月のない夜



結局、引き摺られるようにして部屋についた。
礼のつもりで茶でも出そうかと誘ったが、「早く寝ろ」と怒られた。
冷えた部屋、暗い室内。
今のフラガが、こんな寂しい場所で眠れるはずもない。
窓際から外を見やった。
そう、今日は。
“月のない夜”新月の日だ。










フラガの中に、影を落とす6年前のあの記憶。
一度焼きついたそれは、なかなか癒えることがない。忘れるわけがない。けれど。
まだ幼かった自分に、大人たちは何も言わず、
そうしてフラガはその事を極力考えないようにして生きるしかなかった。
ただの不注意が原因か、はたまたフラガ家の没落を望む者の仕業か。
だが、今となってはどちらでも構わない。
こうして軍人になるべく士官学校に入り、いつか来る戦いの日々のために殺しの技術を学ぶ。
たとえ犯人がわかろうとも、この現状の生活は変わらないのだ。
そう、
すべて、自分が選んだ道。
だから本当は、
こんな所で立ち止まっている暇はないはずなのに。

―――眠れない。





寮の裏道を、ただ歩く。
市街から離れたその場所は、ネオンなどもほとんどなく、そして暗い。
あの時と本当に似たような夜で、フラガが顔を顰めた。
でも、それでも。
―――夢で、あの"時"に戻り、悲鳴を上げて目覚めるよりはマシだ。
林を抜けると、少し開けた丘がある。
草原に、人影を見つけた。クルーゼだった。
自分を寮に送ってから1時間足らず。帰ったのではなかったのか。
静かに、近づいた。
微かに、草を踏む音が聞こえた。

「・・・フラガか」
「・・・・・・、ああ」

すぐにバレたのが悔しかったが、フラガは頷いた。

「眠れないのか?」
「ん―――・・・、まぁ」

理由も言えずに、フラガは言葉を濁した。
それよりも、クルーゼの方に興味があった。
1人、草原に座り、スモッグにかき消され星すらまともに見えない暗い空を見上げ。
この転入生は何を思うのか。
この少年も自分と同じく孤独だということに、フラガは初めて気付いた。
どうしてだろう。
あんなに、クラスメイトたちに囲まれていながら。

「・・・さすがに、二夜連続はこないさ」
「んあ・・・、あ、いや、そうじゃなくて」

昨晩のようなテロがまた来るのではと不安で眠れないわけではない。
クルーゼの言葉を遮って、フラガは俯いた。
瞳に映るのは、あの炎以外にない。
恐怖なのは、目の前で自分の全てが奪われること。

「・・・こんな夜は、眠れないんだ」
「・・・そうか」

自分の暗い部分を、深く突っ込んでこなかった彼がありがたかった。
自分さえ、認めたくない部分を。
ましてや、人に話すなど、きっとつらすぎてできやしないだろう。
そう、何のことはない、彼があのときのことを極力考えないようにしている理由は、
彼自身があの現実と向き合う勇気がないからだ。
フラガはクルーゼの隣まで来ると、その場所に腰を下ろした。
同じ目線で、市街を見下ろす。

「あんたこそ。どうしてこんな所に」

帰ったんじゃなかったのか、と問うがクルーゼは動かない。
やがて、クルーゼは振り向いた。
相変らずの深い海の色の瞳。こんな暗いのに、どうしてそんな形容が頭に浮かんでしまうのか。

「私もお前と同じだよ。・・・―――いや、違うな・・・」

指先で、軽く顎を摘んで。

「―――・・・お前が」
「・・・は?」
「来るんじゃないかと、そう、思った」
「っな・・・」

その言葉に、フラガは瞬間顔を真っ赤に染めてしまった。

「なん、で、そんな事・・・・・・」

焦ったように困惑した顔を向ける彼に、クルーゼはひっそりと笑う。
そう、全て知っていた。
この少年のことは、彼以上に。彼がこんな夜眠れない理由も、すべて。
けれど、それを言うのはまだ早いと思ったのか、
クルーゼは別の言葉を紡いだ。

「泣きそうな顔をしてたぞ?」
「・・・っはぁ?!」

素っ頓狂な声をあげるフラガに、クルーゼはくっくっと肩を震わせる。
あからさまにからかわれているのを感じて、彼は先ほどよりも紅潮の度合を強めた。
なぜなら、それが本当に本当だったかもしれないと、
彼自身自覚していた部分もあったからである。

・・・あのとき、本当に自分は弱気になっていたのだ。
昼間からずっと傍にあった彼の存在が、唐突にその言葉を残して失われていく感覚。
月のない夜と相まって、ひどく不安になった。もちろん、そんな表情を表に出したつもりはない。
けれど、なぜかクルーゼという男の深い瞳には、全て見透かされている気がした。

