侵蝕 vol.1



輝かしいフェイスのマークを胸に着けた、群青の髪に翡翠の瞳を持つその青年は、
アスラン・ザラといった。
元クルーゼ隊所属、ザフトレッド。
先の大戦で国防委員会直属に名を連ねてからは、父であるパトリック・ザラと相対し、
その意見の相違から道を違えた。要は軍を裏切り、彼の幼い頃からの親友と共に戦争を終わらせるために尽力した。
そして、今また。
現プラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダルの意志を受け、
過去、決別したはずの軍服にもう一度腕を通し、そして前線の指揮官として先陣に立っている。

「アスラン・・・、ザラ」

レイは幾分低まった声で彼の名を呟いた。
ミネルバの回廊で彼の姿を見たとき、知らないうちに足が動いてしまっていた。
彼を、追った。幾分、急ぎ足で、見失わぬように。
さらりとした髪を揺らす青年は、そのまま外の、デッキに出る。
浮かない顔。
それも、当然だろう。
先日の戦闘で出撃した青年は、
その愛機"セイバー"を、彼の親友―――"フリーダム"の手によって、いとも簡単に、一瞬にして、破壊されたのだから。
ザフトに復帰してしまった彼と、平和を望み独自の道を歩む"彼"。
ならば当然、彼らが戦場で出会えば、"敵"となる。
そう、かつて、壮絶な戦いを繰り広げた、
地球軍だった友と、ザフト軍のパイロットだった彼自身のように。

「こんな所に、いたんですか」
「・・・!・・・っ・・・レイ・・・」

普段は寡黙を通すレイの掛けた言葉に、
アスラン・ザラは驚いたように声を掛けられたほうを振り向いた。
一人になりたくて、敢えて甲板の裏に回っていた。それなのに、同僚の彼に見つかってしまったことに、
青年は少しだけ気を落としたように瞳を揺らす。
だがもちろん、レイは咎めなかった。当たり前だ。彼の心は、手に取るようによくわかるのだから。
無防備な表情を見せたことに気付いたのだろう、
アスランはすぐにいつものポーカーフェイスを取り戻し、上官としての顔でレイを見た。

「・・・ああ、すまない、なにか用かな」
「いいえ、何も。ただ、見たかっただけです。―――私も。」

海を、とだけ言葉を紡いで、レイはデッキに歩んだ。
同じように、海を眺めていた青年の、隣に来る。アスランは動かなかった。ただ、そんなレイを見ていた。
暇さえあれば射撃訓練やMSの整備を怠らない、生真面目な軍人。
そんな印象の彼が、自分の隣で海を眺めている。
さらりとした金糸を風に靡かせて。
珍しいこともあるものだ、とそのまましばらく彼のほうを見ていたアスランは、
やがて少しだけ笑みを浮かべ、視線を海に戻した。
ひとりになりたくて、ここを選んだけれど。
彼がいることで、この空気が嫌いになれるほど、青年にとってレイの存在が迷惑だったわけではない気がしたから。

海の、そのまた向こうにいるはずの、オーブと、そしてアークエンジェル。
それは、アスランにとって大切な、そして一番守りたいものだったはず。
だというのに、彼らを、ひいては世界を争いの渦から守りたい一心で、軍に復帰した自分と、
なおもザフトを敵とする、地球連合軍に組してしまった、オーブ。
これでは明らかに、"敵同士"だ。
守りたかったのに、そのときにはもう遅く、
陣営を違えた今、できることは、互いがぶつからぬことを祈るのみ。
そうして。

悪夢の日は、現実になった。

「・・・何を、考えてます?」

唐突なレイの声に、アスランはハッと彼のほうを見た。
現実に、一瞬にして引き戻された気分だった。
そう、ここは。
ザフトの船で、自分はザフトで、敵は連合なのだ。
既に敵となったものを今も想ってしまう心は、自分の弱さ故なのか。それとも。

「お辛いですね」

言葉短かに告げられるそれに、アスランは戸惑った。
知らない・・・はずは、確かになかった。自分が、かつての大戦で、アークエンジェルと共に戦い、
そして戦争を終わらせるべくジャスティスを駆りジェネシスを止めたことは、
有名な話だ。ましてや、彼は自分の後輩の、ザフトレッド。
知らないはずがない。
そして、察しのいい彼ならば、自分が何を悩み、苦しんでいるかということも、すべて見抜かされている気がする。

