心の糸。vol.1



青年が、眠っている。
読んでいた本を片手に、秋風が舞う公園のベンチで。

―――やっぱ、綺麗だよな。

単純に、チカはそう思う。





今の時間、本来なら授業に出ているはずのシトとチカは、
真面目に学校へ通うみちるを尻目に、
2人してフケていた。
勿論、その理由は、
月の返済期限が迫っているこの時期、
思うように稼ぎが上手く行っていないことである。
とはいえ、みちるという違法ゾンビナビがいない以上、
そう簡単にはいかず、
結局ダラダラとこうして無駄な時間が過ぎていくのだった。

そうして。

休憩と称して、公園のベンチでいつも通りお互い文句を垂れながら
ゲームを弄っていたチカは、
いつの間にか隣がいやに静かなことに気づいた。
確か、隣はつまらなそうな本を読んでいたはずだ。

「おィ、シト」

返事はない。
といっても、相手は基本的に反応の薄い男、
ただ無視していることも多々あるため、
結論を急ぐのはまだ早いだろう。
とりあえずチカは、自分の手元がひと段落ついてから、
めんどくさそうに髪を掻きあげ、シトを見た。

「っシ、・・・・・・」

名を呼ぼうとしたチカは、
すぐにそれを呑み込んだ。
眠っていた。
それも、読みかけの本を左手に持ったまま、自分のほうに寄り掛かるように。

「・・・・・・」

珍しいこともあるものだ。
チカはヒュ、と口笛を吹いた。
普段、あまり無防備な自分を見せたがらないシトの、
こういう場面は非常に貴重だと思う。
確かに、昨晩のゾンビ狩りは明け方まで続くハードなものだったため、
疲れているのは当然だろう。
2人が学校を休んだのは、そういう理由もある。

それにしても。

(・・・イタズラ書き、できっかな。)

チカは、シトの顔を覗き込みながら、思う。
一向に目覚める気配のない青年は、
仕事の相方がそんなことを思っているなどつゆ知らず、
こんこんと眠り続けている。
じっとシトの顔を見つめていたチカは、
思わずゴクリと喉を鳴らした。

(・・・やっぱ、綺麗だよな。男のクセに)

切れ長の瞳は瞼に隠され、顔立ちの良さが際立って見える。
普段のように形の良い唇が口汚い言葉を紡がない分、更にその美貌が映えるのだろう。
チカは何故か悔しそうに親指を噛んだ。

(ちっ・・・ヤなこと、思い出しちまったぜ)

チカの頭に浮かぶ、あのイケ好かない男の言葉。

―――『徐福』の完璧な芸術品―――

芸術品。
そう、確かに、美しい。
本人の目の前では絶対言わないが、
チカはよく考えることがある。見た目以上に大人びた、その瞳の色合い。
仲間達が傍にいても、ふとした瞬間に見せる物憂げな表情。
気高く、気品のある顔立ちと、その生まれ故の高貴さを纏った空気。
すべて、所詮はそこらのガキである自分が
持つことのできないもの。
別に自分がそうなりたいと思うわけではないが、
それこそが橘思徒という男を魅力的にさせているのだろうと思う。

そこまで考えて、チカはますます顔を歪めた。

―――あの野郎・・・

徐福の芸術品。だが、実際の彼の扱いはどうだろう。
決して、蝶よ花よと大切に扱われているわけではない。
徐福にとって、橘思徒は研究の成果だ。失えないのは、彼自身ではなく、
不老不死のその身体。
人間という枠から外れた、バケモノ。
彼を囲うものたちは、例外なく奇異の目で彼を見、
例外なく彼を陰鬱とさせただろう。
私用、と言って姿を消すシトの顔を見れば、そのくらいすぐわかる。
姿を消すその前の日の、普段以上に棘のある態度。
わざと喧嘩を売るような言葉を吐いて、絶対に引き止めさせないように意識しているような。

(・・・別に、)

