背中



「・・・う・・・」

全身がズキズキと痛み、熱く疼いた。
痛まない場所なんかない。足が痛い、腕が痛い、手が痛い、顎が痛い、腰が痛い。
左手の甲が、恐ろしく病んでいた。
ずきずきする。骨の1本や2本、折れているかもしれない。
でも、確認などできなかった。当たり前だ、あの男によって、後ろ手にぐるぐる巻きに縛られていたから。
まともに確認できる傷といったら、膝下の火傷痕だけ。
ひどい水脹れが、膝下一帯に出来ていた。同じように、足裏もきっとそうなっているだろう。
歩けるわけもない。少しでも体重をかけたら袋が割れる。味わいたくない痛みだ。
もっとも、もう、苦痛は散々味わっているのだけれど。

全く、動けない。
ただ床に転がったまま、周囲を軽く見渡す。
・・・あの男は、いなかった。
そういえば、今日はこのまま眠れとか言われたんだっけ。
目を閉じる。視界がなくなると、他の感覚が無駄に敏感になった気がした。
全身が焼けるようだ。
痛くて、痛くて。・・・眠れない。
時間も、まったくわからなかった。ただ、ここに連れられてきてから、本当の愛玩動物のように食事が1日に1回になった。食事を出されたのが1日目の暮れあたりだったから、今はきっと2日目のいつだかなのだろう。
2日目・・・・・・
あの男が半ば強制的に始めた、ゲームの2日目。
もし勝とうとするならば、今か、明日か。どんな手段を使ってでも、ここから逃げ出さなければならない。
けれど、そんな気力はとうに失っていた。
動物のように皿に口をつけ、その床を舐め続けていた時から。
逃げ出せるわけがない。
痛めつけられ、食事すらまともなものを与えられず。
身体を1ミリ動かすだけで苦痛で仕方ないのだ。どうしてこれで逃げ出せるだろう。
壁にひたすら描いていた錬成陣は、ただ気を紛らわすためのものでしかない。
朦朧とした頭で、1人置き去りにしている弟の存在を考えた。

アル・・・

せめて。
せめて、彼に連絡を入れられればと、そう思った。
例えここから出れなくなり、彼に束縛されたとしても。
弟にだけは、心配かけたくない。
自分は大丈夫だと、心配するなと、そう伝えたかった。
きっと、今だって何も連絡がない自分を気にしているだろう。
だから、あの時、
苦痛に耐え、あの男に懇願しようとしたのだ。
せめて、彼に自分のことは心配するなと伝えてくれ、と。
逃げ出すつもりもなかったのに。

・・・彼の、
あの男の逆鱗に触れてしまった。

踏まれた箇所が、ひどく疼いて仕方なかった。
あの時のことを思い出す。
動けない自分の髪を引き上げ、口蓋に男の欲を突き入れられ。
あの、堅い靴先に踏まれた痛みは、尋常ではなかった。
だというのに、気付けば下肢は濡れ、腹は白濁に汚れている。
穢らわしい。
男の皮肉げな笑みが脳裏を過ぎり、
縄によって縛り上げられた身体をより小さく縮こませる。
涙が、止まらなかった。
涙が頬を伝い、頬の傷に染みた。
けれど、もうどうでもいい。
どうにもできない絶望感に、動けないまま身を浸した。
ああ、本当に。
まったく、動けない。
動けないということは、することがないということに繋がる。
病院で拘束を受けているような、そんな気持ちが過ぎった。
たとえば、ここであの男がいたのなら。
まだ、無理矢理行為を強いられたり、暴行を受けたりと、惚けている暇はないのだけれど。
眠れない身体には、何も出来ないことが辛かった。
・・・暇で、仕方がなかった。



こうしていると、沢山のことが頭に過ぎる。
過去の自分の過ちだったり、優しかった母親のことだったり、後悔の念だったり、心から想う弟のことだったり。
けれど、ひとつひとつが頭に上っては、もうどうでもよいことのように思えてきた。
今の自分には、過去も、そして未来もない。
ただ、男に欲望の捌け口にされ、道具のような扱いをされているだけだ。
既にゲームのことなんて頭から放棄しているから、
もう、自分に残っているものは、男にいいように扱われているという現実だけ。
また、あの硬い軍靴がかつり、かつりと音を立てれば、
彼の望むように声を上げさせられ、苦痛を強いられ、快楽もまた強制させられる。
つかの間の休息。
だが、次々と溢れては消えていく感情が、自分を寝させてはくれない。

