硝子の器



「逢いたかったよ、エドワード」

東方司令部のロイ・マスタング大佐の部屋に着くと、決まって男は少年を抱き締めた。
有無を言わさず。
強引なはずなのにどこか優しい腕に、エドワードは早くも足が崩れそうになる。
今回も無事に戻ってこれたという安堵感。
いろいろ事件に巻き込まれることが多いエドワードの、無意識の緊張が解かれる瞬間だ。
そして、何より。
弟と共にいる時には感じられない安らぎが、この場所にはあった。
もちろん、現実逃避のような偽りの安らぎだと、少年自身はっきりと自覚している。
本来ならばそんな、前を見据えず後ろ向きな自分の行動は少年にとって忌み嫌うものだったが、
上司であるロイ・マスタングとのこんな時間に、
しかしエドワードは溺れてばかりいた。
何一つ望まなければ、ただ気持ちいいだけの優しい空間。
前を見続けなければならないエドワードにとって、甘やかなこの場所は離れがたかった。
そう、ただ。
ただただ甘く、そして優しいだけの・・・―――。

「エド・・・」
「・・・っ、その前にっ・・・報告・・・!」

近づくロイの顔に我に返ったエドワードは、唇が触れる寸前で男の肩を押した。
唇の代わりに触れる吐息はあつく、熱を孕んでいる。
理性を必死に保とうとしながら、それでいてロイのひとつひとつの挙動に惑わされるのはどうしてだろう。
腰を抱く腕に力が篭る。

「報告?そんなの後回しだよ。早く君に触れたくてしょうがないんだから・・・」

語尾はくぐもった声音になった。ロイはエドワードに唇を重ねてきたのだ。
飢えたように、激しく少年の口内を貪る男に、少年もまたその情熱に火をつけられ。
手に持っていた報告書が、ぱさぱさと床を叩いた。
だが、誰も気にしない。
エドワードさえ、くちづけに溺れ、ロイの背に腕を回していた。
勿論、こんな場所で何をしているんだ、と焦る気持ちもある。
また、別の部分ではこんなことをしていてなんになると常に冷めた言葉を投げかける自分もいる。
だが、ロイの前では意味を成さない。
どんなに理性が残っていようと、それをはるかに上回る欲望があるなら、それはないに等しいのだ。
そして事実、エドワードは飢えていた。

「あ、んっ・・・だめっ・・や・・・」

すぐに少年のズボンに手をかけてきたロイに、さすがにエドワードは抵抗をみせた。
だが、そんな形だけの抵抗は、いとも簡単に男に外されてしまう。
首筋を甘く食まれ、その拍子にロイの黒髪がふわりと揺れ、甘い香りがエドワードの鼻をくすぐった。

「・・・っ」

この身長差で、立ったままの行為を続けるには限界があった。
キスだって、エドワードが精一杯背伸びをして、ロイが腰を屈めなければ触れ合えない。
けれど、ロイは屈む代わりにエドワードの腰を抱き、つま先が地面から離れる位まで少年を引き上げる。
不安定なその体勢は、しかしかえって少年を煽っていた。
エドワードはロイの首に腕を回した。
くすりと笑い、ロイの手がガチャガチャとベルトをはずして来る。

「可愛いよ」

耳元で囁かれ、身体の力が抜けてくる。
もう、麻薬のようなものだ。ふわふわとした浮遊感が、エドワードの頭をピンク色に染めていく。

「・・・エド」

甘い声音に、少年は軽く眉を顰めた。


自分を抱きにかかるこの男は、本当に強引だった。
エドワードの心など、おそらくは何も考えていないだろう。
ただ、自分に忠実なだけ。自分勝手な愛撫を相手に与え、相手のことなど何も気にせず。
嫌がろうが、悦ぼうが、関係ないのだ。
わかることといえば、自分が男にいいように扱われているということだけ。
どうせ、飽きればお終い。
ロイが自分に飽きれば、たとえ自分が嫌だと言おうともきっと彼の傍になどいられない。
つくづく、愛されていないのだと実感する。
かれは、ただ執着するものが欲しいだけ。
もう自分はからっぽなのだと言っていた。何故そんなにいろんな女に手を出すのだと問うた夜。
誰かを求めなければ生きていけない。
試してみるか、といって手を伸ばしてきたのはロイ自身。
それは、ロイにとって執着する価値のある存在であるかどうかを判断するただ1つの行為。

