Evil Night vol.2〜溺れる魚
「サー・グレイス」
夜の宴の喧騒の中、自分の通り名を呼ばれ青年は振り向いた。
足早に近づく年若い少年がゲストルームの世話人の一人であることを認めて、かすかに顔をしかめる。
「・・・アルダ。何があった?」
型通り自分に跪く彼の肩に手を置き身を起こさせると、青年は見上げてくる端整な作りの顔に目を紬めた。
「例の『区外』の人間のことですが・・・」
表情を変えずに先をうながす。
「サーの言われる通り準備をさせようと思うのですが、逃げようと暴れ出し、部屋の外へ出せないのです・・・・・・」
ちらりと見やれば、相当格闘したのか確かに白い腕に赤く傷がついている。
よほど手を焼いたと見えるその様子に、青年は喉の奥で笑った。
―――元気なことだな。初めてここに来た時とは大違いだ。
まぁ、それでなくては無理失理食べ物を与えたかいがないのだが。
青年は、仕方ないな、と前髪を掻き上げると、身を翻して歩き出した。
自分を見上げていた少年の腕に触れ、手にした光で傷を癒してやる。
「仕事に忠実なのはいいが、怪我には気をつけろ。折角の体が大なしだからな」
「はい」
素直に頭を下げる少年にひとつうなづくと、青年は彼を伴って大理石の床を鳴らした。
『区外』の者―、すなわち、セフィロスの元へと向かったのである。
彼の出番は、あと一時間と迫っていた。
薄く照明を落とした部屋の中で、金のある者もない者も全て集まり、舞台に現れる美しい商品なり鑑賞物なりをその目に焼きつけている。
青年が主催している夜の宴の今回のメインは言うまでもなくセフィロスであり、その美しさを一目見ようと来た者も少なくなかった。
客席をさりげなく見やり、青年は薄く笑う。
彼らの欲を満たす為に、セフィロスには何としても出てもらう必要があった。
「・・・グレイスさまぁ!あの者、本当に無礼な奴です!言うことは聞かないし、暴れ出すし・・・!!」
部屋から駆けてきた、まだ子供と言える少年に二、三指示を与えて、その場を去らせる。
散々抵抗したのか疲れ果てて壁に寄りかかる彼の姿に口の端だけで笑うと、青年は部屋へと足を踏み入れた。
「よぉ。気分はどうだ?」
見下ろしたまま、セフィロスに声をかける。かすかに上向いた顔は、声の主を認めると唾を吐いて横を向いた。
「・・・最低だ」
「それは困るな。ここを出て、気持ち良くなったらどうだ?」
嘲りを含んだ声音に、セフィロスが青年を睨む。
けれど、平然として見返す視線が嫌だった。
「・・・何を・・・させる気だ・・・!!」
かたわらの椅子を引っ張り自分の前に座り込む青年に、セフィロスの中でこの前の恐怖心が芽生えてくる。
自身の意志も、自由も全てを奪われ、自分が自分がなくなるような屈辱的な惑覚に、セフィロスは身を震わせた。
「何って・・・オシゴトだよ。決まってんじゃねぇ?」
手を伸ばし、セフィロスの顎を捕らえ上向かせる。
息を呑むその仕草に、青年は小さく笑った。
「あんたのすることは簡単さ。『体で客を悦ばせる』。たったそれだけだぜ?これ以上ラクなことはないよな」
「・・・ふざけるな!!」
羞恥と激怒から拳が飛び出す。
けれど真っすぐに青年を狙ったそれは、いとも簡単に青年に避けられた。
「・・・馬鹿な奴」
耳元をかすめたそれを掴むと、そのままセフィロスの体ごと床に叩き付ける。腕や足に傷がつかないかわりに、衣服に包まれた背をしたたかに打ち付け、セフィロスは血を吐いた。
「・・・!」
「・・・あんた、そういう意味のない抵抗心なくした方いいぜ。痛い目見るって」
揺れる視界の中で、青年はおかしそうに笑った。力が負けたとか、そういう問題ではなく、一人の男の手中に自分が存在していることが、セフィロスには許せない。
「く・・・!」
けれど、セフィロスが体中に広がる痛みから抜け出せないでいる間に、青年は先ほどの年若い少年から小さな瓶を受け取っていた。
ワインの瓶を手のひらサイズにしたような小瓶だが、中身は透明で、とろりとした液が入っている。
青年は、脅えた瞳に意地の悪い笑みを浮かべると、その中身を一気に口内に含んだ。
