Episode X〜Bitter〜



「・・・煙草はやめろと言っただろう」

小煩い声に不満そうに唇を尖らせて、フラガは男の方に顔を向けた。
情事の後。シャワーを浴びて水滴を髪から滴らせたクルーゼはフラガの口元から火のついたそれを取り上げる。
フラガが取り返す前に目の前の灰皿に押し付けると、フラガからあーという声が上がった。

「もったいねー。火つけたばっかだってのに」
「・・・全く、しつけのなってない奴だ」

はぁ、と呆れたようにため息一つ。クルーゼはフラガの隣に座ると、今度は自分が新しい煙草を取り出し火をつけた。
そもそも、やめろとフラガに注意するくせに、自分が吸うのはどうかと思うのだが。

「・・・つか、アンタはイイのかよ・・・」
「お前には似合わん」

・・・そりゃお前こそだろうが、という内心は、
しかし不意に降りてきたクルーゼの唇に遮られる。
本当の煙草のような苦味が舌に沁みてきて、フラガは微かに眉を顰めた。


クルーゼとこうして会うのは、はっきり言って痛い。
何より、自分といても崩れないその仮面の様な表情が特に。
クルーゼはいつも人前では仮面をつけている。それは、下の顔に秘密があるのかしれないけれど、
彼の表情を押し隠しているのはそんな物理的なものだけではない。
下を見ている自分だからこそわかる、クルーゼの揺らがない表情が、
フラガの心に微かな影を落としていた。
・・・そんなこと、いつもは考えないようにしているのだが。

「・・・苦い」
「それは悪かったな」

といいつつ、さして悪いとも思っていない声が頭の上から降ってくる。
それがより一層フラガの心を掻き立てて、なぜか無性に腹が立った。
そっけない態度。
それがクルーゼだと思えばそうなのだが、自分がこんなに感情を揺らがせているのが腹が立つ。
これでも、軍の中では頼られる立場で、何があっても揺らがない立場にいるはずなのに。
どうしてクルーゼの前に来ると、ここまで心を惑わされなければならないのか、
フラガ自身もはかりかねていた。
・・・それを見せないように見せないようにしていると自分自身わかっているから、
なおさらに腹が立ってしまうのだ。
フラガは腹いせにクルーゼの煙草を取り上げると、そのまま口元へもっていった。
多少クルーゼの唾液で濡れたそれが、どこか気持ちいいような悪いような。

「・・・全く、コドモだな、お前は」
「・・・誰が」

これでも、軍では兄貴分なんだよ、と唇を尖らせて。
そう言うとクルーゼは少しだけ口の端を持ち上げて、いつものからかうような笑みを投げ掛けてくる。
その、余裕のある表情が。
悔しいと思った。

「・・・てめーはいいよな」

全く、本当に。
羨ましいと思う。
そうやって、余裕の笑みを浮かべていられることが。
自分は、いつだって表情とは裏腹の精一杯な内情。
けれど、クルーゼは違う。こんなに近くにいても、内心すら読み取れない。
それに比べて、隠しているくせに簡単に読み取られている自分はどうだ。

「お前は咄嗟の状況判断が上手いからな」

前線のエースには合っている、と言われるけれど。
前線というものは、大局が見えないものだとクルーゼが以前によく言っていたから、
複雑な気分にもなる。
まるで、いつか来る嵐よりも、すぐ先に降る火の粉を振り払うことしかできない立場のような。
確かに、自分にはその表現がかなり合っている気がしたから、なおさら。
余裕のあるクルーゼ。相手の一挙一動に揺れる自分。
目の前のことしか考えられない。目の前のことで精一杯。
前まではよかった。それが自分の世界の全てだと思っていた。
けれど、今は。
常に大局を見据えて、ちょっとやそっとでは動かないクルーゼを前にして。
所詮ちっぽけな駒でしかない自分を実感して。
・・・痛い、と思った。本当に。

「なぁ、あんた」
「・・・ん?」

オレとのこの一瞬は、アンタにとって何なのだろう、とか。
やっぱり、大局の中での一興、でしかないの?とか。
そんなこと、言えない。
なぜなら、お互い想い合って繋がったわけじゃない。
ただの成り行きでこういう関係を結んで、それからただだらだらと続いているだけ。
だから、このまま戦争が激しさを増せば必然的に逢うこともなくなり、
ただ立場のままに殺し合うのだから。
けれど、その時が来たら―・・・、果たして自分は何も考えずに彼を討てるだろうか?
わからなかった。それだけは、どうしても。

「一瞬、って大事だと思う?」

だから、ただそれだけを聞いた。
裏に、ありったけの想いを込めて。

・・・―オレとのこの一瞬を、愛してよ。

クルーゼは全てお見通しのような相変わらずの笑み。
フラガの言葉に動揺することなんてないんだろうと思うけれど。
本音をぶつけてみれば少しは動揺して、そして突き放すのだろうか。
くだらん感情だな、と。
それでも、今はいいと思った。
クルーゼが今度こそフラガの咥えた煙草を取り上げそのまま唇を寄せてきた。
行為の再開を誘う深いくちづけに、フラガは瞳を閉じる。
ジュ、と灰皿で火が消える音が聞こえた気がした。




「・・・お前だけ、トクベツだ」










Update:2003/11/06/THU by BLUE

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