見返してやるんだわ



朝、誰よりも早く来るのが習慣だった。
誰もいない教室に昇ったばかりの朝日が射し込むのや、
人気のない訓練施設を我が物顔に使えるのがなかなかにすがしかった。
入り口でカードリーダーを通し、それからいつもの教室へ。
教養科目のテキストと、昨日あの転入生に借りた形になっていたあの傘を小脇に抱えて、
フラガは日の差し込む廊下を足早に歩いた。

「・・・なんか、顔会わせずれーな」

ぽりぽりと頭を掻く。借りた傘に目を落としたフラガは顔を顰める。
昨日のことを思い出すと、無性に恥ずかしかった。
今思うと、なんだかアホみたいだ。普通に話せばそれでよかっただろうに、なんで改まってあんなことを言ってしまったのか。
あの時それをスルーし背を向けた彼の、
その一瞬の笑みに目を奪われてしまっていたことも、
フラガの羞恥を煽る一端になっていた。
ああまったく。
クラスメイトの前で、どんな顔をすればいいんだか。
ぺちぺちと自らの頬を叩きながら、フラガはため息をついた。
ホントに、ガキみたい。人見知りするような年でもないだろうに。

「・・・あ」

シュ、とドアが開いた途端、フラガは目を見開いた。
一番乗りを誰かに奪われたことはなかった。昨日から、あの少年には驚かされてばかりだ。
ラウ・ル・クルーゼ。エリートクラスへの類まれな転入生。手の中の傘の持ち主。

「やぁ、おはよう」
「あ・・・お、おはよう」

つられて返事をしてしまったフラガだが、また内心複雑だった。
自分から「声かけてもいいか?」などと面と向かって言ってしまったにもかかわらず、
こうして第一声を奪われてしまったのだから。
彼といては自分の調子が狂う。けれど、いらつかないのは何故だろう。
クルーゼは席を立つと、フラガの方へと足を進めてきた。

「早いんだな」
「・・・あんたもね」

そう返してやると、ふ、と笑われた。
また、だ。ひどくとらえどころのない笑い。
そうして、フラガはまた彼の不思議な感覚に捕らわれる。
手にした傘を目の前に差し出す。今渡さないと、渡しそびれてしまいそうだった。

「・・・これ。・・・昨日はありがとよ」
「ああ。風邪は引かなかったか?」
「お陰様で」
「それはよかった」

傘を受け取る時、クルーゼはしっかりと瞳を見据えてきた。
それはほんの一瞬だったが、フラガの内心を動揺させるには十分で。
それを知られたくなくて、フラガは席に備え付けのモニタを立ち上げる。
座る自分の横からモニタを覗き込む気配を感じた。
ほんとうに近くに、
彼を感じた。

「どこか行くのか?」

モニタには練兵場使用の許可を告げる文字が出ていた。

「訓練場。いつも朝やってんだ」
「私も行こう」

席を立つ。
クルーゼはついてきた。2人で歩く廊下に、出会う人影はいない。

「全く、ここは素晴らしい訓練施設だと思うよ。ここにいる者たちは幸せだな」

クルーゼの言うとおり、この学校には隣接して、正規の軍人すら利用する最新の訓練場が建てられていた。
学生らは、それを自由に使うことができる。特権といえるだろう。
フラガは肩をすくめる。

「あんたも使えるだろ」
「そうだな。・・・楽しみだ」

訓練場に着いた。
IDカードをリーダーに挿し、2人は内部へと足を踏み入れる。
フラガの朝のメニューは決まっている。
躊躇わずその場所へ向かった。クルーゼは足早についてきた。

「お前は何が得意なんだ?」

唐突に投げられた疑問形に、
同い年のくせにお前呼ばわりか、と思ったのはその日の夜になってから。

「・・・フライトシミュレーション。俺の売りは、これしかないしさ」
「夢はMAパイロットか」
「・・・ああ。」

人にそんな夢の話などしたことがなかった。
するつもりもなかったのに、上手く本音を引き摺られ、かすかにフラガは顔を顰める。
本物のMAのコクピットを模したシミュレーション機器に乗り込めば、
シートの後ろでクルーゼは肘をついてきた。
その気配は柔らかい。

