Blue Happiness



その日は偶然にも休暇中で、アヤは一人車を走らせていた。
夜には仲間達に誘いを受けていた。けれど、アヤは行く気など毛頭なかった。
自分が祝われる中心にあるなんて、想像もできなくて。
怖かった、のかもしれないと、アヤは苦笑した。
そもそも、自分が生まれてきたこと自体罪だと思う人間が、生まれた日を祝えるわけもない。
1年の中で、一番憂鬱なこの日。
誰とも会いたくなかった。
アヤはアクセルを強く踏み込むと、まだ梅雨の明けていない、けれど珍しく晴れた青空の下、軽快に車を走らせた。
本当は、目的地なんてなかったはずなのだけれど、
気付けば目指していたのは自分のよく知っているあの場所。
どうせ今日が過ぎれば帰ってくるのだ。
今は一人でいたいだけだ、とアヤは緊急連絡用の携帯の電源を消した。
これでもう、今日は静寂の中。
うんともすんとも言わなくなったそれを後部座席に放り出すと、それからアヤは窓の外を見やった。
見えてきた鮮やかな海は、日の光を浴びてきらめいている。
7月初めだというのにもう子供たちが砂浜に出ていて、
それを見たアヤはこの辺でいいか、と車を止めた。
砂浜を靴で歩くのは大変だとわかっていたから、
ズボンの裾を捲り上げて、裸足になる。
遠くではしゃぐ子供達に微笑して、アヤは波打ち際までゆっくりと歩んだ。
多少波は出ているが、それでも静かといえる海は、関東では珍しく真っ青に澄んでいる。
初めて来た時は、対馬の海と錯覚するくらい。
『だから、好きなんだ』
記憶にある男の声が、耳をかすめる。
昔男が、年がいもなく瞳を輝かせて言っていたのを思いだして、アヤはくすりと笑った。
(ああ・・・そうだな、優士)
あの時は素直になれないまま、反発ばかりしていたけれど。
でもそれでも、心では、気付いていた。
優士と同じ感想を持つ自分自身に。

「変わらないな・・・」

変わらない美しさを保つ、その海岸。
優士と、皆と来た時から1年以上経ってしまった。
それでも、今も変わらない輝きを放つ波。
自分とは大違いだ、とアヤは自嘲気味に笑った。
確か、あれはやっとクラッシャーズと・・・というかナイトと打ちとけた頃だった気がする。
とはいえ、いつも口喧嘩が絶えないのは変わりが無かったが、
ちょうどミッションで近くに来て、そのまま寄り道していったのだった。
もっと涼しい時期だったが、その時の記憶は今でも鮮やかにアヤの中に残っていた。
バカなことだと思う。
クラッシャーズでは自分の目的が果たせないことがわかっていたから、早々にそこを抜けた。
けれど、どんなに今の仲間達が大切だと思えても、ヴァイスが自分の安らぎの場だとは思えないのだ。
自分が安らげる場所。それを考えれば、必ずナイトと、クラッシャーズの皆を思いだしてしまう。
居心地が良すぎたのだ、あの場所は。

「んあああっ!!・・・アホらし。」

喧騒から離れた所であるのをいいことに、服が汚れるのも構わずアヤは砂浜に大の字に寝転がった。
口調も、心も、全て蘭の頃のままに。
生まれた日は、誰もが子供に戻りたいものだから。
だから、今日くらい、ヴァイスのメンツとは一緒にいたくなかった。
彼らに、『藤宮 蘭』を見せるわけにはいかなかったから。

「・・・・・・まぶし」

空からさんさんと降り注ぐ太陽の光。
まぶしそうにアヤは瞳の前に手をかざした。
傍若無人で、つっけどんで、喧嘩っ早くて、蓮っ葉な口を聞いてばかりだった藤宮 蘭。
今そんな自分を見せられるとしたら、クラッシャーズの彼ら以外にはいないだろう。
『復讐』の2文字に手を染めた自分の、最後の子供らしい姿。
今思えば懐かしいと思えるが、クラッシャーズの彼らにしてみれば、それが『自分』なのだ。
彼らの前には2度と姿を見せないと誓ったアヤは、自分の子供らしさもそこに一緒に置いてきたから。
彼らの前ではいつもあのままで。
彼らの記憶の中で、いつまでも自分が輝いているならば、それでいいと思った。
輝いている―甚だうぬぼれとしか思えない言い方だけど。

