鳥籠の中の君。vol.01  ※グレン=第四位始祖の貴族吸血鬼な設定



「見て、あれが一瀬グレン様よ」

若い女の声に顔を上げると、視線の先にはすらりとした黒髪の吸血鬼が歩いていた。
吸血鬼とはどうしてあれほど、綺麗なカオをしているのだろう。
幼心に、深夜はいつだってそう思う。
そして今、視界に映っている彼もまた、あまりに美しくて、思わず息を呑んでいた。
濡れたように艶やかなウェーブのかかった髪、男らしく凛々しい目鼻立ち、理知的な、しかし冷たそうなアメジストの瞳。
けれど彼は、血を採取される為に列を作っている自分たちなど見向きもせずに、
颯爽とマントを翻し通り過ぎていく。
ほとんど柵に取り囲まれた家畜のような生き方を強いられているというのに、
女たちはその横顔にほうっと溜息をついた。

「なんて素敵なのかしら、グレン様。
 他の貴族の方々もお美しいけれど、あの方は特別よね」
「本当、いつまで見ていても飽きないわ。それに、あの瞳!一度でいいから、あの冷たい瞳に射抜かれてみたいわ」
「ああ、あの方の寵愛を受けられるのなら、血なんていくらでも差し出すのに」
「でも残念、グレン様は、私たち人間には全く興味がないそうよ。
 それどころか、噂では、血にすら興味がなくて、ほとんど屋敷に篭って生活しているらしいわ。
 今お姿を見れたのは奇跡ね!」

自分が吸われるその順番を待ちながら、女たちはきゃあきゃあとはしゃいでいる。
深夜は無表情のまま、もう一度、視界を通り過ぎた吸血鬼のほうを見やった。
足早に立ち去る彼の背を、深夜は睨みつける。

深夜がここに連れてこられたのは、ついこの間のことだった。
世界が崩壊して、周りの人間が次々に死んで行って、それでも、運が良かったのか、家族で身を寄せ合っていたはずだ。
それなのに、息を顰めて命を繋いでいた父も母も、簡単に殺されたのだ。
それも、ウィルスではなく、吸血鬼にだ。
血を吸われ、吸い尽くされ、干からびた様になった2人の姿が、深夜の脳裏から離れない。
だが、自分も同じように吸われて殺されるのかと思いきや、
何故か自分だけが連れ出され。
そうして、この地下の吸血鬼の都市に連れてこられたのだった。
だから、
吸血鬼は、仇だった。
家族の、仇。
ただ人間の血を飲み、家畜として扱う存在、という認識では足りなかった。
だから、
こんな場所で、素直に従う自分など、絶対に許せなかった。

「・・・っ」

思わず、身体が動く。
大人たちに、従わなければ殺される、吸血鬼たちのルールに従ってさえいれば安全は保護される、
そう言い含められてここに並んでいるが、深夜には耐えられなかった。
なぜ、あの時自分も殺してくれなかったのか。
吸血鬼にとっては、あっさり殺せるはずの自分を。もっと抵抗すれば、殺してもらえただろうか?
今、ここで逆らって逃げようとすれば、死ぬことができるだろうか?
命を捨て、家畜の生活から逃れることが。

「―――っ、おい!?」

監視役の吸血鬼が自分の脱走に気付いた。
それは、当たり前だ。
いくら人間たちが犇めき合い、行列を作っているからといって、彼らは人間よりも数倍目がいいのだ。
見つかるに決まっていた。それに、自分の足などよりも当たり前に早いのだから。
きっと、捕まって殺されるだろう。
少しだけ、笑った。
ああ、仇も討てず、運命からも逃げ、なんのための人生だったのだろう。

「待て、人間のガキ!!」

後ろから声がする。それでも足を止めない。
一心不乱に走る。まともに前も見ず必死に走っていたら、どしん、と、何かにぶつかった。
さわり心地のいい布地、ひんやりとした温度、深夜は思わず抱きついたまま顔を上げる。
そうして、一気に蒼褪めた。

・・・ぶつかったのは、あの吸血鬼。
先ほど見た、あの眉目秀麗な第四位始祖、一瀬グレンだった。

「っあ・・・」
「なんだ、騒々しい」

固まる深夜の頭上で、よく通る、しかし低めのテノールが響いた。
しかし、その声音は、自分に向けられたものではなかった。
自分を追いかけてきた3人の吸血鬼に、向けられたもので。