「・・・さて。」

ひとしきり笑った後、クルーゼは不意に立ち上がった。
不思議そうに見上げるフラガの隣で、ぱたぱたと下肢の汚れをはたいて。
そうして、彼のほうを向く。

「ほら。」

手を差し伸べられ、フラガは戸惑った。
別に、特に手を繋ぐ、ということに抵抗があったわけでもない。
ないが、親が子にするようなその仕草に、フラガが素直に身を任せることはできなかった。
呆けたようにクルーゼを見返すフラガに、
クルーゼは手を伸ばし、そんなフラガの腕を掴む。

「・・・っ」
「少し歩くぞ。こんなところでぼーっとしていても、つまらないだろう?」
「っ、別に・・・」

意地で言っては見るものの、フラガにはもうその手を振り解けない。
暗い夜でよかったと思った。きっと今の自分は、これ以上ないほど顔が真っ赤だ。

クルーゼはフラガの手を引き、
初めはフラガの元来た道を戻り始めた。
どこへ行くのか、寮に戻らせるつもりなのか、いまいちよくわからない。
聞くにも聞けずそのまま引き摺られていると、そのうち道が逸れたことにフラガは気付いた。

知らない道を、かれに連れられて歩いた。
いや、それは道と呼べるものではなかった。クルーゼはフラガの歩くいつもの散歩道を横に逸れ、山林の中に紛れていった。
ただでさえ暗いのに、もうそこは目を凝らさないと何も見えない。
暗闇に慣れた瞳でさえそれなのに、クルーゼの足取りには迷いのかけらもなく、
フラガは草木に足を取られないようにするのが精一杯だった。
まぁ、そこまで足場の悪いところを歩いたわけではなかったが。

そうして、どのくらい歩いただろう。

散々躓き、悪態をつきながらも、
フラガはクルーゼに引かれてその先の開けた場所に辿り着いた。

「・・・ここ」

フラガは思わず驚きの声を上げた。

「どうだ?」
「・・・すっげぇ・・・!海が見える!」

フラガたちの目の前には、遠く、海が広がっていた。
裾野に広がる市街地の明かり、そして日の昇らない時間からしごとを始める船人たちの明かり。
申し訳ないが、その眺めはフラガたちの元いた場所の比ではない。

「こんなところに、海が眺められる場所があるなんて」

海なんて、山を隔てたもっと遠くだという認識しかなかった。

「車で行くには、この山を迂回するしかないからな」

そうして、その険しい山に囲まれた場所に、アラスカ大西洋地球軍本部はある。
その理由はもちろん、外部から攻められにくい場所だからだ。
だが、そうやって高い防御壁を張る場所は、その大きさに比例して少人数の侵入には総じて弱い。
クルーゼの使った道は、本来海からの敵のスパイ達が極秘に侵入を果たすための通り道でもあった。
けれど。
まぁ、こんな暗い中である。
それに、ここ最近この道を使う、という予定もない。
誰に会うこともあるまいと、クルーゼはフラガを連れてここまで来た。
任務の時は眺める暇などなかったが、
こうしてゆっくり景色を眺めるのも悪くない、とクルーゼは微かに笑みを浮かべる。
それに、何より。
隣にはあの少年がいて、そうして先ほどの昏い表情も忘れて見入っているのだから。

「すげーなぁ・・・あんた、なんでも知ってるんだな。俺、こんな場所来たこともなかったよ」

興奮した様子に、くすりと笑って。

「それはよかった」

腰を下ろした。
同じように、フラガも隣に腰を下ろしてきた。
静かな沈黙。
気まずいのではない、ただ心地いい、そんな静けさ。
けれど、やがてフラガはうつむいた。

「・・・・・・ごめん」

突然のフラガの謝罪の言葉に、クルーゼは顔を向けた。
フラガはうつむいたままだった。そうして、小さく震える肩。

「俺・・・のために、わざわざ・・・」

なんだか、今日は謝ってばかりだ。
昼間といい、今といい。そうしてどちらも、クルーゼの気配は優しくて。
不意に泣きそうになった。あわてて唇を噛み締めた。
月のない寂しい夜、それはひどく心を揺らす。
クルーゼは何も言わず、隣にある肩を引き寄せた。
手を伸ばされ、肩を抱かれる。信じられない彼の行動に、しかしフラガは反応できない。
それよりも、服越しに触れる肌の温かさに心を奪われた。
そう、あの、手を引かれたときと同じように。

「気にすることない」

クルーゼは静かに言った。

「お前が気に病むことじゃない。全部、忘れてしまえ。・・・あの夜のことなど」
「・・・え?」
「・・・いや、なんでもない」

ひどりごちて。
そうして、少年の肩を抱いた腕に力を込められる。
男2人、草原に座り、肩を寄せ合う。


やがて空は白み、水平線から美しい太陽が顔を出した。





...to be continued.




Update:2005/11/01/MON by BLUE

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