き、兄貴は、それに答えて軽く手を挙げ、
それで、おしまいだった。

俺は、今度は、振り返りもせず、部屋を後にした。
タクシーを拾える大通りに向かって、足早に歩きながら、
俺の頬は、涙が零れていた……。
でも、悲しいだけじゃない、正直言おう、嬉しかったんだ!
強がりじゃないよ、嬉し涙でも、あったんだ。



あぁ、これで、俺は、俺になれる!
もう、兄貴の暖かい手を握ることはできないけど、
でも、兄貴の冷たい眼差しに支配されることもない。
俺は、俺になれる!
解放される!!!

そう、俺は自分の顔が嫌いだった。
同じ顔なのに、
自信に満ち溢れ、キラキラ輝く兄貴の顔には決してなれない、

水溜りに反射するモノクロな僕の顔。

俺の顔は、いつも、兄貴の影で、兄貴を惹き立てる、
ただの生気のない人形だった。

でも、やっと、俺は手に入れた!
俺だけの顔を!
兄貴は、これからも仮面で顔を隠すだろう。
でも、俺は違う!
俺は、この顔で、世界と向き合い勝負する!
あぁ、やっと、俺は俺になれる!
嬉しい!!!



俺は、流れる涙を拭くこともせず、
大通りで待機していたタクシーに近づき、乗り込んだ。
俺の居場所に帰るために。



朝、ロスに到着して、入国審査を受けた後、
俺は、すぐに国内線への搭乗手続きを始め、
ロスからサンフランシスコへと30分のフライトを楽しんだ。
やはり、カリフォルニアは故郷だから、ここにいるだけで、
この空気に包まれているだけで、安堵感がある。
機内の新聞を手に取っても、東側とは雰囲気が違い、
西海岸独特のユーモアや明るさがあった。

そして、サンフランシスコに着いてから、
俺は、ポータ・ヴァレェを経由する高速バスに乗り、
2時間かけて、自分が生まれ育った街を目指した。

やっと、ポータ・ヴァレェの土を踏みしめた時、もう、正午になっていた。
俺は、そのままタクシーで、じいちゃんとばあちゃんの家に向かった。
元気にしているのだろうかと、
会える時に会っておかねばと、気にはなっていた。
そして、祖父母の家から少し距離があるが、
ショッピング・センターでタクシーを降り、自分の昼食と花を買って、
歩いて向かった。

なんか、気恥ずかしくて、まず裏庭に、こっそり廻り、キッチンを覗くと、
まだ、じいちゃんとばあちゃんは、
ランチの後も、いっしょに食卓で、談笑しているようだった。
このまま、元気な姿を確認したので、帰ろうかなぁとも思ったけど、
でも、せっかくここまで来たんだし、勇気を出して、玄関のチャイムを鳴らした。

俺が、立っているのを見た2人は、もう、もう、もう、大喜びしてくれて、
すぐに家の中へと引っ張り込まれた!
俺が、店で購入したパンを食べようとしていたら、
ばあちゃんは、スパゲッティを茹でてくれて、
冷凍保存してある自家製のミート・ソースを、いっぱいにかけ、

「ジョン、あなたは、なんの前触れもなしに、ひょっこり現れるんじゃないかって、
 いつも楽しみにしていたのよ。
 カリフォルニアに来ることがあれば、寄ってちょうだいね!」

と、言いながら、プレートを差し出した。

「うん、ごめんね、いつも、突然で」

と、俺も言い、じいちゃんとばあちゃんの満面の笑みが見守る中、
ほんと、これが、俺が育った味だよなぁと、
ちょっと、目をウルウルしながら、故郷の味に舌鼓を打った。

でも、やっぱり、今回の訪問でも、俺からは何も話せることはなく、
彼らも、そこには踏み込んではならないという壁を感じており、
世間話や、小さい頃の思い出話しで、場を保っていた。

「じゃ、父さんの墓参りをして、俺は帰るよ。
 元気な顔を見ることができて、ホッとした。
 また、近くに来ることがあれば顔を出すから、
 じいちゃん、ばあちゃん、身体を大切にして、長生きしてな!」

