「大佐、マルコーって名前聞いたことあるか?」
――唐突に鋼のにそう問われ、内心驚いたが何事も無かったように、
「…覚えは無いな。だが、調べておこう。」
そう答えておいた。『紅い水』のことで問題のあった街にその人物は現れたという。知らないと言った自分の言葉に納得していないようだったが、彼はそれ以上追及してこなかった。突然現れた大総統一行のことがあったからでもあるが。
 御一行が部屋からいなくなったところで、先程のことを思い出してロイは一人苦笑を浮かべた。
「ドクター・マルコー、か…。その名を聞いたのは何年振りだろうかなぁ。」
あの内乱の後、なるべく考えないようにしていたことだったから。

――このまま、黙って見逃してくれないか――

 あの時ほど、自分が軍人であることを悔やんだことなどなかった。それまでは、軍人としての自分に何の疑問も無かった。人を殺めることさえ厭わなかった。自分は軍人なのだから、そう思っていた。それなのに。


『どういうことです、私たちが何をしたと…。』
『ここがイシュヴァールの残党の連絡所になっていたのは分かっておる!お前たちが手を貸していたのだろう!?』
『そんな、私たちはただ…!』
『言い訳など無駄だ、やれ、マスタング少佐!』
『ぐあぁ!……ウィ…ンリ…。』
壊れた写真立てに必死に手を伸ばし、呟いた男性はまもなく息を引き取った。もう一人の女性は即死だったようで、ぴくりとも動かなかった。
『あ…あぁ…。』
――銃を握った両手の震えが止まらなかった。武器も持たない人間を殺してしまった。しかもおそらく、死ぬ必要の無かった人たちを。彼らの噂は知っている。敵味方関係なく治療を行っているらしいということだった。それがグラン准将の耳に入り、准将は『反逆』と判断したのだ。
 とそこへ銃声を聞きつけたらしく、慌てた様子で扉を開けた男性がいた。
 それは、ドクター・マルコーだった。
『な…、これは一体、どういう事です!』
『ここはイシュヴァールの残党の連絡所になっていた。医者もグルだ。』
『そんな!彼らはただ、一人でも多くの命を救おうとしただけで…。』
『その救われた命が、私の部下を殺すのだ。』
『…!』
――グラン准将の言うことももっともだろう。だが…私のした事は本当に正しかったのだろうか?その疑問が頭を覆い尽くして離れなかった。
 夜になってもその疑問は晴れることは無く、気が付いたらあの診療所に立ちつくしていた。床一面に広がった血の跡があまりにも生々しくて…まるで自分を責めているかのように思えて。そして、ふと目に付いたものにロイはびくりと体を強張らせた。床に落ちた、割れた写真立て。血に濡れた写真の中であどけなく笑う少女。…確か、彼らには娘がいたはず…。
 そう考えた瞬間、強烈な罪悪感が心を支配した。そして、とっさに腰の銃を引き抜き、自分の喉元に突きつけていた。私のした事は…間違っていたのだ、と。だがその時、扉が開き制止の声が聞こえて、かろうじてロイは手を止めた。
『やめなさい!…君は悪くない。君は命令に従っただけだ。』
ドクター・マルコーの声に、力なく手を下ろし絶望の浮かんだ目を向ける。
『…私は…どうすれば…。』 すると、かすかに笑みを浮かべ、マルコーは静かに言った。
『このまま、黙って見逃してくれないか。』
 それ以来、マルコーは行方をくらました。だが、本当は居場所を知っている。小さな村で、医者をしているらしいと聞いたときは、無事でよかったと、胸をなでおろした。


 鋼のが今年の査定に「戦闘査定」とやらを希望していると聞いた時は、何を考えているのやら、と思ったが、大総統に呼ばれて戦えと言われた時は正直困惑した。あんな子供を相手に戦えと言われても…と。当の本人にそんなことをいったらまた怒り出すだろうが。
 まあ、いい。
「好きなようにさせておくさ。私が大総統の地位について軍事の全権を手にするまではね。」

 そう、私は決めたのだ。己の望みを叶えるまでは、何だってしてみせると。あんな思いは二度と御免だと。そして最近気付いたことがあった。
 あの少年には、こんな苦しみを味あわせてはならない。そう考える自分がいることに。
「…他人の心配をするなんてガラにも無いのだがな。」
「?何かおっしゃいましたか、大佐。」
「いや、何でもない。」
不思議そうに首をかしげる部下に笑みを浮かべ、査定の準備をするべくロイは歩き出した。

『焔』のごとき決意をその微笑の下に隠したまま。

――END





Update:2004/02/18/WED by SNOW

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