欲。



「シトぉ」

来た。
やはり来た。
床に入る間際、いつも通り気に入りのマスコットを愛でていたシトは、
予測していた人物の来訪に
そそくさと手の中のそれを定位置に戻した。
一応、扉の鍵はかけている。
とはいえ、このボロ寮のボロ部屋のカギなどクソの役にも立たないのが実際で、
強引に蹴り破られれば意味がない。
とりあえず、シトは面倒臭そうに頭を掻き揚げた後、
ごろりとベッドに横になった。
寝たふりを決め込むのが得策だと思ったからである。

「寝てんのかコラァ。開けてくんねーと、扉ブチ破るぞぉー」

どこか締まりのない語尾は、
また大量にファンタンでも飲んだのか。
確かに、今日は1日、チカの様子がおかしかった。
どうやら周期的に訪れるらしい"ソレ"のせいで、
シトは幾度となく被害を被っていたから、
今回は早々に部屋に引きこもって、そのままやり過ごせれば、と思っていたのだが、
どうやらそうもいかない空気に、
シトはどうしたものか、と頭を抱えた。

「おーーーい、シトぉーーー」

ガンガン、と扉を叩く音。
うるさい、死ね。
そう思っても、直接叫ぶわけにもいかない。
起きてるとわかれば、更に被害が増大するだろうから。

「開けてくれないと、喰っちまうぞぉーーー」
「ばっ・・・」

あの馬鹿、自分で何を口走っているのかわかっているのか。
ましてや、ここは寮。すぐ近くに、みちるや、コヨミが寝ている部屋があるのだ。
騒げばすぐにバレてしまう。
果たしてこのまま放置していていいものか、
シトが悩み始めたとき、

「っこのクソシト!!開けねーと、マジで犯し殺・・・」
「―――っ貴様のほうこそ死ね!!下衆め!!」

シトの投げた枕が扉に当たり、派手な音を立てた。
と同時に、チカがカギの辺りを蹴りつける。
無情なことに、錆びついたカギはあっけなく外れ、扉は開かれてしまった。

「・・・・・・」
「おーシト、やっぱ起きてんじゃねーか。無視すんなっての」
「貴様の馬鹿でかい声のせいだっ!うざい、カエレ!」
「ぐはっ」

この際致し方あるまい、と手近にあった小物を投げつけると、
見事にチカの額あたりに命中した。
ざまーみろ、と鼻で笑ってやれば、しかしチカのほうもまったく懲りていないような顔で
にっ、と笑ってくる。

「・・・へっへ。シトちゃん、照れるなよ」
「誰がだ、誰が」

つかつかと歩み寄り、容赦なくコメカミを拳で痛めつけてやる。
いてーな、このっ・・・とかなんとか、文句を垂れる声が聞こえるが、
相手はひ弱な人間でもない。
少しくらい、灸を据えてやってもいいだろう。
と、シトは思ったのだが、

「って・・・クソ、調子に乗んなよ・・・!」
「っ、チ・・・」

この場合、仕置きのためにチカに近づいたのが失敗だった。
ドン、と体当たりされるように倒れかかられ、
不覚にもシトはバランスを崩す。

「っ―――・・・」

またもや、派手な音が部屋中に響いた。
後頭部を激しく打ち、シトは呻いた。
そうして、己に乗りかかってくるチカの、その重さにも。

「っ・・・馬鹿、早く降り・・・」
「喰わせろ。」
「・・・」

そら来た。
だから嫌だったのだ。

「・・・低脳ゾンビめ」
「知るか。俺は俺のやりたいようにやる。それだけだ」
「っ・・・」

首筋に噛み付くようなキス。
いや、実際に、喰うつもりなのでは、と思う程に、
歯を立ててくる。案の定、血が溢れた。
真っ赤なそれを、チカは悦に入ったような表情で舐め上げる。
シトは唇を噛んだ。
声を上げそうになったのだ。

「・・・ぁ、やめろ・・・」
「無理に決まってんじゃん。わかってんだろーが」

顔をあげたチカの、ギラギラとした紅い眼に、
確かに無理だ、とシトはうんざりと思う。
人間としての欲と、それ以上に強い、ゾンビとしての本能。
ゾンビになって日が浅いチカは、周期的にその呪われた血に心を支配されかけていた。
もちろん、シトにはそれを咎めることなどできない。
自分だって、
あの気に食わない抑え役がいなければ、
同じような状態になっていたと自覚しているからだ。

「っく・・・馬鹿、カス、死ね・・・っ」

だが、だからといって、
その被害者になるのとは話が別だ。
少しぐらい自覚して、自らの意思でそれを抑える訓練でもしろ、と言いたい。
だというのに、この男は、
いつだって手近なモノにはけ口を求めようとする。
それが、気に食わなかった。
ヤるヤられるはともかく、欲望の捌け口になるのはゴメンだ。

「ツレねーなぁ、シト」
「貴様こそ、なんで俺にばかり・・・っ!」
「んー、愛?」

・・・・・・。
背筋が嫌悪感にぞくりと震えた。
キモチワルイ。普段のチカだったら、死んでも(?)言わないだろう。
そう思ってる間にも、既に上半身の前が肌蹴られ、
胸元に無数の歯型と、赤い痕が残っていた。
次回のメンテナンスまでに消えなかったらどうなることか―――、
シトは暗澹たる気持ちになる。
まずはコイツを引き剥がすことが先決だ。
ガシリ、とチカの硬い髪の毛を掴んだ。強く引けば、
聞こえてくる呻き声。