「・・・いい夢だな」
「そう?ガキっぽいだろ」

クルーゼの言葉を意外に思った。また夢など語ってからかわれるのかと思ったのに。
起動する。視界が本物のそれと変わる。
目の前には贋物の宇宙。贋物の敵モビルスーツ。
フラガは操縦桿を握ると、それを的確に落としていった。
その様子は、さながら本物の戦闘のようだ。
やがてその全てを落とし終わり、フラガはほうっと息をついた。

「シミュレーションレベルMAX。それでここまでとは、なかなかのものだな」
「・・・まだまだだよ。これじゃ、本当の戦場じゃ死んじまう」

実際、フラガの言うとおりだった。
このシミュレーションに、相手MSと地球軍MAとの絶対的能力格差は加味されていなかった。
本来ならば、こちらの一撃で敵が戦力を失うとは到底思えない機体性能の差が、
地球軍のMAとザフト軍のMSにはある。

「・・・確かにな。今のMAでは、普通に戦ってもザフトのMSには歯が立たんだろう」

淡々と事実を語る声にうつむいた。
であるのに、ただ敵MSの攻撃を避け、隙を見ては攻撃をしかけ、落とす、といった単純な戦略しか、
このシミュレーションは今のところ機能していない。
それでも、こんな甘いシミュレーションでさえ、最高レベルに到達できる者はそういない。
ましてやフラガのようにその全てを倒し切ることができる者など、指を折るほどしかいなかった。
これでは、地球軍は数で勝るとはいえ、
残酷な事実であることには違いない。
不意に、クルーゼの足音が鳴り、顔を上げた。
靴がコンクリートの床を叩いた。
と思った瞬間、まるで本物のコクピットに乗り込むように、
クルーゼはするりと身をしならせて隣に座る。
それに目を奪われていると、クルーゼはそんなフラガを見向きもせず、コンピュータを操作し始めた。
その手際に驚いた。
学生は普通、個別の能力に合わせたプログラムコードが与えられていて、
そのデータカードを挿入しシミュレーション起動されるのが常だ。
だというのに、クルーゼはフラガの見ている目の前で、新たなシミュレーションプログラムをその場で作り上げていた。
フラガが息を呑んでいる間に、作業は終わる。

「相手になってやる」
「っな・・・」

書き換えたデータカードをフラガに差し出す。
わけもわからぬままそれを起動させると、それは対戦型プログラムで、
先ほどフラガがクリアしてきたレベルの比ではなかった。
怖気づくほどの数のMS。そしてそれらを従えるようにして構える一際装備の硬い機体が一機。

「ミッションはこの一機を倒すこと。他のザコはほっといてもいいし倒してもいい。こいつを倒せればお前の勝ちだ」

席を立ってクルーゼは指差し説明する。
フラガはあっけにとられていたが、クルーゼに促され操縦桿を握った。
クルーゼもまた隣に戻った。シミュレーションが始まった。フラガが口を挟める余地もない。
始まったと同時に繰り出された攻撃に、フラガは慌ててそれから逃れた。

「・・・ち、くしょ・・・!」

いつものように砲撃を見舞った。
だが、突進してきたMSは先ほどのようにそれだけでは終わらなかった。
体勢を崩しつつも、手にした砲身をフラガに向ける。
・・・操っているのは、紛れもない、この隣にいる転入生。

「なん・・・!」

フラガはそれをギリギリのところで避けた。あと数センチ横にいれば、簡単に左翼が吹き飛ばされていたかもしれない。
ほぅ、と息をついたのもつかの間、他のMSによる第2撃。