「愛しているよ、エドワード」
「・・・や、っ・・・」

心の篭らないその言葉は、意味もなくただ空気を震わせた。
ロイにとって、ただの条件反射のようだった。甘く告げられる自分の名前すら、エドワードには虚ろに聞こえた。
定型文のようなロイの科白。かれにとって、言葉は感情表現の道具ではないのだろうか。
ただ、人を使う言葉。ただ、形式的な事柄を告げる言葉。
そういえば、言葉で本当の気持ちなど伝えられない、とどこかで聞いたことがある。
本当に、その通りだ。
偽りで固められた甘い言葉に、ただ自分は溺れているだけ。
嘘だとわかっていても逃れられない、甘美な地獄。
こんなのは嫌だ、と心の奥底ではわかっているのに。

「っ、たい、さ・・・」

エドワードを知り尽くした手が、少年の欲望を煽っていく。
少年の若い身体は、与えられる快楽を拒めるほど練れていない。
既に足に力は入らず、少年は男に身体を支えられたまま愛撫を受けていた。
見上げると、すっと唇が重ねられ。
絡む舌に惑わされながら、熱を帯びたエドワード自身を擦られる。
男の首にしがみ付いていた少年の腕が不意に外れ、ロイの身体からずり下がった。

「・・・おっ、と」

落ちかけた身体を抱き上げて、くすりと笑われる。
エドワードは羞恥に顔を朱に染めたが、ロイの腕から逃れることなど思い当たらず、そのまま彼の軍服の胸に顔を埋める。
服越しでも男の暖かな熱を感じて、少しだけ胸が痛んだ。
くだらないことだ。過去、どれほどの人間たちがこの熱を感じてきたかなど。
例え、この男が過去誰のものであったろうと、今はこうして自分が独占しているのだ、どうしてそれ以上を望む必要があるだろう。
顔を上げれば、見下ろしてくる漆黒の瞳。
今だけは、その瞳に自分が映っていた。何故それで十分だと思えない。

「どうした?」
「ん・・・・・・」

答える代わりに、エドワードは再度腕を伸ばしてロイに口付けた。
はやく、はやく、忘れさせて。
何も考えられないほど、彼で自分を満たして欲しかった。

「積極的だね。・・・嬉しいよ」

耳元で囁かれ、鼓動がより早くなる。
何も言えない代わりに黙って男にしがみ付くと、ロイは足元に散らばった書類を踏まぬよう注意しながらエドワードの身体をソファに押し倒した。
執務机には、まだロイのサインを待つ書類が山ほど積まれている。
けれど男は、仕事中であるにも関わらず熱心にエドワードを見つめ、そして彼を抱いた。
欲望にただ忠実なこの男。
これでは、彼の秘書代わりを務めているあの有能な中尉も手を焼くに決まっている。
性急にボトムを脱がされ、エドワードは横を向いた。
ロイの指が顎にかかった。羞恥に染まる顔を、前に向かされる。