「痛っ・・・ハゲる!」
「おーハゲろ。いっそなにもなくなってしまえ。貴様のようなヤツはぁっ!!」
「っ・・・テメ、少しは大人しくっ・・・」
「―――っ!!!」

シトがじたばたと暴れた結果。
運悪く、チカの立てた歯がざり、と音を立てた。
流れる血。呻き声と共に視界に入るそれは、シトの小振りな胸元の飾りから流れたもの。
ヤベ、と思ったもつかの間、
チカはその光景に目を奪われた。
陶器のような艶肌、そこを流れる鮮やかな赤。
血を見た瞬間、チカのルビーの様な瞳が更に爛々と輝いた。

―――ホシイ。

理性などで抑える間もなかった。
気づけば、チカはシトの血に、舌を這わせていた。

「っバ・・・やめ、赤月・・・!!」
「うっせぇ・・・。お前だってわかってンだろ?俺らの―――ゾンピの、本能。喰いたいと思う、
この衝動を」
「っし、るか・・・。俺まで、巻き込むなッ!!」
「お前しかいねェだろうが!!」

ガッ、と首を掴まれて、シトは呻いた。
抵抗しようにも、先ほどとはまるで違う、激しい力に、
ともすれば喉すら潰れてしまいそうだ。
見上げれば、狂気の瞳。
だが、かすかな理性が、腕の力加減をコントロールしていた。
それは、チカの、人間としての最後の砦。

「・・・赤月」
「・・・・・おめェしかいねェだろうがよ。俺の、この醜い欲望を見せられるのは。・・・俺は、俺のせいで、誰も傷つけたくねぇ。お前しかいないんだ」

珍しく真摯に紡がれるチカの声音。
シトは黙り込んだ。誰も傷つけたくない。確かに、
チカならばそう考えるのも道理だ。理解できる。

・・・だが。
なにか、おかしい。
シトは顔を歪めた。

「・・・・・・で、・・・どうしてそれが、俺を傷つけていいことになるんだ」
「そりゃ、おまえ―――」

チカはへへ、と鼻で笑うと、
今度はガシリ、と腕を押さえつけた。
嫌な予感がする。
と思ったのもつかの間、再び首筋に噛み付かれてシトは喉を仰け反らせた。

「お前が一番ヤりやすそうで、一番ヤりがいがありそうだからだ!!」
「〜〜〜〜〜〜っ!!!」

死ね、クズ、カス、消えろ、今すぐ!!
口の中で、顔に似合わない汚い言葉で相手をののしってはみるが、
当然、唇で塞がれては、そのどれもを実際に紡げずに終わってしまった。
貪るようなキスに、頭がぼうっとする。
入り込んでくる舌。どうみたって、下手クソだ。
ただ乱暴で、相手のことを考えている余裕すらない、といった
性急な愛撫。こんなもので、自分が感じるものか。
馬鹿馬鹿しい。
と、そう思うのだが、
なぜか息はあがり、キスを落された肌は痺れたように疼いてしまう。
シトの意志には反して、
彼の身体は思う以上にこういった行為に敏感なのだ。
興味がない風を装っていても、
身体自体が快楽を求める方向に向かってしまうのだから、まったく厄介な身体だ。
シトは小さく溜息をついた。
チカにではない。己の手に負えない愚かなカラダに対してだ。

(・・・だからって、なんで俺が、こんなことに・・・)

シトの思考とは無関係に、チカの愛撫は進んでいた。
溢れる血を舐め取り、また皮膚を噛む。細かな傷を幾つも刻んでは、舌を這わせるチカ。
本当は、喰いたいのだろうな。
ぼんやりとチカの八重歯を見ながら、
シトはそう思う。
だが、さすがにただの欲望で動く違法ジンビとは違うのか、
しっかりと理性が彼を押し留めているようだ。
だからこそ、ただのカニバリズムではない、こんな中途半端な、
セックスという形になってしまうのだろう。
そう、これは愛などではない。
だからこそ、シトはチカの腕で諦めたように息を吐くのだ。

これが、本当は愛だったら?
あのチカが、純粋に自分に愛し、愛されるといった甘美な感情を求めてきたら?
その時こそ、シトはチカを完全拒否するだろう。
愛など、そう、

―――クソ食らえだ。

「―――んあ?シト、なんか言った?」
「・・・―――いや・・・」

ふい、と横を向く。
今の思考回路を説明する気はない。
だが、チカはそんなシトの態度が気に入らなかったらしい。
顎を掴んで、上向かせる。

「俺を、見ろよ。」
「・・・・・・わがままなヤツめ」
「素直じゃねーな。ヨくしてやんねーぞ?」
「お前相手にヨくなれるか。死んで出直せ。馬鹿が」
「〜〜〜〜〜〜チクショー、決めた!今夜はテメーを、完膚なきまでに犯し倒す!!覚悟しやがれ!!」

売り言葉に買い言葉の下らない会話も、
それなりに楽しいと思う。
まったく、こいつは。
飽きさせない。いつまでも続くとは思わないが、いつまで続くだろう。
この150年で、久々に出会ったモノ。
確かにまだ失くしたくはないな、と思いながら、
シトは静かに目を閉じた。





end.




Update:2007/07/08/SUN by BLUE

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