お帰り



エドワードがいつ帰ってくるのか、
ロイ・マスタングが正確にわかるはずもない。
国中世界中を足で旅する彼が、そう簡単に帰ってくるはずもないのだ。
だから、エドワードのいない間は彼がいなかった頃の時に戻る。
その間、ロイは相変わらず噂どおりの女癖とサボり癖を発揮しながら、
有能な補佐ホークアイ中尉の小言を聞いていた。

エドがいない時は、とにかく長い。
あの金髪の感触や、触れた肌の感触まで、消え失せてしまうようだ。
くす、とロイは口元に笑みを浮かべる。
年下の、それも15歳近くも下の少年。
ここまで想ってしまうなどどうかしている。
自分はもっと、もっと、たくさんのことを考えて、たくさんのことをしなければならないというのに。
少年1人でその全てを投げ打ってもいいと思えるような。
そんな感情をロイは間違っているな、とは思ったが、だからといってわざわざ方向性を変えることはしない。
自分の気持ちが第一のこの男は、自らのバカな感情にも笑える余裕があった。

―――これを、愛しているというのかな。

またもや、ロイは唇に笑みを引く。苦笑のような、自嘲のような、そんな複雑な笑みだった。

「・・・笑ってる場合ではありません。せめて今日付けの書類に目を通してから―――・・・」
「ああ、わかったわかった。ちゃんと済ませるから1人にしてくれ」
「却下します。大佐の非常識さは存分に理解しておりますので」
「・・・君ねぇ、それ上官に言う言葉ではないだろう・・・」

つくづく、上司扱いされていないと内心ため息をつく。
けれど、非常識なのはどちらかというとそもそも自分が悪いのであって、
ホークアイはただ任務に忠実なだけなのだ。
仕方ない、とロイは手元の書類に目を通して、承認の印を打った。
そんな仕事が今は目の前に山積みである。デスクワークは嫌いではないが、飽きることもあるのだ。
はぁ。とロイはため息をついた。

「・・・中尉」
「なんでしょう」
「家でやってはいけないだろうか?」
「・・・」
「どうせここでやって今日の夜中に出来上がるのと、明日の朝一番に持ってくるのとは同じじゃないか。
 よし、決めた。これらの書類は明日早朝に提出する。さらばだ!!」
「ちょ、大佐・・・っ!!」

身勝手なことを口にした途端、即座に黒のコートを羽織り、書類片手に颯爽と去る上官を、
ホークアイは慌てて追いかける。
けれど、彼の背から炎が上がり、反射的に顔を覆った時には、もう既にロイはいなくなっていた。
炎を出したくせに、壁やら絨毯やらが燃えても燻ってもいないのはさすが彼というべきか。
ホークアイ中尉は呆れたように肩を落とした。

「よぉ、中尉。大佐は元気か〜?」

ぱん、と肩を叩かれ、ホークアイが振り向くと、そこには相変わらずのテンションの男が立っていた。
マース・ヒューズ。国軍中佐である。
「ええ、もう」
ひどく呆れた声を出す中尉に、あら、とヒューズは部屋を見る。
もぬけの殻になっているそこを確認して、やれやれ、とヒューズは肩を竦めた。

「サボり癖は健在のようだな〜。さすが大佐」
「さすが、じゃありません」

今日付けの書類が・・・と嘆くホークアイに、ヒューズはったくな、と応じる。
それから、ロイの去ったらしい通路を見つめて、ぽつりと呟いた。

「そういやぁ・・・もうすぐだったな・・・」

・・・そうですね、とホークアイも応じる。
彼女は遠い目をしながら、今は見えない上官に向かって告げた。

「だから早く済ませればいいのに・・・バカな人」

・・・上司をバカ呼ばわりする者は、国中どこを探しても、この賢いロイの補佐官リザ・ホークアイだけだった。









一方。
上手い口実を作って司令部を抜け出したロイは、
しかし家に帰るための車も呼ばず、通りを歩いていた。
緋色の夕焼けが挿す、一番1日のなかで美しい時。
ぼんやりと歩きつつ、ロイは空を見上げて呟いた。