「・・・っ、く・・・」

暇で暇で仕方がない。
肩口に見える麻縄を、歯で噛み切ろうと試みる。
別に逃げ出そうというわけではない。ただ、じんじんと痛む身体に食い込むそれが窮屈すぎただけだ。
気晴らしのように、歯を立てる。
ぎりぎりと歯を擦り合わせて、確かに少しは切れたのかもしれない。
だが、10分もしないうちに、あきらめてしまった。
体力の無駄だと思った。
諦めて顔を横に向けると、今度は扉が目に入った。
そして、その目の前に映るのは、青い軍服。
漆黒髪、深い闇色の瞳、きれいな顔立ちの、29にしては若い顔をした青年。
無表情で自分に苦痛を強いる、あの男。
ぼんやりと浮かぶ『彼』は、口の端だけを歪ませ、そして背を向けた。
広い背中。あの背に幾度頼りたいと思ったか知れない。
だが、今瞳に映る青い背中は、ただ拒絶を主張し、冷たさだけを帯びていた。
手を伸ばして、それでも。
きっと今の彼は、自分が求める『彼』ではないだろう。

「・・・、っ・・・」

ぼろぼろと、また涙が溢れ出した。
素直になんてなれるわけもなかったけれど、愛していたのだ。
一番に出来ないことはわかっているのに、気付けば彼のことを考えている自分がいた。
だから、必死に前を見て。
弟を想い、旅を続けていた。
しょっちゅう逢いに行かなかったのは、揺らぐ自分の心に耐えられなかったから。
弟の身体を失わせ、そのくせ自分は1人愛する人と快楽を得るなど、
間違っているはずだったから。
そう、これは、自分のけじめなのだ。
『罪』を背負う自分がつけなければいけない、けじめ。
失ったものを取り戻すまでは、甘い感情に溺れるまいと誓った。
そして、あの男はそれをわかってくれているはずだった。
それでも、と差し伸べてくれる手に甘えたのは、確かに自分も悪かったのかもしれないけれど。

・・・ロイ。

でも、やはり、
・・・好きだった。
だからこそ、彼の仕打ちは、一層胸を痛ませた。
どうして、こうなったのだろう。
身体の痛み以上に、心が痛む。
耐えるように、唇を噛んだ。鉄の味。口の端から血が滲み出ていた。

「っ・・・、ロ、イ・・・っ・・・!」

止まらない。
止まらない涙で床を濡らしながら、男の名を呼ぶ。
助けを求めるように。助けてくれないことなど、承知の上だけれど、それでも。
タ、ス、ケ、テ。
麻痺していた感情が溢れ出す。ロイ、ロイ、・・・ロイ・・・っ・・・
目を閉じて、仰向く。
苦しげに息をつき、口を開くと、優しい手のひらが両の頬を包み込んだ。
柔らかな感触。唇に、男のそれが触れる。
ひどく甘く、乱暴さは1つもなかった。その暖かさに溺れた。
自ら舌を出して、男のそれと絡ませた。
渇いた口内を、必死に濡らして。ねっとりと触れ合う感覚が、ぞくりと背筋を震わせる。
だがそれは、恐怖でも、苦痛でもない。快楽の期待に打ち震える、全身の反応。
打ちひしがれ、体力の低下した体が、それでも快感を求めて熱を帯びた。
ああ、ロイ。
あの大きな手に、肌を弄られ、焦らすようにその部分を触れられると、
全身が沸騰したように熱くなった。
何もかもを忘れ、ただその幸福感に身を浸しそうになった。
下肢がくっきりと反応を示し、その手を求めて頭をもたげる。

「・・・っあ、は・・・っ・・・」

けれど。
頭が真っ白になるような快感は、
いくら待っても与えられることはなかった。
焦れて、身を捩る。左手を下肢に伸ばそうとして、後ろ手に縛られていることを思い出した。

「あ・・・っ、ロ、イ・・・!」

もどかしい感覚に身悶えた。
自分の下では、恥ずかしいほどにそれがそそり立ち、
腹を濡らすほどにまで勃起していた。
けれど、いつもそれを慰められるはずの腕がない。もがく様に動かすと、皮膚に麻紐が食い込む。手首が、腕が、それらに擦れ、傷ついた。血すら流れるそれが、痛かった。
だというのに、下肢の熱は収まらない。
擡げた欲を収め方を、知らなかった。
憎いこのからだは、『彼』を想い、その感触を思い出すだけでただただ蜜を零す。
苦しい。せめて、せめて、なにか刺激さえあれば。

「・・・っ、く・・・う、」

焼け付くように痛む足を引き摺り、重い体を引き摺り、
あの、背を縛り付けられた石柱の前まで移動した。
頬を触れさせる。冷たいそれは、それでも熱を帯びた体には心地いい。
縋るように身を寄せ、痛みに堪えながら、腰を動かす。
石柱と身体に挟まれ、雄はぺったりと腹につき、その部分をひどく濡らしていた。

「・・・あっ、あ、っ・・・」

何度も何度も、硬い石に下肢をぶつけた。
汗が吹き出る。脂汗と混じり、全身の肌が艶やかに濡れた。
裏筋の皮膚が擦れ、痛みさえ覚える。真っ赤になったその部分を、しかし休むことなく擦り上げる。
痛みと快楽が同時に来ては、抑えきれずに声が洩れた。
けれど、なかなか達けない。『彼』の存在が、必要だった。
苦痛と、快楽と、彼。
『彼』だけが足りない。
朦朧とした頭で周囲に目を向ける。
見えたものは、あの、冷たく、何も言わない背中だけ。

