モーニングコーヒー



将来の士官たちが集まる軍の学校にも、休日はある。
学生たちは、個々に友を募って街へ出かけたり、熱心な者は訓練場へ通ったりしていた。
そんな真面目な部類に入るフラガも、たまに友人に誘われて街へ出たりもするのだが、
今回は1日惰眠をむさぼるだけで過ぎてしまった。

結局あのとき、クルーゼの腕の中で一夜を明かしたフラガは、
彼に連れられて家に戻った途端、ばたりと眠りについてしまっていた。
それは、彼の傍でまともに眠ることができなかったという証明のようだが、
実際、彼は眠れなかったのだ。
彼の腕の熱を思い出す度に、羞恥を覚えるその顔は赤面し、
シーツで顔を覆わずにいられない。
どうして彼があんな風に抱いてくれたのか、その理由も頭に上らないうちに、
ただ嬉しいような不安なようなどぎまぎした感情が溢れ出し、
結局あまりの恥ずかしさにフラガは夕方ごろまで外に出ることができなかった。
ラウ・ル・クルーゼ。エリートクラスへの転入生。
誰にでも笑みを向けるくせに、自分の前ではなんの躊躇いもなくあいつらなど興味はないと言い放つ。
そうして、だた自分だけに見せる、意思の篭った綺麗な瞳。
金髪碧眼、神が創ったような整った容貌。
そんな彼に特別扱いをされ、優しげな表情を向けられて、嫌な者などいないだろう。
そうして事実、明らかにフラガは彼に惹かれていたし、
そんな自分に戸惑いもした。
友はいままでにたくさんいたが、これほど心を揺らされる存在はいまだかつていなかったから。
だが、フラガはそんなことを考えるたびに、
自分の自惚れだと首を振り、そんな考えを頭から無くしていた。
そもそも彼が、特になんのとりえもないような自分を気にかけること自体、不思議でならないのだ。
だというのに、昨晩のことを思い出し、
その腕の暖かさを思い出す度に、
心は知らず歓びに震え、そんな自分に怯えもしていた。
大切な何かを失った経験がある者は、自らなにかを大切だと思うこと自体無意識に恐怖を覚える。
そうしてフラガも、そんな人間のひとりだった。
孤独が嫌いなくせに、独りが一番気楽。
失くす辛さを味わうくらいなら、得る喜びなどなくていい。
だというのに、無意識に引いた他人とのラインに容赦なく踏み込む彼に、フラガは戸惑いを隠せなかった。
そうして、それを嫌と思うどころか、嬉しいと思ってしまう自分にも。

フラガが目を覚ましたのは、午後のティータイムも過ぎた、夕方だった。



空腹を抱えたフラガにとって、
4時というのはひどく中途半端な時間だ。
大抵の料理屋が、5時からのディナータイムに向けて準備中。
だからといって、わざわざ食材を買いにいって、それから何か作るのも七面倒で、
フラガは腹の減った身体を引き摺って外に出る。
近くにカフェテラスがあるのはなかなか小洒落ているとは思うが、
いくら起き抜けだからといって、モーニングコーヒー、といった気分じゃない。
もう少しまともなものを食べられる場所へ―――・・・そうしてその場を素通りしようとして。
見かけてしまった。
金の髪、整った容貌、しなやかな物腰。
もうある程度人がはけたカフェテラスで、足を組んで。
コーヒーを、飲んでいた。
今の時間帯なら、普通紅茶かなにかだろう、と内心突っ込みを入れつつ。
軽く足を止める。そうして、狙ったようにクルーゼが顔を上げた。

「・・・よう」

いつも先手を取られてばかりだったから、今回は先に手を上げて彼に近づいた。
クルーゼはテーブルに広げていた紙やら本やらをガザガサと畳んで、フラガに場所を空けてやった。
随分厚い本が数冊重ねられた。背表紙をちらりと眺め見て、フラガは口笛を吹く。