「エド」

好きだよ、と囁かれ、エドワードはロイの胸元を叩いた。
それを、ロイは照れて思わずした行為、ととったかもしれない。
だが、それは違った。エドワードはロイの言葉がいつまでも聞いていたいほど好きで、
それでいて耳を塞ぎたくなるほど大嫌いだった。
偽りの優しさに溺れていながら、それが死ぬほど嫌だったから。
せめて、ただ身体だけの関係ならよかった。
身体だけの関係ならば、まだ割り切れたはずだ。
けれど、長い間閉じ込めてきた感情は、気付けば深みにはまっていた。抜け出せる術などないのだ。
彼の一挙一動に惑わされる。彼の操る言葉に一喜一憂し、それを彼の前では隠せない。
要は、彼のことが好きなのだ。
こんなに嫌味で性格の悪い男に惹かれるなんて、
きっと自分はどうかしているのだろう。

「っ、ロイ・・・」

再び下肢を捕らえるロイの手のひらに息を詰めた。
先ほどからの焦らすような愛撫のせいで、既にエドワードのそれは蜜を零している。
ロイの指先がそれを絡め取り、砲身になすりつけるようにして扱いてやれば、必死にその快楽に耐えるように指先がソファを噛んだ。
震える唇が、何度もロイの名を呼ぶ。
飢えた身体を隠せないまま、ロイに与えられる快感に溺れて。
張り詰めたそれをなぞりながら今度は後ろの秘孔を指先で探れば、びくりとエドワードの身体が強張った。

「ああ・・・、君のココ・・・物欲しそうにひくついてるよ」
「っ、や・・・」
「そんなに・・・欲しいのか?」

揶揄するような声音と共に、ロイの指が容赦なく侵入してきた。
少年の熱い内部は、異物に抵抗を示すどころか呑み込もうとするかのように蠢き、ロイの指先に強く絡み付いてくる。
指の根元まで深く押し入れて関節を曲げてやれば、少年の甲高い悲鳴があがり、
ロイは口の端を持ち上げた。
胸元に唇を寄せ、小振りなそれに歯を立てる。

「ああっ・・・だ、めっ・・・!」

いやいやと首を振る姿がいつもの少年とは全く違う色香を放って。

「だめ?じゃあ・・・ここは?」
「や・・・ああ!」

長い指が少年の弱い部分を正確に突いてきて、エドワードは背を仰け反らせた。
無意識に逃げようとする腰を捕らえて、それからもう1本指を当てて一気にその部分を貫く。
増やされた指が内部を拡げるように動き、エドワードは必死にその感触に耐えていた。
こりこりと指先にあたる快楽の根源を執拗に刺激してやれば、エドワードの瞳からとめどなく涙が零れソファを濡らした。
ここがどこなのか、万人が来るであろう執務室だということなどもはやすっかり頭にない少年に、
ロイもまた自分の欲を煽られる。
誰に見つかろうと、構うものか。
自分は今、この少年が欲しくて欲しくてたまらない。ただそれだけのこと。

「ロイっ・・・おねが・・・っも・・・」

懇願する濡れた瞳に唇を落として。
ぐっ、と指をより奥まった場所に押し入れる。エドワードの身体がびくりと反応を返す。

「このまま、いかせてあげるよ」
「や、だぁ・・・ああっ」

蜜をしたたらせる前への刺激がないままに、後ろだけで達かされる自分が情けなかった。
ぎゅっとロイにしがみ付いて。
耳を嬲られ、それにすら感じてしまう。
これ以上ないほど敏感に高まった身体は、ロイの触れる全てに反応し、そして快楽を訴えた。

「あっ・・・だめっ・・・も・・・!!」

内部の指が強くその部分を擦り、思わずエドワードは目を瞑った。
目の奥に走る閃光。そしてその次の瞬間どくどくと放たれる熱い精。
ロイの軍服と、自分の胸元に飛び散った白濁を認めて、エドワードはひどくいたたまれない気持ちになる。
そもそも男のせいだとはいえ、彼の服を汚したことが申し訳なかった。

「っ・・・」

だが、解放の余韻もつかの間。
ぐい、と足を抱え上げられ、エドワードははっと顔を上げる。
指で散々嬲られ、緩んだそこをロイの目の前に晒されて、このうえない羞恥を覚えた。
思わずきゅっと力を込めると、宛がわれるのは熱い塊。
濡れたそれがロイのものだと分かったとき、エドワードは男の腕にしがみ付いた。

