ほおづえをついて。



「・・・なぁ、まだ終わらねぇのかよ」

黙々と仕事を続けるクルーゼの目の前で、
不満そうに唇を尖らせる青年が1人。
時は夕暮れ。本当はもう、定時刻はとっくに過ぎているというのに、
デスクの書類はちっとも終わっていない。
青年は再びはぁ、と大きなため息をつくと、
自分が勝手に煎れたらしいコーヒーを一気に煽った。

「なぁ、まだ―――」
「―――ああ、もうすぐだ。」
「・・・どこが?これ、みぃんな今日付けの書類じゃねーか。」

ぴらぴらとその山の中の一枚を振ってみせて、
これみよがしにため息。
だが、それも当然。明日が休みだというからわざわざ呼び出されて来て見れば、
向かった彼の家には相手の姿はなく、
それどころか、来い、というのがかれの仕事場だというのだから驚きだ。
仕事場といえば、勿論ナチュラルとは相容れないコーディネイターがうじゃうじゃといる場所で、
地球軍に所属しているフラガにしてみればほとんど敵軍のようなものだ。
もちろん、Z.A.F.T.は軍ではない。あくまで、今のところは、だが。
基本的には、現在の差別的環境からコーディネイター達を救い、
なおかつナチュラルと同等の権利を有した上での共和を図る―――これが、
かつての黄道同盟を祖とするザフトの理念である。
だから、地球上に有るこの支部は、ナチュラルを拒んでいるわけではなかったし、
むしろ1Fはイメージの悪さを少しでも払拭するためか、
コーディネイターという存在の歴史やその過程、有益さをアピールするような展示施設にもなっていた。
だが実際は、
コーディネイターは、プラントに移り住みつつある。
ナチュラルとの軋轢は大きい。
その原因は、いかに努力しても叶わない、歴然とした能力の差にあるのだから。
であるから、結局調和を図ろうというこの組織も、
今は移住したい者への不動産的役割や、仕事の斡旋といった、
激しく現実的な仕事が増えている、といった状態だった。
そんな中、クルーゼは、といえば、
同盟発足当時からの古株であるからか、このニュージャージー支部の副支部長を任されているらしく、
よくわからないが、今は結構な高層ビルの景色のよい部屋で1人、
誰にも文句を言われることなく、まったりと仕事をこなしていた。
誰が見てもどこの馬の骨かもわからないようなフラガを、
彼の事情ひとつで部屋に呼び出すことすらできるのも、こんな事情がある。
だが、いくら相手と二人きりになれたからといって、
相手は書類と面と向かっていて、自分のほうなど特に気に掛けることなく、
好き勝手に寛いでいてくれ、などというのだから、
不満があって当然だ。
仕事が溜まっていてこちらをかまう余裕すらないのならいっそ、
呼ばなければいいのだ。
肩透かしを食らわされるフラガも溜まったものではない。
わざわざ、同僚と半ば無理矢理シフトを取り替えてもらい、ここまできたというのに。

「・・・おい」
「なんだ?」
「真面目に仕事しろよ。帰っちまうぞ」

頬づえをついて、およそ仕事をしているとは思えない程の優雅な笑みを傾けるクルーゼに、
フラガはぼかり、と頭を殴ってやった。これくらいは可愛いものである。
こちらは早く帰って、酒のひとつも奢って貰いたいのだ。
わざわざここまで来たのだ。それくらいの楽しみがあって当然だろう。

「・・・オイ・・・」

だが、フラガのそんな心を知ってか知らずか、
クルーゼはその端整な顔をフラガに向けたまま、気付けばほとんど書類が片付いていない。
それもそのはず、先ほどから、クルーゼはほとんど、
手元の書類に視線を落とすことがなかったのだ。
じっと見つめられていたことに漸く気付いて、微かにフラガの顔が赤くなる。
もちろん、素直でない彼は、それを誤魔化そうとクルーゼを睨みつけた。
近い距離、絡み合う二人の視線。

