高い高い、空の下で。



息抜きに付き合って下さい、と言われて連れてこられたのは、
捜査本部ビルの屋上だった。
キラの裁きは続いているにも関わらず、全くといっていい程足取りのつかめない状況。
地上23階建ての高層ビルの屋上は、
ひどく風が強く、2人の髪を乱暴に撫でていく。
もう1ヶ月、このビルに住んでいるにも関わらず、屋上にまで昇ったのは初めてで、
しかも、ここには自家用のヘリが二台、格納されているというのだ。
月は珍しげに、屋上の設備を眺めた。

「昔はよく、来ていたんですよ」

落下防止のフェンスに乗り出すようにして竜崎が言った。
このビルが完成して一月足らず。竜崎とはずっと鎖で繋がれている自分が初めて来たのだから、
竜崎が言っているのは『屋上に』、ということか。
両手で手摺りを掴み、珍しく背を伸ばす彼に多少の不安を感じた月だったが、
けれど胸の高さまであるそれを越えて落ちてしまうことなんてさすがにないだろうと思い、
あえて何も言わずに乱れた髪を掻きあげる。
東京の街並みが一望できる、素晴らしい景色だった。
遠くを望めば、海まで見える程。

「―――綺麗でしょう?」
「ああ。」

竜崎の言葉に、月は頷いた。景色のことではない、別の意味でだ。
確かに、景色も美しかった。日も傾いた午後、微かに空を彩る雲が、オレンジ色に染まっていく様は、
まるで1枚の絵画のよう。
だが、それだけでは足りない。

「―――・・・月くん?」

振り向いた竜崎の、夕焼け色に染まる頬が、綺麗だと思った。
呆けたような半開きのままの濡れた唇も、艶やかに光るその黒髪も、その全てが。
もちろん、具体的にそう頭に浮かんだわけではない。
だが、心を奪われた。戸惑ったように首を傾げる彼から、目が離せない。

「月くん、」
「・・・そんな、誘うようなことを言わないでくれ」
「は?・・・私、何も言っていませんけど」

不可解な月の言葉に、竜崎がますます不審げな顔をするのも構わずに、
腕を伸ばす。小さく傾げた可愛らしい首筋に手を添えて。

「綺麗なのは、君のほうだろう?」
「っな、」

驚く間も、ない。次の瞬間、身体ごと男の方に向けられ、
腕の中にすっぽり収まるような格好になる。
そうして、降ってくる唇。重ねられたそれは、相も変わらず、優しくて、甘い。
今ではあまりに慣れてしまったそれに、
竜崎は一瞬、溺れてしまいたくなり瞳を閉じかけたが、

「―――っ・・・」

咄嗟に手を突き出し、キスが深くなる前に男の腕から逃げ出した。
全く、困った男だ。
隙さえあれば、いつだって貪欲に自分を求めてくる。
それは、彼に愛されているという証でもあるのだから喜ぶべきなのかもしれないが、
相手が相手だけに、竜崎としてはそれに甘んじるわけにはいかない。
まったく、と竜崎は男をきつく睨み付けた。

「竜崎?」
「・・・本当、貴方はこんなことしか考えてないんですね」

これでは、安心して息抜きもできません、と非難する竜崎に、

「そんなことはないけどね」

はは、と笑って月は竜崎を解放してやった。
別に、本気でそのつもりだったわけではない。衝動的に彼が欲しくなっただけだ。
はぁ、とあからさまにため息をつく竜崎にすら瞳を奪われて、
とりあえず月は彼にならって手摺りに肘をつき、
そうして何も言わずに彼を見つめた。
竜崎はというと、両手で掴んでいた柵をずるずると引っ張って、
いつものようにしゃがみこんだ。その姿はさながら、捕まってしまった野生動物のよう。
これで人間の言葉さえ話さなければ、
動物園にいてもそれほど違和感ないのではないか。

「・・・小さい頃から、悩み事がある時やワタリに怒られた時、よく来てたんですよ」
「竜崎は、ワタリさんに育てられたのか?」
「・・・ええ、まぁ。・・・孤児院でしたから」
「なるほど。」

竜崎の意外な過去に驚きつつも、珍しく彼が己のことを語ってくれたのが、
月にはひどく嬉しいものだった。
誰にも見せない、彼の真実。竜崎はいつだって、『他人』に頑丈な壁を築いている。
身体すら許してくれる自分にさえ、何も見せてくれない彼の本当。
だがそれは、自分のことをキラと疑っているから、などという理由ではなく、
彼が『L』として生きるために必要な壁なのだ。
だから尚更、
それを越えて自分のことを話してくれる竜崎が、愛しかった。

「・・・て、おい、危ないだろう」
「大丈夫ですよ。」

月が目を見開いて驚くその間に、竜崎はひょい、と手摺りを飛び越えていた。
落下防止柵の先の足場は、たった30cmだけ。そこに降り立った竜崎は、
更にその場所で、いつものように座ってしまった。
足元のその先は、地面すら見えない程遠い。
別に、高所恐怖症でもなんでもない月だったが、
思わずそれを見下ろして、眩暈を覚えた。ましてや、竜崎は柵の外。
一歩間違えば、・・・いや、考えたくもない。
恐怖を覚える月に、けれど竜崎当人は何食わぬ顔で膝を抱えたまま、
目を閉じて気持ちよさげに風を感じている。
月はたまらなくなって、格子ごしに腕を伸ばした。