「・・・たい、さ・・・」
「・・・・・・エドワード。」

―――好きだよ。

甘く優しい声音に諦めて瞳を閉じる。ぐっ、と押し入ってくる質感に眉を顰めて。
これから来るであろう痛みへの恐怖から、男の服を掴む指に力が篭る。
ロイはエドワードの背に腕を回すと、彼の身体を引き上げるようにして自身を内部へと押し込んだ。

「や・・・痛っ・・・」
「力を抜いて。」
「・・・っ、ムリ・・・!」

なだめるように囁くが、エドワードは首を振るばかり。
全身を襲う衝撃にただただ耐えるしかない少年の幼さに苦笑を浮かべて、ロイはエドワードの前に手を伸ばした。
痛みにも関わらず涙を零すそれを掬い上げて、下肢の繋がる部分をなぞってやる。
ロイの手に助けられて男を呑み込んだ少年は、
しかしできるだけ逸らそうとしていた意識をその部分に集中させられ顔を真っ赤に染めた。
ひくひくと息づくそこを、男の楔で貫かれている。

「っ、は・・・」
「可愛いよ」

汗に濡れた髪を撫でられ、少年は顔を顰める。
子供扱いされていることは分かったが、こんな状況で彼に反発することなどできなかった。
耳元にキスを落とす男の首にエドワードは腕を絡めた。
不意に腰を引かれ、声が洩れる。

「エド・・・・・・」
「あっ・・・はっ、・・・っあ!」

抜け出るほどまで引かれたそれが、濡れた音を立てて奥深くまでを貫いた。
先ほど指で探られた箇所に、今度は熱い楔があたる。
内部で腰を揺すられれば、下肢から伝わる感覚に眩暈を覚えた。
快楽を纏ったその熱が、少年の身体を溶かしてしまいそうだった。

「やだ・・・あんっ・・・おかしく、なる・・・っ!」

必死に、頭を横に振って。
何もわからない。ただ、底なし沼のような快楽に溺れて。
しがみつく腕に力を込めた。離れたくなかった。離してしまえば、二度とこの沼から逃れられないと思った。
幼い少年にとって、快楽は恐怖でしかない。
男の与えられるものだけが全てになってしまう。ひとりでは生きていけない。
いつかこの手を離されたとき、どうすればいいのかわからなくなる。
それでも、今だけは。

「あっ・・・やぁ・・・っロイ・・・」

どうにかなってしまいそうで必死にロイの名を呼ぶ。
ふと視線が絡み、懇願する瞳に、ロイはゆっくりとくちづける。
大丈夫だよ、と囁かれ絡んでくる舌に、エドワードは瞳を閉じた。
甘い、甘いキス。
エドワードの腕に力が篭る。

「エド・・・エドワード・・・」

いささか切羽詰ったようなロイの声音にすら感じてしまう。
ロイもまた、自分に感じてくれているのだと胸が熱くなる。
自分を抱き締めるロイの腕もまたぐっと力が篭り、2人はより強い快楽を求めて腰を揺らした。
エドワードの前がロイの腹にあたり、擦られる度にそこを濡らしていく。

「あんっ・・・ロイ・・・っ・・・」
「好きだ・・・」

エドワードの頬にぱたりと汗が零れ落ちた。
見下ろす男の瞳は、深く深く、どこまでも澄んだ黒。

「ロイ・・・」
「愛してる・・・・・・」

何度も愛を語る男に溺れて。
エドワードは全身を幾度も襲う快楽の波に意識すら委ねた。










「好きだよ」

ああ、ロイ。
オレも好きだよ。一番好き。
あんたが欲しい。
もう、オレはあんたのものだ。
もっともっと、めちゃくちゃにしていいから。
あんたも、オレのものになってよ。