「っ貴方は・・・」
「まさか・・・第四位始祖様・・・?!」

吸血鬼の中でも低い地位にいるらしい3人は、慌てて頭を垂れた。
グレンは目を細める。
こんな雑魚などどうでもよかった。ただ、今は少しだけ、面白そうな玩具が手の中にある。
人間の子供。
自分を見上げ、固まる子供に、グレンは少し面白げに片眉を上げる。
人間にしては綺麗な顔立ちの子供だった。
絹糸のような銀髪も、珍しい。本当に日本人なのだろうか?

「これは・・・一瀬グレン様。お久しゅうございます」
「そんな挨拶はいらん」
「見苦しい姿をお見せしました。
 その子供は、血液提供の義務を怠り、逃げ出した生意気なガキです。今後は、我々が厳重に監視し・・・」
「必要ない」
「は?」

吸血鬼たちは、グレンの言葉に面食らったような声を上げた。
この、堅物で、何にも興味がなく、自分の屋敷に篭りがちな彼が、こんな子供を庇うとは思えなかったからである。
第一、庇う理由がない。人間にも血にも興味がないという、吸血鬼にしては異端な存在。
そんな彼が、今この場で出会ったばかりの子供を、果たして庇うだろうか?

「この子供は、俺のモノだ」
「いや、しかし・・・」
「並んでいたら、俺が珍しく娑婆に出てきたから、慌てて顔を見せに来てくれたんだろう。健気だろう?」
「はぁ・・・」
「それとも何だ?俺の言う事が聞けないのか?」

一気に、空気が凍りつく。
冷たい目線を、更に細めて。グレンは監視員達のリーダーらしき男を貫く。
心臓を射抜かれたように固まった彼は、文字通り震えあがった。
彼が、こうして自分の屋敷の外に出てくるのは珍しいから、忘れかけていた。
この、一瀬グレンという、第四位に位置する始祖には、絶対に逆らってはいけないという噂を。
かつて―――数十年前になるか、彼の怒りに触れた1人の下位の貴族が、
一瞬にして消し炭にされた話は今でも囁かれていたから。

吸血鬼たちは、再び深々と頭を下げると、掻き消えるように引き上げていった。
例え仕事とはいえ、彼に逆らって何もいいことはない。
そもそも、彼に逆らえる存在など、そうそうこの都市にはいないのだから。
グレンはそれを見送り、周囲に誰もいないことを確認して、それから未だに自分にしがみつく少年に声をかけた。

「顔をあげろ」

恐怖からか気恥ずかしさからか、顔を背ける彼の、その顎に手をかけ、上向かせる。
少年は気丈に振る舞って、自分を見据えてきていたが、微かに震えている。
それがわかり、グレンは小さく笑った。
可愛い子供だと思った。幼い故の強い視線、この地下ではあまり見ることができない蒼穹を示す色合い。
少しそれが興を引いた。掌で頬を包み込み、その瞳の端に触れる。

「・・・何故、助けてくれたんですか?」
「ん?」

子供は震えていたが、それでも自分に怯えて言葉を失うほどではなかったようだ。
それどころか、いましがた、自分が結果的に助けられた、という状況に戸惑っているのだろう。
彼にとって、自分はどう映るのだろう?
ふむ、とグレンは首を傾げる。
人間を家畜として扱い、柵に閉じ込め、彼らの自由を奪って血を抜いているのは自分たちだった。
そりゃあ、人間にとっては面白くない話だろう。
彼らは、脆弱ながら、人間同士の世界ではそれなりに複雑な社会を築いていた。
知識も、能力もある。ただ、力だけが足りなかった。それ故に、弱いなりに、手を取り合って生きてきた。

「貴方が、僕を庇う理由はない。違いますか?」
「・・・賢い子供だな」

まぁ、こういう所が生意気だ、とも言うのだが。
まだまだ幼い、誰が見ても子供といえる年齢で、そういう素直じゃない言葉を吐ける彼は、
けれど、ただ幼く、ひ弱で親に守られてしか生きられない子供よりは
グレンの好みだった。