「なん、・・・っだよ・・・」

怪訝そうな顔。クルーゼはますます笑みを深くする。
普段の彼を知っている者が見ていたならば、それは信じられない光景だったろう。
基本的に、こんな感情を素直に表した、緩んだ表情をする男ではない。
それどころか、今彼は、明らかに嬉しそうな笑みを零しているのだ。
目を疑われるかもしれない。
この世のどこを探しても、彼にこんな顔をさせられるのは、
この、目の前の彼だけなのだろう。
わざわざ、こんな仕事場まで呼び出して。
仕事などそっちのけで、かれの一挙一動を見つめ続けているのだから。

「―――値踏みを、していた」
「はぁ?」

わけがわからない、といったように、フラガが首を振る。
ガタリ、と椅子が引かれて、クルーゼが立ち上がった。手を伸ばせば、すぐ傍に、かれの姿。
フラガは目を見開いた。
不意打ちだったのだ。彼の滑らかな指先が、己の顎に触れるなど。

「っな・・・」
「この山ほどの書類と、お前。どちらが、私にとって価値があるか・・・」

途端、今度こそ真っ赤に染まるフラガの頬。
クルーゼの片手が、面倒臭そうに手にしていた書類を床に投げ捨てた。
それを横目で見ていながら、いつも平気で出るはずの軽口がでてこない。
熱心な視線が常にフラガのそれを絡め取り、
フラガは逃げ出すことができなかった。
逃げ出そうとも思えなかった。

「・・・お前は、どちらだと思う?」
「・・・っ、そりゃ、・・・」

仕事に決まってるだろ、馬鹿野郎、と。
そう言えれば、どんなによかったか。フラガは後にそう考え、羞恥に頭を抱えた。
だが、散々待たされていた彼の本音は、もちろん違くて。
言葉に詰まっていると、クルーゼの悪戯な手はどんどんフラガの心を侵食していき、
気付けば彼の、腕の中。
反射的に逃れようとして、腰を捉える腕の強さに、
それが無理なことだと改めて悟る。
そう、この男は。
今でこそつまらない事務をこなしているが、
本当の顔は、違うのだ。コーディネイター同士の自治組織、ザフトが隠し持っていると言われる極秘兵器、
地球軍の主力であるMAを超えると噂されるそれの、
テストパイロット。つまり軍人なのだ。
副支部長とは名ばかりで、本当の顔はプラントにある本部所属の軍人。
それも、現在のザフトを統べる男の片腕とも言われるほどに信頼を寄せられている彼なのだ。
そんな相手が、今、己の目の前で、
己をその海のような深い瞳に映し、見つめている。
何故?どうしてこれほどに立場の違う2人が、
ここで、こうしているのだろう。
だが、その理由がわかったとて、どうしようもないのだ。
この状況が変わるわけではないのだから。

「・・・ァ・・・」

思わせぶりに下肢を擦り寄せられ、思わず声が洩れていた。
既に勤務時間は過ぎているとはいえ、誰が来るとも限らない、そんな場所。
だが、そんなものを気にする男ではないことを、
フラガは身を持って知っている。

「・・・仕事は・・・」

既に声が掠れている。恥ずかしい。みるみるうちに頭に血が上る。
それを、耳元でくすりと笑われ、さらに熱があがった。

「価値があるのは、・・・どちらだろうな?」
「っ・・・」

吹き込まれる声音に、早くも腰が砕けそう。
こんな状態で、再び仕事に戻られるほうが、悔しいけれど辛かった。
まだ何もされていないはずなのに、なぜこれほどに胸が高鳴る?
ねっとりと、耳の裏を舌が這う。

「・・・俺に・・・、決まってるだろ・・・」
「ああ、そうだな。」

強く背を抱き締められ、こちらも諦めて背を回す。
目を閉じる。途端、重ねられるのは濡れた唇。身体の芯が、思わず震えた。
まったく、どうして、この男は。

「・・・無責任な奴・・・」
「お前が好きだからな。」

・・・・・・。
だから馬鹿だっていうんだよ、あんたは。





end.




Update:2006/01/01/TUE by BLUE

小説リスト

PAGE TOP