「私は君のものだよ」

そう、あんたはオレのもの。
あんたも、あんたのその言葉も、声も、心も、全部。

だから、お願いだ。

オレだけを見て。
オレだけを見つめて。
オレだけのために囁いて。

ねぇ、お願いだよ。

・・・オレだけのものに、なってよ・・・




「愛してるよ、エドワード」









目が覚めたとき、身体に毛布が掛けられていることを知った。
場所は変わらない、黒く冷たい革張りのソファ。ロイ個人の執務室の中。
声が聞こえていた。
ホークアイ中尉とロイだった。
いつもの変わらない、有能な部下と無能な上司のやりとり。

「・・・終わるわけないだろう!それに、今日はデートの予定が・・・」
「私は信じていますよ。まさか大佐が仕事よりデートを優先するようなお方ではない、と」

サボリ魔で有名なロイに向かって、嫌味な言葉を吐くホークアイは相変わらずだ。
無言で恨めしそうな顔を向けているであろう上司に向かって、
ホークアイ中尉は容赦なくドサリと山ほどの書類を机に置いた。

「それでは、私はお仕事の邪魔にならないようお暇いたします。
 ・・・・・・何かあったら外には誰かいますから、呼んでくださいね」

さりげなく見張りをつけてますから、とダメ押しをして、ホークアイは退出する。
ことさらにため息をつくロイに、エドワードはぎゅっと毛布を握り締めた。

「・・・夜はデートなのに・・・」

ぶつぶつと不満を漏らしながらも、書類を手に取るロイが、ひどく残酷な男だと思う。
こうして自分を抱き、愛していると散々言っておきながら、その夜には他の女とのデートの予定。
わかっている。どうせ、ロイにとって自分は唯一の存在ではない。
それでもいいと、こんな関係を結んだのは自分だったはずだ。
ひとときの慰めを与えてくれるなら、それで。
だというのに、どうして割り切れない。どうしてこんなに胸が痛むだろう。
エドワードはゆっくりと身を起こした。
それに気付いて、ロイはペンを机に置く。

「エド。・・・起きたか?」
「・・・別れよう」
「は?」

ぽつりと、だがはっきりと言ったエドワードに、ロイは目を見開いた。

「唐突だな。・・・どうした」

ロイの声音は、軽い驚きを孕んでいたが、だがそれだけだった。
エドワードの切り出しに、焦りもしない。それが一番辛い。
あわてて、どうしたと、何かあったのか、と聞いてくれる男ならよかったのに。
それだけ、愛されていないのだとまた胸がきりきりと痛んだ。
けれど、1つの動揺も見せないその声音は、そのかわりに相も変わらず甘く、そして優しくて。

「・・・エド?」
「オレ、あんたのように器用じゃないから」

器用じゃないから、誰彼ともいい顔をして付き合うあんたとはいられない、と沈黙で訴える。
下を向いて、ぎゅっと拳を握り締めた。
たった一言だが、エドワードの言いたいことはわかったようだ。
ロイはまたもやため息をついた。
エドワードは唇を噛み締める。
わかってるよ。あんた、うざったいのは嫌いだろう?
女とばかり付き合ってるくせに、泣き喚いて、駄々を捏ねるヤツをみんな捨ててた。
勝手にたくさんのものを与えるくせに。
いざ求められると、絶対応えてくれないんだ。
笑って、何もなかったように笑って、それでおしまい。
そんなの嫌だ。
女のように捨てられるのは御免だ。だから、絶対何も求めたくない。
でも、傍にいたら求めてしまう。もう、無理だ。限界だよ。

「もう、嫌なんだ」

だから、捨てられる前に、俺から離れるよ。
惨めな思いだけはしたくないから。
エドワードは無言で席を立った。コート以外の衣服はきちんと着せてくれていた。
反対側の背もたれにかけていたコートを手にとる。