引き止めたい、わけではない。
確かに、たとえひと時でもシトをあの男の下に行かせるのは、
気に入らない。
性格の悪い、趣味でシトを傷つける男だから、尚更だ。
だが、引き止めればシトが留まってくれるかといえば、それは無理な話だったし、
たとえ自分の元にいてくれたとしても、
私用をすっぽかせば痛い目を見るのはシトのほうなのだ。
そんなことで、シトを苦しませたくはなかった。
どうしようもないのだろう。
そもそも、シトは150年も死者として生きてきて、
自分はたった半年。しかも、これからも一生ゾンビとして生きていく気は毛頭ない。
シトとの付き合いは、どうせこのローンが完遂するまでの短い間だ。
だから、シトの全てを自分のものにしたいなどとは、
間違っても思ったことはなかった。
ただ、

(・・・俺の近くにいる間は、)

自分のモノにしておきたい。
ただ、それだけだ。

さらりと、彼の滑らかな黒髪に、指を差し入れた。
頭を、支えて。そのまま、顔を近づける。
唇に、噛み付いた。この場所が、公共の場だなどとは考えもしない。
そうして、

「んっ・・・」

息苦しさに、眉を寄せるシトの、その表情を、
チカはただ黙って見つめていた。
ばさり、とシトの左手が持っていた本が、地に落ちた。
びくり、とシトが意識を取り戻す気配。

「―――っ赤、月っ・・・!な、に、やって・・・!!」
「どこがいい?」
「・・・・・・・・っ???」

目覚めたばかりの頭では、この状況は理解しがたい。
ましてや、チカの問いかけの意味など。わかるはずもなかった。
シトは眉を潜めた。
それから、手の甲で唇を拭い、焦ったように周囲を見渡す。

「だから、どこがいい、って聞いてんだよ」
「何っ・・・を、言ってる・・・?というか、その前に、俺の上からどけ!馬鹿」
「テメーこそ、さっさと質問に応えろっての」

見下ろすチカの瞳は何故か怒りの炎に燃えていて、
ますます不可思議な表情をシトは浮かべる。
自分が知らないうちに眠ってしまっていたことはわかったが、
その間に、チカに何があったというのだろう。
ましてや、この状況。
よくわからないが、こんな公共の場で、
どうやら自分はチカに襲われかけているらしい。

(・・・・・・。)

シトはいいようのない不安に駆られた。
もしや・・・
いや、もしやではない、十中八九、そういうことなのだろう。

「だーかーらー、どこで抱かれたいかっつってんだよ!」
「馬鹿が、死ね!!クズめ」

ありったけの視線で突き刺すように。
普段の自分のそれは、それなりに効果があるとシトは自負しているのだが、
残念ながら今回ばかりは、チカには効かなかった。

「わーったよ。テメーはいいってことだな。ココでよ。」
「は・・・?!っん・・・!!!!」

再び、塞がれる唇。しかも、今度は掴まれる腕の力が半端ではない。
まずい、こいつ、本気なのか!?
混乱する頭の中、シトは焦りに焦った。
こんな、公共の場でなど。
馬鹿げている。本当に馬鹿げていると思う。
だが、このままではチカは、
どうあっても、自分を放してはくれないだろう。
この状況を抜け出すには、シトが知る方法は1つしかない。

「・・・・・・チカ・・・、頼むから・・・、」
「あ?」

名前で呼んでやれば、チカは大抵反応を返してくれるということを、
シトは知っている。
ついでに、己のおねだりの効果も。
シトは精一杯瞳を潤ませて、チカを見上げた。

「っ・・・夜、に・・・」

墓穴を掘る言い方だが、とりあえずは今降る火の粉を払わねば。
これで、大抵はチカは引き下がる。
その分、"夜"の約束から抜け出すのは困難になるが、
今、ここで無理矢理犯されるよりはまだマシだ。
夜のことは夜で考えればいい。
そんなことを考え、シトはチカを見上げた。

