そう、ロイは決めたのだ。
目指すは、大総統の地位。だが、それは目標であって、目的ではない。
かれにとって大総統の地位は野望のスタートライン。スタートラインに立てなければ、野望すら果たせない。
過去、今は亡き友人と交わした約束。
忘れるべくもない。ロイの脳裏にはいつだってあの時のことは焼き付いている。
下で支えてやると言ってくれた彼。そうして、彼が自分と交わした約束は果たせなかった。
だからこそ、自分は果たさなければいけないのだ。
そうして、そのためには、こんなところでぐずぐずなどしてはいられないのだ。
深くため息をついて、解放の余韻から立ち直ったロイは、左手を伸ばしてデスクの上の崩れた書類の山からはみ出した1通の手紙を掴んだ。
見覚えのある署名。一目見ればすぐにわかる。丁寧に書けば決して下手な字ではないのに、自分の見るかれの字はいつも殴り書きで、自分への感情が垣間見れるようだ。ロイは苦笑した。
確認するまでもない、これは旅を続ける国家錬金術師、エドワード・エルリックからのものであった。
消印は西部の中でもまた西のもの。では、東部から出立した少年たちは、では今度は西の端まで足を運んでいるのか。
封を開けてぱらりと捲る。
走り書きのような殴り書きのような記述。
その割に、律儀にどこかしこがどんな風で、どんな状況で・・・と書いてあるそれは、おそらくは面倒見がいい弟に言われてしぶしぶと書いたものだろう。
兄弟のやりとりが目に浮かぶようだ。ロイは笑った。
若い2人はいつだって自分たちを明るくしてくれる。嫌味を言われようが、文句をつけられようが、構わないのだ。
エネルギーをもらっている気がした。諦めることない、強い力だ。それをロイは羨ましいと思う。
もちろん、自分とて夢・・・というか野心を秘めて日々を過ごしているのだ、決して諦めたわけでも挫折したわけでもないのだが、
ああして目的にひた走る彼らを見て、自分もまた、と思うのは事実だった。
嫌々ながらもぴっちりと書かれたそれに目を通して。
とある一部分に、ロイは眉を寄せた。
嫌なことが書かれていた。旅先の、軍部に対する不満についてだ。
少年は上手く身分を明かさぬことでやりすごしたらしいが、見る限り軍との衝突はかなり激しかったという。
悪どい役人が理由ならばエドワードは軍の信頼を落とす輩をだまってはいなかったろう。
だが、どうも今回の西の暴動は違うようだ、とエドワードは語っていた。
その部分だけ真面目な記述。それだけ深刻なものなのだとロイもまた理解する。
重くため息をつくと、ロイは手紙を机に置き、椅子の背にもたれかかった。

「また、か」

手を上げる。いつも発火布を纏う、右手。それを見て、そのまま腕で目を覆う。
右手は、ロイにとって心を憂鬱にさせるものでしかない。出世の道具でありながら、それはいつもロイの心に影を落としていた。
ふたつ名は焔。全てを焼き尽くす炎は、確かにロイの味方だ。
彼の本気の炎から逃れられる者などそうはいない。彼の人間兵器としての実力は、軍の誰もが知るところだ。
だが、だからこそロイにとって負担なのだ。
エドワードのいう西の暴動。
ロイがセントラルに来てからというもの、東西南北問わず自ら前線に立ち、指揮を執る仕事を任されている。
一抹の不安がロイの心を過ぎった。
今まではまだテロリストなどの反軍部組織への制裁に当たるだけだったが、
今回のそれが本格的な衝突に発展しているのなら、罪のない住民たちまで巻き込むことになる・・・。
残酷なことだ、とロイはため息をついた。
だが。
これ以上手を汚したくないのならば、6年前の一部の同僚たちと同じように自分も軍を抜ければよかったのだ。
それでもなお、軍を選んだのは自分。
たとえこれ以上手を汚そうとも、軍で果たすべきことを見い出しているのだから。
右の拳を握り締めて、ロイは唇を噛んだ。