「っずりーぞ!!なんで30対1なんだよ!!?」
「仕方ないだろう。実際のMSとの戦力差を補う配置にしたまでだ」
「ってめー!」
「ほら、叫んでいる暇はないぞ」

クルーゼの言うとおり、フラガはかなり必死の形相で迫り来る砲撃を避けていた。
彼の狙うべき標的はたった一つなのだが、
周囲にMSを囲い近づくことすらできない。
四方から狙われ、それらを避けることで精一杯。
手を休める暇などなかった。
だが、その時背後から強烈な衝撃をくらってしまった。

「っ・・・!」
「ゲームオーバー。まぁ、よく持ったほうじゃないか」

例の指揮官機らしいMSが、フラガの背後を取って攻撃を仕掛けたのだった。
周囲がすっかり見えていない彼の弱点をつかれ、フラガは唇を噛み締めた。
自分の能力の未熟さと、そうして隣の少年の実力のほどが露呈してしまったのだ。情けない。得意だといっておきながら何たるざまだ。
だが、それ以上に、
この少年のその操作技術の高さに驚きを隠せなかった。
勝ち負けはともかく、こちらは1機動かすので手一杯だというのに、
このシミュレーションの敵MSを操作していたのは紛れもなくこの金髪の転入生だった。
さらりとこうまでも高レベルのシミュレーションを組み立て、それを実行させるなど、
まるで少年とは思えないことをやってのけたのだから。

「その・・・、あんた、すげーな・・・」

人を褒める柄でもなかったが、彼の能力は嫉む範疇のものではなかった。
もごもごとそう言うフラガに、クルーゼは肩を竦ませた。フラガのデータカードを取り出し、手の中でくるりと回す。

「まぁ、私の専門は『戦略シミュレーション』だからな」

人差し指でトントンとこめかみの辺りを叩く。
嫌味な台詞と態度だったが、それが嫌味に思えないほど、彼の力はずば抜けていた。
そう、戦略が専門だと言っていたが、機体操作技術だとてこの分では誰にも負けないだろう。
クルーゼは乗り込んだ時と同じように軽い動きでそれから飛び降りると、
フラガの側に来た。
そうして、手の中のカードをフラガに握らせ、口を開いた。

「・・・強くなるんだ、ムウ・ラ・フラガ。こいつを極めれば、きっとお前は死なずに済む。・・・戦いに出るまでに、100の回答を見つけ出せ」
「・・・・・・100?」

フラガは顔を顰めた。
男の言っている意味がイマイチ理解できない。

「そう、このシミュレーションには100の答えがある。その全てをお前自身の力で探し出すんだ」

100。気が遠くなるような話だ。
けれど、フラガは黙って頷いた。反論も、拒絶の言葉も、口に出すことすらできなかった。
彼の言うことが、なんとなく真実のような気がして。
フラガだとて、戦場でただ犬死にするような人間にはなりたくなかった。
それに、何より。
MA乗りになりたいという夢をいい夢だと言ってくれた彼に、
そうして、こうやって手をかけて自分にアドバイスしてくれた彼に、
いつか本当の意味で自分の実力が認められる日が来て欲しいと思ったから。
なんだか、馬鹿げてる。
相手は同年代。同じクラスで、同じものを学ぶ立場で。
それでも、少しでも彼に近づければと、フラガはそう思った。
いつかもっと年月が過ぎて、
その時は彼も目を見張るほどに強くなれたら。

「・・・そろそろ始業時間だ。帰るぞ」
「ああ」

はらりと身を翻す彼の肩まで伸びた髪が、
ひどく印象に残った。
彼の背を眺め見ながら、フラガは手の中のそれを握り締める。
ただ一言を胸に呟いて、そうして彼を追いかけた。















長い長い10年の月日が過ぎ。
それでもまだ、フラガの手の中にはあのときのシミュレートカード。

「でも、まだわからねーんだよな・・・最後のひとつ」

個室のベッドにごろりと寝転がり、エンデュミオンの鷹は誰ともなしに呟いた。





...to be continued.




Update:2005/10/21/THU by BLUE

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