「・・・綺麗だな」

雲と空が加減によって紫色にも似た色を放つ。明日も快晴だろう。
だが、ロイの中は快晴とは言い難い暗がりがぽつりと存在していた。
なにかで埋め合わせて置かなければすまないような、そんな空白。
だがその理由が少年のせいだと自覚してからは、ロイはそんな自分すらも愛するようになった。
少年のことを想う自分は悪くない。
あくまで上司であり部下である関係ではあるが、その前に身元引受人でもあるのだ。
エドワード・エルリックという少年の才能を目の当たりにして、自分が推挙する気になったのも、全ては彼自身に惹かれたから。
ただの能力バカではない。それを認めていたから、あの年での試験を許可したのだ。
目をかけてやったのも、そのために後見人になったのも、彼を傍に置き、その成長を見つめていたかったから。
今、どこに羽ばたいていようとも、もしかしたら、彼の帰る場所にでもなりたいと思ったのかもしれない。
そうだ。きっと。自分は。

夕焼けに染まる空が黄金色に輝く様。
美しいと思う。
ロイは目を細めて、それを見つめる。
金。それは彼の髪の色。思わず息を呑んでしまうほどの手ざわりと、艶やかな輝きを纏った。
もう3ヶ月。久しく見ていない。
早く、―――はやく。
彼の顔が見たい。見て、抱き締めて、そして―――・・・

「・・・大佐?」

ずっと空を見上げていたため、気付かなかった。
聞き覚えのある声。いや、多分いつでも待ち続けていた。懐かしい、少年独特の威勢のいい声音。
ロイは少年の姿を目の端に捉えた瞬間、腕を伸ばして彼を引き寄せていた。

「っ大佐・・・っ・・・やめ」
「・・・遅いぞ。鋼の」
「・・・っ仕方ないだろ!今回はちょっと遠いとこまで足伸ばしたんだよ!」

じたばたと腕から逃れようとする少年に、もっと強い力で押さえつけて。
小柄な彼の身体はロイの腕の中にすっぽりとおさまり、エドワードはロイから与えられる体温に頬を染めた。
感じることのない、人肌。
弟も自分の片腕と片足も、無機的な感触しかもたらさないだけに、
エドワードは他人の熱にはひどく敏感だ。
微かに震える彼の身体を認めて、ロイはくすりと笑った。

「鋼の。アルフォンス君は?」
「アルは宿で休んでる。今回、砂の多いトコばっかだったから疲れてるんだ」
「―――そうか。じゃあ、行こうか」

身体を離して、ロイは颯爽と歩き出す。
エドはあわてて彼の背に叫んだ。

「お、おい!どこ行く気だよ?!」
「決まってるじゃないか。私の家に、だよ」

呆然とするエドワードに向かって、にっこりと笑う。
裏で何を考えているのか、とエドワードは顔を顰めた。

「・・・まだ、たくさん仕事が残ってるんだよ。君も手伝ってくれるね?」
「はぁ?!1人でやれよオッサン」
「君がいると、はかどるんだよ」

あいかわらず笑みを崩さないまま、ロイはすっと手を伸ばす。
エドワードはそれに少しだけ頬を染めて、ちっ、と舌打ちをした。
距離のあるロイに追いつくと、伸ばしていた手を強引に掴んで家に引っ張っていく。
エドは唇をへの字に曲げながら、少年に引っ張られていくロイに言った。

「わーったよ。監視役になってやるよ。仕事仕上げるまで寝かせてやらねぇからな!」
「ああ。早く終わらせて、一緒に寝よう」
「ばっ・・・馬鹿!!何考えて・・・」

ふわり、と温かさが身体に沁み込む。
エド、と囁かれ、頭に血が上る。
そんな自分がエドワードは嫌だと思ったが、ロイの熱は少年の深いところに沁み込んだ。

「大佐・・・」
「お帰り、エド。」

落ち着いた声音。少し低めたトーンが、耳に響く。
反則だぜ、とぼそりと呟いて、エドワードはロイの腕に身を委ねた。

帰る場所。それが自分であればいい。
エドの熱を感じながら、ロイもまた幸せなひと時に目を閉じたのだった。







Update:2004/01/18/SUN by BLUE

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