冷えた指先



「・・・あーあ」

コートを脱いで、手袋を脱ぎかけて。
表れる鋼の手を見ながら、エドワードはため息をついた。
比較するのは、やはり生身の左手。指を同じように動かす。やはり違う。同じ動きをしていても、何かが。
来ている上着を脱いで、ベッドに放り投げて。
めんどくさ、と呟きながら部屋に備え付けのシャワー室に足を踏み入れ、
エドワードは今日の疲れを癒すように熱い水を浴びた。

「・・・ったく」

頭から湯を浴びながら、少年は悪態をつく。この部屋の主に対してだ。
エドワードは部屋に誘われてここに来る羽目になったのだが、肝心の主は今はいない。
急用が入ったというだけで部屋を飛び出したらしいその男は、
本来ならば仕事より女性とのデートを優先する大変な不真面目軍人と近しい部下達には思われている。
だというのに、今自分を部屋に呼んでおきながら急用で自分を部屋に放置する彼は、
つまり自分は男にとって付き合う対象と見られていないということか。
まぁ、いい。
自分も、好きでこうしているわけではない。
嫌か―――と問われればストレートに嫌とは言えない自分がいたが、
好きかと問われれば素直に頷ける関係でもなかった。
じゃあ、どうして自分がこの男といるかといえば、その大半がぐだらない貸し借りの取引だったりする。
初めての行為が何の理由だったかなんてもう忘れた。
ただ、その時貸しを返してもらおうと言われ、強引に唇を奪われた記憶は今でも残っている。
セックスなどそれまで考えたこともなかったような少年が、抵抗もなく他人に身体を開けるわけもなかったが、
いざ慣れてしまえば一晩の売りで貸しを返せるなどラクなもので、
それから次第に何の理由もなく身体を要求されるようになってもさほど気にならなくなっていた。
正直、この年でそんなことを思うこと自体異常かもしれない。
だけど、今更普通の少年らしく生きてみたってそれこそ異常。
ま、いいんじゃないの、とエドワードは熱いシャワーに打たれながらぼんやりと考えていた。
弟のアルフォンスはというと、兄のそんな事情をわかっていないとは思うのだが、
時折ぼやく「どーせ俺は」という発言をいつも諫めている。
けれど、事実目的以外はどうでもよくて、他は流されていくような人生を送っている。
まぁ、なるようになるさ、というのがエドワードの口癖だった。
目的―――。人のモノではない、鋼の腕をエドワードは見やる。
かれにとって、この冷たい機械鎧は罪の証だ。本当は、他も何もみずに目的のために突っ走らなくてはならない。これを見るたびにエドワードは焦燥感に駆られる。
けれど、そう簡単には達成できるはずもない目的。長丁場でいかなければならないことぐらいわかっている。
わかっているからこそ、無理にでも自分のなかの焦燥を忘れなくてはならなかった。
そして、それにはこんな荒れた行為が一番だった。
我ながら、馬鹿だとは思うけれど。
その時、がらり、と引き戸の開く音が聞こえて、エドワードははっと身を固まらせた。

「入ってたのか」
「あー、勝手に借りたぜ」

丁度、シャワーの湯を弱くして、身体を洗っていたところだった。
エドワードは極力動揺しないように声を出す。
部屋の主が帰ってきたのはわかったが、風呂にまで顔を出されるとは思っていなかった。
いや、その考えこそが甘いというべきか。
ああ、構わないよ、と言ってそのまま脱衣所をでてくれるはずの男は、しかし何やらごそごそと服を脱ぐような音さえさせていた。
さあっと血の気が引く。
冗談じゃない。狭い風呂場の中に男2人なんてごめんだ。エドワードは無意識のうちにシャワーヘッドを手に持つ。
丁度洗い終わったのをいいことに、湯の勢いを上げ、男の侵入を待った。
・・・いや、本当は待っているわけではなかったが。

「・・・来るなよ?」
「私だって早く入りたいんだ」
「だからってフツー人がいるところに入ってくるかよ?!」

呆れてものも言えない。
ロイはふっと笑うと、ガラス戸に手をかける。
エドワードは慌てて取っ手を押さえたが、ロイは強引に入ることはしなかった。

「・・・いんだ」
「ああ?」

きこえねーよ、と言いかけて、自分があげていた水流音のせいだと思い直し、声が聞こえるまではとりあえず下げてやる。
そのまま耳を澄ますと、ロイはまたくすりと笑った。

「外は雨だろう?」
「・・・ああ」
「風邪を引く前に、温まりたいからね」
「・・・・・・」

今の時期、雨は冷たい。
身体の全ての体温を奪っていくのではというほど、寒さを呼び起こす。
そんな雨にあたってきたロイが、早く熱いシャワーを浴びたいのは当然だろう。
身体を濡らしたままでは、彼の言う通り風邪をひくからだ。
結局、冷え切った体のままの彼を放置しておくこともできずに、エドワードは扉を開けた。
もちろん、内部は湯気で満たして、身体を見られないようにすることも怠らなかった。
今更、とは思うがどうしても開き直れないエドワードである。