軍にいる、その理由。
ロイの心に強く残るイシュヴァール殲滅戦。
たくさんの国家錬金術師が傷ついた。身も、心もすべてだ。
そして、当然のごとくロイも同じ。
だが、あの戦いから国家錬金術師になりたい者が減る一方で、よりロイは軍にい続けることを望んだ。
大総統の地位につきたいと思ったのもその頃からだ。
誰もが忌み嫌う軍の狗。だが、国家錬金術師よ、大衆のためにあれの原則を無視したその立場を、
ロイは受け入れた。
これからも、自分はこの錬成陣の描かれた手袋を軍のために、国のために使い続けるだろう。
今更、なにを恐れる。

「ロイ・マスタングです」
「入りたまえ」

書類を手に、ロイは大総統の私室へと赴いた。
大総統に書類を届けるくらいならば、部下に命じればいい。
事実、ホークアイは自分が届けますか、と申し出たくらいであったし、確かに自分が直接行くのは不自然だろう。
だが、ロイは命じられたのだ。

『続きは夜に』

あの時言われたその一言が、自分を束縛する鎖になる。
きちんと召集を受けたわけでもない。彼の、暗に告げられた言葉を無視することはいつでもできる。
だが、ロイにはその勇気はない。
軍の狗であるという立場を、屈辱と共に味合わされるそれは、
確かにロイにとっては残酷だったが、所詮事実なのだ。
自分がいかなければその後どうなるかなど、ロイは想像したくもなかった。
ブラッドレイは常に彼の弱みを握り続ける。

「ずいぶん遅かったようだな?」
「は、申し訳ございません」

丁寧に頭を下げる。隙を見せるわけにはいかなかった。忠誠心が少しでも乱れれば、そこを突かれ、苦渋を嘗めさせられる。
手渡すと、ふむ、と頷いたブラッドレイはロイの報告書をぱらりと捲り、それを目で追った。

「北の麓の町はどうかね?」
「今のところ争いは落ち着いたようですが、引き続き監視が必要でしょう。ですが、それは北の者に任せればよいかと」
「ふむ。君がそう言うなら派遣は一先ず引き上げよう。他の場所もいろいろとバタバタしているしな」

他の場所。聞いてロイは内心びくりとする。
新たな派遣任務が下されることはロイにとってひとつの恐怖にもなっていた。
出世のための功績があがるとはいえ、自分が前線で指揮を執るほど残酷なものはない。
ただ、それをそうと見せるわけにもいかない。
ロイは大総統を見た。幸い、書類に目を落としたままだ。
ロイは頭を下げた。

「では、私はこれで」

何も言わないブラッドレイの前で立ち尽くすなど、彼の次の行動を待っているような女々しい真似はしたくない。
このまま去れるのなら。無駄だとわかっていたがロイは期待せずにはいられない。
何も言わない大総統に、ロイは身を翻した。
広い室内だが、数歩も歩けばドアにつく。そして、そのまま去ればいいのだ。
ロイは靴を鳴らした。それでもブラッドレイは何も言わずに、書類に目を落としたまま。
やがてドアは目の前。取っ手に手をかける。
ぐっと力を入れれば、そのままドアを開けて退出すればいい。ロイは息を呑んだ。

「何故逃げる?」

手が止まった。
背にかけられた声は、何の感情も帯びていない。
怒りも、悲しみも、喜びも、なにもかも。
静かだった。ただ、それだけ。
だが、ロイの動きを止めるには十分だった。

「逃げてなど・・・・・」

心臓が早鐘のように鳴る。
ロイが振り向けば、ブラッドレイは書類を机に置き、そのまま立ち上がった。
カツ、カツと歩み寄るかれに、ロイは動けない。
見据えられ、それ以上目を逸らせる立場に、ロイはなかった。

「・・・っ」

顎を押さえられ、そのままぐいと顔を上げさせられる。
ロイも身長は高いほうだが、彼の背には敵わない。

「私が怖いのかね?」
「そ、んなことは・・・っ」

より一層高く上げられ、そのまま唇を重ねられれば、ロイは受け入れるしかない。
瞳を閉じれば、ぐいと腰を腕で支えられ、彼に引き寄せられた。
ロイはだらりと落とした拳を握り締め、そこだけで抵抗を示す。抵抗できるはずもなかったが、だからといってしないわけにもいかなかった。