「・・・会いたい、な」

言ってしまってから、ちっと舌打ちする。
どんな大人だって、子供に戻りたい時もあるだろう。
けれどアヤは、それを己で戒めた。
自分で手を血に染めておいて、たまには子供のように今と比べれば純粋無垢だったころに戻りたい、なんて虫が良すぎる。
たまには罪の重さを忘れてみたい、なんて自分の弱さに反吐がでるくらい。
だから、会えなかった。会いたくなかった。
あの頃の自分を知る彼らの前に行けば、必ず自分はあの頃のように笑ってしまうから。
幸せを噛み締めてしまうから、とアヤは軽い自嘲の笑みを浮かべた。
だから、せめてこの場所へ来て。
蘭だった頃の自分と今の自分の胸に封じ込めた『藤宮 蘭』を重ねて。
一人で夢を見るくらい、構わないだろ?
自分の心を裏切っていることは、重々承知していたけれど。
アヤは瞳を閉じると、両手を広げて全身の力を抜いた。
吹きぬける、気持ちのいい風。
気温は高かったが、適度の風のおかげで居心地は最高だ。
波の音に導かれて、なんだか眠くなってくる。
このまま眠ってしまったら、満ち潮でじきに濡れちまうな・・・などと考えながら、それでもアヤは動く気にはなれなかった。
自分が存在していること自体が、罪。
そんな自分が、一時でも安らぐ場所があるなど、間違っているとは思うけれど。
こんな日くらい、自分のために生きてみたっていいんじゃない?と思うのは、自分の中の『蘭』としての感情。
幸せになろうなんて思ってない。
わざわざ罪を浄化しようなんて、思わない。
だけど、世の中には善悪問わず幸せを与えてくださるものだってあるんだ。
それを、優士たちには教えてもらった。
波打ち際。潮騒の音。遠くではしゃぐ微かな声。まぶしい日差し。そして気持ちのいい風。
生まれてきてよかったと思う。
たくさん、悪いこともあったけど。





「・・・・・・優士」

ふと、アヤは呟いた。
離れてしまってから、名前を呼ぶことさえ戒めていた男の名を、アヤは口にしていた。
復讐しかなかった自分の人生に、たった1つの彩りを与えてくれた、ひと。
闇の世界に属しているくせに、いつでも高みにあって手の届かない人。
そして、自分に、幸せと、それがもたらす心の痛みを教えてくれたひと。
彼の腕を知ったからこそ、自分はクラッシャーズにいられなかったのだと、彼は気付いているだろうか?
あの場所にいると、自分の使命を忘れ、ただただ自分の幸せだけを追い求めたくなる。そんな自分が怖かったから。
背を、向けた。
何も言わずに見つめていた視線が、痛かったけど。
大切な、大切な、・・・想い出。
(・・・・・・会いたい)
今日、この日ぐらいは。
あまりにバカなことを考えて、思わず吹きだしてしまう。
そもそも、誰にも会いたくなくてここに来たとばかり思っていた自分が。
今更ながら、ヴァイスの皆と会いたくなかっただけなのだ、と苦笑してしまう。
自分の中の戒めが、どんどん緩くなって。
『アヤ』が、薄れていっている気がした。
もう、自分は蘭に返っている。
我侭で、すぐに反抗してしまう大人気ない自分。
ほんとにバカだ、って思っても、もう後の祭りで。
会いたいのに会えない、そう思ったら、なんだか涙が溢れてきた。
ああ、バカみてぇ。
泣いて、そしてどうなるわけでもないのに。
それなのに、アヤは手のひらで顔を隠すと、とめどなく流れる涙を止める術もないまま鳴咽を上げていた。
真っ青な空の下。
静かな嗚咽だけが空気を彩る。
さんさんと照らす太陽の光がふっと翳ったのも気づかず、そのまま泣いて、泣いて。
一頻り泣いてしまうと、また自分がバカらしくなった。

「ち、くしょ・・・・・・。」

今いない人間への愚痴。文句。自分への言い訳。
クラッシャーズを抜けたとき、引き止めてくれなかった腕のせいだとアヤは弁解した。
少しくらいは、引き止めてくれるんじゃないか、なんて甘いこと考えてたから。
そうして、いつものように反発して、喧嘩して、それからだったら少しは優士への想いも断ち切れたのに。
・・・こんな、引き摺らないですんだのに。