「エドワード」
「・・・・・・なんだよ」

応じないまま、去ればよかった。
背を向け立ち尽くす少年に、ロイは手を伸ばす。
そのまま、胸の中に抱き締めて。
エドワードはまた崩れそうになる身体を必死に耐え続けた。

「やめろ・・・・・・」
「君は本当に、勝手な奴だな、鋼の」
「・・・っ誰が!」

機械鎧の右手を持ち上げられ、甲に口付けられる。
エドワードは顔を真っ赤に染めた。

「な、にすんだよっ」
「では、聞こう。・・・もし私が、君だけを欲したなら・・・君はどうするね?」
「え・・・」

ぐっと身体を抱き寄せる腕に力を込められ、エドワードは戸惑いを覚えた。
相変わらず、ロイの胸は暖かい。だが、今はそれに素直に溺れられなかった。

「私が君だけを欲したなら、君はもうここから逃れられない。私は手放す気などないからな」
「たい、さ・・・」

痛いほどに強く抱かれ、胸が痛む。
見上げれば、ロイの漆黒の瞳にうつる狂気。エドワードは息を呑む。

「いいのか?二度と、君が弟君に振り向くことを許さない。旅になど行かせない。私以外を見ることを許さない。・・・それでもいいと・・・?」
「っ・・・・・・」
「ただ一人を想うということはそういうことだよ、鋼の。・・・君には、その覚悟があるのか?」

ないだろう、と無言で告げられ、エドワードは唇を噛み締める。
ロイの言葉のひとつひとつが、胸に刺さった。
ロイを愛している。その心だけは、何物にも変えられない。
けれど、それを貫く勇気は、今のエドワードにはない。
右肩と、左足。常に過去の罪を訴える機械鎧に、抵抗できなかった。
過去、弟と手足を取り戻そうと決心した。それを、エドワードは裏切れない。
たとえ、どんなにロイのことが好きだと訴えたところで、エドワードは旅に出る。
それはすなわち、自分の全てがロイのものではないということだ。
だというのに、どうしてロイを自分が縛れるだろう?
所詮、自分はロイと同じなのだ。

「・・・・・・でも、それでも、・・・オレは」

バカなことだ。ただの我侭。そして、それはロイが一番嫌うもの。
言えない言葉は喉元で行き詰まる。苦しい。息ができない。

「エドワード」

ロイはそんなエドワードを抱き締めた。偽りの優しさ。わかっている。それがどんなに残酷かも。
でも、それでも、少年はロイを欲した。
口になど出せない。出せば終わりだ。それでも無意識がロイを求め続ける。
ああ、とエドワードは吐息を吐いた。
涙が零れる。ロイの指先がそれを掬う。

「・・・・・・なぁ」
「なんだい」

どうしてこんな残酷な男を好きになってしまっただろう。
今は、後悔しきりだ。何故、この偽りの安らぎから逃れられない。
もう、前にも後ろにも進めない。
ただ立ち尽くすばかり。ただ、その場所で沈み込むばかり。

「今夜、あんたの家に泊まらせてよ」

それは、エドワードにとって最後の悪あがき。
自分の愚かさもわかっていた。ロイに切り捨てられるだろうとも思った。
デートの約束があることを知っていながら、あえて誘う自分が、心底情けない。
本当にガキだよなと、エドワードは内心笑いが止まらなかった。
なぁ、嘘でも偽りでもいいんだ。
甘やかせて。せめて、傍にいるときくらい。
ロイはエドワードの頭に手をかけた。
ゆっくりと、髪を梳く。
甘い甘い、ただ溺れさせてくれる優しい空間。
それに溺れるエドワードの耳に、これ以上ないほどの甘い声音が響いた。




「ああ、構わないよ。・・・そうだな、何をして過ごそうか?」




end.




Update:2004/05/07/FRI by BLUE

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