「う・・・ふぅ・・・んっ・・・閣下・・・」
「約束だよ、マスタング大佐。さぁ、昼間の続きをしようではないか」

ぐっと力が込められ、そのまま引きずられるようにして奥の寝室へと連れて行かれる。
仮眠用のベッドではあるのだが、大総統のそれともなると、下手な宿よりも高級感が漂う。
優にダブルくらいの大きさはあるであろうそれにどさりと落とされ、すぐさま乗り上げてくるブラッドレイにロイは息を呑んだ。
いや、本当はこんなこと、いつものことだ。
彼に組み敷かれた自分は、常に従順でなければならないことをロイは知っている。
彼の機嫌を損ねるわけにはいかないのだから。
けれど、抵抗しないかわりに、自分から誘いをかけることはできなかった。
全てを割り切って、野心のためには足を開くのも厭わない人間にはロイはなれなかった。だからこそ、ブラッドレイがこれほど怖いのだ。
彼の思うとおりに生きて、彼のためならば死すら喜んで受け入れる態度を、彼の目の前で取れれば。
何も、問題はないはずなのに。
なぜそれが自分にはできない。
ブラッドレイを利用し、貶めるくらいの気でいていいはずなのに。

「っあ・・・閣下・・・っ」

だが、ロイは知っていた。
キング・ブラッドレイ。彼との関係は、ただ軍の上下関係だけでは語れない。
もっと、自分が幼かったころ。戦乱の時代、ロイは殺される運命をかれの手で助けられた。
優しかったのだ、かれは。軍に入ったのはなんのこともない、ブラッドレイの役に立ちたいから。
そして、国家錬金術師を目指したのも、彼の手足となるためだ。
だが、かれは変わってしまった。
あのイシュヴァール戦。当時のロイはまだ軍に入って間もない頃で、
そして大総統ブラッドレイに全幅の信頼を寄せていた。
ロイの脳裏には、自分の前で見せるかれの優しさしか映っていない。暴動が起きて、内乱に発展して、それでもあんなことになるとは思わなかった。
だが結果は、国家錬金術師を派遣しての殲滅戦。
7年続いた戦いの最後の1年はそれであっけなく終わってしまった。
派遣命令の下ったロイは、ブラッドレイに真意を問い質す。
そうして―――・・・
結局ブラッドレイの命にその右手は従い、そして反抗の代償に東に左遷された。
そうして、それから自分たちの関係も変わってしまったのだ。

「ロイ・マスタング・・・私は君をよく知っているはずだが?」

だからどうして全てを委ねない、と。ブラッドレイの暗に含んだ言葉にロイは浮かされた表情で首を横に振る。
自分の心は激しくブラッドレイを拒む。それは、過去に知った痛みのせいだ。
ブラッドレイの豹変した態度が信じられなくて、それでも信じ込むことしかできなくて、
それから彼のこうした行為の冷たさに胸を痛めて。
いっそ、捨てられるのならそのまま構わないでくれればよかったのに。
冷たい行為を強要されるくらいなら、といつもロイはそう思う。
だが、その願いを形にできるはずもなく、過去の甘い面影と共にロイはブラッドレイを受け入れる。
手に当たるシーツを噛むのもいつものことだった。
優しいかれは、どこかへいってしまった。
自分の好きだったブラットレイは、もういなくなってしまったのだ。
一瞬、褪めた感覚が全身を襲った。

「・・・っ」

あわてて、意識を戻す。
知られてはならない。こんな感情。
ロイは今でもブラッドレイの下で狗であらなければならなかった。
それが例え、過去と同じ関係を紡げなくなってしまったとしても。
割り切るしかない、とロイはどこか遠くで思っていた。

「・・・マスタング。君は変わってしまったな」

ブラッドレイがひどく残念そうな声音で呟いた。
それは貴方のほうだ、ロイはいつだってそう思う。
熱に浮かされたままブラッドレイのほうを見やる。変わらない、精悍な顔つき。その身体。憧れだった少年時代。
あの甘いときはもう2度と来ないのだ。わかっている。なのに。
どうして今だに胸が痛む?
離れて6年。いい加減酔いは冷めてもいい頃だ。
ロイは瞳を閉じた。

「・・・っ」

不意に涙が零れ、慌てて顔を背ける。
濡れていくシーツは留まる事を知らず、そしてブラッドレイはそれに関してだけは何も言わなかった。







to be continued...






Update:2004/04/13/TUE by BLUE

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