「・・・バカ・・・・・・」

太陽の光を遮っていた影が、ふわりと動いた。
瞳を隠していた手を、その上からまた包み込まれる。
その、慣れた大きな手で。

「・・・・・・!」

アヤは、びくりと身を震わせ、しかしそれ以上の反応を返せなかった。

「・・・蘭・・・・・・」

これまた聞き慣れた声。いや、あまりに久しぶりで、それでいていつも自分の心では聞こえていた声音。
誰の声だ、なんて考えなくてもわかる。
いつもそこにあって、いつもそこにない存在のものだから。
苦笑をにじませるその声は、覚えているより少し低く、心地よかった。
自分の手を濡らす涙が、また溢れ出す様を。
じっと見つめられて。
それから、ゆっくりと気配が動いた。

「探した・・・・・・」

来てくれたんだ、なんて、喜んでみたり。
自分が呼んだわけでもないのに、けれどただの偶然だなんて考えたくない。
自分が彼に会いたいと思ったように、彼も会いたいと思ってくれたのだと。
だから、探してくれたのだと、アヤは思いたがった。
どんなに押さえつけても、会えて嬉しい気持ちは真実でしかなかったから。
重ねた手のひらにぶつからないように、普段より少しだけ角度をつけて。
唇が重ねられた。甘くて、柔らかくて、彼の優しさそのままを具現したような唇。
胸が、痛い。
そう、少しだけ。
ヴァイスのみんなへの罪悪感、変わらず優しさを与えてくれる彼への罪悪感。
どうしてこんなに自分は微妙な存在なのだろう。
愛されたくて、愛されたくない。
それなのに。
何も言わなくても、彼は愛してくれるから。だからここにいてはいけなかったのに。

「・・・っ」

唇が離れる瞬間、思わず声が洩れた。
それは、嗚咽なのか、それとも、それ以上の行為を求める声音なのか。
もう、どうでもいいことだった。
ただ今は、どうしていいのか、このまま手を離して泣き腫らした目を見せなくてはならないのか、それともこのまま拗ねた様に彼を無視すべきなのか、
それだけで思考がぐるぐると回っていて。
肝心の彼は、固まったままのアヤに向けてくすり、と笑うと、
アヤの背を起こさせ、そのまま胸の中に抱き込んだ。
こちらも、いつもの仕事着の白いコートではなく、時季相応のまっさらなシャツ1枚。
未だに手を目元にやっていたアヤは、いい加減つらくなっていたこともあって胸元に顔を埋めた。
泣いてはいないけれど、でも。
腫れ上がった目なんて、見せたくないから。
弱みなんて、見せたくないから。
けれど、そう思っていても、どうせ彼の前では弱い子供っぷりを曝け出すであろう自分がなんだかおかしかった。

「・・・どこか、行くか・・・?」
「別に、いい」

いつもの滑らかさが声にない。でも、今更どうしようもなくて。
それを少しでも隠そうと突っかかるように声を出すアヤに、彼は苦笑してくれていた。

「今日は、お前の記念日だろう?こういう時くらい、我侭でいていいんだぜ・・・」

7月4日。『藤宮 蘭』の誕生日。
覚えていてくれたのだ、と今更ながら思う。
腕に抱き込まれながら、アヤは肩を震わせた。
我侭でいられることが、どれほど救いだったか。
彼の前では子供に戻れることが、一人になってもどんなに自分を支えていてくれたか。
わかっていないんだろうに、それでも彼は自分の望む言葉をくれる。
甘くてしょうがない、彼の腕の中。
なぁ、やっぱり、引き止めて欲しかったよ。
アヤははぁ、とため息をついた。

「どこにも行かなくていい」

きゅっ、と彼の背を抱きしめる。広い背中。男らしくて、思わず頼りたくなるその背に、アヤは縋った。

どこにも行かないで。
傍に、いて。
今日くらい。

そんなことを考えるなんて、自分もどうかしている。
そもそも、離れたのは自分だというのに。
でも・・・、いい、って言ってくれたんだよな?優士。
罪深い我侭。幸せを求めてはいけない男が、安らぎを求めるなんて。
それでも、優士が許してくれるなら。
そして、この自分の『記念日』が許してくれるなら。
我侭でいてもいいのかな、とちょっと思えた。

・・・ごめん。
家でパーティの用意をしてくれてるみんなには謝るよ。
でも、今日くらい、『蘭』でいたいから。




潮騒の音が、耳に痛いほど。
優士は無言で、そんな自分の砂にまみれた髪をゆっくりと撫でてくれていた。







end.




Update:2002/07/04/FRI by BLUE

ジャンルリスト

PAGE TOP