と、言い残し、俺は家を出た。
じいちゃんとばあちゃんは、一緒に墓参りに、つきあうと言ったけど、
目立つのは嫌だからって、断った。

でも、ほんと、オーブでは、もう、ジョン・グリーンは終わったんだ!
と、1人で、カッコつけて、悲劇のヒーローぶってたけど、
ここに帰ってくれば、
俺がジョンだった18年は、そこかしこに存在しているわけで、
あぁ、ジョンはジョンで頑張ってたんだし、
ムウ・ラ・フラガはムウ・ラ・フラガで、これからも悪戦苦闘するわけで、
呼び名が、どう変わろうが、俺は俺でいいんだよなぁって、
いつも、故郷に帰ってくると、何かしらの元気をもらえ、心が安定する。




そして、父さんが眠る墓地に着いた。

母さんを殺したばかりではあるけど、
兄貴と決別したばかりなんだけど、
俺は、父さんの墓標の前で、花を供え、
母さんの遺髪をポケットから取り出し、
父さんの墓石の前の土を掘り、ティッシュごと埋めた。
そして、心の中で、父さんに語りかけた。

「父さん、もう、母さんに会ってるよね。
 もう、聞いたよね。
 そう、そういうこと。
 俺、兄貴と一緒に、母さんを殺したよ。
 これで良かったのか、今でも、よく分からないんだけど、
 この罪を抱えて、俺は生きてゆくよ。
 たぶん、俺も、長くは生きられないんだろうから、
 近いうち、そこに行くから、俺がしたことが、間違いだって思うなら、
 俺が父さんの側に行った時、おもいっきり叱ってください。
 そして、母さんから聞いてると思うけど、
 俺と兄貴は別々の道を選びました。
 どうか、俺たち双子が、それぞれの目的を遂げられるまで生きられるよう、
 父さん、母さんといっしょに、見守っていてください。
 そして父さん、母さんを殺めた俺が言うのもなんなんだけど、
 母さんは、最後まで、俺たち双子を信じ、父さんを愛していました。
 父さん、母さんを天国で大事にしてあげてください。
 よろしくお願いします」

ここで、俺は1度目を開け、父さんの墓標を見つめ直した。
父さんと母さんが、2人で寄り添う姿が浮かんできて、
俺は、再び目を閉じ、俺自身の報告をした。

「父さん、母さん、俺、いつも、家族の皆に甘えてばかりだったね。
 力もないし、知恵もないし、そんな自分に自信がなくて、
 俺、1人になってから、泣き言ばかり、愚痴ばかり、話してきたよね。
 でも、もう、だいじょうぶだから。
 兄貴とは別れたけど、ちゃんと、自分の帰れる場所を見つけたから、
 今まで、育ててくれて、本当に、ありがとう!」



墓参りを終えた俺は、今度こそ、ボストンへと家路を急いだ。




N.Y.経由で、ボストンに帰ってきた俺は、
すぐにタクシーで、
アンディが置き忘れていったコーヒー豆が残されているはずの、
自分の(キースの)マンションに向かった。

タクシーの窓から覗くと、日差しは眩しいのに小雨がぱらつき、
チョットしたお天気雨だった。
こんな日は、虹が見えることが、たまにあるけど……なんて思っても、
街中を走るタクシーの窓からでは、虹は探せそうにはないのだけれど。


もう、あの家を離れてから、5日たっており、
キースには全く連絡を入れず、発信機も放置していったので、
いったい、俺は、どんな扱いになっているのだろうか、想像もつかなかった。
また軍の施設で尋問とか受けさせられるのかと思うと、
正直、勘弁してほしかった。


そして、ドキドキしながら、マンションの鍵を開けようとすると、
先に中から、扉が開いた。

「ムウ、帰ってきたのね!!!」

ジェシカが、大きく手を広げ、俺を優しくハグしてくれた。

「ムウ、プラントに行ってしまったんだと、思っていたよ」

と、キースが笑顔で迎えてくれた!

「えっ?! 2人とも、どうしたの?!
 俺のこと、待っててくれたの?!」

と、予想外の展開に、俺は、ビックリして、しばし茫然となってしまった!
でも、1番会いたかった人たちが、自分を待っていてくれたという事実は、
すごく、すごく、すごく、嬉しかった!
あぁ、ここに居場所があるんだって、
俺は、2人が俺の帰りを喜んでくれる姿を見て、本当に嬉しかった!!