そのまま、固まるセフィロスの上に乗り、唇を重ねる。
「ん・・・!」
生暖かい、ねっとりとした感触が、喉を下りていく。抵抗したくとも頬を押さえられ舌で無理に歯列を割られると、セフィロスは苦しさに青年の唾液と混じり合ったそれを嚥下した。
青年が身を起こせば、放心したように床に身を投げ出したままセフィロスは動けない。
「何、を・・・・・・」
喉を押さえ、青年を見やる。
けれど、青年は薄く笑ったまま、セフィロスを見下ろしていた。
手の中で空になった瓶を転がす。
「・・・色情薬。本当はひと舐めでも効くんだけど、あんたには特別多めに処方してやるよ」
多めどころか、あの量では10倍にはなるだろう。
これから身に起こることに恐怖を覚え、セフィロスは涙目で青年に訴えた。
「やだ・・・やめろ・・・!」
「飲んじまったモン、仕方ねぇだろ。大丈夫、死なねぇから」
早くも手足の力が抜け、感覚がなくなってゆく。そして、体内に湧き上がる熱。
それに翻弄され上気した顔を見やり、青年が満足気に笑う。
立ち上がって入口にいた少年に目をやると顎をしゃくった。
「裸に剥いて、舞台に放り出せ」
「承知しました、サー。ですが・・・」
少年がセフィロスの方を見やる。視線はそのはだけた胸にそそがれている。
その意味に気付いた青年は、セフィロスに向き直ると考え込むように顎をつまんだ。
「・・・そうだな。あのままだとバレるな」
『傷』一つない白い胸に目を細める。
苦しげに喘ぐセフィロスは、次の瞬間身動きさえできなくなった。
焼けるような熱が左胸を襲い、けれど逃れることも出来ないまま青年を凝視していた。
「あ・・・つい・・・・・・」
まともに出せない声が、無意識に言葉を紡ぐ。
その熱が去った時には、彼の胸に『街』の者である証の焼けたような傷痕が残っていた。
「あ・・・」
驚きのままに自分の胸に手をやるセフィロスに、青年は小さく笑った。
「心配するな。本当に傷つけたわけじゃない。けど、『ここ』で生きていくには必要なんだ」
そこまで告げると、青年はまわりの少年達に後を任せ部屋を出た。
時計を見れば、あと10分と迫っている。
深夜2:00AM。宴は、最高潮に達しているはずだった。
この『街』の住民は、全て何がしかの実験をほどこされた者ばかりだった。
薬物投与によって頭がおかしくなった者、異常な力を持った者、獣と人のあいの子だったり、人体実験のなれの果てなど。
これら全てが人間としての理性を失い、獣のごとく舞台上の見世物に舌舐めずりする様子は、いつ見ても滑稽だと青年は思う。
そして、今もまた。
セフィロスという美しい彫像が舞台に現れ、部屋中に歓声が湧き上がった。
本当は、美しく肉感的な女などすぐに作れるし、男娼もまた然りだ。
けれど、この宴に出る者はこの街で稀に見るその生身の美しさを買われ、競売にかけられたり見世物にさせられたりしていた。
無論、その理由は様々だ。
自分の美しさをひけらかしたい者もいれば、生活の為に身を売る者もいる。
しかし、本当は主な者が孤児として捨われてきた少年少女だということに、気付く者がいるかどうか。
今回手に入れた美しい『区外』の人間に魅入りながら、青年は血のような赤ワインに口を付けた。
円形の大きな鏡の上で、全裸のセフィロスが身を震わせている。
おそらく薬のせいで何も考えれなくなっているのだろう、本来の彼ならば絶対出来ない格好で自身を自らの手で奉仕する姿が、ひどく欲情を煽った。
ためらいなく開かれる足、ゆっくりと回転する舞台、部屋中に響く淫蕩な喘ぎ声。
言うまでもなく、誰もが晒された中心に釘付けになっていた。
青年は、彼を売りさばく気はなかった。
タブーである『区外』の者を生かしておくこと自体、禁じられていることなのだ。
今は目くらましをしているが、もし誰かの手に渡れば、バレるのは時間の問題だった。
セフィロスは、うつぶせになり荒い息を吐いていた。
下には、何度か精が放たれ、ぬめりがより一層セフィロスの卑猥さを増している。
けれど、今だ苦しげな彼の表情は、幾度も絶頂に達した風もなく、与えられない快楽にもだえているようだった。