「・・・レイ」
「隊長・・・いえ、アスランは、なぜ、ザフトに復帰なされたのですか?」

アスラン、と呼ばれ、なぜかデジャヴを感じた。
ここではない、どこか。―――誰か。けれど、その記憶は漠然としていて、追いかけようとしても見失うばかり。
なぜ、と問われ、アスランは心持ち視線を足元に落としていた。
反芻するのは、デュランダル議長の、あの言葉。

―――君に、これを託したい

「復帰さえなさらなければ、あのまま、オーブの姫の元にいられたでしょうに。
 守りたかったのではなかったのですか?・・・彼女を」

問い詰めるわけでもなく、かといって慰めようというのでもなく、
淡々とした、相変らずの読めない表情で言葉を紡ぐ少年に、アスランは逆に口を噤んでしまった。
彼の言葉が、もっとも過ぎて。
そう、彼女を守りたかった。彼女だけではなく、オーブも、そこに住む親友も、守りたかった。
―――いや、違う。俺は・・・―――
守りたかった。彼女も、友人も、オーブも、そして、
世界も。
今、再び二分されようとしている世界を、止めたかった。
その原因が、自分の父に関わることだったからこそ、なおさら。
だから、自分は。

「皮肉なものですね。彼の人も平和を望み、貴方もまた。だというのに、戦場では敵対する。
 そして、貴方のかつての友でも、今敵ならば、私たちは討たねばならない。敵で、ある限り・・・何度でも」

レイの言葉に、アスランは無言でぐっと拳を握り締めた。
彼の言葉は、真実だ。軍人である以上、敵である者へ向ける感情は、愚かなだけ。
よくわかっている、はずだった。
かつて、同じような立場にいた自分には、本当によく。

―――皮肉なものだな

「あ・・・」

嫌な、・・・本当に嫌な声音が、耳の奥で鳴った気がした。
ただ動揺し、心を揺らし、声が届かないことに焦れ、誰にも頼れず、ただ孤独だった頃の自分を、
思い起こさせるようなあの声音。
アスランは咄嗟に胸を押さえた。己の弱く脆い感情が、溢れ出してしまいそうで。
だが、一度思い出してしまった記憶は、止まらなかった。
先の戦闘で、声が届かなかった相手。
かつての、友。
あの頃も、同じように説得をした。そうして、・・・届かなかった。

―――君のかつての友でも、今敵ならば、我らは討たねばならん。それは、わかってもらえると思うが・・・

「っ・・・」
「アスラン?」
「―――しばらく、一人にしてくれないか・・・」

ふらり、と立ち去る背を、レイはただ見送った。
今、彼を刺し過ぎるのはあまりいいことではない。不信は、戦いへの心を揺らがせる。
それではまずいのだ。彼は、―――駒。優秀で、強く、今のザフトでは、彼に叶う者などいない程の。
だから、今不信感を抱かれてもまずい。
かといって、"敵"である者に心を掛け、先の戦闘のように何の意味もない戦い方をされても困る。
そこまで考えて、レイはスッと口元に笑みを浮かべた。
傍から見てもわからないほどの変化だった。だが、周囲の空気がわずかに変わった。
アスラン・ザラ。
元、クルーゼ隊所属。アカデミーを首席で卒業し、トップガンとして名を馳せたザフトレッド。
そうして、もう一つ。

「・・・私を、忘れてしまわれるとはね」

幾分、低まった声音で、レイはそっと呟いた。
喉を押さえる。口の端を、持ち上げて。
アスランの、デジャヴの原因。それを、レイはもちろん知っていた。
彼が思い出したであろう、残酷な言葉。それを、敢えて思い出させた。彼を、思い通りに動かす為に。
かつて彼が囚われていた袋小路に、今もまた、彼を閉じ込めるために。

「もう一度、思い出させてあげますよ、アスラン。・・・この俺がね」

少年は、彼の出ていったドアを見つめ、呟いた。





...to be continued.





侵蝕 vol.2




Update:2005/09/19/SUN by BLUE

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