「ロ、っ、イ・・・」

どんなに蔑まれ、嘲笑されても、傍にいて欲しい。
蹴られた箇所が、ひどく疼いた。歪んだ快楽。痛めば痛むほど、解放の予感に繋がる。
馬鹿げたことだと思う。乱暴に扱われ、苦痛を強いられたことが、
今ではそれすら快楽を誘うものになっているとは。
だがそれは、『彼』が与えてくれたもの。
あのひとがくれるものすべてが、快楽になる。優しさも、苦しさも、痛みも、
そう、もしかしたら、残酷な死すら。
ぶれる姿に手を伸ばす。
振り向いて。オネガイだよ。傷ついた手首が血を流す。
だがそんなの構わない。こちらを向いて、またいつものように皮肉げに笑って、
馬鹿にして、蔑んで、貶めて、穢して、
そして犯して。

「っ・・・、くる、しっ・・・」

泣きじゃくりながら、必死に腰を石に打ちつけ。
手を伸ばした。彼を求めた。
きつく縛り付けられた腕が悲鳴をあげた。腕が、関節が、肩が軋む。

「ぃ・・・あ・・・あああ―――っ!!!」

何の音も聞こえず、外の世界から遮断された空間。
冷え切ったその場所に、絶叫だけが響く。
縄から外そうと無理をした左腕が、ある瞬間がくりと力を失う。
肩に湧き起こる強烈な痛みに、どっと脂汗が吹き出した。
意識もぶっとぶような激痛に、
だがそれにすら慣れた頃。
ふと目の前の石柱を見ると、そこには自身の白濁に汚れた壁。
肩を襲う苦痛と共に吐き出されたそれを見て、それから脱力した身体をごろりと床に仰向ける。
無理矢理縛っていた縄から抜け出した左腕は、
今は力を失い、動かそうにもどうにも動かすことができなかった。
全身の倦怠感のままに、瞳を閉じる。
身体を襲う痛みは健在だったが、やっとのことで意識を手放すことができた。




















カツリ、カツリと音を立てて、
男はあの地下室へとやってきた。
床に放り出された少年は、石柱を抱くような体勢で、意識を失っていた。
縛られた腕、身体。傷ついた全身は、なおも荒い扱いに、治る気配すらみせない。
だが、そんな少年をみて、男はかすかに眉を寄せた。
少年の身体を、その髪を掴んで引き上げる。
石柱に背をつけさせる。だが少年は目を覚ます気配はない。
縄を解いてやると、だらりと左腕が床に落ちた。
肩が、完全に外れ、ずり下がっていた。
男はふっと笑みを浮かべた。
投げ出された力ない腕。神経は通っているだろうが、今は動かせまい。
すっと、その手を取り、顔を近づける。
手の甲に唇を落とす。それは、男が少年を愛しているという証。
肩を取り、ぐっと掴んだ。
少年はまだ目覚めない。だが何事かをうわごとのように呟いた。
かすかな声。小さな唇が、男の名を紡ぐ。
ロ、イ。
そう呼ばれた男は、皮肉げに軽く口元を歪める。
少年を抱くような姿勢で、右手で彼の肩を引き上げる。

「・・・っ!!!」

関節に伝わる強烈な衝撃に、エドワードは目を見開いた。
視界が青に染まっている。あの、頭の中で何度も描いた、あの背中の青色。
痛む身体に、熱を感じた。
他人の熱。久しく感じたことのない、抱きすくめられるような暖かさ。
信じられない思いで顔をあげる。おそるおそる、上目遣いに。
正面には、あの、必死の思いで手を伸ばそうとした『彼』がいた。
漆黒髪、深い闇色の瞳、きれいな顔立ちの、29にしては若い顔をした青年。
無表情で自分に苦痛を強いる、あの男。
けれど。

声が出ない。愛していると、好きだと、言いたいのに。
彼がいない間、どれほど彼を焦がれていたか、伝えたいのに。
詰まる胸、震える唇。目の前には愛する男。
男は、すっと口の端を歪ませた。
ひどく残酷な、酷薄な微笑み。でも、それでもいい。心から、愛してる。
ねぇ、抱いてよ。
奥まで犯して、そして刻んで。

「犯して」

言葉少なに、本音を告げた。
どんな乱暴でもいい。飢えたからだを、貴方で満たして。
男は歪ませた口元を、更に歪ませた。いい子だ、と髪を撫でられる。
そう、どんな形でもいいから。
あなたの傍に、いさせて。
あなたに背を向けられるのは、辛すぎる。

身を預ける少年に、
男はくくっと喉の奥で笑い、そしてその小柄な身体を抱き締めた。





「ご希望通りに」





to be continued.





Update:2004/09/24/FRI by BLUE

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