「そうだよ、おまえを待ってたんだよ!
 おまえの銀行口座に動きがあったんで、追跡調査したら、
 ボストンに帰ってくるって、分かってさぁ。
 N.Y.経由で、帰ってきたんだろ?」

「はい、そうです!」

「おまえが消息不明になったって、ジェシカから連絡を受け、
 俺が慌てて、この部屋に戻ってきたら、発信機が残されているじゃないか。
 あぁ、ついにクルーゼが動いたんだなと、
 俺は、その時点で、おまえを、あきらめたよ。
 いつか、こういう日が来るとは、覚悟していたんだけどな。
 寂しかったよ。
 でも、おまえは、帰ってきた。
 それでいいのか、ムウ?!」

ちょっと不安そうな表情のキースの言葉を聞きながら、ジェシカを見ると、
ジェシカも、目で、それで良かったのかと、俺に問うているようだった。

「いいんです、もう、終わりました。
 クルーゼとは、もう、会うこともないでしょう。
 俺たちは、別々の道を歩むことに決めたんです」

「そうか、そういう結論になったのかぁ……」

「ムウ、本当に、それで、いいの?!」

「はい、俺は、ムウ・ラ・フラガとして、地球で生きてゆきます。
 だから、俺、大学を卒業したら、
 軍に入って、兄貴と同じパイロットになるつもりです。
 でも、コーディネーターとの戦争で、
 生きて戻って来られないとは思うんですけど、
 もし、もしも、運良く、生きて帰って来ることができたら、
 キースとジェシカの、老後の面倒をみさせてください!
 籍を入れるとか、養子になるとか、そういう形式じゃなくって、
 俺、自分を理解してくれて、育ててくれる、
 自分の新しい家族を、ここに、見つけられたって思ってるんです。
 2人が失った、実の息子のジョンの代わりには、なれないし、
 そして、クローンだから、俺のほうが寿命が短いのかもしれないけど、
 でも、キースとジェシカと一緒に、寄り添っていきたいんです!
 いいかなぁ?!
 帰って来ちゃったけど……」

俺は、チョットはにかみながら、上目遣いに、2人を見た。
なんか、少し照れくさかったんだ。
いつも、迷惑をかけっぱなしの俺が、
いきなり、こんなことを言うのもなんなんだけどって。

そして、俺の言葉を聞いていたキースとジェシカは、
はじめは俺の申し出に、呆気にとられたような顔をして、
一瞬、奇妙な間があったんだけど、
でも、次の瞬間、2人、同時に、俺に抱きついてきた!!!

「ムウ、おかえり!
 大歓迎だよ!!!」

「ムウ、老後なんて、なんとかなるから、
 ここにいてくれるだけでいいのよ!」

2人は、口々に、あーだ、こーだ、俺にいろんな言葉を浴びせながら、
俺の頭を撫でたり、髪を揉みくちゃにしたりして……
そう、TD(タッチダウン)を決めた、WR(ワイド・レシーバー)に、
チームメイトが駆け寄り、喜びを爆発させるような感じで、
俺に、歓迎の意を表してくれた!!!




俺は、生まれ育った家族を去り、新しい家族を手に入れた!




俺と、キースと、ジェシカの3人は、
俺を真ん中に3人で肩を組み、談笑しながら、
玄関のドアを背にして、部屋に入って行った。








「 水溜りに反射するモノクロな僕の顔  おわり 」














ここまで、長く、長く、長く、ほぼオリジナルな小説を、最後まで、読んでくださった皆様、
本当に、感謝しております。 ありがとうございました!!!
もうそろそろ、TVシリーズにおいて、2人の関係が明かされそうなので、
それまでに仕上げようと、頑張って書き上げましたが、いかがだったでしょうか?!
クルーゼ隊長がナチュラルだったら、使えない技ばかりですね(苦笑)……。
最後になりますが、この小説の置き場を作ってくださった、れっちょさま。
そして、感想を聞かせてくださった、ざぜりんさま。 
お二人の個人的な応援がなければ、マジ、終わってませんでした。 挫折してました。
本当に、本当に、れっちょさま、ざぜりんさま、愛してくれて、ありがとうです!!!
                               むらかみちよこ








06:イメージイラスト




Update:2004/05/20/TUE by CHIYOKO MURAKAMI

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