ざぜりんのCP論。



ざぜりんさんから頂きました。
ざぜりんのクルフラ論。(2003/09/06)





これは、私、ざぜりんの「クルフラ観」と「攻め受け観」であり、他の考え方や逆のカップリングを否定するものではありません。あくまでも私の見解ですので、御了承ください。


ガンダムSEED44話〜46話を見て、私は更に強く「クルーゼ×フラガ(以下、「クルフラ」)」を確信しました。

まず、クルーゼについて・・・
クルーゼは確かに自分すらない稀薄な危うい存在かもしれません。
しかし、存在自体がこれほど脆いにもかかわらず、あの絶大な存在感はどうでしょう。
実は、私がこれまでに「受け」としたキャラはというのは、陰があり、過酷な運命を背負ったキャラが圧倒的に多かったのです。
そういう意味では、「クルーゼは受けなのでは?」と思われるかもしれませんが、しかし、他の受けキャラとクルーゼでは明らかに異なる点があります。
私が「受け」と捉えるキャラは、「運命に流される」キャラなのです。
例えば、洗脳されて敵となり、相手の「攻め」キャラに刃を向けつつ心で悲鳴を上げ救いを求めている・・・。
または、己の宿命に苦悩し葛藤しもがき苦しみながら、相手の「攻め」キャラにどこかで共鳴し生きている・・・。
クルーゼは、明らかに自分の意思で、己の目的に向かって猛進しながら生きている。
たとえそれが破滅への道であっても、彼には迷いも葛藤もない・・・というより、迷いや葛藤など超越した存在である。こういった点で、私の受けの定義からは外れます。
「お前に討たれるのなら、それもまたとも思ったがな」発言を、「ムウ、私を止めてくれ。救ってくれ」と捉えた方もいらっしゃると思いますが、
あの発言の真意は「もし私を止められる者がいるとすれば、ムウ、お前だけだろうが・・・さて、お前に私が倒せるかな?」と捉えるほうが自然です。
前後の流れを考慮にいれても。
直後に「どうやら、その器ではなかったようだな」(←嬉しそう)ですから。
そして、彼が受けになり得ない最大の理由は、相手のフラガがあまりにも「受け」であることです。

と、いうわけで、次にフラガについて・・・
フラガはAAの頼れるアニキ的存在、ということになっていましたが、時折彼の表情が翳っていたことに、皆さんお気付きだったでしょうか?
これは私の推測ですが、父親に「あんな女の子供」「あのバカ」と言われて幼少の頃を過ごしたフラガは、
幼心に傷つき、「立派な大人にならなきゃ」「頑張らなきゃ」と、必死で努力してきたのだと思います。
その努力の上に「エンデュミオンの鷹」と賞賛される現在の彼があるのでしょう。
だからこそ、周りの人間の世話ばかり焼いて、自分のことを顧みるのも忘れて。
彼の孤独も、クルーゼのそれとは種類が異なるにしても、クルーゼに匹敵するほど深いと、私は考えます。
こういった点で、既にフラガは先にふれた「己の宿命に苦悩し葛藤しもがき苦しみながら、相手にどこかで共鳴し生きている」という、私の受けの定義に該当するのです。

そして、46話について・・・
ラミアスに己の過去とクルーゼのことを話しながら、必死で涙を堪えるフラガ。
傍に誰もいなかったら、間違いなく泣いています。クルーゼを想って泣くフラガ・・・。
そして、「そんなことはさせねぇよ・・・俺が・・・」という言葉。
これを「クルーゼは俺が守る」と取るか否かが、クルフラかフラクルかに分かれる最大のポイントなのかもしれません。
私がここで、何故フラクルにはなり得ないと思ったについて述べたいと思います。
フラガがクルーゼの正体を知ったのは、45話になってからのことです。
この怒涛のような短期間で、「アイツは俺が守る」という感情が湧くでしょうか?
私は寧ろ「アイツは俺が止めなきゃ・・・」という悲壮感に潰されてしまいそうなフラガのほうこそ、守られるべき存在に思えます。
クルーゼが下そうとしている人類への鉄槌は、自分の父親が犯した罪が引き金となっており、自分がそれを止めなければならないという義務感。
そして同時に、クルーゼに対する贖罪の念。
フラガは、この二つの思いに打ちひしがれています。
そんな彼が、クルーゼを「守る」立場にいるとは私にはどうしても思えないのです。

では、クルーゼはどうでしょう?
「お前はいつも邪魔だな、ムウ」
「違うもの、己とは違うもの。だが、愛せようはずもあるもの」
「お前と戦えるとはな! 私も嬉しいよ、ムウ」・・・
クルーゼのフラガに対する言葉を見ると、憎悪と愛情、この二つが入り乱れています。
フラガにだけは、激情を露わにするクルーゼ。私はこれらを、「支配者の感情」と受け止めています。
己を作った忌むべき男、アル・ダ・フラガの息子・・・殺してやりたいほど憎いムウ。
しかし、自分の息子ともいえる存在のムウ。憎悪と愛情・・・。
自分の「感情」が向く唯一の人間、それがフラガなのです。
先に「迷いや葛藤など超越している」と述べましたが、クルーゼが無感情と言ったのではありません。
クルーゼの、己の誕生と存在に対する怒りや悲しみは、当然あって然るべきです。
クルーゼの視点から言えば、その責任(という言葉が妥当とは思えませんが)が問えるのは、アル・ダ・フラガが死んだ今はムウしかいないのです。
フラガの精神も体も、生死をも支配する・・・その権利がクルーゼにはあると考えます。
「全人類を裁く権利」と「フラガを支配する権利」だけが、クルーゼの生きていく糧なのです。

以上の観点から、私は、フラクルではなくクルフラを提唱するものであります。
当初、CPというものは好みの問題で理由なんていらないと考えておりました。
もちろん、それはそれで大いに結構(事実、自分もそうですからv)なのですが、
クルフラについては、どんなに頑張って逆を考えてみても、どうしてもクルフラにしか辿り着けないのです。
人それぞれ、攻め受けの定義は違うわけですし、これが正しいというのはありません。
ただ、「クルフラ、フラクル・・・ん〜、どっちかなぁ」と迷っている人や、
「自分はフラクルだけどクルフラの人ってどうしてクルフラなんだろう?」と興味を持ってくださる人が、
これを読んでくださる機会があってクルフラを理解してくだされば嬉しいです。



因みに、苦情は受け付けませんので悪しからずvv




Last up date:2003/09/06

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