「うっわ。場所に似合わねー本読んでるなぁ、アンタ」

クルーゼが読んでいた本は、
政界の実情を記した本や、戦争論、軍法など、そんな堅苦しいものばかり。
確かに士官学校に通う彼らにとっては、それほど遠い存在でもない本ではあるが、
授業以外で好き好んで読むような本でもない。
特にフラガはこの手の内容のものは大の苦手で、できることなら敬遠したいものばかりだった。
嫌そうに口元を歪めるフラガに、クルーゼは苦笑した。

「・・・そういうお前は、寝起きか?ムウ」
「っ!ちげーよ!!」

からかうような口調にムキになって言ってしまったが、
彼の指摘通りつい先ほど起きたばかりだ。
だが、それを悟られたくなくて、必死に赤面しかけた顔を平常心で元に戻す。
ガタリと椅子を引いてフラガはクルーゼの前に座った。

「そうか・・・じゃあ」

すっと手を伸ばされ、驚くフラガの髪に触れる。
頭のてっぺんあたりを引っ張られ、フラガは一気に赤面した。
寝癖だ。これほど寝起きであることを明確に示す物はないだろう。
それほど身なりを気にするほうではなかったが、クルーゼに指摘されさすがにフラガも羞恥する。
先ほど勢い込んで嘘をついたこともあって、フラガはばつの悪そうに横を向いた。

「・・・これは何だ?」
「っるせー!いいだろっ別に!!」

すぐにクルーゼの手を取り払って、頭に手をやる。
ふよふよと天に向かって泳いでいる髪を、必死に手ぐしで直そうとするが、
こういうときに限って頑固なそれは、クルーゼの笑いを誘っただけで終わってしまう。
フラガは悔しそうに唇を噛み締めた。
不貞腐れたように、テーブルに突っ伏する。
その間に、クルーゼはウェイターを呼んでいた。

「何か食べるか?」

言われて、倒れそうなほど空腹だったことを思い出した。

「・・・スパゲッティ特大盛り」
「そんなメニューあるか」

機嫌悪そうにテーブルに頬をつけたままそう言うフラガに苦笑して。
クルーゼは適当にメニューを注文していく。
秋の心地のいい風がフラガの頬を撫でていき、内心雨降りなフラガは深々とため息をついた。

カサカサと、乾いた音が聞こえてくる。
テーブルに突っ伏したまま瞳を閉じると、音だけの世界がフラガを包んだ。
秋風に枯れ葉が舞う音や、草木の音。時折聞こえてくる、人々の笑い声。
そうしてさらに、
目の前の男の、コーヒーをすする音。
紙をめくる音も聞こえるから、また本でも読んでいるのか。
フラガはかすかに顔をあげた。クルーゼを見上げる。案の定クルーゼは、コーヒーを片手に本を読んでいた。
それが、いやに景色に同調していて、違和感がない。
もちろん、本の内容を考えれば、あまりにもおかしい光景ではあったのだが、
それさえ抜きにすれば、誰もが目を奪われる光景だった。そうしてフラガもまた、それに見入っていた。

「・・・どうした?」
「あ、いや・・・何してるんだろう、って」

少し目を逸らすようにして、そう告げた。クルーゼの青を見つめるのが、なぜか恥ずかしかった。
クルーゼはパタリと本を畳むと、くすりと笑った。
そうして、肩を竦めて。コーヒーカップを持ち上げる。

「私も同じだ、ムウ」
「・・・?」

不可解な言葉に、首を傾げた。
クルーゼは視線と仕草で手の中のカップを示す。

「モーニングコーヒー。」
「え・・・あ、まさか、あんたも寝起き・・・?」

頷くクルーゼに、フラガは信じられない、といった風に目を見開いた。
見た目からいっても、態度からいっても、
日の昇る時間まで惰眠を貪るようなタイプでないように思えたクルーゼが、
自分と同じ、つい先ほど起きたばかり、というのに驚いた。
むしろ、例えばどんなに夜寝ていなかろうと徹夜であろうと、眠そうな様子ひとつ見せないような気がする。