「・・・お前は、最近ここに来たのか?」
「―――おととい。一昨日、僕の両親は吸血鬼に殺された。お前らは、仇だ」
「可愛い事を言う」

仇。
たかが10歳程度のガキが、誰を相手に言っているのだろう?
吸血鬼の、それも貴族の自分に。
無知というものは、幸せなことだと思う。
畏れるものなど何もない、自分の信念のままに生きて、散ることができるのなら、
きっと、それほど輝いている時はないのかもしれない。

―――ああ、だから人間は、短い人生を生きるのか。
唐突に、合点がいった。
同胞にも、人間にも、今は興味が持てなかったけれど。
拷問のように長く、永劫に続くであろう生の中で、人間の一生を眺めてみてもいいだろう。

「っ―――離せ、よ!」
「大人しくしていろ。また監視員たちに見つかるぞ」
「・・・なんで、僕を、」

グレンは、子供の身体をひょいと抱えると、肩に乗せる様にして歩く。
もちろん、大人しくしろ、と言われて大人しくする子供ではない。じたばたともがく彼を、
しかしグレンは鼻歌すら歌いながら歩く。
人間や他の吸血鬼たちの視線が正直うざったくて、ひらりと跳躍した。
自分の屋敷は、地下の巨大都市の中でも、すこし外れの、高台の上にある。
気まぐれに下界に下りてきて、思わぬ収穫だった。
屋敷に辿り着く頃には、彼は疲れ果てたのか自分の肩の上でぐったりとしていて、
おやおや、と肩を竦める。
抵抗のなくなった少年を、腕の中に収める。
屋敷の執事やメイドやらが声を掛けてくるのもそこそこに、自分の自室に連れ込む。漸く、彼を抱えている手を放してやる。

「っ・・・や、だ・・・」

部屋に入り、鍵をかけてしまうと、少年はひどく怯え始めた。
このまま、血を吸われて殺されてしまうのかもしれない、という恐怖が先行し、
ぺたんと床に座り込む。
だが別に、彼の血を飲むために、連れてきたわけではなかったから、
グレンはそのまま、愛用のロッキングチェアに腰を落とす。
床に座ったままの彼と距離を取り眺めていると、彼はようやく落ち着いたようだった。

「・・・落ち着いたか?」
「どういう、つもりなの?」

ロッキングチェアは、アンティーク。
軽く揺らすと、キィキィと軽い木の音がする。
だが、あとは音など一切しない。
しいて言えば、自分の耳に聞こえてくるのは、子供の動揺した息遣いくらいか。

「僕の、血を吸うつもり?」
「あー、まぁ。どっちでもいい。お前は吸われたいのか?」
「ふざけるな」
「はは。そんなことはどうでもいい。今日からお前はここに住め」
「な、んで」

手を伸ばす。
椅子から降り、そうして彼の家畜用の服に、手を伸ばす。
びくりと身体が震えるが、視線で見据えて、身体ごと支配する。目線だけで相手を射竦めるのは、自分の得意技だ。
首元に、するりと手を伸ばした。
家畜の証。
家畜としての認識番号が刻まれたプレート。
簡単に血液の採取が出来るよう、太い血管の位置に孔が開いた特殊な首輪。
それを、グレンは触れるだけで壊す。
深夜は息を呑む。
幼い子供の白い肌は、ひどく柔らかそうだった。
今は、ほとんど血にすら興味がなく、あまり口にすることはなかったが、久しぶりに、呑んでみたいと思った。
この子供の血なら、さぞかし芳しい香りを放って自分を誘惑するだろう。
目を細める。

「どういう、つもりなんだよ・・・?!気まぐれに、僕を攫って、」

そうして、気まぐれに血を吸って、殺すのかと。
彼の、激情的な瞳が語っていた。本当に可愛らしい。彼の言うとおり、存分に血を吸って、飽きれば殺してもよかったが、
そんな即物的な生き方は、もう散々してきた。そんな生き方に、飽き飽きしていた。

「あの集落で住みたいなら、それでもいい。
 だが、定期的に血を提供することになるし、柵の中で生かされてる家畜のまま生きることになるが」
「そ、それは・・・」
「・・・それとも、人間の集落に、知り合いがいるのか?」

