01:夜の始まり



壁に掛けられたレトロな時計が、秒針を刻んでいた。
冴えた耳に聞こえてくるのは、そんな些細な音だけで、あとは静寂極まりない。
長い、長い時だけが、上司を待つ少年の前を通り過ぎていった。

プラント最高評議会、穏健派議員による、極秘会議。



先日の通称『血のバレンタイン』以来、ザフトの反連合の風は最高潮に達していた。
それは当然といえるだろう。
23万人の同胞の命が一瞬で奪われたのだ。
高い地位にある評議会議員の家族とて、例外ではなかった。
だが、連合側への抗議も意味などあるはずもなく、ましてやそれを「プラントの自爆作戦」と逆に非難されたとなれば、
さすがに黙っていられない。
事実、緊急で行われた評議会では、メンバーが強硬派と穏健派に分かれる事態となっていた。
かねてから研究が重ねられてきた核分裂抑止システム「ニュートロン・ジャマー」
その使用を強行しようとする者、その地球への被害を危ぶむ者。
だが、今のプラントでは、圧倒的に連合への制裁を望む声のほうが強いのが現状だ。

少年の上司であるギルバート・デュランダルは、
どちらかというと現評議会議長であるシーゲル・クラインを主とした穏健派に属していた。
それで、この会議にも頭を付き合わせた、というわけなのだが、
実際の位置は少々違う。
彼と懇意であるラウ・ル・クルーゼは、
強硬派の主、現国防委員長であるパトリック・ザラを後ろ盾に軍を率いていた。
本当は、デュランダルもまた、強硬派に近い考えを持っている。
殺し合いを望まないからとはいえ、だからといって話し合いですむ相手ではもはやないのだから。
平和のみを討え武器を持たなければ、身の危険に恐怖するしか道はない。
そして、より力のある者に支配されてしまうだけ。
たとえ無益な殺し合いを避けられたとして、
それではコーディネイターはナチュラルに支配されるために生まれてきたというのか。
だとしたら、
その身の自由、人権を奪われ、その存在すら否定される今の時代に、
わざわざコーディネイターたちがZ.A.F.T.―自由条約黄道同盟―を立ち上げた理由は?
我らは、身を挺してでもそのプライドを守らねばならないのだ。
だが、例え自分たちの人権をその身の全てをかけて訴えたとして、
どうすれば連合に認められるというのだろう?
残酷な核攻撃を一切認めず、プラント側の残忍な作戦だと全世界に伝えた地球連合は。
プラントの意思を認めることは、この先きっとないだろう。
全ての発端は、ブルーコスモスなのだ。
コーディネイターに対する根強い抵抗感が、彼らの源なのだから、もう話し合いの余地などあるはずがない。
この戦争はきっと、互いの戦力をほとんど失うまで続く。
愚かしい行為。だが、所詮人間という生き物はそんなものだ。
過去の歴史を紐解けば、
似たような戦いなどいくらでもあり、そのたびに後悔を纏うくせに、
時代が過ぎれば忘れてしまうという愚かさ。
いっそその性に身を任せれば、ラクなのかもしれないけれど。
いつだって被害を被るのは、力ない一般市民なのだ。
では、国を統べる長は、
果たして国としての意志を貫き戦うべきなのか、それとも国民の安全のために国を放棄すべきなのか?
だが今のプラントに、その答えを吟味している時間など残されていない。
穏健派と強硬派。
分かれていても、共に連合への怒りは変わらないのだから。



(・・・・・・ギル)


会議室のドアが開いた。
予定を4時間もオーバーしての極秘会議が終わった。
議員たちが出てきた瞬間、彼らを囲む記者たちの波。だがこの場はあくまで極秘なのだ。
誰もが固く口を閉ざす中、少年もまた彼の上司を見つけていた。

少しだけ、青褪めた表情。

誰が見てもただの無表情が、少年の目にはかなりの無理をしていることが伺えた。
会議の内容が白熱したか、それともあまりの中身のなさに落胆したか。
おそらく後者だろうと見当づけて、レイはギルバートに心配そうな視線を向ける。
自分もあまり感情を表に出さないほうではあるが、
ギルバートは立場上むしろ偽りの表情を浮かべることのほうが多い。
ポーカーフェイスというよりは、
一見人あたりのよい笑みが常に彼の口元を彩っていた。
そして、本心を押し隠し、穏健派として偽りの意見と態度を表面に表す。
その精神力は、どれほどのものだろう。
感情を表さないだけならともかく、ギルバートが人一倍の気力を使い人前に出ていることは明白だった。
特にこうして長く化かしあいを続ける会議のような席では。
ギルバートが普段の仕事に乗り気でない理由は、気苦労が耐えないからに他ならない。
自負ではないが、少年の知る限り彼の本心を垣間見れるのは自分やクルーゼのいるプライベートの場でだけだと思う。
すっ、とギルバートの手があがり、レイは音もなく彼の傍に近寄った。

