09:深い森



ごくごく控えめな呻き声に、目を覚ましてしまった。
隣にいるハズのラウの姿がない。俺はやはり心配で、眠るギルを起こさないようにかれを探す。
ラウの発作は、別に今に始まったことではない。でも、
最近とみに間隔が短くなっている気がする。薬の量も多くなった。
発作がいつ起こるのかなんてわからなくて、予防薬は飲んでいるけれど、発作を防げないこともあって、
そのたびに胸が痛くなる。
キッチンに足を踏み入れると、唇を噛み、拳を震わせて痛みに耐える彼。
それを目にした途端、
彼と同じ構成のこのカラダも、同じように疼いた気がした。
それは、運命。
逃れられないものは、自分。クローンとして生まれた現実。紛れもない、己の肉体の急激な劣化。
いずれ自分も、彼と同じように不安定な発作に苦しみ、薬を手放せなくなるのだろう。
耐え難い苦痛に喘ぐ日が来る。わかっている。そんなことは今更だ。
だけど、いつの日か来るそれが、ひどく怖かった。
理屈などではない、純粋な恐怖。今目の前には、同じ症状に苦しむかれ。
逃げ出したかった、本当は。
けれど、努めて平静を保った。かれが、こちらに気付いたからだ。

「・・・痛むの?」

なんて、意味のないことを尋いたのだろう。
彼の苦痛など、推してしかるべきだ。あれほど辛そうな彼の姿は、見ていられないほどなのに。
静寂の支配するその世界で、動いたのは彼だった。
短い距離。俺はただ、立ち尽くす。

「・・・ああ。痛いさ。・・・狂い出しそうなほどに」

手が伸ばされる。首に。大きな手に喉元を掴まれ、気道が圧迫されていく。
力が込められ、簡単に息が詰まった。それを、彼はあまり変わらない表情の下、面白そうに眺めていた。
だから、俺は。
ただ、彼の与える苦痛に身を委ねていた。
死んでも構わなかった。それが、彼の人の安らぎになるのならば。
だが、さして時間も経たないうちに、手は離れてしまっていた。・・・ラウ?

「どうしたの?」
「・・・いや」

俺の首を絞めようとした掌で、額を押さえて。
まだ、苦しい?俺は、あなたの安らぎにはなれない?

「・・・レイ?」

背後から、腕を回した。広い背中で、今の俺には大きすぎたけれど。
それでも。
抱き締める。別に、効果があるかないかとか、どうでもよかった。
これは、「もう一人の俺」に対する俺の精一杯の愛情表現で、
そこにあるのは自己愛以外のなにものでもない。
ラウの大きな手が、胸元に回された俺の手に重ねられた。握り締められる。胸が、熱くなる。

「俺を、抱く?慰めてあげるよ」

とんでもないことを、さらりと。
この頃の俺は、初めてセックスというものを覚えて、少し大人になった気分だった。
先ほども声を上げず、恐怖も押さえつけたのには、こんな理由もある。
だが、もちろん父代わりの彼がそんな稚拙な誘いに乗ってくれるハズもなく、

「生意気な子供だな」

くっく、と笑われる。なんだか悔しくなって、

「だってラウが、哀しそうだったから」



「・・・哀しいのは、お前だろう?」



「っ・・・」

唐突に。
彼の胸に抱きすくめられ、俺は思わず息を呑む。
耳元に、かの人の静かな声音。

「可哀想なお前。いずれ私と同じように、この苦痛を味わうのだろうな。私は、それが辛い」
「・・・ラウ・・・」

あまり聞くことのない、彼の人の本音。
抱かれた腕の力強さに目を閉じる。唇を噛んだ。涙を零したくなくて。

そう、まるで、深い森の中を歩いているようだった。
光もなく、前も見えない。たった1人で、ぬかるんだ道を往く。
でも、それでも。
今はまだ、彼がいる。目の前は闇。それでも、もっと先には、ラウが。

「怖くない。」

・・・もしかして、見透かされてた?
あなたを見て、来たる未来に脅えていた俺を?

「怖がることなどない。」

もう、一言。止まらないのは、頬を伝う涙。

「ラウ・・・」

どうして、あなたはそんなに優しい言葉を俺にくれる?
だから、今度こそしがみ付く。もう、見栄を張るのはやめるよ。
所詮、俺はあなたに叶わない。

「・・・ありがとう。」

だから、あなたには、ただただ感謝する。
こんな俺を拾ってくれて、

ありがとう。










[20のお題詰め合わせ] by 折方蒼夜 様
Update:2005/10/04/THU by BLUE

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