それなら、離れて暮らさせる必要もない。
帰してやってもよかった。こうして一度認識しておけば、次からはすぐに探せる。
欲しい時に、すぐさま攫うことだって出来る。だからわざわざ傍に置く必要もなかった。

グレンの言葉に、深夜は瞳を揺らした。
思い出す。あの、人間達の、家畜として生きることを受け入れ、自由への渇望を失った死んだような表情を。
逆に、血さえ提供していれば生きていける、と割り切り、他の堕落した欲望を満たす人間の姿も。
自分も成長し、大人になったらああなるのかと絶望した。
こんな、復讐心など根こそぎ奪われ、こそぎ取られ、自由を失い、それでもいいと思える時代がくるのかと思うと、
恐ろしいと思った。
そこに、人間らしさなどひとつもない。
完全な、家畜のそれだった。
そんな人間になることは、彼にとっては耐えられないことだった。
だが。

「・・・ここだって、鳥籠のようなものじゃないか」
「ああ。俺の掌の上で囀る小鳥のようなものだな。
 それでも、好き服を着て、食べたいものを食べて・・・普通の人間として生きるか、
 それとも、自由のない家畜の身で、地面を這いずって生きるか・・・」
「・・・っ」
「お前が選べ」

グレンは優しさを装った悪魔の表情を浮かべて、深夜の頬をなぞった。
そのまま、柔らかな絹糸の髪に触れて、指先に絡めて弄ぶ。
こんな人形のような整った少年を、こんな無粋な家畜の服を纏わせておくのはもったいなかった。
思い切り、着飾ってみたいと思う。
自分の手持ちにこんな子供の服はないから、裁縫師を呼ばなければ。
彼に似合う、沢山の服を着せて眺めるのだ。
こんな可愛らしい子供なら、きっと、どんなものでも似合うとは思うけれど。

「俺の屋敷にも部屋にも、鍵なんてない。お前は自由だ。
 その首輪を外したから、下の吸血鬼共はそう簡単にお前を探せない。下界でこそこそと生きることもできるがな」

はは、と笑うこの男の声が、深夜の耳にはひどく苛立たしかった。
どうせ、きっと、この男は、わかっているのだ。
自分がここから、逃げられないこと。
逃げるはずもないこと。
彼の、自分に触れる掌は、ひどく優しかった。
ひんやりとしていて、熱なんて感じるはずもないのに、なぜかほのかな熱さを感じる。
こんな吸血鬼、見たことはない。
今朝の行列で聞いた、若い女の言葉を思い出した。

血にも、人間にも興味がない、異端の吸血鬼。
誰よりも美しく、誰よりも気高い、孤高の存在。
そんな彼が、自分に手を差し伸べるという。
どんな気まぐれか、それとも、これは彼の罠なのだろうか?
しかし、深夜はもう、疲れていた。
自分の世界が崩壊して。吸血鬼に両親も奪われ、たった1人、こんな恐怖の日々に立ち向かって。
こんな生き方をしたくはなかった。
少なくとも、恐怖に満ち満ちた生活からは逃げたかった。

「・・・ここにいる」
「そうか」

吸血鬼の男―――グレンは笑った。
大きな掌で、自分の頭を撫でる。一瞬怯えたが、彼の掌は優しかった。
家畜の服は似合わない、と両の掌で脱がせられた。
彼の目の前で、肌を晒す。
グレンは目線を合わせ、布一枚身に着けていない、子供の生まれたままの姿を眺めて、少し笑われる。
何故か、恥ずかしかった。
そういえば、家族以外に、裸を晒したことはなかった。

「ああ、忘れていた」
「え?」
「お前の名前を教えてくれ」

目を見開く。
そういえば、彼に名前も告げていなかったのを思い出した。
まぁもう、こんな名前など、意味がないのかもしれない。
名前で呼ぶ人間など、もう誰もいなかった。
吸血鬼共は、認識番号で呼ぶことのほうが多かったし、名付けてくれた両親も、もういない。
深夜は笑った。
久々に、死んだような瞳に、色を宿して。

「深夜。どこの誰でもない、ただの深夜だよ」





end.





シリーズにしそうな予感・・・気まぐれに書きます。
血吸わせたいし・・・はぁはぁ





Update:2015/07/23/THU by BLUE

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