「車を、回してくれ」
「・・・は。かしこまりました」

彼の言葉に頷いて、その場を離れようとすると、

「・・・っ、」

誰にも見えないところで、握られた手のひら。
ギルバートのその指先が驚くほど冷たい。ただでさえ体温の低い自分よりも冷たいのだから、よほどである。
そうして、いつも以上に強く掴まれ、少年の中に何かよくない不安が芽生えた。
近くにいた警備員の1人に、裏口に車を用意するよう指示して。

「・・・大丈夫ですか?」
「ああ。・・・早く帰りたいだけだよ、レイ」
「・・・・・・」

あまりの雑踏にほとんど聞こえていない声だとはいえ、
秘書の名を親しげに口に出されては非常に困る。
レイは、ギルバートがかなり精神的に参っていることを結論づけた。
これでは、車の中での態度も怪しいものだ。

「・・・いえ、私が運転しますので」

早々にギルバートを車に乗せ、それから車を回してきた運転手に席をゆずってもらうと、
そのまま車はビルの喧騒を尻目に走り去る。
逃げるように出てきてしまったが、
後部座席で憔悴し切ったような表情を見せる彼ならば致し方ないことだろう。
レイはルームミラーでちらりとギルバートを見やった。

「・・・・・・ギル」
「ん・・・」
「何かあったのか?ひどい顔してる」

具合でも悪いのか、と問いかけると違うよ、と苦笑され。
すっ、と後ろの影が動いた。手が伸ばされた、と思った矢先に後ろからシート越しに前に回される腕。
予想だにしていなかったギルバートの動きに一瞬手元が狂う。
半自動操作に切り替えていなかったら事故を起こしていたかもしれない。
レイは咎めるような視線を後ろに送ったが、
当の本人はそれに気付くどころか、目を閉じてうっとりと笑みすら浮かべていた。

「・・・ギル?大丈夫か?」
「ああ。・・・君がいるから、大丈夫だよ」
「・・・・・・」

もはや、こうなってしまったギルバートは手に負えない。
首に抱きつかれたまま、レイは仕方なく運転を続ける。
幸いなことに、少し郊外に出ると対向車もなくなった。こんな姿、万一目撃されたら大変なことになる。

そうして、やっと目的の彼の自宅に着いた。
ギルバートは眠っていた。運転席の、シートに凭れたまま。


「・・・・・・」


もう、呆れるしかない。
どこの誰が、こんな、わけのわからない格好で寝こけるというのだろう。
写真を撮っておけば、きっと後日笑いの種になるに違いない。
3日後には帰ってくる彼の友人に見せたらきっと大いにバカにされるだろう。
せめて緊張の糸が切れるなら、部屋に入ってからにして欲しいというのに、
この二十もとうに過ぎたいい大人といったら。


とりあえず、しがみ付いたままの腕を外させた。
さらり、とギルバートの闇に溶けるような色の髪が揺れる。後ろに背を凭れさせると、軽く開かれた唇が劣情を誘う。
薄闇の中、誘うような媚態のギルバート。
決して本人はそんなつもりではないのだろうが、少年にはそう見えた。
ずっと、彼を見つめ続けてきたのだ。今更その視線が不純すぎると言われても構わない。

幸い、ここは敷地内で、誰にも気付かれることのない場所。
庭の外灯だけが、斜めからギルバートを照らしていた。
早く起こして部屋に連れていかなければ、など彼の世話役としてすべきことは、
頭からすっかり抜けてしまっていた。
一般車よりは多少広いとはいえ、行為をするにはまだ狭い車内で、
しかも相手は憔悴し、眠りの世界にいる青年。

けれど、それでも。


「―――ギル」

そっと、吐息だけでその名を呼んだ。
薄い唇を親指の腹でなぞり、そのままキス。重ねた唇は、思いのほか温かだった。
濡れた舌で唇を舐め、そして歯列を割る。舌先が絡み合い、重ねただけのキスは次第に深い口付けへと変わる。

不意に、背を抱かれ、少年は目を開けた。
絡み合う視線。濡れたような光を帯びたオレンジ色の瞳に、吸い込まれるよう。
寝ぼけていたからか、それとも飢えていたからか、
こちらも少年の青の瞳を離さないギルバートに堪らなくなった。
抱き締めてきた腕の反対の手を取り、手のひらを重ね、シートに押し付けるようにその指を絡ませる。

夜はまだ、始まったばかり。



―――微かに、ギルバートが笑った気がした。




end.




Update:2005/03/01/WED by BLUE

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