「・・・このまま、何時間も戻らなかったこともありました・・・って、何してるんですか」

竜崎の身体を、背後から抱くように。
こうしていれば、さすがに落ちることはないだろう。月は安堵の溜息をつく。
月の腕の力強さに、竜崎は何も言えず、
そのまま2人の間に長い沈黙が落ちた。

真剣な腕。何も言わなくても、月の心がひしひしと伝わってくる。
だが、竜崎にはどうしても、それが矛盾した行為に思えるのだ。
なぜなら、彼は、あの殺人鬼、キラ。
証拠が上げられなくとも、本人が認めなくとも、それは自分の中での確定事項。
そしてキラは、何よりもまず"L"の殺害を念頭においているはず。
もし、自分がキラならば―――。
こんなチャンスを、みすみす見逃すはずが、ない。

「・・・いいんですよ、別に」
「竜崎?」

改まった口調。
先ほどまでの雰囲気とはガラリと変わった気配に気づいて、
月は顔を上げた。竜崎はじっと下を見つめていた。それがふと、月の腕からすり抜ける。
ふらりと立ち上がり、振り向いた。同じ高さの視線が、絡み合う。

「・・・もう、演技なんて必要ないでしょう。―――キラ」

空気が、凍った。
たった一言。竜崎がその話を蒸し返す度に険悪になる2人の関係は、
まるでガラスの上を歩いているよう。簡単に壊れてしまう、脆すぎる絆。
竜崎は柵を掴む手すら外し、"キラ"を見据えた。
そう、簡単なはずだった。
彼が本当に、"キラ"ならば。

「馬鹿なことはやめろ、竜崎」
「触らないで下さい!」

彼の身体を支えようと伸ばしたその手の甲を、竜崎ははたき落とした。
眉を上げ、月は今度こそ竜崎を睨みつけてきた。そうだ。本気を―――本音を出せ、キラ。
キラであるお前なら、何を差し置いても私を殺したいはずだ―――。
竜崎の挑発的な態度に、月はどう思ったろう。
ひとつ溜息をついて、再び腕を伸ばす。両腕で抱えるように捕まえられ、
思わず逃げようと身を捩る。
その時、
―――風が、吹いた。

「・・・っあ・・・!」
「竜崎―――っ・・・!!!!」

ぐらり、とバランスを傾けた竜崎に、慌てて月は抱き止めようとしたが叶わずに、
青年の身体が宙に浮く。
心臓が止まるような一瞬の後、必死に伸ばされた月の手が、
辛うじて竜崎の二の腕を捕らえた。投げ出されそうになった身体は
危機一髪のところで落下を免れる。
月は胸を撫で下ろした。

「・・・・・・・・・・・・・はやく、上がれ・・・」
「・・・、はい・・・」

どちらも、もはやまともに言葉も紡げない。
柵に捕まり、ようやく屋上の足場へと戻った竜崎を、
月は今度こそしっかりと抱き上げた。彼が何を言うのも構わずに、
乱暴に柵の中に投げ出す。
コンクリートの床に身体を強く打ち付けた竜崎は、
けれど痛みに顔を顰めるその前に、乗り上げる男の手に頬を張られていた。

「・・・っ・・・」

晴れ渡った空の下、響き渡る乾いた音。
竜崎は驚いたように目を瞑ったが、その後、被さって来る男のぬくもりに、
ばつが悪そうに視線を泳がせた。
憑き物が落ちたような、そんな気分。
今、何をしてしまったのだろう、と思う。
キラの正体を暴けない現状への焦りから、自分は何を考えているのか。

「・・・もう二度と、こんなことするなよ」
「すいません・・・」

張られた頬が、熱い。背を抱き締めてくる男の力は強くて、
竜崎はそのまま彼の腕の中で目を閉じた。
恐ろしい、ことだ。
あのまま本当に落ちてしまったら―――・・・。
自分だけでなく、鎖に繋がれた彼も道連れにしてしまった。たとえあの男が本当にキラだったとしても、
彼の死など望んでなどいなかったのに。
―――怖かった。
思い出せば思い出すほど、あの先の見えない底に眩暈を覚えた。

「やっぱり、息抜きにはこれが一番だよ」

くすりと笑って、赤くなった頬にキス。
そうしてそのまま、重ねられる唇。今度こそ逃がさないとばかりに、
深く絡め取られる舌先。やはり、月のキスは甘い。
口づけを続けたまま、月は竜崎の指を絡ませ、コンクリートの床に押し付けた。
多少固いが、先ほどの仕置きと思えばそれもいいだろう。
少し骨ばった、細い指先。
冷え切ったそれに唇を落として。

「・・・震えてる。」
「・・・・・・ニガテ、ですから。・・・高いところ」
「え?」

まさか、と思う。
屋上が好きでよく来ている、というくせに、高所恐怖症とでも言うのだろうか?

「屋上なんて、ダイッキライですよ。
 小さいときに3階から落ちて以来、一度も来たことなんかありません」
「・・・・・・」

まったく、困った男だ。
では、わざわざ作り話をして自分をここに連れて来た理由は、
あんなくだらない賭けのためだったというのか。

「・・・馬鹿だな」
「馬鹿ですよ。」

平然として言う竜崎に、脱力する。
今だ震えの止まらない身体を、抱き締めて。
長い長い時間、
2人はそうやってぬくもりを分け合っていたのだった。





end.






Update:2006/09/30/SAT by BLUE

PAGE TOP