「開けてくれたね」
「・・・まー、風邪引かれても困るしよ。」

そう言って視線を背けるエドワードの顔は微かに赤みを増している。ロイはすかさず彼の身体を抱き締めた。

「なっ・・・やめろって!」
「好きな人が目の前にいるんだ。男として当然の行為だと思うが?」
「・・・へいへい」

どうせ唯一無二の『好きな人』でもないくせに、ロイはいつもそういう。
おそらく、その瞬間の目の前の人物には誰にだってそう言うのだろう。
だが、まぁそれについてどうこう言うつもりはない。
彼の生き方だ。口を挟むわけにもいかなかった。
ただ嫌味な一言忘れない。

「そんなことばっか言ってっから、敵が増えるんだって」
「おや?私は付き合った女性に敵意を抱かれたことは一度もないはずだったがね」

だからといって、所詮9年の経験差があるロイの上を行けるはずもなく、大人の余裕で交わされる。
抱き締められたまま、手に握っていたシャワーヘッドを取り上げられ、片方の手では肌を撫でられ。
エドワードは慌てて身を引いた。

「な、何すんだよっ」
「洗ってあげようかと」
「も、いい!洗った!洗い終わった!!」
「大人の言うことは素直に聞くものだよ」

くすりと笑って、好き勝手に身体をまさぐられ、エドワードははぁ、とため息をつく。
この男と関係を続けて早2年。勝手な行動にはついていけない。
すっと唇を寄せられて、エドワードは仕方なく腰を屈めてキスをしてくるロイに合わせるように舌を絡ませた。

「っ、う―――んんっ・・・」

甘い、甘い行為。心なしか身体が震える。
それは、予感。エドワードは認めたくなかっただろうが、明らかにロイとのこれからを期待しての身体の反応に、それを見るロイは笑った。
真っ直ぐに自分を見れないエドワードを、ロイは顎を掴んでこちらに向ける。
顔を覗き込むと、少年は更に頬を染めた。

「・・・鋼の。」
「・・・なんだよ」

キツい視線で睨まれるのにも、もう慣れた。
いまはただ、少年の少年らしいそんな態度が可愛いと思う。
ロイはエドワードの左手を取ると、ぎゅっと握った。
生身の手。先ほどまで外にいたのだから、ロイほどではないとはいえエドワードもまだ温まり切っていない。
それに、なおさら。
片腕と片足は、温まるわけもない。
少しだけ、胸が痛む。
ロイは自分もまだ冷たい指先を、エドワードのそれに絡めて、握った。

「君も、まだ冷えてるな。湯を張ろうか」
「嫌だぜ、俺はあんたとなんか入るの」
「何故?」

顔を覗き込んで理由を聞いてくる男を、エドワードは面と向かって見れない。
何故?当然だろ?!男同士で風呂に?!馬鹿げてるだろ!
けれど、それこそ何故かわからないが、今のエドワードにそれを叫べなかった。
つんとした表情で再度顔を背けると、エドワードはぼそりと呟いた。

「男2人で入ったら、湯が零れるだろ」

言ってしまってから、十分馬鹿げた理由を吐いてしまったと後悔する。だが、もう今更。ロイはくっくっと笑っている。
もうどうにでもなれ、という気分になった時、ロイは蛇口を捻った。
シャワーは止まる。湯気の充満した室内、エドワードはタイルの壁に押し付けられる。

「・・・っ大佐」
「貯まるまで、しようか」
「はぁっ?!バカっ・・・っう―――・・・」

バカやろー、と言おうとした反抗的な唇は最後まで聞かずに塞いで。
今度こそ、エドワードの深い深い場所を貪る。
逃れようと腕を突っ張る少年を強く抱き締めて、抵抗を抑え込み、そのまま白い肌に口付けた。

「エド・・・」

絡む指先。重なる胸は熱い湯のせいで熱を帯びていても、まだそれは冷たい。
両手を絡めて。タイルに押し付ける。
エドワードは感覚のない右腕を意識して、唇を噛んだ。
こんなに冷たくて。
胸が痛い。
やっぱり、機械鎧は嫌だ、と思った。
それが、自らのせいで失った生身の腕であるからなおさら。
取り戻したかった。
いつかは、両腕、熱を帯びた手でロイの手を握り返せるように。









やがて、湯が張られ、2人で湯船の中に腰を下ろした。
もちろん、いくら広くても男2人では狭い。2人して笑う。
これなら少しは広くなる、とロイに引かれて背から抱かれ、その体制で湯に浸かった後。
ふと触れた機械鎧は、長く浸かった湯の熱さを吸収したのか熱を放っていた。
人間のものではない。すぐに冷えてしまうものだけれど。
珍しく熱を放つそれに、エドワードは頬を押し当てた。


時がたち、また冷徹な光を放つまで。




end.




Update:2005/04/06/TUE by BLUE

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