しかし―――

「いいか、シト。俺はいつ、なんて聞いてないぜ。どこがいいかって聞いてんだよ」
「・・・夜にヤらせてやると言ってるんだ。大人しく引き下がれ」
「俺は今!ヤりたいの。」

絶対に引き下がらない、と言わんばかりのチカの瞳。
なにやら普段とは違うらしい雲行きに、シトはさらに顔を顰める。
まったく、付き合ってられない。
なんで自分が、ガキの我侭に折れてやらねばならないのだ。

「っ・・・ワガママな・・・」
「テメーが悪い。」
「なっ・・・なんで、俺が」
「無防備なカオ、晒しやがって・・・喰って下さい、と言わんばかりの顔、すんじゃねーよ!」
「知るか!貴様の目が腐ってるだけだろうが!!」

暴れるシトの身体を、チカは押さえ込む。
公共のベンチが、ガタガタと揺れた。シトにしてみれば、
こんなことろで男同士もみあいをしているだけで恥ずかしい。
全く、何をやっているのだろう。
だが、その間にも、チカの指は己の襟元を緩めてくる。
本当に、このままではこんな人目のある場所で犯されてしまうのではないか。
もしかしなくとも絶体絶命のこの状況に、
シトは頭を抱えた。
このまま流される?冗談じゃない。
たとえヤられるにせよ、チカの言いなりは御免だった。

「・・・・・・救いようのない馬鹿だな」
「おうよ」

まったく悪びれない声音だからこそ、忌々しい。
シトは、諦めたように腕を伸ばし、チカの首に腕を絡めた。
そのまま、渾身の力でチカを引き寄せ、そうして体制を入れ替える。
お、とチカが驚いたように目を見開くと同時に、
ぐらりと揺れるベンチ。
やばいかもな、と思ったその矢先、
派手な音を立てて2人はひっくり返ってしまった。

「―――痛っ・・・何しやが、」
「寮へ戻る。」
「っ・・・は?」

キョトン、と不思議そうに見上げるチカに、
今度はシトがイライラと眉を顰めた。
さっきまで自分が身勝手に場所を要求していたくせに。
こちらが折れて、彼の望む通りに口にしても、意味がわからない、といった顔をするのだから。
これでは、まるで自分が誘っているようではないか。
まったく、付き合ってられない。

「・・・・・・・・・、死ね」
「なんだよ」

横を向いて、口の中でボソリと呟く。
それから、シトは身を起こすと、そのままくるりと背を向けた。

「っ、おいシト!どこ行くんだよ」
「・・・、・・・・・・・・・・・・・」

なんて。
なんて馬鹿な奴なのだろう、と思う。
だが、それはそれで好都合だ。
上手く行けば、このままチカの毒牙から逃れられるだろう。
けれど、現実はそう甘くはないことぐらい、
シトにはわかっていた。

「どこにも行かせないぜ、シト」
「・・・・・・おい」

がしり、と背後から抱き込まれ、唇を噛み締める。
まったく、どうしてこの阿呆は。
だったら、素直に自分について来ればいいではないか。
さすがに羞恥心も限界のシトは、
チカの腕を乱暴に掴むとつかつかと歩き出した。

「っだったら早く来い!こんな場所で・・・なんて、俺は絶対に嫌だからな!」
「・・・?!シト・・・お前・・・」

背後の男の声音に、
シトの顔が一気に熱を増した。
何故。
どうして、こんな男の欲に折れて、自分が付き合ってやらねばならないのか。

(・・・・・・俺も、つくづく馬鹿だな)

「たっぷり愛してやるからな♪シトぉ。」
「・・・・・・くっ・・・」

公園を抜け、人々がすれ違うそんな場所で
顔から火が出るほど恥ずかしい言葉を紡ぐチカに耳を塞ぎつつ、
シトは寮へと急いだ。





next?




Update:2007/07/15/SUN by BLUE

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