「すっげー・・・意外」
「私だって寝るときは寝るさ。さすがに昨日まで徹夜続きだったからな」
「あ・・・」

思わず洩れてしまった言葉にクルーゼは内心舌打った。
言う必要のないことまで口に出してしまった。つい口走ってしまったそれを突っ込まれたら困るのに。
けれど、そんなクルーゼをよそに、フラガはバツの悪そうに下を向いた。
昨夜のことを思い出し、微かに頬を染める。
平常心を失わないように必死になっていたフラガには、クルーゼの言葉の本当の意味に気付くことはなかった。
クルーゼはほっと安堵のため息をついた。

「・・・ごめん」
「あ、いや・・・」

お前のせいじゃない、と言おうとして。
その時、不意にぞくりと嫌な感覚が背を走り抜けた。
殺気。
それは、直接自分に向けられたものではなかった。しかし、確かに誰かが何かを狙っている。

「・・・?どうし」
「行くぞ」

フラガの腕を掴んで、クルーゼは席を立った。
クルーゼが気配をうかがった先には、銃口があった。
戦闘が始まる。自分だけならともかく、フラガと2人、巻き込まれるのはごめんだった。

「っちょ・・・おい!なんだよ、まだ・・・」

食べてもいないのに、と文句を呟くフラガに、クルーゼは険しい表情を向けた。

「ブルコスがいた」
「へ・・・?ブルコスって・・・あの、過激派ブルーコスモス・・・?」

驚いたようにフラガは目を見開いた。
『ブルーコスモス』。コーディネイターたちを忌み嫌い、浄化と称してテロを起こしては彼らを殺している。
ナチュラル至上主義組織のなかでもかなりの過激派に位置するものたち。
裏で地球軍と繋がっていると噂される彼らは、
コーディネイターを掃討するためには少しの犠牲も厭わない、文字通りやっかいな存在だった。
それ故、ナチュラルたちにもその存在をあまり受け入れられてはいない。

「なんたってそんなヤツラが、ここに・・・」

この辺りは、地球軍本部がある。
ブルーコスモスがいるだけならともかく、テロを起こすとは思いがたい。
クルーゼは走る先を見据えたまま口を開いた。

「先日のテロでいきり立っているんだろう。
 ・・・この辺りは小さいが、コーディネイターたちのコミュニティがあるからな。狙いはおそらくそれだ」

知らない、そんな話。こんな、地球軍のお膝元に、コーディネイターたちのコミュニティがあることなど。
知るわけがない、彼らがひっそりと暮らしているならば、なおさら知りうるわけがない。
だというのに、どうしてクルーゼは知っているのか。

「っ・・・あんた、まさか」
「まさか。」

フラガの疑いの言葉に、クルーゼは苦笑して即答した。

「疑うなら、見せてやってもいいぞ?」
「っば・・・!冗談だってば!!」

からかうように言うクルーゼに、フラガはあわてて首を振った。
コーディネイターは普通、遺伝子操作を受けた、その施設の印をその身体のどこかに持っている。
それを確認することで、ナチュラルとコーディネイターは見分けることができるのだ。
クルーゼが言ったのは、自分の身体にそれがあるか確認させてやってもいい、ということだ。
もちろんフラガは慌てて否定した。他人の裸を確認するなど、恥ずかしくてできやしない。

そうしてやがて、2人が足早に立ち去った後ろで、
建物が爆破される音がした。
あのままカフェにいたら、あの混乱に巻き込まれ、下手をすれば死んでいたかもしれない。
フラガは後ろを見、呆然とつぶやいた。

「・・・マジ、かよ・・・」

目の前でテロを経験したことのないフラガには、嫌な記憶が焼きついた。
軍人である自分だけでなく、一般人までもが犠牲になるこの現実。
敵を倒せても守ることなどできやしない。
フラガは唇を噛み締める。
そんなフラガに、クルーゼかすかに息をついた。

「・・・来い」
「クルーゼ・・・?」

まったく、苦労させてくれる。
だが、そんなフラガに惹かれる自分がいるのも事実。
そんなことを考えて、クルーゼはひっそりと笑みを浮かべた。

「食いっぱぐれた分、腹が減ってるだろう?おごってやるから、付き合えよ」





...to be continued.




Update:2005/11/18/THU by BLUE

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