硝子の夢




それは、まさに硝子のごとくはかなき夢。
おそらく、万にひとつも、叶うことはないだろう。
なぜなら、自分は。
このまま、真っ当な生を歩めるはずもない。
過去、この身を弄ばれた、
その後遺症は常に区内の者を蝕んでいたし、
自分もまた。
ラティス自身、時折襲われる原因不明の苦痛に苛まされることもあった。
これでどうして、真っ当な一生が送れると信じられるだろう?
死などすぐ近くにある。
それは、男がいてもいなくとも、同じこと。
むしろ、男がいれば死が訪れるというのなら、
いつやってくるかもわからぬ死の恐怖に脅えるよりも、
間近に在る死を愉しむこともできた。
死にたくないわけじゃない。
得体の知れない、漠然とやってくる『死』が、
恐ろしいだけだ。

「あんたは、なんのためにココにいる?」
「では、お前は何故そこにいる?」

抱き合いながら、紡ぐ言葉は互いを探る事ばかり、
肌に触れる熱は、愛ではなく欲望を募らせる。
知りたいのは、真実。
虚構で塗り固められた男の甘い台詞が、
快楽と共に堪え難い苦痛を与える。

「欲しいものは?」
「っん・・・」

涙が一筋、流れ落ちる。
悲しいのか、嬉しいのか、快楽なのか、苦痛なのか。
本人ですらわからない、とらえどころのない感情が、
ラティスの心で渦を巻いていた。

「・・・あ、んた・・・」

途切れ途切れに紡がれる言葉、もう、ラティスは意識を保つのが精一杯で、
せめて気を失う前に男を感じたいと呟く。
中途半端な愛撫、少年の下肢はまだ解されていない。
いつもはなにをせずとも濡れるはずの彼の身体は、
緊張のためか固く強張り、
主人の意思に反している。
ファタルは、唇をよせ、再びラティスの緊張を和らげるようにその背を抱き締めた。
耳元で囁かれる、呪文のような言葉。
それは、使い古された陳腐な愛の科白などではなく、
少なくともラティスには聞き覚えのないもので、
けれどなぜか、心地よかった。
力が、抜けていく。

「・・・エル、・・・」
「っ、ぁ・・・」

男の指先が、下肢に触れた。
待ち望んでいたはずなのに、きゅっと入り口を窄ませるそこに、
少しだけ唇を歪めて、そのまま抵抗を続けるそこへ指を捻じ込んでいく。
乱暴とも言える強引さに、ラティスは顔を顰めたが、
それ以上の抵抗はしない。
逆に、男の肩にしがみ付く。
ラティスのとって、ただの利用価値のあるものでしかなかったそれは、
今は一歩間違えれば危うい恋人達のそれで、
男もまた深みにはまる一歩手前で唇を噛んだ。
少年は、実は意図してそう演技しているのではなかろうか。
これは、少年の策ではないのか。
男を堕落し、破滅に向かわせる、いつもの少年の手口。
ならそれでは、自分は?
それをわかっていて、尚この少年を貪るのは愚かすぎるのではないか。

「どうすればいい?」
「っえ・・・」

唐突に、下肢を弄る指を止められ、
少年は戸惑ったように潤んだ瞳を揺らした。
引き抜かれる喪失感。待ってとばかりに収縮したそこも意に介さず、
無情ともいえる仕草でファタルは少年を手放す。
一瞬にして、あれだけ熱を持っていた部屋の空気が冷える。
ラティスが見上げれば、
男は冷ややかな目で少年を見下ろしていて、
少年は訳もなく不安になる。
震える手を、必死に伸ばした。今だ上着を着たままの胸元を掴めば、
そのまま引き寄せられるようにして重ねられる唇。
冷たかったはずのそれは、
今は十分なほどに熱を持っていて、
少しだけラティスは安堵する。
ぎゅ、と男にしがみ付き、先を望むように身体を擦り寄せれば、

「言葉で」
「っ、」
「・・・欲しいのなら、言葉で強請れ」
「・・・・・・」

硬質な声音がそう耳元で囁いて、
ラティスは今さらながら羞恥に顔を火照らせた。
まさか、この男が、そんな俗物めいた要求をしてくるとは思わず、
けれど、だからといって彼を相手に普段しているように娼婦のような演技もできずに、
ラティスは恥ずかしげに唇を噛む。
確かに、抱いて欲しいと望んだのは自分だ。
このとらえどころのない男を少しでも知りたいという、
純粋な気持ちからのことで、
だからこそ、今までこんな気持ちを感じたことのないラティスは
思い通りにいかない自分の身体にもどかしさすら覚えていた。
いつものような演技ができない。
男の前では、常に見下ろされるのは自分なのだ。

「・・・っも、と・・・」

気づけば、もうラティスは男の手中。
背に腕を回され、首筋に歯を立てられる。男の腹で張りつめたそれを擦られ、
もはや少年は限界だった。

「挿れてよ・・・あんた、のっ・・・を、さ・・・」

オネガイ、と耳元でねだられれば、
喉を鳴らして男が嗤う。
ひくひくと収縮を繰り返すそこに熱塊を押し当てられて、
ラティスはよりそれを感じようと瞳を閉じた。
唇が落とされ、次の瞬間、

「っく・・・」

熱い襞を裂くようにして侵入してくる男。
痛みはないわけではなかったが、我慢できない程ではない。
それよりも、確実に快楽が勝っていた。
けれど、同時にいいようのない不安が胸の内を襲う。
何故?
今までだって、幾度こんな堕ちた行為を重ねてきたかわからない、
同性との交わりがタブーだなどという常識は、
こんな無法地帯では通用しない。
だというのに、
胸に去来する言いようのない罪の意識は、どこから来るのか。
そして、同じように、男もまたそれを感じていた。

「・・・綺麗だ、エル」

汗に張り付いた前髪を払ってやり、
瞳を覗き込む。
灰に淀んだそれは、罪の証。
自分がよかれと思って抱いてしまった腕の中の少年は、
感じているだろうか?
魂に刷り込まれた、禁忌を犯したという事実を。
この眩暈がするような快楽は、
いつか、地獄の業火へと変わるだろう。
逃げ出すこともできない魂の檻に囚われて、
終わりのない責苦を味わうことになる。
わかっていても、拒めない。溺れていくのは、少年でなく自分。

―――・・・重症だな。

かすかに口の端で自嘲の笑みを浮かべ、
ファタルもまた快楽に身を委ねた。










ジャンルリスト

PAGE TOP