ただでさえキツい媚薬を多量に飲んだのだから無理もない。
青年はフッと笑うと、傍らに控える男に目をやった。
「犯してやれ」
「はっ。・・・誰になさいます?」
青年は少し考え、客席の方を見渡した。
皆、欲情をたたえた瞳をしている。
「・・・客だな。奴が気を失うまで続けさせろ。楽しい夜になるだろうよ」
青年は鼻で笑うと、一礼して立ち去る男には目もくれず舞台の上に視線を戻した。
不意に壇上で喘ぐ彼の潤んだ碧の瞳とぶつかり、目を細める。
ひとかけらの理性も残っていない、狂気の瞳。
体中を渦巻く情欲に翻弄されている今のセフィロスには、誰が自分の体を犯そうと関係がないようだった。
(セフィロス・・・)
選ばれたらしい獣人が、一つ雄叫びを上げ、セフィロスの白く細い足を掴んで強引に自らの体で割り開く様を、
青年は無表情のまま見据えていた。
ただでさえ狭い内部は、もはや人間とは思えない太さの肉棒で貫かれ。
けれど、飛び散る血も内腑をえぐる痛みも、麻薬めいた熱に踊らされ何も考えられないセフィロスには快感をもたらすものにしかなり得ない。
絶叫が甲高い嬌声に変わっていく姿を、部屋中の誰もが見ていたのだった。
「・・・君も熱心だな。グレイス」
よく通る男の声を耳にして、青年は立ち上がった。
「ドン。お待ちしておりました」
いつも連れているはずの2人のボディガードらしき人物がいないことを確認して、隣の豪奢な椅子を勧める。
男は、頭を下げる青年に小さく笑うと勧められたままにその椅子に腰掛け、彼の注いだワイングラスを受け取った。
蒼い瞳が細められ、壇上の彼へとそそがれる。
「・・・あれが今回の獲物か」
「ええ。・・・珍しいでしょう?俺も、あれほどの美しい人間は見たことがない」
セフィロスに視線を戻せば、息も絶え絶えに次の相手に犯されている。
まるで、幼い少女が巨人のモノに貫かれているようなひどく背徳な行為は、それを見ている者の欲を満足させるのには充分だった。
穢され、地に堕されながらも、決して失われぬ色香。
「・・・君のことだ。売る気はないんだろう?」
男の言葉に、青年はうなづいた。
「あいつは、しばらくはここの看板にさせます。まだ救助代をもらってない」
「フン・・・残酷な奴だ。本人はどう思ってるんだ?」
「この世の地獄でしょう。ま、俺が天国にしてやりますよ」
そこまで言った所で、4時を告げる鐘が鳴った。
「終わったようだな」
舞台の上では、やっと気を失ったセフィロスが憔悴し切った様子で横たわっていた。
続けざまに鳴る鐘に合わせて、客は自らの帰るべき場所へと戻り始める。
この音と共に夜の宴が終幕し、新しい朝を迎えるのは、長年続けられてきた習慣のようなものだった。
「・・・また静かな朝の始まりか。退屈すぎて反吐が出る」
男が吐き捨てる。彼の言うように、この『街』の昼は静かすぎた。
戦争が終わって10年が過ぎたというのに、この場所は今だに『区外』の研究の対象であり、住民は当然のごとくモルモットにされられていた。
日が昇れば、また住民の誰かが音もなく捕われ連れられていく。
皆はそれを怖れ、昼に外に出る者などほとんどいなかった。
「・・・・・・」
青年が顔を向けると、口の端だけで笑みを浮かべて男は立ち上がった。
「さて、私も行くとするよ。今日はせび君を連れ帰りたいものだが」
音もなく差し出される手に、一礼する。
「あいにくと、今日はまだ仕事が残っておりますので・・・」
「クラウド」
誘いを拒否しようと紡いた言葉は、男の一言によって中断された。
自らの『名』を呼ばれ、自分の身が束縛を受けるのを感じる。
他人の本名を知ることは、この街ではその者を手中に収めることに他ならない。
ただ一人―――この、目の前の金髪の男に自分が支配されていることを、クラウドは改めて知ったのだった。
「・・・来るだろう?」
「・・・・・・はい」
瞳を閉じ、クラウドは目の前の手を取る。
贈られる騎士の礼に、男は満足気に笑った。
外はまだ闇の中。
身を翻し部屋を出る彼の夜は、まだ終わらないようだった。
...to be continued...
→vol.3